引き続き、読書間奏「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者」


寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者
末延 芳晴 著
平凡社

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・・明治32年(1899年)7月、熊本五高を卒業し、東京帝国大学理科大学物理学科に入学するため8月の末、上京してきた寺田寅彦は、9月5日、夏目漱石の紹介で上根岸82番地の根岸庵を訪れ、病床に臥せる正岡子規と対面を果たしている。・・・子規は、一目見て寅彦の才能と人柄の大きさ、頭の働きと芸術的センスの鋭さを見抜き、東京に出てきたばかりの大学新入生を受け入れ、思うところを忌憚なく話してくれた。・・・

昨日の続きですが、今日は本書の第7章「『音楽』する地球物理学者」の中に書かれている「正岡子規との音楽談義」につき、以下で少し詳しく取り上げます。

ここで引用されている寅彦のエッセイというのは、明治32年9月に記された「根岸庵を訪う記」なのですが、これは岩波書店から刊行されている、「寺田寅彦随筆集」全5巻(選・小宮豊隆)に収録されていないエッセイであり、そのため一般に読まれにくい状況にあります。

そのエッセイの中で、正岡子規が西洋音楽について思うところを寺田寅彦に語ったくだりを以下に抜粋します。なお、テキストは青空文庫のものをコピーして使わせていただきました。

・・色々議論もあるようであるが日本の音楽も今のままでは到底見込(みこみ)がないそうだ。国が箱庭的であるからか音楽まで箱庭的である。一度音楽学校の音楽室で琴の弾奏を聞いたが遠くで琴が聞えるくらいの事で物にならぬ。やはり天井の低い狭い室でなければ引合わぬと見える。それに調子が単純で弾ずる人に熱情がないからなおさらいかん。自分は素人考えで何でも楽器は指の先で弾くものだから女に適したものとばかり思うていたが中々そんな浅いものではない。日本人が西洋の楽器を取ってならす事はならすが音楽にならぬと云うのはつまり弾手の情が単調で狂すると云う事がないからで、西洋の名手とまで行かぬ人でも楽の大切な面白い所へくると一切夢中になってしまうそうだ。こればかりは日本人の真似の出来ぬ事で致し方がない。ことに婦人は駄目だ、冷淡で熱情がないから。露伴の妹などは一時評判であったがやはり駄目だと云う事だ。・・
            寺田寅彦「根岸庵を訪う記」より

なお、最後の「露伴の妹」というのは明治の文豪・幸田露伴の妹である幸田延を指しています。

幸田延はウィーンに5年間留学したあと明治28年(1895年)に帰国、東京音楽学校で演奏の指導にあたった演奏家ですが、特に本書では以下のように記述されています。

・・幸田延は、明治日本が生んだ最初のプロのピアニスト、バイオリニスト、教育家として、明治の音楽界において重きをなしていた。ただ、欧米の音楽の本場に留学し、頭抜けて楽器がよく弾けるということで自尊心も高く、音楽学校教授として思いのまま振る舞い通したので、尊大な態度が嫌われ、「上野の西太后」とあだ名されるほどであった。・・・

「頭抜けて楽器がよく弾けるということで自尊心も高く」、、「尊大な態度」、、、これを読んで私は思わず、現在の日本のトップ・オーケストラと呼ばれている某交響楽団のことが思い浮かび、ハッとしたのです(しかし、そのオケの実演を私は最近数年間まったく聴いていないので、現在は違うかもしれない。ので、ここで名称を出すのは控えます)。

いずれにしても、ここで正岡子規が指摘しているのは、要するに日本人は「弾手の情が単調で狂すると云う事がないから」駄目で、逆に西洋人は「楽の大切な面白い所へくると一切夢中になってしまう」から演奏が良いのだ、という趣旨なのです。

これって何だか、現在の日本のオーケストラに(たとえ某交響楽団ほどではないにしても)多かれ少なかれ当てはまる事実ではないか、という気がします。100年も先のことを、正岡子規は見通していたと言えなくもない、、、そんな風に私には思えたのでした。

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