カンブルラン/バーデン=バーデン・フライブルクSWR響によるブルックナー交響曲第9番


ブルックナー 交響曲第9番
 カンブルラン/バーデン=バーデン・フライブルクSWR響
 Glor 2005年ライヴ GC09251
GC09251

# もう5月も間近だというのに、今日の東京は冬の寒さでした。昨日の真夏日といい、何だか季節感が狂ってきそう、、、

独Glorレーベルから先月リリースされた、シルヴァン・カンブルラン指揮カンブルラン/バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団(南西ドイツ放送交響楽団)の演奏による、ブルックナー交響曲第9番のCDを聴きました。2005年におけるフライブルク・コンツェルトハウスでのライヴ録りです。

同じ顔合わせによるブルックナーとして交響曲第6番のディスクを先日ブログで取り上げたところですが、今回の9番も、その6番と同時リリースのCDです。そこでの感想にも書きましたが、その6番の演奏が良かったので、9番の方も聴いてみたくなり、追って購入したのでした。

それで聴いてみたところ、ここでも凡庸な印象は受けず、十分な聴き応えの感じられるブルックナーでした。しかし先日の6番の演奏から計ると、正直どうも全体から受ける感銘が落ちるような気もするのです。

先に聴いた6番と同様、今回の9番も全体的にディテールを重視したような、明晰なハーモニーの組上げの中から、純音響的なドラマを描き出すというような、カンブルランの基本理念の伺える演奏だと思いますが、ことアゴーギグの運用面では6番のそれと、少なからぬ相違が認められるようです。というのも、こちらの9番では速めのテンポを基本とした上で、リタルダンドや長めのパウゼを駆使しながらの、かなりテンポの出入りの多い解釈となっているからで、先に聴いた6番の方はテンポの出入りの少ない高速緻密型の解釈であっただけに、それと同じような演奏だと思っていた私は、ちょっと面喰ったのでした。

そのあたりが長短含めて、この演奏のひとつの特徴となっている感があり、聴いていて確かに、木管の繊細なフレーズの処理ひとつ取ってもキメ細かい感じがする反面、テンポが随所で何かぎこちないというか、例えば第1楽章の、第3テーマ(8:03)からの細かいテンポ・ルバートなど、解釈が斬新というより、私には少し場違いのような違和感が先立つように思えます。それは何かノーブルな気取りのように聴かれなくもないのです。

また終楽章における、いくつかの強奏部で、トランペットを異様なくらい強く響かせるバランスとなっている点も聴いていて引っ掛かりました。それらがギラついた感じに聞こえ、神々しさよりもケバケバしさが優位に立ち、ちょっとどうなんだろうと思われたのでした。

あらためて思うに、このカンブルランのブルックナー9番では、全体的にテンポ運用や管のバランスなどに自己流とも言うべき解釈が目立ち、それが音楽に一定の起伏的な効果を与えて斬新な印象を纏わせることに寄与しているとしても、それらが今一つ真実味というか、ある種の迫真に欠ける表現ではなかったかという疑問も、最後まで拭えませんでした。そこにはブルックナーに対する思い入れの強さというのとは何か違う、自己の解釈に対する、何か過剰な陶酔のようなものが聴かれるように思われるのです。

ただ、そういう風に私が思うのも、このカンブルランのCDの直前にリリースされた、スクロヴァチェフスキー/読売日響の昨年10月23日東京芸術劇場でのブル9のライヴが迫真を極めた超絶的名演であったため、そちらの印象に引き摺られて、結果こちらのカンブルランのブル9の印象を不当に弱めてしまったからなのかも、という気も正直します。ので、もしカンブルランのブル9の方を先に耳にしていたなら、また印象もガラッと変わっていたかも知れません。

そういうわけで、このカンブルランのブルックナー9番は、その完成度、出来栄えとは裏腹に、私に取って少し違和感の残る演奏であり、確かにユニークな解釈とは思われるものの、その出所が引っ掛かって、ぎりぎりのところで、もう一つ訴えてこない演奏だったな、という思いも残りました。

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