クリーヴランド管弦楽団の来日公演(サントリーホール 11/17)の感想


昨日(11/17)のサントリーホール、クリーヴランド管弦楽団の来日公演の感想です。2回に分けます。

2010-11-18

オーケストラ編成はドビュッシーとブルックナーともに16型、配置は第1ヴァイオリンとヴィオラを対向させた「ドイツ式」、武満では以下に書くような特殊配置でした。

最初のドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」は、中庸なテンポとオーソドックスな強弱の運用からアンサンブルを精妙に動かし、まさに一点の曇りもないフォーカスのハーモニーとして、スコアの細部に至るまで緻密かつ正確に再現する、そんな意識が徹底された結果、非常に透明感のあるサウンドの、透徹した音響美と、しなやかなアンサンブルの運動性とが結託し、およそ印象派風の曖昧模糊としたムードとは一線を画したような、明晰でクールな肌ざわりの響きが持ち得る感覚的な魅惑が、こよなくホールに充溢する、そんな演奏でした。おそらくメストは、この曲のフランス音楽というより、むしろ新ウィーン楽派に近い性質に着眼し、その音楽の美質を存分に引き出してみせたものと感じられ、そのあたりのメストの視点の徹底ぶりと、その意図を十全に汲み取ったようなクリーヴランド管の精緻を極めた合奏展開に聴いていて唸らされました。

続いて武満徹の「夢窓」が演奏されました。これは武満の晩年、1985年の作で、独特のアンサンブル配置ならびに作品コンセプトを有する作品として知られます。当夜ロビーで配布された公演プログラムの解説を読みますと、以下のように書かれています。

タイトルの夢窓とは、鎌倉末期から室町初期を生きた臨済宗の僧、夢想疎石の国師号であり、武満はこの言葉を「内と外へ向かう二つの相反するダイナミズムの隠喩」として用いたという。夢はひとの内側を照らし、窓はひとの外側へと開かれる。オーケストラの独特の配置はこの隠喩から得られたものだ。左右の弦楽器群に挟まれた中央前方の小アンサンブル(フルート、クラリネット+弦楽四重奏)、これが内面の自我である。中央後方の金管、木管、打楽器群、これが外部世界である。そして中間には、内と外を媒介する透明な音色の通路(2台のハープ、チェレスタ、ギター)。かくして、ドビュッシー流の音響の汎焦点が空間化されて現われる・・・

夢想疎石といえば、私には夏目漱石が敬愛してやまなかった偉人の一人として思い浮かびます。漱石の代表作「虞美人草」や「門」には夢窓国師の名前がさりげなく出てきます(特に「門」という小説は、漱石が夢想疎石ゆかりの鎌倉・円覚寺に参禅し、そこで禅の教えを受けた体験が題材とされた作品です)。

ところで、この曲を武満徹が作曲した1985年は、ちょうど黒澤明の晩年の大作「乱」が公開された年に当たります。周知のように武満徹は「乱」の映画音楽を作曲していますが、この「乱」の音楽をめぐり、武満徹が自分の作曲スタンスに対する、黒澤明の無理解に激昂し、最終的にケンカ別れした事件は(日本映画史的に)あまりにも有名です。あのマーラーさながらの「乱」の音楽と、このドビュッシーを起源とするかのような「夢窓」との、音楽としての大いなる乖離を、当夜の実演で目の当たりにし、そのことに改めて思いを馳せました。

その「乱」に関しては、日本映画界の巨匠・黒澤明と音楽界の巨匠・武満徹が様々な場面で抜き差しならない対立を演じたことが知られています。以下はウィキペディアに掲載されている有名なエピソードです。

黒澤は演奏にロンドン交響楽団の起用を希望していたが、武満が「ロンドン交響楽団は映画音楽の仕事をやりすぎて、仕事が荒れている。」と強く反対し、札幌交響楽団による録音(1985年4月、千歳市民文化センター)となる。札幌交響楽団のような、日本でも有名とは言えない地方のオーケストラを使うことに強い不満を抱いていた黒澤は、録音開始前は楽団員の顔をろくに見ようとさえしない態度であった。しかし、演奏の予想外の素晴らしさに、昼食時の解散前に指揮台に上がると「みなさんありがとう、千歳まで来て良かったです。」と深々と頭を下げ、しばらく顔を上げなかったという。

ちょっと脱線してしまいましたが、当夜の演奏を聴いた印象に話を戻しますと、この「夢窓」という曲は私が事前に予想したような、おそらく日本独自の「わびとさび」の世界をドビュッシーに融合させたような音楽、などという単純なものでは到底なくて、この作品には当時の武満徹の、自身の作曲家としてのアイデンティティを後世に強く刻印せんという強烈な衝動と気概のようなものが、何か色濃く表現されているように思えてなりませんでした。それには当時の黒澤明との確執からくる複雑な思い(武満徹は太平洋戦争のさなか映画館で黒澤明の処女作「姿三四郎」を観て感激して以来、熱烈な黒澤ファンであった)も、少なからず影響を残しているのかもしれない。安易な言葉で語られるのを拒むような、張り詰めるように厳しい音響の世界。ここでメスト/クリーヴランド管が披歴した、緻密にして、ストイックに引き締った虚飾のないアンサンブル展開も、実に見事でした。

後半のブルックナー交響曲第7番に関しては、また後日に。

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