マウリツィオ・ポリーニのピアノ・リサイタル(サントリーホール 11/3)の感想


昨日(11/3)のサントリーホール、マウリツィオ・ポリーニのピアノ・リサイタルの感想です。

2010-11-04

当夜のリサイタルの演目はJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻(BWV846~869)の全曲で、まず前半に第1曲から第12曲が、暗譜で演奏され、休憩を挟んだ後半に第13曲から第24曲が、こちらは譜面を見ながら演奏されました。前後半それぞれ50分あまり、休憩時間が30分弱でしたので、アンコールなしにも関わらず終演時刻が21時30分という長丁場のリサイタルでした。

その24曲いずれもが、あっさりした速めのテンポで進めているのに個々の打鍵の充実感と高低のハーモニクスの立体感が立派であったこと、淀みないフレーズの流れから繰り出されるピアノの響きが実に深々としたものであったこと、調性が変化するごとに切り替わる音色の、細やかなニュアンスの濃淡が粒立ちの良いタッチから美しく表現されていたこと、、など、当夜のポリーニの披歴したバッハの美点を挙げていたらキリがないとすら思えますし(完成度の面で部分的に小さな綻びはありましたが、それはピアニストの責というより、おそらく例の客席でのアクシデントの影響で集中力が乱れたことが原因と思えました)、それはCDで耳にした彼のバッハと同じようでいて、やはり同じでない、実演を通してしか伝わり切らない、ピアノ表現の繊細な綾のようなものまで含めて、聴き進むうちに緩やかに感動が高まっていき、最後には目頭が熱くなってしまうくらいに充実を極めたバッハでした。

このようなポリーニの平均律は、例えばグールドやアファナシエフといった大家の録音した、強烈な主観性に基づく表現の平均律とは全く違うし、どちらかというと主観的な表現を抑えながらも意思的にスタッカートを多用したグルダの平均律、あるいは強弱のダイナミクスを強調しテンポレンジも比較的大きめに取ったリヒテルの平均律とも、やはり違う。ポリーニの平均律の場合、なにより主観性を抑えた表現に基づいた、沈着にして格調高い音楽の佇まいが素晴らしく、前述のような数々の特徴にしても、すべてそこから合理的に導かれるのではないかと思えるほどです。このような、構えを過度に大きく広げたり、むやみに深刻がったりということをしない、誇張や感傷を排した表情というのを、このバッハの平均律の演奏においてポリーニほど徹底的にやっているピアニストは他にいないのではないかという気さえします。

そして全24曲のうち、私が最も聴いていて心を動かされた曲を挙げるとするなら、やはり最後の第24曲ロ短調のプレリュードとフーガでした。そこでポリーニが披歴した、深い沈静と思索の表情が絶妙でしたし、それは構成感だけの演奏でもないし、構成感を置き去りにしたような高踏的精神だけの演奏でもない、いわば巨大な大聖堂を仰ぎ見るかのような趣きのフーガであり、それでいて極度に研ぎ澄まされた表情の閃きを帯びたものであり、崇高な楽想からくる緊張感と、聴き手の精神に心地よい癒しをもたらす安らぎとが、不可分に同居する、そんな音楽の不可解で神秘的な情趣にあてられる形で、私は客席で聴いていて前述のように目頭が熱くなりました。

しかしながら、先週ブログに書きましたように私は特段これまでポリーニに注目しているというわけではない。そうである以上、彼のピアニズムをいかにも知った風にあれこれ言い回すのは、本当はお門違いなのかもしれない。そもそも彼の現在のピアニズムから当夜のバッハが必然的なのか特異的なものなのかも正直わからないし、このバッハが「ポリーニらしい」演奏なのか、らしくない演奏なのかも見当がつかない。確かなことは、当夜のポリーニが弾いたバッハの実演それ自体に、紛れもなくバッハの音楽を聴く醍醐味が充溢していたということで、私の本来いうべきことは、それ以上でも以下でもないような気がしなくもありません。

そこで以下、少し視点を変えます。昨日も書きましたが、実は当夜のポリーニのリサイタルと、ちょうど一週間前に同じホールで耳にしたアーノンクールのロ短調ミサとの間に「2つの偶然」が介在していて、そのことが私にはとても印象的だった、という話です。

その2つの偶然のうちの一つは、どちらも演目がバッハの、滅多に演奏されない、いずれも演奏するのに丸々2時間を要する大曲であったこと、もうひとつは、いずれもロ短調という調性が重要な意義をもつ作品であったことです。もちろんアーノンクールとポリーニは別に申し合わせた上そうしたわけではないのに、こうした偶然が重なったのが、私にとっては興味深い体験だったなと思われたのです。

しかし、ロ短調ミサはともかく平均律クラヴィーア曲集は24の調性が平等なのだから別にロ短調が重要ということもないのではないかと物言いがつくかもしれません。しかし、その24の調性の最後に行き着くところ、すなわち最終曲(24曲め)の調性がロ短調であること、その最終曲こそ全24曲のうち最高度に充実的な書式と崇高な佇まいとを備えている点に鑑みると、私は作品全体が「ロ短調」という調性に向かって収斂していくような印象を覚えますし、少なくとも当夜のリサイタルでそう感じたことは前述のとおりです。

このクラヴィーア曲集は確かに作曲の直接的な動機としては、大バッハの息子のための教育用に作曲したクラヴィーア練習曲であったかもしれませんが、その第8曲のフーガのテーマがグレゴリオ聖歌風のメロディだったり、第22曲のフーガが受難曲の雰囲気に近しい性格を帯びていたりなど、いたるところに宗教的な霊感に貫かれていることが感得されますし、その意味では、実は宗教と密接な関連を秘めた作品かもしれない。その第24曲全曲の最後が「ロ短調」で締め括られるという事実も、後年のロ短調ミサと繋がりがあるかもしれない。いや、私は何らかの関連があるという心証を抱かされたのでした。アーノンクールとポリーニのバッハを続けて聴いたことによって、今までとは違う新鮮な角度からバッハの音楽を視れたことが私にはとても嬉しい体験でした。

だから、こういった偶然による体験というものは貴重なので、演奏自体から来る感銘とは別に、この「2つの偶然」は自分の中で大事にしたいと思います。とくに後半部分は演奏本来から離れての散漫な感想となってしまい恐縮ですが、以上が当夜のリサイタルに関する私なりの感想です。また、これだけのバッハを耳にした以上、ポリーニの今後の活動には大いに注目したいと思います。

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