読書間奏「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者」


寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者
末延 芳晴 著
平凡社

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・・高知で夏子の葬儀をすませ、東京に戻ってきた寅彦は、そのまま大学生活に戻り、学業と物理学の実験に専念、日記には、夏子を失ったことによる心の波立ちは表面上、読み取れないものの、心の深いところに大きな悲しみと傷がわだかまり、強い喪失感と孤独感に苛まれていた。しかし年が明け、明治36(1903)年を迎えると、一筋の光明が寅彦の生活と精神に差し込んでくる。ロンドンに2年あまり留学していた夏目漱石が帰国、1月24日、新橋に帰着したのである。・・

「読書間奏」カテゴリー記事につき、前回の「コレリ大尉のマンドリン」に続く第2弾として、今回は私が年頭に読んだ「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者」について書きます。

簡単な概要は以前ブログに書いていますが、これは昨年末に刊行された単行本で、明治・大正期に活躍した地球物理学者および作家として知られる寺田寅彦の、主に西洋音楽との関わりを中心とした評伝です。寅彦の評伝的な内容の著作は、既に幾つか出されていますが、西洋音楽との関わりを中心に据えての評伝は、おそらく初ではないかと思われます。

この評伝で描かれている寺田寅彦は、生活の中に芸術を取り込むことにより、近代日本人としての心身の自由を求め続けた、日本の近代市民の先駆者の一人として規定されていますが、この点において、日本の近代文学の礎を固め、大きく発展させた3人の文学者、すなわち夏目漱石、森鴎外、永井荷風と、ほぼ同格の扱いを寺田寅彦は受けているのです。評伝中の言葉を借りるとするなら、「明治維新以降、国家の意思または命令により西洋の文明・文化を模倣することにより行われてきた日本の近代化が、文明と文化の両面においてもたらしたものを批判的に捉え、そのマイナス面を克服することに悪戦苦闘した文学者」と言うことも可能でしょう。

以下、私が本評伝を読んで面白かった点、および読み終えて疑問に感じた点について書きます。

面白かった点:

①評伝としてのスタイルがこなれている。事実の羅列に留まらない、著者による適度な起伏が与えられており、まるで小説を読むに近い感覚で読んでいける。相応の感動も伴う。例えば東大在学中、寅彦の文学の師である正岡子規と、最愛の妻の夏子とを、立て続けに病死で失うという、過酷なくだりに続いて書かれた一節(上に引用)などは印象深い。

②明治・大正期に活躍した文学者と西洋音楽との関わりについて具体的に触れられている。この点において、特に西洋音楽と日本近代文学に興味がある人の好奇心をくすぐるような話題が豊富に掲載されている。特に第7章の中の「正岡子規との音楽談義」が非常に面白い。

疑問に感じた点:

①寅彦と漱石との西洋音楽を介した親交に関しては、中公新書「漱石の聴いたベートーヴェン」の焼き直し的な内容の域を出なかったこと。この本を読んでいなければ問題はないが、読んだ人には、さほどに目新しいことは書かれていない(なお、この新書に関しても、いずれ「読書間奏」で取り上げる予定)。

②「明治・大正期に西洋伝来の芸術文化や趣味を、市民の文化・教養として積極的に受容」することにまつわる困難さについては明確に触れられていない。要するに、夏目漱石に出会って文学に目覚めた、田丸卓郎に出会って地球物理学に目覚めた、では音楽に目覚めたきっかけは?となると、どうも要領を得ない。結局は生まれついての感性なり資質なりに還元されてしまう。何より、「この時期に西洋音楽を聴く(蓄音器でもコンサートでも)ということの困難さ」が読んでいて最後までピンとこないあたりが歯がゆい。

③寅彦の「物理学者」としての功績が全くと言ってよいほど触れられていない。わずかにエピローグに、「世界的な地球物理学者で、戦前、日本人にノーベル賞が授与されていたとしたら、この人を措いて他にないとまでいわれてきた」人であると記述されているのみ。このノーベル賞の話は、確かに本当だが、それについての話題(X線の研究)に全く触れられていないので、読み手には実感しにくいのではないか、という気がする。

④寅彦のエッセイにおける思考を、ジョン・ケージの音楽になぞらえる記述がある(第12章の「ジョン・ケージの地平に」)が、そもそも両者に接点は無いし、論調的に少し無理やりな感がある。

感想は以上ですが、この本の中の第7章「『音楽』する地球物理学者」にある「正岡子規との音楽談義」が非常に面白く、また21世紀現在の、日本のクラシック演奏の在り方に照らしても、甚だ興味深い内容が書かれていると思うので、それを次回あらためて取り上げます。

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