ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管によるショスタコーヴィチの交響曲第1番と第15番


ショスタコーヴィチ 交響曲第1番、第15番
 ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団
 Mariinsky 2008年ライヴ MAR0502
MAR0502

先月リリースされた、ワレリー・ゲルギエフが手兵・マリインスキー歌劇場管弦楽団を指揮したショスタコーヴィチの交響曲第1番と第15番の新譜を聴きました。

ゲルギエフとマリインスキー管はショスタコーヴィチの交響曲の4番から9番までを、これまでフィリップス・レーベルからリリースしてきていたのですが、今回はマリインスキー歌劇場の自主制作レーベルからリリースされています。

まず交響曲第1番ですが、最初、第1楽章を聴き終えて、ゲルギエフにしてはちょっと穏健かなという印象が残ったのですが、楽章が進むにつれて尻上がりに良くなり、ことに終楽章は抜群でした。

第1楽章は全体にいまひとつ調子が乗っていない風でもあり、冒頭の木管ソロはややあっけらかんとして表情に冴えがにぶく、(5:38)あたりのトッティのエネルギーや(7:35)あたりの打楽器の量感なども、ゲルギエフにしてはどこか手ぬるい、そんな感覚を聴いていて拭えませんでした。

続く第2楽章も序盤までは表情がどうも煮え切らない感じでしたが、ピアノ・ソロが入ってくるあたりからアンサンブルに精彩が徐々に増していき、ことに終盤の破壊的な全強奏からピアノの最強打につながるあたりの激烈感においては、ああようやく、いつもの「ゲルギエフのショスタコーヴィチ」を耳に出来たと、聴いていて安堵する思いでした。

第3楽章はこのコンビならではの、バス・パートの重く逞しい音響的な重量性が、そのまま音楽的な重量性に転換させられたような、実にへヴィーで抜き差しならない聴きごたえに満ちていますし、そこから連続する終楽章においては、この若きショスタコーヴィチの作品に内在する凶暴を極めた情動の揺籃が、ゲルギエフの破壊的なエネルギーを満たした熾烈なアンサンブル展開によって強く抉りだされていて、その表現力に聴いていて圧倒させられ、そして聴き終えて心が沸き立つ思いでした。

続く交響曲第15番ですが、こちらは交響曲第1番と違って、第1楽章から演奏がパリッとしています。第1楽章冒頭のフルート・ソロからして表情が強いですし、中盤でのウィリアム・テルのテーマを中心に展開されるダイナミクスの唐突的な奇異の刻印といい、終盤のクライマックスの音響の張り具合といい、いずれも見事で傾聴させられます。第2楽章は交響曲第1番の第3楽章と同様に、音響的な重量を音楽の重量として聴かせるという風の、オーケストラの重みのある陰影が印象深く、そして(9:29)あたりの破滅的な色彩を帯びた最強奏の凄味には震えがくるほどでした。

第3楽章も相変わらず集中力に満ちたアンサンブル展開から、音楽のグロテスクな佇まいがまざまざと披歴されていて間然としませんし、終楽章においては、パッサカリアが進むにつれて、次第に空間がジワジワとねじれていくような音響の吸引力に聴いていてゾッとするものがあり、この音響的なエネルギーのひずみが、(8:44)からのパッサカリア主題最強奏シーンで一挙に爆発するときのインパクトも、空恐ろしい感触に満ちていて、これでこそ、この曲を聴く醍醐味という感じがします。全曲を聴き終えて、すこぶる深い余韻の残る演奏でした。

なお、音質については、SACDハイブリッド仕様ゆえの臨場感の豊かさにおいて、これまでのフィリップスのものよりも秀逸と感じましたが、ボリュームレベルが若干低めに録られているようで、それなりのハイ・ボリュームで聴かないとこの演奏の醍醐味は上手く感得できないかも知れません。

今回のゲルギエフ/マリインスキーのショスタコーヴィチの新譜は、前回のフィリップスからのリリースより若干ブランクが空いたこともあって、ちょっと不安だったのですが、聴いてみると以前のゲルギエフのショスタコーヴィチで耳にした音響的な充実感がきちんと継承されていて安心しました。リリースの継続がやや心配ですが、あと残りの、少なくとも10番から14番までの5作品は何とか出てくれることを祈ります。

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