シカゴ交響楽団来日公演の感想


昨日(2月3日)のシカゴ交響楽団来日コンサートの感想です。

前半のハイドンは、全体にきっちりとまとめられたアンサンブルの合奏精度、ハーモニーの均衡感など、いずれも水準以上で、確かに好演でしたが、シカゴ響ならではの特徴という点では正直いまひとつピンとこない印象もありました。ただ、速めのテンポにもかかわらず個々のフレージングが常に落ち着いた感じで、不思議な安定感のある演奏だなと思いました。

これが後半のブルックナーとなると、その編成規模の増大に伴い、シカゴ響の持ち味がハイドンの時より格段に強く発揮され始めましたが、その持ち味というのが、私の事前の予想とはかなりかけ離れたもので、最初はちょっとビックリしました。

シカゴ響のアンサンブルというと、やはり「強力なブラス・セクション」という印象が強くあるため、当夜のブルックナーにおいても、おそらくは過剰なまでのテクニックの切れを伴う、ブラス部隊の豪快無比な吹き回しを存分に耳にすることになるだろうと予想していました。

しかし、いざブルックナーの第1楽章が始まってみると、ブラスよりもむしろ弦パートの奏でる音色の驚異的な艶やかさに耳を奪われました。ことにヴァイオリン・パートの音色にはシルクのような艶やかさが付帯していて、それに木管の各種ソロの音色のシャープな美しさがこよなく調和し、そのソノリティの美しさたるや大変見事なものでしたが、これに対してブラス・パートはというと、むしろ全体の響きの中に埋没しているような気配さえあり、最初のうちは、何となく肩透かしを食ったような気持ちで聴いていました。

しかし、第1楽章の中盤くらいまで音楽が進むにつれて、ブラス・パートうんぬんというより、むしろ音楽そのものの美しさに強く惹き付けられるようになっていました。ブラス・パートは弦や木管の引き立て役に回っている感さえあり、個々のパートの存在感で聴かせるよりも、全体の揺るぎないハーモニーのまとまりで聴かせるというコンセプトが隅々まで反映されているような演奏となっていて、その純音楽的に突き抜けたような美しさにより、聴いていて自ずと清々しい感動に誘われました。

この状況は第2楽章でも継続し、ノヴァーク版に基づく演奏なので楽章後半の山場ではティンパニとシンバルが打ち鳴らされましたが、それらでさえもかなり抑制的に鳴らされ、終盤のクレッシェンドも含めて、圧倒的な大音量なのに静けさすら感じられるような、その澄み切ったフォルテッシモの美感には、聴いていて思わず背筋が伸びるような気持ちにさせられたほどでした。

第3楽章になると、ブラス・パートが俄然その存在感を増し出し、トランペットやホルンの一糸乱れぬ強奏ぶりに惚れぼれすることしきりでした。終楽章においても、第3主題を中心にブラスパートが強烈な咆哮を発し、それに弦と木管がが追従するという風で、終曲部では一貫的に抑えてきたティンパニをついに豪打し、強い高揚感をもって全曲を締めくくりました。

こうしてみると、シカゴ響らしさという点では後半の2楽章を取るべきとも思えますが、私はむしろ前半の2楽章の方が、感銘の度合いが圧倒的に高い内容だったと感じます。確かに最初のうちはちょっと虚を突かれたような形になり、あまりピンとこなかったとはいえ、第1楽章の中盤以降、そして第2楽章全域において聴かれた音楽の突き抜けた美しさはちょっと喩えようもないほどでした。

ちなみにアンサンブル配置は前半のハイドン、後半のブルックナーともにステージ向かって左から第一・第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと並べてのいわゆる通常配置でした。6年前のバレンボイムに率いられての来日公演では対向配置だったようですが、今回の通常配置はおそらくハイティンクの流儀によるものと思われます。

いずれにしても、当夜の演奏はシカゴ響のブルックナーというよりも、今年80歳を迎えるハイティンクの到達した境地に由来する、ブルックナー演奏としてのひとつの極地が示された名演であったように思いました。

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