夏目漱石「吾輩は猫である」に書かれている「ベートーヴェンのシンフォニー」について


昨日の続きとしまして、漱石の「猫」で出てくる「ベートーヴェンのシンフォニー」というのが、実はベートーヴェンの交響曲第1番のことではないか、という話です。

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まず漱石の「猫」の中で、くだんの「ベートーヴェンのシンフォニー」が出てくる、第10章の最初の方の部分を以下に引用します。

 吾輩は主人と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。・・吾輩はたまらなくなって台所へ這出した。・・御三(おさん)はすでに炊き立の飯を、御櫃に移して、今や七輪にかけた鍋の中をかきまぜつつある。・・もう飯も汁も出来ているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望通りにならなくったって元々で損は行かないのだから、思い切って朝飯の催促をしてやろう、いくら居候の身分だってひもじいに変りはない。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨ずるがごとく泣いて見た。御三はいっこう顧みる景色がない。生れついてのお多角だから人情に疎いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際である。今度はにゃごにゃごとやって見た。その泣き声は吾ながら悲壮の音を帯びて天涯の遊子をして断腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬として顧みない。この女は聾(つんぼ)なのかも知れない。聾では下女が勤まる訳がないが、ことによると猫の声だけには聾なのだろう。
・・・
こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。・・・・・・・とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。仕方がないから悄然と茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁昌している。・・

この「ベトヴェンのシンフォニー」というのが、実はベートーヴェンの交響曲第1番のことではないかと私はニラんでいると書きましたが、そう思うキッカケとなった書籍について、以下で少し触れます。

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「楽聖」ベートーヴェンの誕生~近代国家がもとめた音楽
西原稔・著 平凡社 

現在なぜベートーヴェンが「楽聖」と呼ばれるまでになったのか、そもそもベートーヴェンを頂点とする「西洋音楽史」という歴史の叙述が、どのようなモーメントによって生まれたのか、について詳細に論じられた一冊です。近代国家におけるベートーヴェン受容の経緯が、近代日本と近代ヨーロッパとに分けて論述されています。

 ベートーヴェンがかくも日本で高く評価され、しかもいわば第二の国民的作曲家となったのは、どのような社会的、歴史的、政治的な背景によるのであろうか。またそれ以前に、なぜわが国においてかくもドイツ音楽が尊重されたのであろうか。
 ・・・
 わが国がドイツの文化を導入するに至った経緯は単純ではない。しかもわが国が難解なベートーヴェンの音楽をかくも高く評価するようになった事情も単純ではない。そこには明治維新期のさまざまな政治力学、それにおそらく旧来の儒教思想、天皇を頂点とした国家理念などがさまざまに関連している。そしてドイツ文化がある時点において国策として導入されたとき、そこには天皇制とともに、身分秩序と忠義を旨とする儒教思想、そして後進国でありながら破竹の勢いで近代化を達成しつつあったドイツへの共感が結合され、理想主義的なまでのドイツ文化像が形成されていったのではないだろうか。わが国の「ドイツびいき」の精神風土を考えるとき、昨今の「ロマン主義のふるさとドイツ」のイメージ以前に、もっと深い層におけるドイツに対するある共感が潜んでいる。その共感がわが国におけるベートーヴェン理解の基層となっているように思える。・・

以上を始めとして、我々が当たり前のように「楽聖」と看做しているベートーヴェンの、日本における「楽聖」たる所以を著者なりの考えに従って論じている点に読み応えがあります。機会があればブログで取り挙げたいと思っていましたので、この機に簡単ながら紹介した次第です。

本題に戻りますが、本書にはベートーヴェンの9大交響曲それぞれが、いつ日本初演されたか、について記述されています。それは以下の通りです。

交響曲第1番(第1楽章のみ)1887年
交響曲第3番(第1楽章のみ)1909年
交響曲第1番(全曲)     1920年
交響曲第2番          1924年
交響曲第3番(全曲)     1920年
交響曲第4番          1922年
交響曲第5番          1918年
交響曲第6番          1919年
交響曲第7番          1925年
交響曲第8番          1922年
交響曲第9番          1924年

なお「第9」に関しては、厳密には1918年に徳島県鳴門の外国人収容所でドイツ人捕虜が全楽章演奏したのが日本初演と言われていますが、日本人の手による初演は、かつて寺田寅彦も足を運んだ1924年(大正13年)11月29日、上野の奏楽堂でのグスタフ・クローン指揮、東京音楽学校のオケの演奏ということになります。

さて、漱石の「吾輩は猫である」は1905年から翌年にかけて執筆されています。そうすると、この「猫」が書かれた時点で、日本という国において実際に演奏されていたベートーヴェンのシンフォニーは、交響曲第1番(の第1楽章)のみということになります。

その演奏会を漱石自身は聴いていませんが、例えば演奏会に立ち会って直にベートーヴェンを聴いた聴衆の誰かの話から、こんな音楽だったと、当時の漱石が漏れ聴いた可能性は排除できないと思われます。それには、あるいは寺田寅彦も一枚噛んでいたかも知れない。

そもそもベートーヴェンの交響曲における全ての主題を見回しても、猫の鳴き声で模倣できるモチーフとなると、昨日も書きましたように交響曲第1番の第1楽章第2主題くらいしか無いような気がします。こういったことから、おそらく「猫」に出てくる「ベトヴェンのシンフォニー」というのは、交響曲第1番ではないかと私には思えます。

その真偽のほどは置くとしても、少なくとも漱石が「美妙の音」と書いた「ベトヴェンのシンフォニー」において、当時の日本で実際に鳴り響いていたのが交響曲第1番のみだった、ということは動かし難い事実ですし、この点でも漱石の「猫」とベートーヴェンの交響曲第1番とは、偶然ながらも不思議な結びつきがあるように私には思えます。

以上、次回(来週)は交響曲第2番「坊っちゃん」について書きたいと思います。

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