読書間奏「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(下)」


「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(下)」
アレクサンダー・ヴェルナー(著)
喜多尾道冬、広瀬大介(訳)
音楽之友社

    c-kleiber-biografie

昨年秋に音楽之友社から発売されたカルロス・クライバーの伝記「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(下)」を読みました。

上巻同様、いや上巻以上に面白い「逸話」に事欠かない内容で、読んでいると稀代のキャンセル魔クライバーの武勇伝が次々に出てきますが、とくにレコーディングがらみのトラブルが多く、おもだったところを抽出しますと、まずドイツ・グラモフォンのプッチーニ「ボエーム」全曲録音、これをミラノ・スカラ座とセッション形式で進めていたがレコーディングの途中でクライバーが「もうできない」と言い放って、最終的に頓挫。ドレスデン・シュターツカペレとの「トリスタン」は録音の大詰めの最終段階でルネ・コロと大喧嘩して指揮を降板(しかしクライバーがグラモフォン側に説得されて、しぶしぶ発売を許諾したため奇跡的に日の目を見る)。

1982年6月のベルリン・フィル創立百周年記念コンサートでクライバーはベートーヴェンの交響曲第4番とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を振る予定で、この時の「新世界」に関してはEMIからLPでリリースされる手はずだったが、プローベに入る直前にパート譜を巡る些細な(?)トラブルで御破算となった。1982年12月のウィーン・フィル定期演奏会におけるベートーヴェンの交響曲第4番と第6番「田園」は、本来グラモフォンにより録音されレコード化されるはずだった。しかしクライバーは最後のプローベの途中で急に姿をくらました。それで御破算。

1993年ウィーン・フィルとの「英雄の生涯」のライヴ。ソニーからリリースされる手筈だったが、ややこしい事情で結局は御破算に。2001年ごろ、ドイツ・グラモフォンにシューベルトの最後の交響曲「グレート」をベルリン・フィルと録音する計画が進められていたが、これも最終的に頓挫、、、、

以上がレコーディングがらみの主だったケースとして本書に記載されていたトピックスですが、それ以外にも録音の絡まない演奏会のキャンセル絡みのトラブルも多数とりあげられています。クライバーらしい奇抜な言動の例としては、例えば、、、

1978年6月18日の「ばらの騎士」上演をクライバーは指揮しなかった。指揮を引き受けたホルスト・シュタインは、クライバー・ファンからブーイングを受ける羽目になった。クライバー本人の弁によれば、今回の出演を辞退したのには音楽と関係のない、しかるべき理由があるとのことだった。おりからサッカー・ワールドカップの最中で、アルゼンチン対ブラジルの試合を見逃したくなかったのである。・・

このくらいならまだしも、、、

・・ウィーンで、彼はまたぞろウィーン・フィルハーモニー管弦楽団長とオーパーリングを歩いていた。彼はクライバーにコンサートを指揮するのかどうかと尋ねた。二人はメルセデスの営業所の前を通りかかった。店にはぴかぴかのモデルが展示されていて、クライバーの目はそれに吸いつけられた。彼は尋ねた、「この車、今すぐ手に入るかな」。店に入って問い合わせると、その車はすでに売約済みで、数か月待たなければならないと告げられた。するとクライバーは言った、「じゃあ指揮はやめだ」。

さすがに、ここまでになると正直「どこまで本当なのか」という疑念が生じます。事実に反しているのではという意味ではなく、クライバーの言動が、どこまで本当の意思表明なのか、という意味でです。

例のショスタコーヴィチの「証言」ではないですが、これでは単純に書かれていることだけでクライバーの本心を読み取るのは難しいのではないかとも思えてきます。

最晩年にクライバーが指揮をする気持ちをなくしていったのには幾つか理由があるとして、オペラ興行の衰退(歌劇場の公演水準の低下)と作品の良さを阻害する演出主導のプロダクション(レジーテアーター)に対する嫌悪の念、それに聴衆の無批判(問題意識のない演奏家を称賛する聴衆のデカダンスの傾向)といった理由が本書では挙げられています。

しかし、このあたりも果たして迂闊に信じていいのかという疑念が拭えません。額面どおりに受け止めるのは危険ではないかという気もします。

少なくとも、常人の理解を遙かに超越した指揮者クライバーの晩年の心象風景は、この伝記出版をもってしても依然として謎に包まれたままだったというのが率直な印象です。

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