引き続き、リヒテルによるバッハ・平均律クラヴィーア曲集全曲のインスブルック・ライヴ


J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻・第2巻
 リヒテル(pf)
 Poloarts 1973年ライヴ CL4B860802
CL4B-860802

昨日に引き続いて、スヴィヤトスラフ・リヒテルによるバッハの平均律クラヴィーア曲集「インスブルック・ライヴ」に関してですが、昨日の第1集に続いて今日は第2集の方の演奏を一通り聴きました。

これで2日掛けてCD4枚の全48曲を耳にしましたので、私なりに思うところを書いてみたいと思います。

まず音質ですが、昨日も書きましたように、セッション録音の音質との違いに最初は面食らいました。

ザルツブルクのクレスハイム宮殿で録音されたセッション録音の方は残響感の強さが大きな特徴でしたが、インスブルックのヴィルテン修道院付属教会で録音されたインスブルック・ライヴの方は、本当に教会なのかと言うくらいに抑制された残響感で録られていて、個々のタッチの放つ音価の減衰率がセッション録音よりも際立って高く、それこそスタジオ録音なみのクリアーな輪郭で演奏が捕捉されているのです。

続いて私が面喰ったのがリヒテルのアプローチで、全体的にセッションでの演奏よりも一回りアグレッシブというのか、緩急強弱の起伏を相対的に大きく取り、セッションでの瞑想的な雰囲気とは離れた、むしろ表現主義的なバッハが披歴されていたのでした。

そして、このインスブルック・ライヴは、聴いているうちに何だか怖くなってくるような演奏なのです。超絶的なテクニック、強靭な打鍵、硬質にして透徹したタッチ、厳しくも内省的な音色、いずれもセッション録音で披露されているリヒテルならではのピアニズムの特性が、このライヴにも存分に聴かれるのですが、上記のような音質の違いと、表現の取り方の違いとにより、それらの凄味が増幅されて途方もないインパクトを帯びたものとして立ち現われてきたのでした。

また同時に、バッハの音楽の中に内蔵されている、多様なニュアンスや情緒(喜怒哀楽の一歩手前とでもいうべき、曖昧模糊とした)に聴いていて不意に胸を打たれる、そんな演奏でもあると思います。

というのも、もともとリヒテルの弾くバッハは、作品と同化するようにピアニズムを構築するというより、むしろ自身の枠組みに作品を再構築して掛かるというアプローチであって、そのデュナーミクの広いレンジ、積極的なアゴーギグの活用、明暗や硬軟の多彩なタッチの表現など、バッハというよりロマン派の音楽に近接した雰囲気をまとわせているのですが、それがセッションよりも一層に推し進められている、という感じがするからです。

そのあたりの、「バッハの知」と「リヒテルの情」との、抜き差しならないせめぎ合いこそが、このライヴの真骨頂ではないか、そんな気もします。

とはいえ、昨日も書いたとおり、このインスブルック・ライヴの方がセッション録音を凌いでいるとは、私には一概に思えません。

というのも、リヒテルが1972年から73年に掛けて録音した、かのバッハ平均律全曲のセッション盤には、その独特の残響特性と、リヒテルならではのピアニズム、ことに個々のフレージングに対する吟味と研磨の際立った度合いとの、幸福な融合により、聴き手を深い思索の境地へ誘うような佇まいがあり、それゆえに聴いていて深いところで癒される思いのする演奏であるからです。

つまり、あくまで私の印象において、インスブルック・ライヴは前述のように、聴いているうちに何だか怖くなってくるような演奏であり、そしてセッションの方は、聴いていて深いところで癒される思いのする演奏であり、この両演を単純に対比して、どちらが優れているとか凌いでいるとかいう考えは、何かズレているというか、ナンセンスなように思われてなりません。

いずれにしても、このインスブルック・ライヴは、セッションとは別の方面において、モダンピアノによるバッハ平均律の表現としての1つの究極の地点を伺わせる超絶的な演奏であり、他のピアニストには容易に真似のできないような独特のスケール感と、汲めども尽きない泉のような深い内面性とを兼ね備えた、驚異的なバッハというのが率直な感想で、この掛け替えのない演奏をこうして耳に出来たことは私にとって大きな僥倖でした。

なお、もう少し書き足したいことがあるので、後日に続きます。

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