引き続き、マリインスキー・オペラ来日公演プッチーニ「トゥーランドット」(NHKホール 2/20)の感想


一昨日の続きです。演出について。

2011-02-21

今回の「トゥーランドット」の演出はマリインスキー歌劇場による2002年プレミエのプロダクションとのことで、ロビーで購入した公演プログラムを読みますとゲルギエフ自身がプロダクションの演出の特徴について語っています。まず華やかな色彩感(舞台装置や衣装のデザイン)を特徴として挙げており、また奇をてらい過ぎてオペラの主題から懸け離れてしまった演出と違い、あくまで「クラシカルなプロダクション」であることを強調しています。

つまり正攻法のオーソドックスな演出ということですが、それは私の観た印象としても同様で、目立った仕掛けとしては舞台中央のターンテーブルを巧く使って動きを出していたくらいでしたし、少なくとも、このオペラを観る者に対して価値観の転換を迫るような要素はなく、どこまでも音楽とシナリオを阻害せずに寄り添っている、という印象。その限りでは確かに好演出ですが、その場合あくまで演出がピタリと寄り添っている音楽とシナリオ自体の訴求力に演出の評価がダイレクトに依存することになるところ、「トゥーランドット」のシナリオには問題が結構あると思うので、観ていて演出がさほど魅力的に感じられず、逆に平凡さが際立ってしまったような印象を覚えました。

そのあたりを掘り下げてみたのが以下のチャートです。文章で長々と書くよりこの方がマシかなと思いまして、、

>この「トゥーランドット」という作品、音楽はプッチーニのオペラ全作品中でも屈指の素晴らしさであるのに反し、シナリオが何だかヘンテコリンだ。そのあたりのシナリオの脆弱性がなまじオーソドックスな演出ゆえに強調されてしまったのではないか。
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>そもそも私はプッチーニの主要作のうち「トゥーランドット」のシナリオには何か据わりの悪いような違和感を感じている。
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>プッチーニの5大オペラ(マノンレスコー、トスカ、蝶々夫人、ボエーム、トゥーランドット)のなかで、トゥーランドットを除いて、すべてラストで外題役のヒロイン(ボエームの場合はミミ)が非業の死を遂げているが、トゥーランドットは真逆に、それこそ絵に描いたようなハッピーエンドで終わっている点がまず引っ掛かる。
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>大体このオペラの結末、いかにも取って付けたような印象が否めないぞ。この結末により、シナリオ自体が、トゥーランドットの勝利、リューの敗北という、極めて理不尽な状況となっているのだが、これは漱石の「虞美人草」に喩えるならば最後に小夜子が敗北し藤尾が勝利するという構図に相当するものであり、極めて不条理である。
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>だが、この不条理性こそが実は「トゥーランドット」のシナリオの真価であって、その不条理ゆえにオペラが光り輝く、というのであれば、それはそれで大いに傾聴に値するシナリオなのかもしれない。それならば話が分かるが、本当に、このオペラというのは、そのような形で(不条理を味わうという風に)受容されているものだろうか? 
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>ここで視点を変えると、そもそも、このオペラが未完成なのは、プッチーニが最終幕のリューの死を書きあげた時点でガンの手術に失敗し心臓発作のため急死しているからだが、これは全くの偶然としても、このリューの死のくだりをもって、このオペラの幕引きと仮定するなら、ヒロインの非業の死という観点において、「トゥーランドット」以外の主要作のエンディングと整合的になる。
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>この点に関し、当日ロビーで購入した公演プログラムに掲載されていた音楽評論家小畑恒夫氏による作品解説に「もし手術が成功して生き永らえたとしても、彼がこのフィナーレを完成できたかどうかは疑わしい」という記述があったのが興味深い。
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>要するにシナリオがあまりに不条理なので、プッチーニ自身も折り合いが付けられなくて、病気云々に関係なく完成できなかったのではないか、ということらしい。
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>そうなら、2008年の新国立劇場の「トゥーランドット」の、あのややっこしい演出は、これを強調したかったのではないか?
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>あれはプッチーニの音楽とアルファーノ補完部との間の「音楽の断絶」に折り合いをつけるという演出意図だと、その時は思ったが、それだけのためにあそこまで手の込んだことをするか?
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>本当は、あれは「シナリオの断絶」(「トゥーランドット」と、他の4作との間の)に折り合いをつけるという演出意図の方がむしろ主眼だったのでは? 実際、このオペラが仮にリューの死のくだりでもって終わった場合の方が、いかにもプッチーニのオペラを味わったという余韻が強く残るのではないか?

以上。

# できれば文章で出したかったんですが、途中で力尽きました、、(汗)

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