ブリュッヘン/新日本フィルによるバッハ・ロ短調ミサの演奏会(すみだトリフォニーホール 2/27)の感想


昨日(2/27)のすみだトリフォニーホール、ブリュッヘン/新日本フィルによるバッハ・ロ短調ミサの演奏会の感想です。

以前ブログに書いたことがありますが、私はブリュッヘンが手兵18世紀オーケストラを指揮してフィリップスに録音したロ短調ミサのCDにかなり愛着がありますし、また最近ブリュッヘンが再録音した同曲のCDもとても見事な演奏でしたので、そのブリュッヘンの指揮するロ短調ミサを実演で聴く機会ということで聴き逃せないと思っていました。

しかし過剰な期待をしていったつもりはなかったものの、最初のうちは聴いていて演奏に落胆させられる部分も大きかったというのが正直なところです。まず前述のブリュッヘン/18世紀オーケストラのロ短調ミサの録音というのが私にとって同曲の規範的な位置づけにあるため、そこでの盤石なピリオドアプローチに基づく演奏で示されている表出力との差異がどうしても意識されてしまうこと、そしてそれとは別に、去年のアーノンクールと、おととしのコルボによるロ短調ミサの実演が、いずれも素晴らしすぎるくらいの演奏であったため、それらの表出力との差異も少なからず聴いていて意識に登ってきてしまったこと、、、

つまり上で挙げたような過去の録音ないし実演と比べると、昨日のブリュッヘン/新日本フィルによるバッハは、やはり制約条件が多すぎた感が否めず、そのあたりが聴いていてもうひとつしっくりこない原因として作用していた感がありました。ブリュッヘンにしてみれば2年間隔での客演指揮、新日本フィルはバッハの演奏に不慣れで、そのピリオド奏法にしてもオケとして恒常的に行っている奏法とは言えないこと、など、、

こういった制約から、果たしてブリュッヘンが思い描いているはずの同曲の演奏コンセプトのうち、どれだけの部分を妥協せざるを得なかったか、ということを聴いていて少なからず意識してしまったように思われましたし、コルボとアーノンクールがそういう制約条件とまったく無縁な地点での演奏であっただけに、やはり表出力において少なからぬ差が生じていた感が否めませんでした。

しかし、それでもなお昨日の演奏会が私にとって素晴らしかったと思えたのは、あらためてバッハの音楽の奥深さに眼を向けられる貴重な機会となったからでした。

というのも、前述のように私は昨日を含めて3年連続でバッハのロ短調ミサの実演に接していて、まず2009年の東京LFJでのコルボ/ローザンヌ、そして昨年のアーノンクール/CMW、それに昨日のブリュッヘン/新日本フィルのロ短調ミサが加わりましたが、この3つの演奏が偶然にも相互に全く異なるアプローチに基づく演奏となっていたからです。

コルボ/ローザンヌはいわゆるピリオド・アプローチとは対極にあるような地点での演奏、それに対してアーノンクール/CMWはもちろんピリオド・アプローチの究極点ともいうべき地点での演奏、そして昨日のブリュッヘン/新日本フィルはというと、アーノンクールと並び称される古楽演奏の旗手ブリュッヘンを指揮にむかえつつオーケストラはモダン型という、いわばピリオド/モダンの折衷様式での演奏でした。

この3者3様の演奏様式なりアプローチの違いというのが音楽の表情なり雰囲気なりに及ぼす影響というのが私の感覚からすると途方もないくらいに大きく、同じ曲なのに演奏様式の違いでこれほどの差別化がもたらされるのかと驚かされるほどでしたが、それは例えば量子宇宙論の多世界解釈に基づくマルチバースの宇宙像のように、各アプローチから導出されるバッハの演奏世界があたかも相互に独立する別の宇宙のような様相を呈していると考えると、この根源にあるのがバッハの音楽の持つ、それこそ宇宙に匹敵するくらいの、途方もないほどに広大な奥行きにほかならない以上、その奥行きの一端をこうして否応なく実感させられたからにはアプローチの違いによる表出力の優劣など、もう取るに足らない次元のことのようにさえ思えますし、むしろその広大無比なバッハの「音楽の奥行き」にまざまざと眼を向けられる貴重な契機となったこと、それ自体が昨日のコンサートの掛け替えのない収穫にほかなりませんでした。

なおオーケストラ編成は8型(8-8-6-4-3)、配置はステージ向かって左から第1&第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、木管群と順に並べられましたが、これは昨年のアーノンクールの実演と概ね同じような形でした。

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