バイエルン放送交響楽団来日公演の感想(後半のワーグナーについて)


一昨日のサントリーホール、バイエルン放送交響楽団来日公演の感想の続きですが今回はコンサート後半に演奏されたワーグナーについてです。オーケストラ配置は前半と同じシフトでしたが編成は16型に拡大されました。

まずタンホイザー序曲で始まりましたが、ややリミッターの掛かったような前半のドボコン(それでも十分に厚ぼったくて重量級でしたが)での鳴りとひき比べても見違えるばかりのズシリとした質感とギッシリとした密度感、それに法外なまでにダイナミックな音響的迫力が披歴され、いきなり度肝を抜かされました。

まさにワーグナーこそ我らが本領と言わんばかりに水際立ったアンサンブル展開から繰り広げられる、重厚壮麗を極めたような響きがホールを満たし、続くジークフリートのラインへの旅と葬送行進曲(ホルンの豪快なこと!)、ワルキューレの騎行(トランペットの濃厚な鳴りっぷり!)、そしてアンコールのローエングリン第3幕への前奏曲(勇壮無比なトロンボーン!)まで含め、このオーケストラにはそれこそワーグナーの精神が宿っているのかとまで思われた瞬間が何度あったかと思うくらいでした。

そして、この演奏はひとえにヤンソンスの練達の指揮とオーケストラの並はずれたポテンシャルとから必然的に導かれた結果なのだなという認識に到りました。まずはオケの配置パターン(ヴィオラがステージ向かって右の客席正面側に置かれた)ですが、この配置の狙いというのはヴィオラを重視すること、いわば内声重視かつ中音域重視にあると考えられますが、私が当夜のワーグナーを聴いて感心させられた特徴のひとつがまさにそれで、いわば異常なまでの内声の浮き上がりぶりと中音域の圧倒的な充実感です。もともとバイエルン放送響はドイツのオケの中でも際立って重量感が豊かで、ことにバスの強さなどはすこぶるつきですが、ヤンソンスは敢えてハーモニーの内声ならびに中音域を重視するという意識をアンサンブルに浸透させることにより、すこぶる立体的なハーモニーをアンサンブルからひねり出したのではないかという風に思えます。

いまひとつは、このオーケストラの底知れないポテンシャルに関してですが、とにかく聴いていてアンサンブルが安定無比であり、どんなにテンポが速まっても些かも線がぶれず最強奏においてさえ個々のフレーズが微塵も揺るがず、逆に最弱奏においてさえ揺るぎないフレージングの定着感があり、つまりはアンサンブルとしての圧倒的なまでの求心力というか一体感が比類ないのでした。

この点、私は昨年の今ごろ同じホールでサイモン・ラトル率いるベルリン・フィルの来日公演を聴いたのですが、そこでは各奏者のテクニックの呆れるほどの上手さに聴いていて惚れぼれしたことを覚えていますが、当夜のバイエルン放送響は各奏者が個別に上手いというよりはオケ全体がべらぼうに上手いというのか、それ自体がひとつの楽器かと思われるくらいにアンサンブルが高められていて、それがヤンソンスのタクトに対して機敏に反応し切るという按配でした。

この圧倒的なワーグナーにおいてわずかに画竜点睛を欠いたと思われた点は全体に表現上の新機軸や意外性が足らなかったことでしょうか。これは最近聴いたCDでも感じたのですが、ヤンソンスの指揮はアンサンブルを秩序立てて豪快に鳴らせることにかけては本当に素晴らしいのに、こと自己主張としての強烈な個性の刻印となると意外に大人しくなる憾みがあり、そのあたりは何か勿体ないような気もしてしまいました。

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