ウィキペディア「吉田秀和」のページの誤記修正に関して


先日、フリー百科事典ウィキペディアの「吉田秀和」のページを閲覧していたら、そこに誤記があることに気が付いた旨、当ブログに書きましたが、今日、改めて氏の過去の音楽評論の文献を調べたところ、その誤記部分を含む話題に言及されている、氏の音楽評論を特定することができました。

該当する音楽評論ですが、以下の文献に載っていました。

2010-05-29
吉田秀和全集 第23巻 「音楽の時間Ⅴ」 
 吉田秀和 著
 白水社

まず、誤記を含むと思われたウィキペディアの記載部分を再度、以下に抜粋します。

1930年春、4年修了で旧制成城高等学校文科甲類(英語クラス)(現成城大学)に入学し寮生活を送るも、同年秋、文科乙類(ドイツ語クラス)に転じると共に、ドイツ語の師である阿部六郎の成城の自宅に同居(~1931年1月まで)。このころ中原中也にフランス語の個人教授を受ける。小林秀雄や大岡昇平とも交遊(小林は後年吉田をライバル視し、同じく鎌倉に住む吉田の自宅を訪れ、自著の『モオツアルト』を吉田の目の前に放り出して「君、出たよ」と吐き捨てたりした(朝日新聞連載より)。吉田は威勢の良すぎる断定調の小林の批評には批判的になっていった)。

これに対し、上記の吉田秀和全集第23巻に掲載されている、「小径の今」と題された一節(392ページ)において、以下の文章が記載されているのを確認しました。

・・私の知る小林さんは実に親切で情に篤い人だったが、反面、何とも潔い人でもあった。これはあの啖呵の連続みたいな、思い切りがよくて飛躍に富んだ彼の文体によく出ている。あの人はたびたびじっくり書こうとするが、やっぱり一刀両断的に書いてしまうのだ。
 過ぐる大戦中『無常といふ事』を書きあげたあと、彼はきっぱりと筆を折り、何も発表しない時期が続いた。戦後はまた書き出したが、その出処進退も潔かった。最後の大著は『本居宣長』で、ある日何の前ぶれもなく風のようにわが家を訪れた小林さんは「君、出たよ」と言いながら、真新しい本を置いていった。それからしばらくして、お宅に上がった折「やっぱり私にはこの本はわかりません」と申し上げた。せっかくの好意に、正直にいうよりほかないのが悲しかったが。・・・
    吉田秀和全集・第23巻収録「小径の今」より

従いまして、上記ウィキペディアの記載にある『モオツアルト』というのは、明らかに『本居宣長』の誤記であることが確認されました。

以上の事実に基づき、本日、私の方でウィキペディア「吉田秀和」のページの誤記部分を修正させていただきました。

この件に関しては、先日、私の方から文献についての情報提供もしくはウィキペディアの修正を呼び掛けた次第ですので、ページ修正に関する一連の経過につき、簡単ながら以上のとおり御報告させていただきます。

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