引き続き、クリーヴランド管弦楽団の来日公演(サントリーホール 11/17)の感想


昨日の続きです。

2010-11-18

後半のブルックナー交響曲第7番ですが、ここでメストが披瀝した演奏方針、それ自体は先週のウィーン・フィルを相手に披歴したブル9と同様と感じられました。作品に極めて誠実にして正攻法な姿勢のもと、その音楽を情緒や激情の世界として描かずに一定の節度をもって、感傷的にならず、ブルックナーの音楽が有する論理の堆積からくる感動を主眼にアンサンブルを理性的に組み立てた、そんな感触の演奏です。

したがって、総括的な音楽の印象としても、先週ウィーン・フィルのブル9で感じた幾つかの特徴、例えば全体を通してアンサンブルに余分な力みや停滞がなく音楽が自然に淀みなく流れていったこと、トッティの響きが円滑に溶け合って決して汚く響かないこと、アンサンブルの運用においては総じてリズムの切れが良く、テンポも速めで、響きのバランスにしても、最強奏のクライマックスでさえ決して無秩序な大音響を炸裂させることをせず、どこまでも理知的に音楽を構築する行き方であったこと、など、いずれも当夜のブル7と印象的にオーバーラップするものでした。

しかし先週と大きく違っていたのは、こういった特性が、当夜のクリーヴランド管との演奏では、ウィーン・フィルとの演奏の時よりも、さらにいっそう突き詰められた状態で音響化されたことだと思います。その点につき、まず挙げられるのはオーケストラがメストの要求する運用に対して、それこそミリ単位の精度で完璧なまでの合奏形成で応じたこと、その結果、これ以上ちょっと考えられないというくらい、完璧を極めた音響体としてのブルックナーがホールに立ち現われたこと、それは少なくとも完成度の観点において、大小のキズを免れなかった先週のウィーン・フィルとのブル9を遙かに凌駕するレベルであったことです。

もうひとつの相違は、そのアンサンブル展開に、およそ淡泊に流れるような印象を受けるシーンが、ほとんどなかったこと。例えば、先週のウィーン・フィルとのブル9の第2楽章で感じたような、個々のフレーズの食い付きが浅く流れるという感じが、ここでは全くない。一点も揺るがせにしないメストの厳格な運用がアンサンブルの隅々まで浸透していて、恐ろしいくらいの稠密感があるし、総じてスムーズかつ流麗なカンタービレ構成を維持しながらの、弱音場面での繊細な機微の浮き出しや、力動的な強奏場面でのダイナミックな起伏形成など、ここぞという時のアンサンブルの表現力においても、先週のウィーン・フィルでのブル9を凌ぐ凄みが充溢していました。

以上の観点に限るなら、私の今まで聴いた中でも、ここまで完璧を極めた完成度を誇るブルックナーの演奏というのは、ちょっと覚えがないというくらいでしたし、その意味で、大変なものを聴いたという衝撃すら覚えるほどでしたが、それほどの演奏であるなら、聴いていて途轍もなく感動したのかというと、あらためて振り返ると、どうだろうという気もします。というのも、確かに凄い演奏であることは十分に認識しながらも、その「凄さ」に見合うだけの感動が伸び切らない、そんなもどかしさが無いとは言えないという印象も、また偽らざるところだったからです。

ただ、これは演奏が良くないという話ではなく、要するに私の主観面の問題であり、ひいては音楽の捉え方の問題ということなりますが、まず第1には、当夜のメストの解釈が十二分に煮詰められ、結果的に作品の持つ内面的な深みのようなものが忌憚なく前面に抉り出されていたことに伴い、この7番という作品自体の、ある種の底の浅さをも露呈することになった、ように感じられたことです。これがブルックナーの、例えば5番、8番、9番あたりであれば、また印象も大きく変わっていたと思いますが、少なくとも7番という曲のキャパシティを考えると、スコアに誠実という以上の何か、例えば先月のスクロヴァチェクスキのように作曲家的な視点からスコアを再構成することも辞さない行き方なり、または昨年のシカゴ響の来日公演でハイティンクが披露したような、管弦のバランスの大胆なくらいの調整なりといった、何がしかの創意工夫が欲しい。むろん、これは私の主観ですが、このために、たとえ当夜のメストのスコアに誠実な行き方は称揚されるべきとしても、やはり何かが物足りないという感も多少なり、という気持ちが残ったように思います。

もうひとつに、先週のウィーン・フィルの圧倒的ともいうべき音響美が今だに頭に強くこびりついているため、「あの響きで聴きたい」という思いが、ついつい付きまとってしまったことです。

