朝比奈隆の1990年倉敷音楽祭におけるベートーヴェン交響曲第3番「英雄」のライヴ


ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
 朝比奈隆/倉敷音楽祭祝祭管弦楽団
 東武レコーディングス 1990年ライヴ TBRCD0009
TBRCD0009

東武レコーディングスから先月リリースされた、朝比奈隆の指揮する倉敷音楽祭祝祭管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲第3番「英雄」のCDを聴きました。

この「英雄」は1990年3月の倉敷市民会館大ホールにおける「倉敷音楽祭」のコンサートのライヴですが、この時のオーケストラの編成は全体で30人程度の室内管規模であったとのことです。なおCDの余白には同じ顔合わせによるベートーヴェン交響曲第1番の第3楽章が収録されていますが、こちらは1988年の同音楽祭でのライヴ収録とされます。

朝比奈隆の指揮のベートーヴェン「英雄」の新譜としては、昨年末にリリースされたベルリン・ドイツ交響楽団を指揮した1989年ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ録音が充実を極めた演奏内容でしたが、今回の倉敷音楽祭祝祭管とのライヴでは、この曲を十八番とした朝比奈が室内管規模のオーケストラを振り、どのような「英雄」を披露するか興味深いところです。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭から弦の厚味とバスの豊かな支えに導かれるように、朝比奈らしい風格に満ちたメインテーマが描き出され、以降も堂々たるスローテンポを持続させつつ、全体的に弦パートを確として上位に据えた、まさに朝比奈流アンサンブル展開の特性が如実に伺われる演奏となっていますが、しかし私が聴いていて特に新鮮味を感じたのは、そのアンサンブル展開が構築する、濃密にして透明なハーモニーの肌ざわりでした。

濃密にして透明って、なにを理屈に合わないことを言ってるんだと思われるかも知れませんが、少なくとも私の印象において、そうとしか書きようがなく、これは濃密を尽くしたようなハーモニーとしては信じ難いくらいの透明感が宿されている、と言い換えてもいいかも知れません。

この点、かつての朝比奈が通常ベートーヴェンの「英雄」を演奏する際に用いた倍管のフル編成と違って、ここでは1管編成の、おそらく8~10型程度のオーケストラ編成であろうと思われますが、その編成スケールゆえに我々がイメージする「朝比奈のエロイカ」の演奏像からすると異例なくらいに、聴いていて各パートの音の一つ一つが手に取るように眺められるという印象を受けます。

しかし、それでも上記したとおり、たとえ室内管編成であっても朝比奈流ともいうべき弦パートを確として上位に据えたアンサンブルの、濃密な響きの特性は頑強に維持されているのは事実であり、そうすると単純に通常の「朝比奈のエロイカ」での16型2管編成を8~10型1管編成に置き換えただけの演奏と言うことはできず、そのあたりの濃密性と透明感との両現的な感触こそが、この演奏における本当の凄さ、いわば真価のように私には思えますし、それは倉敷音楽祭祝祭管のメンバーひとりひとりの、この演奏に賭ける並々ならない意気込みの度合いこそが生ぜしめたものではないかと思われます。

もっとも、室内管編成ゆえにヴォリューム的な意味での音楽のスケール感には一定の限界が感じられ、その意味では、通常の「朝比奈のエロイカ」に聴かれる途方もない音楽のスケール味は、さすがにいまひとつという感が否めませんし、テンポ的にも、特に第2楽章の総タイムが16分半と、朝比奈にしては少々「速足」で進めている点は聴いていて少しアッサリしているように思えました。

とはいえ、この倉敷音楽祭祝祭管とのエロイカは演奏の燃焼度においてルーティンワークから最も遠い演奏である点は疑いがないですし、その独特の濃密透明なアンサンブル特性の斬新な感触に、斬新であるという以上の掛け替えのない真実味が付帯されているように思えます。先週のテンシュテット/ウィーン・フィルに続いて、格別な余韻の残るベートーヴェンのエロイカを耳にしました。

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