引き続き、小山実稚恵とカスプシク/シンフォニア・ヴァルソヴィアによるショパンのピアノ協奏曲集


ショパン ピアノ協奏曲第1番・第2番
 小山実稚恵(pf) カスプシク/シンフォニア・ヴァルソヴィア
 ソニー・ミュージック 2009年 SICC10090
SICC10090

昨日の続きですが、結局まとまり切らずでした。

ところで、本CDの演奏の使用楽譜には、ヤン・エキエル校訂ナショナル・エディションという、特殊な版が使われています。ライナーノートにいわく、「2005年にポーランドで刊行された校訂で、日本でこの楽譜を使って録音されるのは初めて」とのことですが、例えば第1協奏曲の第1楽章(6:38)からのピアノパートの第2テーマの前に、聴いたことがないような即興的なフレーズが聴かれるなど、聴いていて普通とは少し違う演奏だなという感じがしました。もっとも、従来版との具体的差違に関する言及はないので、どこまでがピアニスト独自の表情付けで、どこまでがスコアの指示なのかは、聴いていて判然としません。

そのあたりの版の新規性と関係するか否かは正直よく分らないですが、ここで聴かれるピアノ演奏においては、ある種の名人芸の発揮というか、技巧の誇示といった、言うなれば押し付けがましいような表情の強さがあって、そのあたりが私には最後まで引っ掛かったのでした。

この点、私が最近聴いたショパンのCDで深い感銘を与えられたものとして、ちょうど本CDと同時期にリリースされた、仲道郁代のショパン・アルバム(ショパニズム)が思い出されるのですが、その仲道郁代のショパンの感想として、「そのピアニズムというのは、盤石のテクニックにより幾つかの難所を魅力的に引き立たせる華を感じさせる演奏であったりもするのですが、むしろ彼女の幅広い表現力からは、どの曲ひとつとっても、聴いていて歪みの無い作品本来の美しさというものが、仮借なく描き出されている点に真価があるように思われる」という風にブログに書きました。

その仲道郁代の演奏を現時点で思い返すと、そこにはある種の表情の絶妙な抑制というか、含羞、慎ましさのようなものがあって、それが聴いているうちにジワジワと効いてきたのではないか、というように思えるのです。

ひるがえって小山実稚恵のショパンですが、その演奏を聴いていると、どうも「自分はこんなにショパンを上手く弾けるんだ、演奏技術が目覚ましいのだ」、という強烈なまでの自己アピールの度合いが、場面によっては聴き手の感興の高まりを阻害してしまうようなこともなくはないのではないか、という風にも思えるのです。

ただ、使用楽譜の件もありますし、ピアニストの主観的には必ずしも強烈アピール型の演奏を意識したアプローチではないのかもしれないですが、少なくとも演奏を聴いた印象としては、そういう感じに聴こえなくもなくて、そのあたりの微妙な気配から、これほど素晴らしいショパンなのに意外に感銘の度合いが伸びないという、むず痒い感覚が聴き終えて少しだけ残留したような、そんな気がしたのでした。

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