「寺田寅彦随筆集」第2巻より「蓄音機」


昨日の更新で書きましたように、今日から寺田寅彦の残したエッセイ作品につき、まず岩波文庫の小宮豊隆編「寺田寅彦随筆集」第2巻に収録されているものから、順に取り上げていきます。

Torahiko-Essay-Collection-2

まず、「寺田寅彦随筆集」第2巻に収録されているエッセイのタイトルを収録順に以下に列記します。

・蓄音機
・亮の追憶
・一つの思考実験
・電車の混雑について
・相対性原理側面観
・子猫
・浮世絵の曲線
・二十四年前
・解かれた象
・伊吹山の句について
・池
・路傍の草
・備忘録
・怪異考
・日本楽器の名称
・比較言語学における統計的研究法の可能性について
・化け物の進化
・ルクレチウスと科学
・LIBER STUDIORUM
・映画時代
・時事雑感

以上21編です。

今回は、最初の「蓄音機」を取り上げます。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

蓄音機
(大正十一年四月、東京朝日新聞)

 グラモフォーンに対する私の妙な反感がいくらか柔らげられるような機会が来たのは私が三十二の年にドイツへ行っていた時の事である。かの地の大使館員でMという人と知り合いになったがその人がラッパのない、小さな戸棚のような形をした上等の蓄音機をもっていた。そしてかの地で聞く機会の多いオペラのアリアや各種器楽のレコードを集めて、それを研究し修練してわびしいひとり居の下宿生活を慰めていた。その人の所で私はいい蓄音機のいいレコードがそれほど恐ろしいものではないという事を初めて知った。しかしそれにしても当時耳にする機会の多かった本物の音楽に比べては到底比較にならない物足りないものだという気がした。曲の構想や旋律を研究し記憶して、次に本物を聞くための準備をするには非常に重宝なものであるとは気がついたが、これを純粋な芸術的享楽の目的物とする気にはどうもなれなかった。それで蓄音機と私との交渉はそれきりになってさらに十年の歳月が流れた。

この「蓄音機」は、寺田寅彦のエッセイとしては比較的有名なもののひとつです。本エッセイは冒頭、まず以下のような書き出しで始まります。

 エジソンの蓄音機の発明が登録されたのは一八七七年でちょうど西南戦争の年であった。太平洋を隔てて起こったこの二つの出来事にはなんの関係もないようなものの、わが国の文化発達の歴史を西洋のと引き合わせてみる時の一つの目標にはなる。のみならず少なくとも私にはこの偶然の合致が何事かを暗示する象徴のようにも思われる。エジソンの最初の蓄音機は、音のために生じた膜の振動を、円筒の上にらせん形に刻んだみぞに張り渡した錫箔の上に印するもので、今から見ればきわめて不完全なものであった。ある母音や子音は明瞭に出ても、たとえばSの音などはどうしても再現ができなかったそうである。その後にサムナー・テーンターやグラハム・ベルらの研究によって錫箔の代わりに蝋管を使うようになり、さらにベルリナーの発明などがあって今日のグラモフォーンすなわち平円盤蓄音機ができ、今ではこれが世界のすみずみまで行き渡っている。もしだれか極端に蓄音機のきらいな人があってこの器械の音の聞こえない国を捜して歩くとしたら、その人はきっとにがにがしい幻滅を幾度となく繰り返したあげくにすごすご故郷に帰って来るだろうと思われる。

蓄音器の誕生の歴史が、軽いウィットを交えた軽快な語り口で的確に語られているのが目を引きます。これを読むと、平円盤蓄音機が当時「グラモフォーン」と呼ばれていたことがわかりますし、その平円盤蓄音機が当時すでに世界中に普及していた事実も窺い知ることができます。

これにつづいて、寅彦が中学生のころ、学校の講堂で蝋管型の蓄音器に関する課外授業があり、そこで生まれて初めて蓄音器を聴いたこと、その時の感動などがエッセイの中で語られます。それに続いて「グラモフォーン」(平円盤蓄音機)との出会いについて以下のように語られています。

