スクロヴァチェフスキー/読売日響のコンサート(サントリーホール 3/19)の感想


昨夜のサントリーホール、スクロヴァチェフスキー(以下、ミスターS)/読売日響のコンサートの感想です。

オーケストラ編成ですが、「ドン・ファン」と「ライン」は共に16型で、配置はステージ向かって左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラと並べた変則配置(Vn-Va対向配置)でした。これに対し、「Music for Winds」は弦楽器なしの編成、すなわち管楽器編成にピアノと幾つかの打楽器を加えた形で演奏されました。

最初のリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は、標題音楽というより絶対音楽の雰囲気を感じさせる、純音楽風に丁寧に処理された演奏でした。音勢を幾分か犠牲にしてまでも、リヒャルトの複雑なスコアの、明晰な再現にオケの意識が注がれたような趣きがあり、あたかも精巧なガラス細工を観るような感触があり、その点では傾聴させられました。

しかしながら、この曲の本来の面白さという点では、本質的に絶対音楽ではない以上、やはり標題音楽の領域においてこそ、という気もします。ので、ミスターSの絶対音楽型のアプローチに、いささかの限界を感じないでもありませんでした。要は、この作品はさほど深い内容ではなく、オペラ的な雰囲気でアンサンブルを情緒的に流した方が、より曲想が立つような作品ではないかと、そんな気もするのです。この点、当夜の演奏は、やや生真面目すぎるかなという印象も聴いていて少し感じました。

続く「Music for Winds」はミスターSが昨年に作曲したオーケストラ作品で、これは「19世紀から21世紀(ベートーヴェンからショスタコーヴィチとそれに続く時代)の交響曲に登場する管楽器のための交響曲か協奏曲を書きたい」という構想から作曲された作品であると、当夜の公演プログラムには書かれています。

最初のうちは、何だかマーラーに雰囲気が似ている感じがしたので、ちょっと面喰いました(ミスターSはマーラーを振らないはず)。しかし聴き進むにつれ、どうも似ているのはマーラーではなくショスタコーヴィチの方ではないか、という気がしてきたのでした。

つまり、ショスタコの音楽の剽窃とまでは行かなくとも、どこか似た雰囲気のフレージングが随所に聴かれるように思われたのです。かと思うと、3つのサクソフォンの奏でるパッセージがジャズ風に聴こえなくもないなど、かなり錯綜した感じの音楽だなという印象を受けました。

確かに聴いていて斬新な趣きの、面白い曲だなとは思いつつも、結局どういう曲なのか、その距離感を掴み損ねたというのが率直なところでした。少なくとも本格的な現代音楽として聴くには、少なからず無理があるように思えましたし、さりとてショスタコーヴィチなど特定の作曲家へのオマージュとすると、前述の構想から外れるような気がします。

あるいは、ルトスワフスキやペンデレツキといった、現代ポーランドの音楽として捉えるにしても、作風的に当てはまらないような気がするのです。深刻な部分とアッケラカンとした部分とが、不可分に織り交ざったような雰囲気は、むしろマーラーに近いような気がしますが、しかしミスターSはマーラーを振らない、ということで結局、堂々めぐりとなってしまうのでした。

後半のシューマン交響曲第3番「ライン」は、ミスターSの真骨頂を久しぶりに体感させられた演奏でした。そのアンサンブル展開の目覚ましいまでの充実感もさることながら、全5楽章において、速めの引き締ったテンポから繰り出される入念を極めたアンサンブルのディテールの迫力が素晴らしく、まるでオーケストラを完全に手中に収めたかのごとく、アンサンブル各パートの動きを丁寧に描き切り、その演奏の細密的な表出力には聴いていて圧倒させられるばかりでした。

とりわけ私が驚嘆させられたのは、そのテンポの速さとアンサンブルの稠密性との、絶妙なまでの共存関係で、これほど速いテンポなのに、これほどアンサンブルの細部にまで拘った演奏というのも凄いなと、聴いていて思わされたのでした。

このあたりは、ミスターSの作曲家としての目線の行き届いた演奏と言う方が、むしろ当を得ているような気もします。というのも、当夜のシューマンにおいては、アンサンブル内声部の実在感がコンスタントにものを言い、結果シューマンの「厚塗り」のオーケストレーションが、透かし彫りか何かみたいに、ふくよかな透明感を帯びた様相を呈して立ち現われ、まるでシューマンがオーケストレーションの名手であるかのような「錯覚」をも聴き手に誘発させる、そんな演奏でもあったからです。

さらには、アンサンブルの内声部の捌き方が堂に入っているため、それが高声や低声に埋もれるどころか、局面によっては内声が恐るべき存在感を纏って高声・低声を脅かすという、独特の遠近感が耳を捉え、それがゾクゾクするような新鮮な趣きを投げかけもしました。

このようなスタイルであってみれば、シューマンの4曲のシンフォニーの中でも、特に「ライン」が最も適合するように思われるのです。というのも、4曲中で最も雄大かつ荘厳な曲想を有する「ライン」においては、どっしりと構えた楽想ゆえに、深く掘り下げれば掘り下げるほど、情報量の多いアンサンブル展開における細密的な表出力が映え、ひいては音楽としての奥行きも深まっていくように思われるからです。

再びテンポの話に戻りますが、全編に推進的な、速めのテンポが維持されました。もったいぶった遅めのテンポなど自分には不要と、言わんばかりの確信すら感じられる、このテンポ設定にもミスターSの強固な主張が見え隠れしました。

むしろ、このテンポだからこそ意味があると、そう主張しているように思えたのです。86歳という巨匠指揮者なのに、テンポを落として「巨匠風の構え」を強調し、などということは全く考えない、その潔さが聴いていて何とも痛快でしたし、同時に音楽としての切実な訴えかけ、ハッタリではない強い真実味を、そこに聴いたような気がしたのでした。

このシューマンを、ミスターSは暗譜で指揮しました。前半の自作の曲ではスコアを食い入るように見ながらの指揮でしたので、そのあたりの光景の対照も私には少なからず印象的でした。

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