内田光子の1991年サントリーホールでの演奏会のライヴ


内田光子の1991年サントリーホールでの演奏会のライヴ
 内田光子(pf)
 フィリップス 1991年ライヴ PHCP-3464/5
PHCP-34645

さる24日にサントリーホールで聴いた内田光子のピアノ・リサイタルにつき、一昨日その感想を掲載したところですが、その感想の中で、最初に弾かれたモーツァルトのロンドK511に関し、私は「内田光子はこの曲を、83年と91年に録音しているのですが、当夜の演奏は明らかに再録音の方に近い」という風に書きました。

今日は、そのあたりの補足を少しだけ書きたいと思います。

その91年の録音というのが本ディスクで、内田光子が1991年5月にサントリーホールで行ったリサイタルの演奏がライヴ収録されています。この時の演目はオール・モーツァルトで、ピアノ・ソナタ第14番、15番、17番、18番などが弾かれているのですが、その中に「ロンドK511」が含まれています。

これに対し、83年の録音というのは以下のスタジオ録音を指します。

412122-2
モーツァルト ロンドK511、ピアノ・ソナタ第15番・第18番
 内田光子(pf)
 フィリップス 1983年 412122-2

これは内田光子が、ピアニストとしてのキャリアの初期に成し遂げた、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集に含まれる録音になります。

以上2つの「ロンドK511」の録音につき、私は今週のコンサートに行く前に耳を通しておいたのですが、少なくとも同じようには弾かれていないという事実を認識しました。というのも、再録音の方が明らかに即興的な揺らぎを意識したような表情の度合いが強く披歴されているからです。

それが良く伺えるのは、例えば中盤に出てくるシチリア風のイ長調のメロディなのですが、再録音の(4:43)から聴かれるメロディは即興的に崩された趣きが強いのに対し、初録音の同一箇所(4:58)から聴かれるメロディは、ほとんど型どおり、スコア通りであり、少なくとも再録音での、崩されたようなフレージングの印象は感じられません。

その少し前、再録音の(3:31)あたりのクレッシェンドにしても、初録音での同一箇所(3:41)あたりと比べると、かなりスピード感が違いますし、他も含めて、全体的に再録音の方が、初録音よりも、演奏が活き活きとしているというか、スコアの制約を必要以上に強調せず、むしろピアニストとしての自由なイマジネーションから来る感興のたゆたいを前面に押し出した表情が形成されているという感じがしますし、演奏全体の訴えかけの強さにしても、初録音よりも一回り高い水準にあると私には思われてなりません。

逆に言うと、初録音は、スコアに誠実で、完成度も高く、その限りで確かに、全体的にモーツァルトに対する深い敬意が露わにされた表現とも言えるように思うのですが、それだけに独自性のある表情造りという点では必ずしも十全とは言い難く、いわば規範的なアプローチの範囲内でベストを尽くした演奏であるように思われます。

以上、一昨日の感想の補足でした。先日聴いた内田光子の実演は、この91年の演奏以上に、独自性というか、ピアニストとしての自我の強さのようなものが、より打ち出された行き方だったのですが、それが却って、モーツァルトの音楽の呼吸に絶妙にフィットするかのようでした。もし今、内田光子がモーツァルトのピアノ・ソナタ全集を再録音したなら、少なくとも前回の全集とは少なからず趣きを異にした、とても奥行きのある演奏になるのではないでしょうか。

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