 私が初めて平円盤蓄音機に出会ったのは、瀬戸内海通いの汽船の客室であったように記憶する。その後大学生時代に神戸と郷里との間を往復する汽船の中でいつも粗悪な平円盤レコードの音に悩まされた印象がかなり強く残っている。船にいくじがなくて、胸に込み上げる不快の感覚をわずかにおさえつけて少時の眠りを求めようとしている耳元に、かの劣悪なレコードの発する奇怪な音響と騒がしい旋律とはかなりに迷惑なものの一つである。それが食堂で夜ふけまで長時間続いていた傍若無人の高話がようやく少し静まりかけるころに始まるのが通例であった。波が荒れて動揺のすさまじい時だけはさすがにこの音も聞こえなかったが、そういう時にはまた船よいの苦悩がさらにはなはだしかった。・・・蓄音機のラッパというものも私にはあまり気持ちのいいものではなかった。器械全体の大きさに対してなんとなく均衡を失して醜い不安な外観を呈するものである。一寸法師が尨大(ぼうだい)なメガフォーンをさしあげてどなっているような感じがある。これが菊咲き朝顔のように彩色されたのなどになるといっそう恐ろしい物に見えるのである。

以上のような体験が、寅彦の「グラモフォーンに対する私の妙な反感」となって残り、「蓄音機と私との交渉はそれきりになってさらに十年の歳月が流れた」が、それでも時代の流れとともに一般家庭にも蓄音機が徐々に普及し出し、ついに1918年1月4日の午後、寅彦は銀座の三光堂で、蓄音機とレコード数枚を購入するに至ります。

 普通の和製のレコードとヴィクターのと見比べて著しく目につく事は盤の表面のきめの粗密である。その差はことに音波の刻まれた部分に著しい。適当な傾きに光を反射させて見た時に一方のはなんとなくがさがさした感じを与えるが、一方は油でも含んだような柔かい光沢を帯びている。これは刻まれた線の深さにもよる事ではあろうが、ともかくもレコードの発する雑音の多少がこの光沢の相違と密接な関係のある事は疑いもない事である。これは材料その物の性質にもよりまた表面の仕上げの方法にもよるだろうが、少しの研究と苦心によって少なくも外国製に劣らぬくらいにはできそうなものであるのに、それができていないのはどういう理由によるものか、門外漢にはわかりかねる。・・・
 いずれにしても今の蓄音機はまだ完全なものとは思われない。だれにでもいちばんに邪魔になるのはあのささらでこするような、またフライパンのたぎるような雑音である。・・・しかしこの雑音は送音管部のみならず盤や針や振動膜やすべての部分の研究改良によって除去し得ないほどの困難とは思われない。早晩そういう改良が外国のどこかで行なわれるだろうと予期される。
 もう一つの蓄音機の欠点は、レコードの長さに制限があって長い曲が途中で中断せられる事である。この中絶をなくするために二台の器械を連結してレコードの切れ目で一方から他方へ切りかえる仕掛けがわが国の学者によって発明されたそうであるが、一般の人にはこの中断がそれほど苦にならないと見えて、まだ市場にそういう器械が現われた事を聞かない。

このあたり、当時のレコードの国内盤と輸入盤との品質の違い、蓄音器の将来の展望などが、寅彦らしい明晰な視点から述べられており、読んでいて実に面白い。

 ある日K君のうちへ遊びに行ったらヴィクトロラの上等のが求めてあって、それで種々のいいレコードを聞かされた。レコードは同じのでも器械がいいとまるで別物のように感じられた。今までうちで粗末な器械でやっていたのはレコードに対する虐待であった事に気がついた。うちの器械で鋼鉄の針でやる時にあまりに耳立ちすぎて不愉快であったピッコロのような高音管楽器の音が、いい器械で竹針を用いれば適当に柔らげられ、一方ではまた低音の弦楽器の音などがよほど正常の音色を出す事を知った。
 年の暮れに余分な銭のあったのをヴィクトロラの中でいちばん安いのにかえて針も三角の竹針を用いる事にした。同じレコードの中から今まで聞かれなかったいろいろの微細な音色のニュアンスなどが聞き分けられるのが不思議なくらいであった。ごまかしの八百倍の顕微鏡でのぞいたものをツァイスのでのぞいて見るような心持ちがした。精妙ないいものの中から、そのいいところを取り出すにはやはりそれに応ずるだけの精微の仕掛けが必要であると思った。すぐれた頭の能力をもった人間に牛馬のする仕事を課していたような、済まない事をしていたというような気がするのであった。
 鉄針と竹針とによる音色の相違はおそらく針自身の固有振動にも関係するだろうしまた接触点の弾性にもよるだろうが、これらの点を徹底的に研究すれば今後の改良に関する有益なヒントを得られるだろうと思われる。
 いずれにしてもまだ現在の蓄音機は不完全と言われてもしかたのない状態にある。三色写真が絵画の複製術として物足りないごとく、蓄音機は名曲のすぐれた演奏の再現器として物足りないものである。それだから蓄音機は潔癖な音楽家から軽視されあるいは嫌忌されるのもやむを得ない事かもしれない。私はそういう音楽家の潔癖を尊重するものではあるが、それと同時に一般の音楽愛好者が蓄音機を享楽する事をとがめてはならないと思うものである。

