引き続き、読書間奏・中公新書「漱石が聴いたベートーヴェン」


「漱石が聴いたベートーヴェン」
 -音楽に魅せられた文豪たち-
  瀧井敬子・著
  中公新書
ISBN4-12-101735-8

昨日の続きです。

③島崎藤村
藤村の場合、ミッションスクールの在学当時に、主に賛美歌で西洋音楽に馴染んだとされます。そして藤村は明治30年(1897年)に東京音楽学校へ入学するという、文学家としては異例の経歴を持っているのです。

・・藤村が音楽学校に入学したとき、家族も友人たちもびっくりしたという。短編「沈黙」で自身と等身大の主人公に語らせているように、彼には「あらゆる芸術を味わえるだけ味わうという若い了見」があり、「若菜集」が世間から認められ、「文学と音楽とを並べて考えたい時代」でもあった。さらに、上野の音楽学校へ入れば、「そこに蔵ってある図書を猟ることを許された」から、・・シューマンの「音楽と音楽家」やバッハの伝記など、音楽の専門書が読めた。楽譜も見ることができた。・・「真実に自分をショパンやワーグナーまで連れて行ってくれるような人も見当たらなかった」が、奏楽堂で開催されるコンサートへは簡単に切符を入手して、行くことができた。・・・

さらに、当時の藤村が親しく付き合っていた上田敏について触れられています。

上田敏は明治27年(1894年)奏楽堂のコンサート(この時の演目は、ベートーヴェンのロマンス、シュポアのヴァイオリン協奏曲第9番など)の演奏評を文学雑誌に掲載するなど、19世紀当時の日本においては他の追随を許さないほどの西洋音楽通として知られていたこと、その上田敏から得た知識を、藤村が自身の小説に取り入れていることなどが書かれています。

④夏目漱石
いよいよ本書のタイトルにもなっている「漱石が聴いたベートーヴェン」の話になります。まず「夏目漱石は大正時代の初め、日本の洋楽史上重要な二つのコンサートに行っていた」として、以下の2つの演奏会に漱石が足を運んだ事実が示されます。

まず、大正元年(1912年)12月1日、漱石門下生の寺田寅彦・小宮豊隆と共に、漱石は上野奏楽堂でグリーグのピアノ協奏曲、シュポアのヴァイオリン協奏曲の演奏を聴いています。この時のヴァイオリン独奏者は幸田幸で、幸田露伴の実の妹です。

このコンサートは、東京音楽学校のお雇い外国人教師である、指揮者アウグスト・ユンケルの送別演奏会という位置づけだったと書かれています。なお、ユンケルは日本史上初のフル・オーケストラ「東京音楽学校管弦楽団」を組織した指揮者として知られます。

次に大正2年(1913年)12月6日、ユンケルの後任のドイツ人指揮者グスタフ・クローンの就任披露演奏会を聴いています。演目はベートーヴェンのエグモント序曲、それにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(クローンの弾き振り)でした。なお、クローンはベートーヴェンの9大交響曲のうち6つまでの日本初演指揮者です。

以上の2つのコンサートに加えて、明治39年(1906年)10月28日、奏楽堂「明治音楽会」で寺田寅彦と共に、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ(第何番かは不明)の演奏を聴いたことも書かれています。この時の漱石の体験が、後に短編小説「野分」の題材として活用されたことは有名です。

そして「漱石が聴いたベートーヴェン」は、結局のところ以上の、ヴァイオリン・ソナタ、エグモント序曲、ヴァイオリン協奏曲の計3曲に留まるようです。ということは、ベートーヴェンの交響曲を、漱石は遂に一度も耳にしていなかったのです。

この事実を本書で知って、私は意外の感に打たれました。というのも、漱石の処女作「吾輩は猫である」を読まれた人なら分かると思いますが、あの小説には、「ベートーヴェンのシンフォニー」が出てくるからです。出てくると言っても、猫の鳴き声の喩えで、ほんの一か所に用いられているだけなのですが、あれが私の頭にあったので(なにしろ、あの場面の文章の面白さは常軌を逸している)、漱石が生涯において、ベートーヴェンの交響曲を、ただの一度も耳にしていないという事実に、ちょっと意表を突かれたような感じがしたのでした。

⑤永井荷風
荷風ですが、明治38年(1905年)12月から明治40年(1907年)7月までの間、アメリカに滞在し、ニューヨークの2大歌劇場、すなわちメトロポリタン歌劇場とマンハッタン歌劇場でオペラ三昧の日々を送っています。

そのあたりの様子を記述した本書の部分を以下に引用します。

・・ニューヨークに滞在した1年と8ヶ月足らずのあいだに、荷風はワーグナー作品では「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ローエングリン」「パルジファル」、「ニーベルンゲンの指輪」4部作中の「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」を見ている。メトロポリタン歌劇場では、イタリアものが多く上演されたのでヴェルディの「アイーダ」「リゴレット」「椿姫」、プッチーニ「トスカ」と「ラ・ボエーム」、ドニゼッティの「ドン・パスクアーレ」「ランメルモールのルチア」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」、それにモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」と、ポピュラーな作品はほとんど見ている。
 フランスもので荷風が見たのは、ビゼーの「カルメン」、グノーの「ファウスト」と「ロメオとジュリエット」、ドリーヴの「ラクメ」、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」などである。・・明治40年(1907年)にフランスに渡ってからはリヨン市立歌劇場を中心に、ニューヨークで観れなかったワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などを見ている。・・

まさに圧巻の一言。今から100年も前の明治時代に、これほどに多数のオペラ作品の実演に触れた日本人が実在したという事実、それ自体に驚嘆させられます。21世紀の今でさえ、年間こんなにオペラを観る日本人って、そうはいないでしょう(むろん音楽評論家でなく、仕事と無関係に観るオペラ愛好家として)。それを、100年も前の時代に、これだけ観ているんですから、途方もないというか、想像を絶するというか、、

そして後年、荷風は坪内逍遥の書いた台本のオペラ「新曲浦島」に対抗意識を燃やし、国産オペラ「葛飾情話」の台本を執筆し、昭和13年(1938年)に浅草のオペラ館で上演されました。これは日本人の書いたオペラの記念碑的初上演として伝えられています(なお、逍遥の「新曲浦島」は2003年に初演されました)。

・・音楽が彼にもたらしたのは、「慰藉」以上のものであった。日本にいたころには高いと思って敬遠していた洋楽の敷居を軽々と越え、洋楽三昧の生活に耳も肥えた彼が、ニューヨーク、リヨン、パリで重ねたオペラやコンサートの体験は、文学創造と結びついた。「あめりか物語」「ふらんす物語」はいうまでもなく、帰国後の随筆や小説には、その成果が明白である。・・・

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