シモノフ/ベルギー国立管によるショスタコーヴィチの交響曲第4番


ショスタコーヴィチ 交響曲第4番
 シモノフ/ベルギー国立管弦楽団
 Cypres 1996年ライヴ MCYP2618
MCYP2618
ロシアの鬼才指揮者ユーリ・シモノフによるショスタコの4番のライヴ盤で、国内盤仕様として先月リリースされたディスクです。オーケストラは当時シモノフが音楽監督を務めていたベルギー国立管です。

ユーリ・シモノフというと、演奏に際して自身の主観的な目線で作品を再構築するような個性を持った、現代では数少ない指揮者という印象があります。例えばスロヴェニア・フィルとのベルリオーズの幻想交響曲の録音などはそういう演奏の筆頭格だと思います。

そういったシモノフの個性味がこのベルギー国立管とのショスタコのライヴでも発揮されているか、興味あるところで、さっそく聴いてみました。

まず第1楽章ですが、冒頭は思ったよりも力を抜いたような入り方で、冒頭のffから始まる1小節ごとのクレッシェンドや、4小節めからのマルカーティッシモなど、いずれもそれほどアグレッシブには音響的な強烈味は強調されず、むしろ静かな入り方という感じです。提示部から展開部前半にかけては、徹底的なイン・テンポを土台として、アンサンブルのバランスや,個々のフレーズの堅実な定着感を重視した正攻法の進め方で、強烈な印象を叩きつけるというのではないですが、客観的な視線の度合いがすこぶる高いゆえの凄味のある表情が醸し出されています。

展開部の後半、練習番号63(15:58)からのフガートは弦の線厚をギリギリまで絞ったようなきめ細かさがあり、その線の細さゆえに迫力的にはやや伸び切らないものの、カミソリのような切れ味の響きに痛切味があり、また(17:50)からのダイナミクスの思い切った激変ぶりに圧倒されます。その後は楽章前半の頑固なまでのイン・テンポに対する反動を叩きつけるというような、常軌を逸したアッチェレランドが壮絶を極め、ことに(18:25)あたりの全力疾走は圧巻です。

第2楽章は全体に抑制されたテンポの動きからクッキリ浮かび上がるハーモニーの明晰な姿が印象的で、作品自体のグロテスクな姿が端的に描き込まれている感じがします。終楽章は第1楽章と同様に要所を巧みに押さえてのアンサンブル展開で、細心の緻密さと大胆なメリハリを巧妙に同居させたような面白さがあり、聴いていてかなり新鮮な感触を受けます。

以上このショスタコは、ことシモノフの指揮に関しては面目躍如たる演奏だと感じますが、ただ随所に気になったのがオーケストラのある種の非力さで、まず全体にバスの量感があまり振るわないため、アンサンブル展開が軽量級という印象を拭えず、そのため量感依存的な迫力が音楽のどぎつい表情に伴わないもどかしさを感じてしまいます。また、管パートの色彩的な強度感もそれほどには立たず、この作品の演奏に不可欠ともいうような、聴かせどころでの断末魔的な色彩感に物足りなさが否めず、それゆえ音響的な迫力がもうひとつ振り切らないという印象も残りました。

かつて私はベルギー国立管の実演をサントリーホールで聴いたことがありますが(ミッコ・フランクとの初来日公演)、その時のチャイコフスキーの5番は聴いていて惚れぼれするようなアンサンブル展開で、管の色彩、弦の量感、トッティの充実感などの水準もかなり高かったように記憶しています。

それゆえ、このシモノフのショスタコのライヴも、前述のとおり内容的には確かに名演としても、もし現在のベルギー国立管と再録音したなら、さらに、、、という気もしました。

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