このあたりの記述を見ますと、当時の寅彦が相当にオーディオに傾倒していたことが伺われますし、少しでも良い音で音楽を聴きたい、というのは時代に関係ない普遍的欲求なのだということも痛感されます。

 蓄音機でいい音楽を聞くのと、三色版で名画を見るのとはちょっと考えると似ているようで実は少し違ったところがあると思う。私の考えでは、三色版が色彩に対しても不忠実であるのみならず、画面の微妙な光沢や組織に対し全然再現能力のないのに反して、良い蓄音機では音色や強弱の機微な差別が相応に現われ、そして最も重要な要素と考えられる時間関係がかなり厳密に再現される。そういう点で蓄音機のほうがある意味で三色版より進んでいるとも言われる。ただ困る事には今の蓄音機に避くべからざる雑音の混入が、あたかも三色版の面にきたないしみの散点したと同様であるようにも思われる。しかし人間の耳には不思議な特長があって、目の場合には望まれない選択作用が行なわれる。すなわち雑多な音の中から自分の欲する音だけを抽出して聞き分ける能力を耳はもっている。音楽家が演奏をしている時に風や雨の音、時には自分の打っているキーの不完全な槓杆(てこ)のきしる音ですらも、心がそれに向いていなければ耳には響いても頭には通じない。この驚くべき聴感の能力のおかげで、われわれは喧騒の中に会話を取りかわす事ができ、管弦楽の中からセロやクラリネットや任意の楽器の音を拾い出す事ができる。
 これに反して目のほうでは白色の中から赤や緑を抜き出す事が不可能であり、画面から汚点を除却して見る事はどうしてもできない。

雑音に惑わされず音楽を聴く心得というかコツのような話ですが、視覚との対比という着眼が寅彦ならではです。

 もう一つ音楽家にとって不満足であろうと思うのは、たとえ音色がよく再現できていると言ったところで、これをほんとうの楽器に比べればどうしてもいくぶんの差違のある事は免れ難い事である。いろいろな音の相対的の関係はかなりによく行っていても、全体にかぶさっている濁りあるいは曇りのようなものがあってそれが気になるだろうと思われる。しかしこれはたとえば同一の絵を少し暗い室で見るとか、あるいは少し色のついた光の下で見るとよく似た事であって、正常の光で見た時の印象が確実に残っていない人にとってはその区別は全然認識されない。もしそうでなかったら曇り日に見たセザンヌと晴天に見たセザンヌは別物に見えなければならないわけである。同じようなわけで八畳の日本室で聞くヴァイオリンと、広い演奏室で聞く同じひき手の同じヴァイオリンとも別物でなければならない。・・・
  畢竟(ひっきょう)蓄音機をきらいなものとするか、おもしろいものとするかは聞く人の心の置き方でずいぶん広い範囲内でどうにもなるものだろうと思う。これは絶対的善美なものの得られない現世であらゆるものの価値判断に関係して当てはまる普遍的方則ではあるまいか。それで私は蓄音機をきらう音楽家のピュリタニズムを尊敬すると同時に蓄音機を愛好する素人を軽視する事はどうしてもできない。

これなどは「蓄音機」を「CDプレーヤー」に置き換えて読んでも、現在そのまま通用しそうな文章であり、寅彦の思考の普遍性、時代超越性が端的に伺えて驚かされます。

そして最後、以下のような、21世紀を生きる私達にとっては甚だ「重い」文章で、このエッセイを締めくくっています。

 蓄音機に限らずあらゆる文明の利器は人間の便利を目的として作られたものらしい。しかし便利と幸福とは必ずしも同義ではない。私は将来いつかは文明の利器が便利よりはむしろ人類の精神的幸福を第一の目的として発明され改良される時機が到着する事を望みかつ信ずる。その手始めとして格好なものの一つは蓄音機であろう。
 もしこの私の空想が到底実現される見込みがないという事にきまれば私は失望する。同時に人類は永遠に幸福の期待を捨てて再びよぎる事なき門をくぐる事になる。

次回は「亮の追憶」と「一つの思考実験」を取り上げます。

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