カルロス・クライバーとリヒテルの共演によるドヴォルザークのピアノ協奏曲


ドヴォルザーク ピアノ協奏曲
 リヒテル(pf) C・クライバー/バイエルン国立管弦楽団
 EMIクラシックス 1976年 TOCE-3044
TOCE-3044

「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(上)」で言及されているクライバーの(オペラ以外の)正規録音につき、連日ブログで取り上げているところですが、その最後として、今日はリヒテルと共演したドヴォルザークのピアノ協奏曲について書きます。

《椿姫》の最初のレコーディングが終った直後、クライバーはふたたびバイエルン州立歌劇場管弦楽団とスタジオ入りすることになる。今回はEMIとの録音だった。独奏者との妥協点を見つけだすのが非常に難しいカルロス・クライバーだが、今回は売れっ子ピアニスト、スヴァトスラフ・リヒテルと、アントニーン・ドヴォルザークのピアノ協奏曲ト短調作品三三を録音することになった。
               (以上、評伝のP.460)


なお上記引用文中に「独奏者との妥協点を見つけだすのが非常に難しいカルロス・クライバー」とありますが、これはミケランジェリとのベートーヴェン「皇帝」の録音が頓挫した事件を受けての記述のようです(P.347-352)。

ところで評伝によると、この録音と同じ時期に、クライバーの指揮によるワーグナーの「リング」全曲録音という、驚異的なプロジェクトの契約交渉がEMIにより密かに進行していて、クライバーの確約を得る直前まで話が進んでいたそうです。しかし最終的には惜しいことに、ミケランジェリとの「皇帝」同様、やはり頓挫してしまいます。

クライバーは不運な状況にはまり込む。リヒテルとの共演を打診された時は喜びで我を忘れるほどだったのに、ドヴォルザークのピアノ協奏曲を録音するという提案を知り、はじめの感激に一抹の不安がかげる。だが、クライバーはリヒテルのためにそれを受け入れた。リヒテルは、チェロ協奏曲やヴァイオリン協奏曲に比べ、つねに影のような存在であるこの協奏曲をレパートリーに加えており、初演から百年経つ1976年に録音したいと考えていた。・・・カルロス・クライバーは、ドヴォルザークを高く評価していたが、劇的な交響曲第九番ホ短調などの作品に比べると、単なる狂詩曲的なピアノ協奏曲は取るに足らないもののように思われた。市民ピアノホールでの録音セッションは1976年6月18日から21日まで行われたが、なかなかうまくゆかなかった。・・
               (以上、評伝のP.462~)


このあとに続いて、リヒテルとカルロスとの録音をめぐる意見の対立と、そのことによる両雄の丁々発止のやり取りが掲載されていて興味深いのですが、要するにクライバーにしては必ずしも乗り気でなかった録音、ということのようなのです。

読んでから、改めて当該録音に耳を傾けてみると、なるほどリヒテルのピアノ・ソロとクライバーの管弦楽伴奏との間に、多少の温度差のようなものが透けてみえるか、という気もするのですが、そもそも当評伝を読む前に、このドヴォルザークの録音につき私がどう思っていたかと言うと、確かに素晴らしい演奏だと思いつつ、クライバーの演奏展開としては、少し違和感があるような気もしていたのです。

それはただ、これがクライバーの録音で唯一EMIからのリリース盤なので、このレーベル特有の彫りの浅いトーンの傾向から、そう感じるだけで、実際は凄い演奏なのだろうなということは全く疑いませんでした。

だから、今回クライバーの評伝を読んで、そうだったのかと感じるところも多かったのですが、結局このドヴォルザークは、ことクライバーの演奏ポリシーにおいては、彼の一連の録音の中で、本当に例外中の例外だったのですね。これだけ素晴らしい演奏であるにも関わらず、、

「リヒテルがどう反応するか、クライバーにはわからなかったようで、まったく妥協というものがありませんでした。彼は器楽奏者の伴奏には向いていなかったのだと思います。」とはいえ、この録音の批評が賛辞に埋め尽くされたことは、ここ数年の録音と変わらなかった。リヒテルは、さらにクライバーと、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音したいと願ったが、クライバーはそれを望まず、結局《ばらの騎士》へと戻っていった。・・・
               (以上、評伝のP.464)

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