内田光子によるシューマンのダヴィッド同盟舞曲集と幻想曲


シューマン ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲
 内田光子(pf)
 デッカ 2010年 4782280
4782280

英デッカから先月リリースされた、内田光子のピアノ演奏によるシューマンのダヴィッド同盟舞曲集と幻想曲のCDを聴きました。

内田光子は周知のように長らくロンドンを拠点に演奏活動を続けてきた功績が認められ、昨年イギリス政府から男性の「ナイト」にあたる大英帝国勲章「デイム」が授与されるなど、日本が世界に誇るべきピアニストの筆頭格として揺るぎない存在感を示しています。

今回リリースの最新録音はシューマンですが、このうちの幻想曲は私が聴きに行った昨年のサントリーホールでの、内田光子のピアノ・リサイタルでの演目に含まれていました。そのリサイタルを聴いた感想は以前ブログに掲載していますが、そこで披歴されたモーツァルト、ベルクとベートーヴェンに関しては聴いていて深い感銘に誘われたものの、シューマンに関しては意外に感銘が伸び切らず、正直ややピンときませんでした。

その理由を私は主としてベルクやベートーヴェンとシューマンとの音楽としてのキャパシティの違いに求め、おそらくベルクとベートーヴェンの後でなければ、また印象が違っていたのではないかという風に書きました。しかし、その公演のプログラムには「シューマンのソロ・ピアノ作品の録音プロジェクトも予定されている」と書かれており、この幻想曲も近いうちに録音されるはずなので、その場合は改めて虚心坦懐に耳を通してみたいと思っていました。

以上のような経緯から、待ってましたとばかり本CDを購入し、さっそく演奏に耳を傾けてみました。

まず幻想曲の方の印象ですが、聴いてみたらリサイタルの時よりも一回り深く音楽が身に沁み入ってくるような感覚に捉われました。リサイタルの時の印象からすると、何か見違えるようでもあり、聴いていて軽い驚きを覚えたほどです。

もっとも、ここで内田光子が披歴しているピアニズムの性格は、昨年の秋に耳にした実演の際の印象とおおむね軌を一にするものと感じられます。あたかもベートーヴェン作品に相対するような気迫をもって、安易なロマンティシズムに流れるでなく、この曲を彼女独自の思索で表現しようというスタンスと言うべきでしょうか。

しかし昨年のリサイタルでは、彼女のピアニズムがベートーヴェンの時に勝るほどの集中力と気迫をもって作品から必死に思索を彫り出そうとすればするほど、そのような意気込みが空回りし作品の方が十分に応えてくれないような、ちぐはぐな印象が聴いていて感じられなくもなかったのに対し、今回こうしてCDで聴いていると、あたかも彼女のピアニズムがシューマンの一筋縄ではいかないほどに複雑に入り組んだ楽想の綾を緻密に解きほぐし、その作品としての勘どころのようなものを確信をもって呈示し尽くしている様がまざまざと伝わってきて惹き込まれるばかりです。

なぜ実演ではピンとこなかったのにCDでは惹き込まれたのか、おそらく私の意識が直前のベルク・ベートーヴェンの様式に引っ張られて、彼女の繰り出していたシューマンの音楽の美に思いが至らなかったのではないかと、いま自省の念をもって振り返っているところですが、もし万が一そうでないなら、ここでの万全の状態でのセッション録音という環境が、彼女のピアニズムの真価をフルに引き出し、この幻想曲に深く沈在するベートーヴェンのピアノ・ソナタのような古典的な構成感と力強さを、聴き手に最高の形で呈示するに至ったということかもしれません。

そして、もう一曲の方のダヴィッド同盟舞曲集が、また素晴らしい演奏内容でした。というのも後述するように、ここで彼女が示しているアプローチというのが、普通この作品に対して敷衍される「動的なフロレスタンと静的なオイゼビウス」の単純な二分法とは一味違った、かなり独創的なものではないかと聴いていて思わされたからです。

ところで、このCDには内田光子のデビュー以来のディスコグラフィが掲載されています。その内訳を見ますと大多数がモーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンの3人で占められていて、そのほかシューマン、ベルク、シェーンベルク、ドビュッシーが各一枚づつ、という按配です(今回でシューマンが2枚めになります)。これを見ると彼女がピアニストとしてのレパートリーを意識的に絞っているスタンスが一目瞭然です。

