ティーレマン/バイロイト祝祭管によるワーグナー「ニーベルングの指環」全曲より「ジークフリート」


ワーグナー 楽劇四部作「ニーベルングの指環」全曲より
「ジークフリート」
 ティーレマン/バイロイト祝祭管弦楽団
 オーパス・アルテ 2008年ライヴ OACD9000BD
OACD9000BD-3

クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭管弦楽団の演奏によるワーグナー「ニーベルングの指環」全曲CDにつき、先週の「ワルキューレ」に続いて今日は「ジークフリート」を一通り聴きました。

この四部作の第二夜「ジークフリート」全曲の歌手は、以下のような陣容です。

 ジークフリート:ステファン・グールド
 ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン
 ミーメ:ゲルハルト・ジーゲル
 さすらい人(ヴォータン):アルベルト・ドーメン
 アルベリヒ:アンドリュー・ショア
 ファフナー:ハンス=ペーター・ケーニヒ
 エルダ:クリスタ・マイヤー

オーケストラや音質に関しては、この「ジークフリート」も先週の「ワルキューレ」までと概ね同様の印象ですので、特に繰り返すことはせず、今回は主に主要な歌手に的を絞って印象を書きます。ただ、ブリュンヒルデについてだけは、次の「神々の黄昏」方に譲りたいと思います。

まず外題役ステファン・グールドですが、その歌唱に耳を傾けると、中音域において屈強な声質を備えている上に、高音域の朗々たる歌唱力も素晴らしく、ここぞという時には高音が見事に突き抜けてきますし、やはり純粋なヘルデンテノールとしての歌唱力には目を見張るものがあり、この役をバイロイトで歌うだけの実力のある歌手だなと聴いていて納得させられます。

ですが、ここで披歴されているグールドの歌唱というのは、正直に言って私の抱いているヘルデンテノールのイメージからは、多少ズレるかなという印象も受けます。

それを一言でいうと、超人的な英雄ジークフリートというよりは、むしろ人間的なスケールでの豪傑ジークフリート、という雰囲気とでも言うべきでしょうか。つまり、歌唱のスケール感において、例えば往年のヴォルフガング・ヴィントガッセンとか、あるいはルネ・コロといった、生粋のヘルデンテノールの発散させていた超人的な雰囲気が、あまりグールドからは感じられない、という風に思われるのです。

もっと言うなら、私は本CDを聴いていて、グールドのジークフリートが、どうにもヴェルディの「オテロ」に重なって聴こえてしまうのでした。

それはなぜかと言うと、私は昨年の秋に新国立劇場でヴェルディの「オテロ」を観劇したのですが、そこで外題役を見事に歌い切ったのがグールドでしたので、そのイメージが今だ私の頭に、それなりに強くあり、その印象に引きずられているような形になっているからです。

もちろん、それは単なる先入観に過ぎないのですが、しかし仮に私が件の「オテロ」を観なかったとしても、やはり同じような印象を感じるのではないか、という気もするのです。

要するに、ステファン・グールドが「オテロ」をレパートリーとするヘルデンテノールであるという「事実」そのものが、私には良くも悪くも印象的なのでした。

というのも、生粋のヘルデンテノールであれば、「オテロ」は歌わないのではないかと私には思われるからです(私にはヴィントガッセンやコロの歌う「オテロ」を想像できない)。

その意味では、グールドの歌うジークフリートは、むしろドミンゴのそれに近いような気もするのです。稀代の「オテロ」歌いドミンゴは、キャリアの晩年にワーグナーの方面へ進出し、ヘルデンテノールとして活躍したことは周知の通りですが、そのイメージに近いものを私はグールドの歌唱に対しても感じました。

その線で捉えてみると、少なくともドミンゴよりは、ワーグナー歌いとして全体的に板に付いているというか、サマになっているというか、そんな感じがします(逆に「オテロ」においては、グールドはドミンゴには及ばないと思います)。

そういうわけで、以上のようなグールドの披歴するジークフリートを、私は新鮮な面持ちで聴き入ったのでした。これを一概に新しいジークフリート像だとか、21世紀のヘルデンテノールだとして捉えようとは思いませんし、それはむしろ危険だと思うのですが、少なくとも私が今まで録音で耳にしてきたジークフリートの歌唱様式とは、良い意味でも悪い意味でも一味ちがうな、というのが率直な印象になります。

さすらい人(ヴォータン)役のアルベルト・ドーメンは全体として安定した低域の重みを披歴しつつ、力強い声に練達の抑揚を絡めて、すこぶる威厳のあるヴォータン像を創造せしめていて、その点では率直に感嘆させられます。さすがに当代随一のヴォータン歌いとされる歌唱なのですが、例えば往年のホッターのような、鷹揚たる歌唱からスケール豊かな表情を聴かせるヴォータンからすると、全体的に技巧が目に付き過ぎるというか、力を込める場面と流す場面とを良くわきまえた、硬軟織り交ぜての老獪な歌唱ぶりで長丁場を乗り切っている、という印象もあり、そのあたりは良くも悪くも、ということになってしまうようです。

他の歌い手に関しては、アルベリヒ役アンドリュー・ショア、ミーメ役ゲルハルト・ジーゲルなど、全体的に突き抜けた個性で聴かせるというより、アンサンブル重視のオーソドックスな様式で安定感のあるワーグナーを聴かせる、というスタンスが伺えるような手堅い歌唱だと思います。ある意味、ジークフリートおよびヴォータンの引き立て役に徹している、という形にも見えますが、それはシナリオ的にも妥当ですし、こういうあたりこそ、むしろバイロイトの地力というべき側面かも知れないと、聴いていて思いました。

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