新国立劇場のワーグナー「ジークフリート」の感想


昨日(2/14)の新国立劇場のワーグナー「ジークフリート」を観ての感想ですが、今日は時間切れで書き切れなかったので2回に分けます。

まず歌手とオケの印象から個別に。

ジークフリート役クリスティアン・フランツ:
新国立劇場とは7年前のプロダクション初演時からの繋がりがあるとはいえ、本場バイロイトの「リング」で昨年ジークフリートを歌った歌手が、その同じ役を歌うのを、こうして実演で耳に出来るのですから、その点は素直に有り難いという気持ちでした。

とはいえ昨日の歌唱は、、、残念ながら彼のベスト・コンディションではなかったようにも思えました。高音域を中心に安定感のある歌唱が聴かれたものの、全体として思ったより声が飛んでこない感じでしたし、特に第1幕と第2幕は中音域の発声に重さが乗り切らない、軽い感じの歌唱に終始した感があり(第3幕では相当に盛り返した感じでしたが)、英雄ジークフリートとしては少々ひ弱かなという印象も聴いていて随所に感じられたのでした。

しかし、それはおそらく彼の歌唱力云々というのではなくて、むしろ演出上の制約から、そういう風に歌わざるを得なかったのではないか、という風に思えます。

というのも、この演出ではジークフリートは随分と「軟弱な」英雄像として規定されていて、例えば剣を刺したファフナーの容体を心配するような仕草をしたり、殺害したミーメの死を必要以上に悲しむような仕草をしたり、ヴォータンの槍をへし折った際にヴォータンが倒れないように支えるような仕草をしたりと、少なくとも非情には程遠い、むしろ優しい性格の持ち主として設定されているので、そういう性格設定に歌唱の様式も多少なり引き摺られるような形となっていたようにも思えるのです。

そういう意味で、こと演出的な面に対しては良くフィットしていたジークフリートではあったのですが、純粋な歌唱面では聴いていて少し不満も残った、というのが率直な感想です。

ブリュンヒルデ役イレーネ・テオリン:
イレーネ・テオリンを聴くのは、一昨年の新国立劇場「トゥーランドット」で外題役を歌ったのを聴いて以来です。その時は凄いドラマティック・ソプラノだなと、聴いていて感心させられたのを覚えていますが、今回のブリュンヒルデはトゥーランドットと違って終盤のみの局地戦ということもあり、前回以上に彼女の本領に迫ったような歌唱が披露されたように思います。高音域の澄んだ美声と危なげない歌唱力をベースに、ここぞという時に突き抜ける凄味を湛えた超高音が素晴らしくて感嘆させられました。

さすらい人(ヴォータン)役ユッカ・ラジライネン:
ラジライネンのヴォータンは今回はじめて聴きました。印象的には可もなく不可もなく、という感じで、突出した個性味はないものの技術的には手堅くて隙がなく、何となくヴォータンを歌い慣れているような感じもしましたし、演出に要求される細かいニュアンスにも良く対応した、クレバーな歌唱ぶりと映りました。正直もう少し貫禄のあるヴォータンも聴きたい気もしたのですが、ジークフリートと同様、演出とも絡みから難しかったのかも知れません。

エッティンガー/東京フィルの演奏:
私の印象だと第1幕と第2幕が総じて低回気味で、逆に第3幕の鳴り具合が秀逸という感じでした。それも徐々に持ち直したとか、尻上がりに良くなったとか言うのでなく、何か第3幕に入るやギアチェンジしたみたいにスコンと良くなった、という風に思えました。

その第1幕と第2幕ですが、聴いていて気になったのが、オーケストラが時々ガクンとテンポを落とす場面があって、それが音楽的に考えると「何故この場面で?」というような不自然なところ(例えば第1幕でミーメがジークフリートに両親の話を語って聞かせる途中とか)で聴かれた点です。

これはおそらく演出に引き摺られて、そういう動きになったのではないか、という気がします。何しろコミカルな演出ですので、そのコミカルな味を強調するために、テンポを必要以上にうねらせるということが割りと頻繁に(特に第1幕と第2幕で)行われていたように思えたからです。

特に第1幕ラストの「鍛冶の歌」のシーンでのオケの迫力の弱さなど、聴いていてビックリしたくらいでしたが、あの場面のステージ上で展開されていたコミカルな光景を考えるなら、あの音響的さじ加減は、ある意味でジャストフィットかも知れないという気もするのです(逆に第3幕は、そういう演出的なコミカル性が相対的に希薄だったため、オーケストラが「本来の」演奏に集中できた、というような気が、、)。

つまり演出との関係で捉えるなら、オケの演奏は大健闘だったとも思われるのですが、演出と切り離した純粋な鳴りっぷりとか、響きの充実感とか、そういう面で捉えるならそれなりに不満の残る演奏、というのが率直な感想です。

演出について:
ロビーで購入した公演プログラムに目を通したのですが、やはりというか、演出についての記載が全く無いですね。新製作ではないにしろ、これだけ大胆不敵な演出内容にしては、ずいぶん不親切に突き放したものだという感じを受けます。要するに「自分で考えなさい」ということなのでしょうか。

昨日も書きましたが、このプロダクションのキース・ウォーナー演出に関しては、私は正直それほど共感が持てません。

それは例えば「リング」には重厚な演出こそ相応しいだとか、軽いノリを強調した雰囲気の演出はストーリにそぐわないからダメだとか、そういう話では全然なくて、もっと根本的な部分で、この演出には好感が持てないのです。

その演出ですが、印象を一言でいうなら「意表を突いたユーモアとジクソーバズル的な謎かけとで構築されたマンガ的な演出」という感じでしょうか。

まず第1幕冒頭の舞台上に表示された「ハイルミーメ」というのが「ニーベルハイム」の文字を並び替えた細工という、一発ギャグのようなユーモアを披露して幕が開きます。そこで観客には「赤色がヴォータンで緑色がアルベリヒ」という、ジクソー的な謎かけの「鍵」が与えられ、それに従い「ここは舞台が赤だからヴォータンの勢力が強くて、、」などと思いつつ観ていくことになるのです。

全編でステージの基調となっているのはマンガさながらのユニークかつファンキーな光景。例えばノートゥングの鍛冶がキッチン・クッキングに置き換えられていたり、ミーメがコスプレよろしく衣装を頻繁に変えたり(クイズ番組の司会者→学者→コック)、第2幕の森のささやきの場面でジークフリートが「父さんに会いたい」と言うとジークムントが着ぐるみから顔を出し、「母さんの顔が見たい」というとジークリンデが着ぐるみから顔を出したり、ファフナーとの戦いが8人のゾンビ?とのチャンバラに置き換えられてたり、など例示するだけでも枚挙に暇がないくらいです。

これは確かに、無類に面白い演出であることは間違いないですし、観ている時には面白くてしょうがないという気にもなる、楽しい演出とも思うのですが、結局そこから伝わってくるもの、ひいては演出として最終的に言わんとすることの正体が私には掴めないから、観終わった後に何だか視界不良な面持ちになってしまうのです。

続きは後日に書きます。

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