例えば先週ブログに書いたウィーン・フィルのブル9の感想でいうなら、「単なるスコアの再現に留まらせず、ウィーン・フィル特有の味わい深いアンサンブルの持ち味を積極的に活かして、非常に含蓄のある世界として描き切った点が素晴らしい聴きもの」だったのが、おそらく当夜のブル7に欠けていた点であり、また「ここぞという時に必ずウィーン・フィルの馥郁たる音響美がホールに充溢する様にも傾聴させられ」たのが、やはり当夜のブル7に欠けていた点です。なまじ演奏が完璧であるだけに、尚更そこに無いものが意識されてしまったのかもしれません。

こういったことは言うまでもなく「ないものねだり」で、そもそもウィーン・フィルの音が出せるのはウィーン・フィルだけで、クリーヴランド管といえども無理であるのは当然ですが、しかし私は一週間という短い間隔で、同じ指揮者、同じホール、同じオーケストラ編成規模(16型)と配置パターン(ドイツ式)で、ブルックナーの交響曲を耳にしている以上、必然的に前に味わった印象というのが色濃く残存しているので、こういった印象に捉われてしまうのです。

こういう風に書いてしまうと、当夜のクリーヴランド管のブルックナーを何か否定的なニュアンスとして受け取られるかもしれませんが、そうではなく、先週のウィーン・フィルのブルックナーの、比類無いほどの音響美、当夜のクリーヴランド管のブルックナーの、比類無いほどの完成度、いずれも圧巻であって、これはもう、どちらが上か下かという話でなく、どちらも掛け替えのない個性かつ美質にほかならないというのが、私の感想の趣意です。

今回、私にとって少なからずラッキーだったのは、一週間という短い間隔で、同一の指揮者が、欧米それぞれの名門オケを振り分ける形で、ブルックナーを演奏するのを聴く機会を得たこと(普通こういうケースは考えにくい)かもしれません。結果として2つの演奏相互の反射的な作用から、それぞれの掛け替えのない個性味が、はっきりとした形で認識させられた、という点で、この素晴らしい偶然には感謝したく、そして先週のウィーン・フィルのブルックナーと対になる形で、当夜のクリーヴランド管のブルックナーもまた、私にとって忘れがたい演奏となると思います。

コメント

 
私は18日のベートーヴェン・プロに行って来ました。前半が内田光子を迎えてのピアノ協奏曲4番で、既に前半から聴衆の受けが良く、ミスタッチが散見されたものの内田光子会心の出来だったようです。天皇皇后両陛下も臨席(前半で帰られました)とあって聴衆も奏者も大満足の結果だったと思います。が、後半のエロイカ・・・。一言で言うと軽すぎ。プレートル&ウィーン・フィルの同曲演奏に心奪われてしまい、1週間経っても耳に目に焼きついてしまっていたので、どうしても比べてしまうのです。使用している楽譜や欧米のオケの違い、指揮者の格の違いを考慮しても、特にウェルザー=メストの無機質な指揮のせいか、LAブロック同じ席で聞いた印象がこんなにも違うなんて・・・。というのが率直な感想でした。オケは10年以上前にドホナーニ時代の圧倒的なベートーヴェンの5番と7番の演奏を耳にした時に比べてメンバーも代わっていることでしょうが、非常にまろやかな響きとなっていました。ブルックナーには合っていたかもしれませんね。しかし、昨夜ミューザ川崎での相変わらず素晴らしいコンセルトヘボウのマーラーの響きに癒された感じです。今週は金曜にゲルギエフ&ロンドン響のマーラー1番を聞きます。
コメント有難うございます。

> 私は18日のベートーヴェン・プロに行って来ました。
> 後半のエロイカ・・・。一言で言うと軽すぎ。
> プレートル&ウィーン・フィルの同曲演奏に
> 心奪われてしまい、1週間経っても耳に目に焼きつい
> てしまっていたので、どうしても比べてしまうのです。
> LAブロック同じ席で聞いた印象がこんなにも違うなん
> て・・・。というのが率直な感想でした。

そうでしたか、、メストのスタイルからすると、やはりエロイカだと少し厳しいのかもとは思っていましたが。それにプレートル&ウィーン・フィルのエロイカの後というのも、おっしゃられるように、かなり割りを食いますね。

思うに、今回のクリーヴランド管の来日公演は、ウィーン・フィル来日公演でのサロネンキャンセルの余波をまともに受けた形になり、ちょっと不運だったというか間が悪かったなという気がしています。ブルックナー公演でのメストの緊急登板と、エロイカの曲目変更が重なり、そのぶん新鮮味が削がれた感が否めないかなと。私が聴いたメスト/クリーヴランドのブル7にしても、もし前週にメスト/ウィーン・フィルのブル9を聴いていなければ、もっと素直に「おお!」という感じであったかもしれませんし、その意味で、もし日程がウィーン・フィルの前だったなら、だいぶ印象が変わっていたかもしれませんね。

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