新国立劇場のドニゼッティ「愛の妙薬」の感想


昨日(4/18)の新国立劇場、ドニゼッティ「愛の妙薬」の感想です。2回に分けます。

2010-4-19

ネモリーノ役ジョセフ・カレヤ:
「はまり役」という感じで、惚れぼれするような歌唱でした。初めて聴く歌手でしたが、何となくパヴァロッティみたいで、高音域の表現力が凄いのですね。タイプとしては典型的なリリック・テナーで、おそらく重い声は出せないのでしょうが、少なくともドニゼッティには最適みたいな感じでした。安定感のある発声から繰り出される、伸びやかでブリリアントな高音が素晴らしく、特に「人知れぬ涙」は、このアリアとしては最高とも思えるような歌唱を堪能させてくれました。

アディーナ役タチアナ・リスニック:
ネモリーノ役カレヤの夫人なのだそうで、主人公とヒロインを演ずる歌手が御夫婦なんですね(第2幕のフィナーレで「ベルコーレ、ご覧のとおり彼は私の夫よ」と叫ぶところは、すごい説得力?でした)。リスニックは「フィガロの結婚」スザンナを得意とする歌手とのことですが、聴いた限りでもスブレット風の軽い歌い方だなという印象で、かなり小回りのきく、クレバーな歌唱力の持ち主だと感じました。ただ情感的には、もう少し踏み込んで、第1幕での悪女がかった性格とか、第2幕終盤での憑き物の落ちたような表情だとか、もっとドラマティックに印象づけるという手もあったと思いますが、、さすがに夫婦ということで、少し衒いもあったのかもしれませんが、聴いていて少し表情がよそよそしいな、と感じられなくもありませんでした。

ドゥルカマーラ役ブルーノ・デ・シモーネ:
ドゥルカマーラは、この演出では滅法うさんくさいキャラクターに仕立てられていましたが、そのあたりの「味」が歌唱面でも演技面でも良く出ていて、文句なく面白かったです。シモーネは特にドニゼッティとロッシーニの方面のスペシャリストとのことですが、独特のリズム感のようなものが歌い回しに出ていたように思います。やっぱりドゥルカマーラはイタリア人の歌手が歌ってこそ味が出るのだなと聴いていて感じました。

パオロ・オルミ指揮の東京フィルの演奏:
全体に淡々と進めているようで、結構アンサンブルに細かい起伏が与えられていて、音楽が決して一本調子にならず、決めるところは確実に決める、そんな演奏でした。音勢に頼らない構成力など、聴いていて、なかなか味のある演奏だなという感じがしました。コミカルなフレーズでは、その感触をそのまま曝け出すような絶妙な呼吸のフレージングが聴かれたり、このオペラに対する指揮者の理解の深さ、説得力のようなものが率直に伝わってくるようでしたし、東京フィルも、そのあたりの機微を良く掬い取った、巧みなアンサンブル展開を披露していたと思います。

チェーザレ・リエヴィの演出:
何だか観ていて問答無用に面白い演出でした。別に大したことないと、言う人は言うのかも知れないですが、、、

ロビーで購入した公演プログラムに、演出に関してのリエヴィの談話が掲載されていました。それによると、この演出のキーワードは「本」であり、「本」をメタファーとして使い、時代や場所は特定しないで、本のなかで起こる象徴的な世界を創る、という方針にのっとった演出とのことです。

実際、ステージの両脇には巨大な本が3冊ずつ並んでおり、その背表紙には「トリスタンとイゾルデ」の文字が見えます。舞台装置も妙薬「ELISIR」の6文字を、柱や椅子やバルコニー等に見立てたファンキーなもので、まるで本の中の世界を見るような、ファンタジックな景色が展開されていくのです。

これは観ていて、なるほど「本のなかで起こる象徴的な世界」という雰囲気を思わせるものですが、もともとオペラの物語の発端というのが、一冊の本「トリスタンとイゾルデ」であることから、要するに本の中の住人が本の内容に酔いしれている、というメタ構造を帯びた世界が呈示されていることになるのでしょう。

こうして「本のなかで起こる」オペラとして規定されることにより、スペインの田舎の農村という台本の設定に縛られることなく、演出の自由度が増し、やりたい放題に近い演出すらも可能になる、、、このメタ構造には、そんな演出家の意欲が込められているように思うのです。

ただ、それとは別の意図もあるのかもしれない、という気もします。

以下、後日に続きます。

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog
Copyright © クラシックCD感想メモ All Rights Reserved.