インマゼール/アニマ・エテルナによるベルリオーズの幻想交響曲


ベルリオーズ 幻想交響曲、序曲「ローマの謝肉祭」
 インマゼール/アニマ・エテルナ
 Zig-zag 2008年 KKC5074
KKC5074

ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナの新譜として先般リリースされた、ベルリオーズ・幻想交響曲のCDを聴きました。

ベルリオーズ「幻想」のピリオドアンサンブルによる演奏としては、かなり前にノリントン、ガーディナーの両盤がリリースされていますし、ピリオド楽器とモダン楽器を折衷した演奏様式に拠るミンコフスキの録音もリリースされていますが、そんな中で鬼才インマゼールが、このベルリオーズの名作に対し、どのようなアプローチをするか興味深く、さっそく聴いてみました。

その印象を一言でいうと、これは成熟を極めたピリオドアンサンブルの演奏による、驚異的に煮詰められた「幻想」であり、その作品の「再現」に対する突き詰めの度合いが半端でない、そんな演奏なのですが、それでは掛け値なしの名演だと思うのかと言うと、それには正直に言って留保をつけざるを得ない、そんな演奏でもあるのです。

まずライナーノートに目を通すと、この「幻想」をインマゼールとアニマ・エテルナが演奏するにあたり、いかに彼らが、この作品の演奏された当時の楽器の再現に拘ったか、が実に良く伺われます。

アンサンブル編成のうち、トロンボーンだけは当時の楽器で使用可能な状態のものが見つからなかったため、18世紀のトロンボーンで代用したそうですが、それ以外は万全ともいうべき再現ぶりで、オフィクレイドやピストン・コルネットといった特殊楽器も当たり前のように使われていますし、終楽章の「鐘」に到っては、インマゼールがベルリオーズ自身のスコアへの書き込みと、当時の演奏環境から総合して判断した結果、「ベルリオーズが本物の鐘を用いたことはありえない」という結論に達し、この演奏では鐘の代わりに、何と「ピアノ」が用いられているのです。

少なくとも以上を読んだ時点においては、私は先日ミクロコスモス弦楽四重奏団によるバルトークの弦楽四重奏曲全集の新譜を聴いた時と、ほぼ同じようなことを感じました。つまり、表面的に当時の編成を再現したからといって、その演奏が必ずしも素晴らしいということにはなりませんが、ここでのインマゼールとアニマ・エテルナの場合は、その度合いが半端でないので、その過程で作品研究を通した作曲家との、意識レベルでの深い交流が図られることになり、結果その演奏自体に絶大な説得力が還元されるのではないか、ということなのです。

ところが、いざ演奏に耳を傾けてみると、全体的に音楽の精彩が今一つ振るわず、その表情としても中庸の印象という域を出ず、少なくともミクロコスモス四重奏団のバルトークさながらに、演奏を聴きながら私の意識が作品の深部へとグングン入り込んでいき、果てには作曲家ベルリオーズその人の意識までもが聴いていて生々しく伝わってくるような、そんな感覚を味わうには、かなり程遠いような演奏であったと言わざるを得ませんでした。

それが一体どうしてなのか、に関しては、すみませんが今日のところは、私の考えがまとまるに到りませんでした。

ですので、もう一度そのあたりの考えを整理した上で、後日、このインマゼール/アニマ・エテルナの「幻想」に関する私の感想を改めて書いてみたいと思います。

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog
Copyright © クラシックCD感想メモ All Rights Reserved.