札幌交響楽団の東京公演(サントリーホール 3/1)の感想


昨日(3/1)のサントリーホール、尾高忠明/札幌交響楽団の東京公演の感想です。オーケストラの配置は第1ヴァイオリンとヴィオラとを対向させたドイツ式、編成は前半が8型(武満作品)と14型(協奏曲)、後半が16型。

2011-03-02

まず武満徹の、オーケストラのための「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」。正直よく知らない曲でしたが、ロビーで配布されたパンフの解説によると1991年に作曲された作品で、エミリー・ディッキンソンの詩から取られたタイトルを持ち、抑制された色彩のなかで微妙なニュアンスの変化による、音の遠近法が試みられているとのこと。最晩年の武満作品に特有の神秘的な雰囲気を湛えた、弱音主体の密やかな曲であり、細やかな音の静寂の中に吸い込まれそうなくらいの密やかさがとても印象的でした。

と同時に、この演奏で一貫して張り詰めていたように思われた、ある種独特のアンサンブルの凄味もまた印象的なものでした。それは例えば昨年の秋にクリーヴランド管弦楽団の来日公演で聴いた、武満徹「夢窓」での、緻密な音の造形に徹したような怜悧なアンサンブル展開ともまた一味ちがう、おそらく生前の作曲家が格別の愛情をもって接した札幌交響楽団ならではの、武満作品に対する深いシンパシーに根ざした凄さではないかと感じられましたし、とにかく再弱音にいたるまで個々の音の訴求力が並みでなく、その音楽の隅々まで血の通ったアンサンブル展開が最晩年の武満の静謐な音世界を鮮やかに浮かび上がらせていて見事というほかありませんでした。

続いてショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番が、ミクローシュ・ペレーニをチェロ奏者に迎えて演奏されました。

ここでのペレーニのチェロ演奏の凄さを一体なんと表現すべきか、もはや途方にくれるというのが正直なところです。全楽章とも、いかにも飄々とした速めのテンポで悠々と弾き進めていきながら、その速めのテンポに不釣り合いなほどに、どのフレージングにもどっしりと落ち着いた佇まいが絶えない、そこから紡ぎ出される音色の高貴なまでの深みも絶え間ない、何より音楽の含蓄には筆舌に尽くし難いものがあり、このショスタコーヴィチ最晩年の、苦悩を訴えているのかふざけているのかも判然としない、何となく人を食ったような楽想に対し、そんなすべての機微を了解した泰然たる大局観をもって深々と音楽を奏でている、というような趣き、、

とにかくペレーニのチェロで聴くと、この掴みどころのないチェロ協奏曲が実に凄い曲のように思えてきます。聴いていて、この底の知れない音楽のパースペクティヴがまざまざと浮かび上がるかのような感覚、、なんだか凄い音楽を、凄い演奏で聴いた、という感覚が強烈に残りました。

後半のショスタコーヴィチ交響曲第5番は、尾高/札響の一八番の演目とのこと。前半と異なり尾高忠明は暗譜で、実にダイナミックで凄味のある指揮ぶりを披露しました。

尾高忠明という指揮者に対して私は「実質的な」指揮をする人という印象を持っていました。構えを拡げない端正な造形展開、強奏時においても繊細なダイナミクスの処理、弱奏時においても明快なアーティキュレーションの刻み分け、いずれひとつとっても、聴き手の意表を突くような強烈な刺激こそ控えめである反面、音楽の持つ生理を徹底的に語り尽くす表現が持ち味だと。

しかしこの演奏ではそういった持ち味をベースとしつつも、またそれとも一味ちがう凄味が全体的に漲っていた点に少なからず意表を突かれました。いかにこの曲を尾高/札響が自家薬籠中のものとしているかを聴き手に強烈に印象付けるに十分な、アンサンブルの張りつめた緊張感や高揚感、パワフルなまでの燃焼力、ここぞという時のクレッシェンドで強烈な加速を仕掛けつつ迫真のクライマックスを築きあげる、そのアグレッシヴなスタンス。ことに終楽章の完全燃焼ぶりは凄いとしか言いようがなく、手兵の札響ならではの指揮者会心のオーケストラ・ドライブが生み出す迫真のドラマに聴いていて胸を大きく揺さぶられました。

凄い演奏会でした。これほど「凄い」という言葉が似合うコンサートに、久しぶりに出会いました。

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