アバド/ウィーン・フィルによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」全曲


モーツァルト  歌劇「フィガロの結婚」全曲
 アバド/ウィーン・フィル
 グラモフォン 1994年 POCG1784
POCG1784

8月以降、私のなかで何となく定着してしまった感のある、「土曜日はオペラを聴く」という習慣?に従い、今日はクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるモーツァルトの「フィガロの結婚」全曲盤を久しぶりに聴いてみました。

というのも先週、新国立劇場で観劇したヴェルディ「オテロ」プレミエ公演で、イアーゴを歌ったルチオ・ガッロが、このアバドの「フィガロの結婚」ではフィガロを歌っているので、かの実演の印象がまだ覚めないうちに、CDの方での歌いぶりをちょっと聴いてみたくなったからです。

ちなみに私はその公演の感想の中で、ガッロのイアーゴに関して「モーツァルトの方面の歌手というイメージが強くて、イアーゴは何となくミスマッチ」とか、「第2幕や第3幕でオテロを陥れようと画策するあたりなど、まるでフィガロが伯爵を陥れようと画策するような雰囲気がダブってしまったり」などと、書いたのですが、そのあたりの予断のきっかけが、実はこのアバド/ウィーン・フィルのフィガロなのでした。

それでひと通り聴いてみたのですが、面白いことに、ガッロのフィガロが今度は逆にイアーゴのような腹黒い悪人の色彩を帯びた人物のイメージとして浮かんできて、これはいくらなんでも自分の感じ方が変だなと、自分でも可笑しく思ってしまうくらいでした。

これは要するに、ガッロの歌唱様式として、このCDに聴くフィガロと、先日実演で聴いたイアーゴとで、それほど大きな相違点が認められないくらい似かよっている感じがするので、結局「計略において主人を陥れる」という2つのキャラクターがダブってしまうからなのですが、逆に言うならそれだけ実演でのインパクト(実際、かなりの熱演でしたし)が、いまだ私の中で強く印象に残っているんだなと、何だか変に納得させられる気持ちでした。

もちろんそれは、先の実演の印象があるからそう思うだけかも知れないのですが、いずれにしても、以前このCDを聴いた時の私の印象よりも、いっそう感情に含みを持った渋味のあるフィガロとして感じられて面白く思いました。

アバド/ウィーンフィルの演奏ですが、全体に響きが軽量級とはいえ、およそモダン・オケらしからぬ軽快なリズムと躍動的なテンポ、旋律の鮮やかな流動感、細部の繊細な音色など、なかなか美点の多い演奏展開だと思いますし、要所要所の場面で音楽の感興が誇張なく、柔軟な形で、それも絶妙に捻出されていることに、あらためて驚かされます。いわばオペラ・ブッファに適したアバドの感性にウィーン・フィルの地力が加わり鬼に金棒、という感じでしょうか。

歌唱陣は、伯爵にボイエ・スコウフス、伯爵夫人にチェリル・スチューダー、スザンナにシルヴィア・マクネアー、ケルビーノにチェチーリア・バルトリ、バルバリーナにアンドレア・ロスト、、、こうして見ると凄いメンバーですが、録音時点だと、フィガロのガッロも含めて全体的に若手中心の起用なのが、いかにも特徴的です。

したがってベテラン歌手の持つ独特の風格には欠けるのはやむを得ないとしても、へたに重みが無いのが奏功し、このオペラの喜劇的な魅力をうまく際立たせて、聴いていて愉悦感がグングン込み上げてくる感じがします。

特に演技力に秀でた男性陣に対し、女性陣はそれぞれに個性味のある声の美しさを存分に活かした、フレッシュで溌剌たる歌唱ぶりを披露し、それにオーケストラの精彩豊かな伴奏が絶妙に絡み、とにかく聴いていて爽快な時間を過ごすことのできる「フィガロ」だと思うのですが、敢えて物足りないところを挙げるとするなら、ここにはある種の濃密さが欠けていて、後味がさらっとし過ぎていることが、気になると言えば気になるところでした。

ウィーン・フィルによる「フィガロ」というと、古くはエーリッヒ・クライバーあたりから、最近ではアーノンクールのザルツブルグ・ライヴにいたるまで、結構な数の録音がひしめいているのですが、このアバドの全曲盤は、その一連の中でも、「若さ」の勢いを屈託なく前面に押し出している点において、長短ふくめて独特の個性と存在感のあるディスクだという印象を、聴き終えて改めて感じました。

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