下野竜也/読売日響のコンサートの感想


昨日のコンサート(下野竜也/読売日響 サントリーホール 6/8)の感想です。

最初のウェーバー・「オイリアンテ」序曲は対向配置の12型編成で演奏されましたが、そのアンサンブル展開は、聴いていて率直に「ああ、いい音だな」と思わせられるものでした。低弦の豊かな力感、ズシリとした弦の量感、そして管の質朴な音色の彩り、それらはおおむねドイツ風のアンサンブルの色合いを匂わせるものでしたが、それがウェーバーの音楽に巧くフィットしていましたし、何よりフレージングの集中力が素晴らしく、何か久々に耳にするようなその本格的な音楽の感触に思わず惹き込まれました。

それにしても、先の4月にカンブルランの指揮で聴いた際の、あのフランス風味のアンサンブル展開と同一のオーケストラとは俄かに思えないほどでしたが、このあたりのアンサンブルの柔軟性というか幅広い表現力のポテンシャルは読売日響のひとつの持ち味なのかも知れません。

続くウェーバー・クラリネット協奏曲第1番はオーケストラを8型に刈り込んだ上で、ザビーネ・マイヤーのソロで演奏されました。やはりこの人は天才だな、というのが率直な感想ですが、それについては今日はちょっと書き切れないので、すみませんがまた後日に譲ります。

後半のドヴォルザーク・交響曲第1番「ズロニツェの鐘」は再び編成を12型に戻して開始されました。第1楽章冒頭のホルンの勇壮なコラール、続くメランコリックな第1テーマと、とにかく魅力的なメロディが連続するこの提示部は、ある意味いきなり全曲の白眉とさえ言えそうな楽想を有していて、それだけに、もしオーケストラの立ち上がりが鈍い場合は作品全体の魅力さえ損ないかねないところですが、下野は初手からエンジン全開でこの提示部をダイナミックに走り抜け、その迫力は聴いていてゾクゾクするほどのものでしたし、展開部以降の猛るような楽想も含めて、ドヴォルザークの若々しい音楽のパッションが存分に伝わってきて感動的でした。

第2楽章はオーボエを主役とするロマンティックな旋律美に富んだ楽想、第3楽章は野暮ったいほどの民族舞曲風の楽想ですが、いずれにおいても下野は真っ直ぐでひたむきなアプローチを通じて各楽想の魅力を過不足なく伝え切り、初めて聴く生演奏の感銘というのもあって、聴いていてため息が出るほどに魅力的な演奏の情景でした。

終楽章はアンサンブルに漲る素晴らしい情熱味がみずみずしい楽想の魅力をこよなく引き出していて圧倒される思いでしたが、それは下野自身プログラムに寄稿したところの、ドヴォルザークが「夢を追い求め、希望に満ちて、決して裕福ではなかったけれども音楽家への道をひたすら走っていた頃の」音楽、まさにその通りの印象となっていたように思います。終盤の突き抜けた高揚力なども出色でしたし、すこぶる新鮮な感動をもって全曲を聴き終えました。

全体としてみると、下野がこの作品に対していかに強い共感と情熱をもって臨んだかが良く伺える演奏でしたが、その点において、この曲はある程度、指揮者を選ぶのではないか、そんな気がします。というのも、やはり初期作品ゆえの構成力の弱さ(冗長さ)があるため、客観的に突き放して演奏されても、ルーチン的に演奏されても、途端に退屈な演奏に堕してしまう危険性が高く、ひっきょう指揮者自身の情熱や共感が不可欠と思われるからです。

その意味で当夜披歴された演奏は申し分なく、およそ即物的な表情とは無縁でしたし、何よりアンサンブルの有機的な運用において素晴らしいものがあり、その聴き映えはドヴォルザークの後期作品のそれにも十分に比肩するほどのものでした。

敢えて言うなら第1楽章の提示部反復に関してでしょうか。冗長を嫌っての配慮か、反復を省いていましたが、滅多に実演にかからない曲であることを考えると、敢えて反復する手もあったように思います。演奏の充実度からしても反復に耐えるものであったと感じました。

以上、本公演はドヴォルザークの隠れた名曲にして一度ナマで聴いてみたいと思っていた作品を大変見事な演奏で耳にすることができ、新鮮な体験にして感無量のコンサートでした。

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