新国立劇場・プッチーニ「蝶々夫人」(6/18)の感想


    2011-6-19

タイトルロールはロシアのソプラノ歌手オルガ・グリャコヴァ。歌唱技術は全体に堅調でしたし、聴かせどころではホールを圧するほどのボリューム感ゆたかな声量を披露、加えて艶のある美声。高音域は少し苦しそうでしたが不満というほどではなく、スタミナ的にも最後まで無難に歌い切り、聴いていて危なげがないという点では安心して聴いていられましたし、終盤での切迫感も鬼気迫るものが出ていて、このオペラ終盤での加速度的な悲劇色の台頭において、観ていて圧倒させられるほどに壮絶なカタストロフが表現されていました。

しかし全体的に「声が重い」点が聴いていて気になりました。おそらくロシアの歌手特有の重苦しさというのか、とくに発音の軽やかさや発声の透明感が全体的にいまひとつ振るわず、いわばソプラノ・リリコとしての特性が押し並べて弱いので、蝶々夫人のキャラクターが全体を通して一面的なものとして感じられてしまったり、あるいは会話時のイントネーションがべったりとしていて機動性に欠け、蝶々夫人がペチャクチャお喋りするあたりの軽快な発声のニュアンスがいまいち伝わってこない(このあたりは先週のフリットリが素晴らしかっただけに尚更そう感じた)など、つまり優れた歌手であるのは明らかにしても、タイトルロールに要求される歌唱のスペックが十全に満たされていない憾みもあり、そのあたりが聴いていて惜しいなと感じられてしまいました。

ピンカートン以下の歌手に関しては可もなく不可もなく、突き抜けたインパクトこそ受けなかったものの、それぞれに堅実な歌唱力を披歴し、それぞれの役柄における性格表現は十分なものと映りましたが、ピンカートンはもう少し軽薄さを押し出した甘い歌い方の方が、誠実なシャープレスとの対比が冴えていたかもしれないという気はしました。

指揮者はイヴ・アベル。トロント出身で、新国立劇場は初登場とのこと。全体的にアンサンブルを丁寧に取りまとめて堅実に進めていくような感じで、オケのバランスも安定していて安心して聴いていられる演奏でありながら、鳴らすべきところではオーケストラを存分に鳴らし切り、それこそホールを制圧するほどのフォルテッシモを轟かせるあたりの手綱さばきが絶妙で、とりわけ例の切腹の段では打楽器の鋭角的なリズムの刻みを容赦なく押し出して抜き差しならない切迫感を醸しだし、強烈なクライマックスを形成せしめていて惹き込まれました。

しかし、テンポが全体に直線的すぎてメロディの起伏感に乏しい点が気になり、場面によってはもう少し踏み込んでもと思えなくもありませんでした。第1幕終盤の蝶々夫人とピンカートンのデュオのあたりなど、もう少しテンポを揺らして、甘美な旋律の美しさを強調してもいいのでは、あるいは第2幕の後半部など部分的にテンポを落として、ドロドロの愛憎劇を強調してもいいのでは、と思ってしまいましたが、そういった情緒的な運用には与しないスタイルで通しました。その割り切った指揮ぶりはいいとしても、どうも全体的に音楽のテンポが綺麗さっぱりし過ぎているような印象で、もう少し山あり谷ありで聴かせてくれても良いような気もしたんですが、、、正直「このオペラのメロディって、こんなサッパリしたものなのかな」という印象が残りました。

演出ですが、ロビーで売られていた公演プログラムに載っていた、演出コンセプト解説によると、日本が舞台のオペラだからといって殊更に日本的情緒のリアリズムを描くのではなく、むしろ世紀末のチェーホフの風景をだぶらせ、あえて何もないガランとした感じの舞台にした、とのこと。

観ていて、とにかく「動き」がない(場面転換すらない)、なかなか潔い演出でしたが、日本的なものを必要以上に強調しないという観点には好感が持てました。かつてシノーポリが「蝶々夫人」全曲をグラモフォンに録音したとき、このオペラは本質的に日本のドラマではなく、とくに蝶々夫人のアイデンティティの喪失という側面に注目するならば、むしろ20世紀初頭のヨーロッパに典型的な物語ではないか、というようなことを語っていたのを思い出しました(ただシノーポリは同時に、このオペラ終盤のシナリオを、「蝶々夫人の精神崩壊のプロセス」と規定して論じていて、それはさすがに言い過ぎではないかと思いましたが)。

しかし、そういった日本的な風土から距離を置いた、純粋に普遍的なドラマとして観れたか、というと正直この演出では難しく、例えば日本人の登場人物が揃って和服を着ていたりとか、襖を開けたり閉めたりとか、どう観ても日本としか思えないですし、その意味では中途半端に日本的で、かつ脱日本的な演出と感じられ、いまひとつ立ち位置がはっきりしないもどかしさを感じました。無論そのあたりが「蝶々夫人」というオペラに付き纏う演出上の難しさなのかもしれませんが。

それにしても最後の幕切れのシーンで、蝶々夫人の子供が舞台の中央に唯一人たたずんで、自害した母親を不思議そうに見つめるあたり、なんとなく「ヴォツェック」のラストを想起させるもので、観ていて思わずドキッとしました。

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