ヴェネチアの復刻によるゴロワノフ/モスクワ放送響の名演集


ゴロワノフ&モスクワ放送響の録音集成盤
 ゴロワノフ/モスクワ放送交響楽団
 ヴェネチア 1948~53年ライヴ CDVE00008
CDVE00008

これは今月リリースされた、ニコライ・ゴロワノフの指揮によるモスクワ放送交響楽団のライヴ録音集で、以下の6曲がCD3枚に収録されています。

①チャイコフスキー 「1812年」序曲
②同 交響曲第6番「悲愴」
③スクリャービン 交響曲第1番
④ボロディン 交響曲第2番
⑤ムソルグスキー 交響詩「禿山の一夜」
⑥同 組曲「展覧会の絵」

ニコライ・ゴロワノフは1891年にモスクワに生まれ、主にスターリン時代に活躍した旧ソ連の指揮者で、モスクワ放送交響楽団の首席指揮者を1937年から亡くなる53年まで務めており、今回のライヴ集に収録されている演奏はいずれもその最晩年の時期のライヴになります。

とかく「怪演奇演系」の指揮者として論ぜられることが多いゴロワノフですが、その最晩年のライヴが、高音質な復刻レーベルのヴェネチアからまとまって出るというので期待して購入してみました。

それで先週末から今日にかけて、ひと通り聴いてみたのですが、6曲すべてが音響的に振り切れたような重厚・濃密を極めるアンサンブル展開となっていて、聴いていて圧倒されっぱなしという状態でした。重量感に満ちた弦奏といい、強烈な色彩感を帯びた木管パートといい、濃厚にしてパワフルな響きの金管パートといい、そのアンサンブル・バランスはソ連的というよりむしろロシア的という言葉がピッタリなのですが、とにかくその原色感むきだしのワイルドな音響感においては、聴いていて何か原始的な響きの凄味が迫ってくるようなものすごさがあり、この独特を極めるアンサンブル特性だけで、おそらく十分に興奮させられるのではないか、そんな気がします。

「おそらく」というのは、上記のような特異なアンサンブル特性さえも場合によっては霞ませてしまうほどの、ゴロワノフの常軌を逸したような指揮運用が激烈なインパクトを叩きつけているからです。

それが最も顕著に発現されているのは、やはり②のチャイコフスキー「悲愴」ということになると思います。1948年に録音されたこのライヴは、従来からゴロワノフの代名詞のような演奏であり、かつてBOHEME-MUSICから出ていたものと同一ですが、音質的には今回のヴェネチア盤の方がひとまわり良好な感じがします。

この「悲愴」は、第1楽章の(2:15)からの第1テーマに聴かれる、2小節ごとにアダージョとアレグロが唐突に入れ替わるという突拍子もないテンポ変化からしてあぜんとさせられるものですが、続く(4:55)からの第2テーマでの猛烈なリテヌート(ほとんどルバートに近い)といい、(10:22)からの展開部の冒頭から揺れに揺れるテンポといい、いずれも造型的には珍妙を極めているとしか言いようがなく、したがって、このゴロワノフの「悲愴」が空前絶後の怪演であるということの論拠として、よく指摘されたりもします。

確かに造型的には珍妙で、そういう意味では怪演的な要素も多分に保有する演奏には違いないのですが、ただ、そう言い切ってしまうのはどうも躊躇してしまう、というのがこの演奏に対する私の率直な印象です。例えば(14:17)あたりのクライマックスなどを聴く限り、アンサンブルとしては全身全霊としか聴きようがなく、とても奇を衒うだけの演奏とは思えないからです。つまり、演奏としては迫真に満ちているのに、造型的にはおよそ迫真とはかけ離れている、という不思議さがこの「悲愴」にはあり、そのアンバランスさが私にはどうにも不可解で、どうも、一筋縄ではいかない演奏だと思います。

第2楽章以降においても、聴いていてビックリするようなアゴーギグが随所に顔を出し、面喰らってしまいますし、デュナーミクにおいてもかなり珍妙です。とくに第3楽章のコーダ、第334小節(7:38)で、スコア上はfffのところをいきなりピアニッシモまで落とし、そこから猛烈なクレッシェンドを仕掛けて最強奏で締めくくる大芝居などは、聴いていて呆気にとられる思いです。

終楽章も、スローテンポから切々と奏でられる金管のフォルテ・コラール、中盤での気の狂ったようなアッチェレランドと、とにかく常軌を逸したような音楽の気配が充満しています。やはり一筋縄ではいかない感じなのですが、少なくともここには怪演の二文字で安易に片づけられない深いものが、底流に流れているような印象が聴いていて離れませんでした。

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog
Copyright © クラシックCD感想メモ All Rights Reserved.