スクロヴァチェフスキー/ザール・ブリュッケン放送響によるブルックナー交響曲第9番


ブルックナー 交響曲第9番
 スクロヴァチェフスキー/ザール・ブリュッケン放送響
 エームス・クラシックス 2001年ライヴ BVCO38015
BVCO38015

今日はスクロヴァチェフスキー指揮、ザール・ブリュッケン放送響によるブルックナー・交響曲第9番のライヴCDを聴きました。

購入してからもう数年は経ち、これまで幾度か耳にしてきたCDですが、先月スクロヴァチェフスキーが読売日響を指揮した同曲の実演で、多大な感銘を覚えたこともあり、同指揮者のブル9の録音を久しぶりに聴いてみたくなって、プレイヤーに掛けてみました。

ミスターSことスクロヴァチェフスキーの指揮によるブルックナー・交響曲第9番の録音は現在まで2種類あり、ひとつがこのザール・ブリュッケン放送響とのライヴ盤、もうひとつがミネソタ響とのスタジオ盤ですが、ミネソタ響とのものは、クセのある音質と、オーケストラのぎらついたアンサンブル特性が音楽としての深みを削ぎ、あまり感心できない印象だったのに対し、こちらのザール・ブリュッケン放送響とのものは、ミスターS熟達の演奏展開、クセのない素直で良好な音質、アンサンブルの質実剛健な響きと3拍子揃っていて申し分ない感じです。

もちろん一般にも評価の高い演奏ですし、私などが今さらどうこう言うこともないのかも知れませんが、全体に音楽の輪郭を鮮やかに描き切ったかのような、精緻を極めるアンサンブル運用に加え、どんな強奏時においてもハーモニーが澄んだ美しさを保持した、精妙な透明感があり、それでいて響きの力感も高く、迫力的にも素晴らしいなど、さすがに熟達の演奏展開だと、聴いていて納得させられてしまいます。

もっとも、このミスターSのブル9は、かなり個性的な一面もそれなりに強く出ていて、造型的には必ずしもオーソドックスではなく、そのあたりに、聴き手によっては抵抗を感じることがあるかも知れません。

私の場合も、この録音を初めて聴いた時に、何かヘンテコな印象を、少し感じたのも事実です。例えば第1楽章だと、第1テーマ強奏提示後の(2:58)あたりのリタルダンドは少し大袈裟ではないかとか、展開部の中盤(11:05)からの唐突なテンポ変化は奇異ではないかとか、再現部突入時に猛烈なアッチェレランドを仕掛けるあたり(13:20)など、効果を狙い過ぎではないかとか、そんなようなことが頭によぎった覚えがあります。

ところが、先月ホールでミスターSのブル9を耳にした際には、これらの運用に近い表現が披歴されたのにもかかわらず、変だとか奇異だとか、そんな印象を抱くのも忘れて、演奏自体の圧倒的な感銘に心地良く身を委ねていた自分を図らずも発見しました。

結局これは実演と録音との間の、どうにもならない間隙とでもいうべきもので、要するにホールで実演を目の当たりにする時には、家でCDを聴くような冷静で客観的な面持ちでは到底いられなくて、特に演奏自体が素晴らしいケースに到っては、その臨場の実在感自体が、細かい部分がどうこうという視点よりも、演奏と自分とがホールを媒介に一体化したような途方もない快感をもたらしてくれる、そんなコンサートならではの醍醐味を私に満喫させてくれたのが、先月のミスターSのブルックナーに他ならないものでした。

とはいえ、こういうのは無論、私なりの考え方であって、人によっては全く別の考え方を取ることも十分考えられるところでしょう。

例えば、録音は何度でも繰り返し聴けるので、実演だと聴き逃すおそれのある、演奏者が本当に表現したいことを聴き逃す恐れが少ないから、クラシック鑑賞には実演よりも録音の方が適している、という趣旨の主張も、時々耳にします。

それもまたひとつの真理であり、少なくとも間違いではないと思うのですが、録音メディア(SACDも含めて)がいかに進化したところで、あるいは音響装置にそれこそ何千万円という大金を投入したところで、実演のリアリティには到底及ぶものではないと私には思われますし、したがって実演を録音の下位に置く考え方に、そう軽々しく首肯できない気持ちもまた、私の中に根強くあります。

そんなことを、今日このミスターSのブル9の録音を聴きながら、つらつらと考えました。おそらく先月聴いた実演の印象が、まだ私の中で影響を残しているからか、以前聴いた時に感じた奇異感が、何だか今日はずっと薄くなっているような気がして、聴いていて自分でも意外なくらいでした。

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