この観点から、ここでのダヴィッド同盟舞曲集の演奏の趣きを私の浅薄な言葉で表すとするなら、例えばフロレスタンのナンバー(3・4・6・8・・・曲め)においてはベートーヴェン的な性格が、またオイゼビウスのナンバー(2・5・7・・・曲め)においてはモーツァルト的な色合いが、それぞれ変に強調されることなく演奏の中にナチュラルに息づき、その両者の間に時おりシューベルトの音楽の情趣が揺籃する、それでいてシューマンの楽想を造形的に排斥しない、とでもいうような、なにか非常に複雑に対比されるべき表情同士の絶妙に拮抗したバランスが表現されているように思われ、これはひとり内田光子だけが為し得るシューマンの世界ではないかとすら聴いていて感じられるのです。

この意味で、この内田光子のシューマンは、過去にモーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンの分野で研鑽を重ねた彼女ならではの視点に基づいた、個性的にして卓抜的なシューマンの表現ではないかと私には思えました。今後も内田光子によるシューマンのソロ・ピアノ作品の録音プロジェクトには注目したいと思います。

コメント

 
はじめまして.
ブログ「音と言葉の中間領域」管理人のナオGと申します.
以前から的確なCDレビューを参考にしておりました.

内田光子の新譜ですが,実演とCDの印象の相違について,
ぼくも同様の感想だったので,その部分をうまく言葉にされているなあと感心し,
コメントさせていただく気持ちになりました.

ぼくも昨年11月19日にアクロス福岡で彼女のリサイタルを聴いているのですが,
特にシューマンについて周りの熱狂とは裏腹に
どこか満たされていない自分を自覚していました.
以前にサントリーホールで聴いたシューベルトの途方もないような感動は得られなかったのです.
己のシューマンという作曲家へのシンパシーのなさ,
また2階最前列だったのですが,やや離れていたためか聴き方が客観的になりすぎた,
期待が大きすぎた・・・,
など自己分析もしてみました.
しかし,突きつめて考え得るに,シューマンという音世界の深度(底)が見えてしまったことでの,
逆説的な意味での「幻滅」であっただろうと結論付けました.
そういう意味では内田光子というピアニストは恐ろしい存在でしょう.
シューマンのファンには怒られてしまいそうですが,
シューマンがシューマン以上にはならないという印象です.

今回のCDで聴く「幻想曲」は,実演と大きな差はないというべきなのでしょうが,
鬼気迫った感じが減じている分,じっくり音そのものに浸れるので,
これはよく練り上げられた名演であるとホッとしたところです.



ナオG様
初めまして、コメント有難うございます。

> 以前から的確なCDレビューを参考にしておりました.

恐れ入ります。ただ私の感想は基本的に偏見だらけでお恥ずかしい限りです。

> 特にシューマンについて周りの熱狂とは裏腹に
> どこか満たされていない自分を自覚していました.
> 以前にサントリーホールで聴いたシューベルトの
> 途方もないような感動は得られなかったのです.

私は内田光子のシューベルトの実演は未体験ですが、そのお気持ちは私にも良く分かるような気がします。特に彼女の場合、特にモーツァルトとベートーヴェンとシューベルトのピアノ・ソナタの演奏に関しては、「その道の達人」というイメージを我々は共有していますから。

> 突きつめて考え得るに,シューマンという音世界の
> 深度(底)が見えてしまったことでの, 逆説的な
> 意味での「幻滅」であっただろうと結論付けました.
> そういう意味では内田光子というピアニストは
> 恐ろしい存在でしょう.

昨年の実演に関しては、まさに上で仰られているような感想を私も持ちました。

> 今回のCDで聴く「幻想曲」は,実演と大きな差は
> ないというべきなのでしょうが,鬼気迫った感じが
> 減じている分,じっくり音そのものに浸れるので,
> これはよく練り上げられた名演であるとホッとしたところです.

私も彼女の弾くベートーヴェンのイメージを一度リセットした状態でCDを耳にしたら、いい演奏だなあと、しみじみと感じました。今後の彼女のシューマンの録音にも大いに期待したいですね。

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