ティーレマン/ウィーン・フィル等によるペーター・ルジツカの管弦楽作品集


ルジツカ 管弦楽作品集
 ティーレマン/ウィーン・フィルほか
 Thorofon 2010・11年ライヴ CTH2589
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クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などの演奏によるペーター・ルジツカの管弦楽作品集。ドイツのマイナーレーベルTHOROFONの新譜。収録曲は以下の3曲。

①「Einschreibung」
②「Aulodie」
③「Zurucknehmen」

①はクリストフ・エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送交響楽団による演奏。2011年2月ハンブルク、ライスハレでのライヴ録音。

②はペーター・ルジツカ指揮シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭管弦楽団の演奏。2011年8月ハンブルク、ロルフ・リーバーマン・スタジオでのライヴ録音。

③はクリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。2010年4月25日ウィーン、ムジークフェラインザールでのライヴ録音。

この秋のドレスデン・シュターツカペレ来日公演で目覚ましい演奏を披瀝したティーレマンだが意外なところからウィーン・フィルとの最近の録音がリリースされたので入手した。

1948年ドイツ生まれの作曲家ペーター・ルジツカは2002年から06までザルツブルク音楽祭の芸術監督を務めたことで有名だが作曲家としても現代ドイツ作曲界の重鎮的存在であり、師であるヘンツェゆずりのドイツ王道の前衛精神を発揮し現在まで精力的に作曲活動を続けている。

①はルジツカのマーラーへのオマージュというべき作品とされており、聴いてみた限り6つの楽章のうち第2楽章の終結部はマーラー交響曲第7番「夜の歌」の冒頭部分が、また第3楽章はマーラー交響曲第6番「悲劇的」のスケルツォ楽章が明示的に引用されている。

②はオーボエと室内管弦楽のための作品であり、この録音ではアルブレヒト・マイヤーがオーボエ独奏を務めている。

③はライナーノートにいわくルジツカがトーマス・マンの長編小説「ファウスト博士(Doktor Faustus、1947年)」にインスパイアされて作曲した作品とのこと。この小説では天才的音楽家アドリアン・レーヴァキューンの狂気に彩られた波乱の生涯が描かれている。

小説「ファウスト博士」の終盤においてレーヴァキューンは自身の畢生の大作であるカンタータ「ファウスト博士の嘆き」を作曲するが、その作曲の契機ともいうべき以下の有名な場面が本CDのライナーノートに引用されている。

「わかったよ」と彼は私に言った。「あれは存在してはならないのだ」
「何がだね、アドリアン、何が存在してはならないのだ?」
「善にして高貴なるもの、だ」と彼は私に答えた。「善であり高貴であっても、人間的と呼ばれるものは存在してはならない。人間がそれを得ようと戦ったもの、人間がそのために堅城を襲ったもの、そして目的を達した人々が歓呼して告知したもの、それは存在してはならない。それは取り消される。ぼくがそれを取り消そう」
「ぼくには、君、よくわからないんだかね。何を取り消すというのか?」
「《第九交響曲》さ」と彼は答えた。

上記は岩波文庫のトーマス・マン著「ファウスト博士(下)」P.226より引用した。

CDの話にもどるが、この③は前述のとおりティーレマン/ウィーン・フィルの演奏により2010年4月25日にウィーン、ムジークフェラインザールでライヴ録音されているのだが、この日のウィーン・フィルのコンサートでは前半に③が演奏され、その後半にはベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されていた。

小説において主人公レーヴァキューンは「ファウスト博士の嘆き」を「ベートーヴェンの《第九》と言葉の最も憂鬱な意味で対をなすもの」と規定している。少なくとも同小説の筋を知る者にとっては③と「第9」を敢えて並べたウィーン・フィルの当該コンサートの趣向に対し思うところが多かったのではないかと推察される。

ちなみに、③に続いてティーレマン/ウィーン・フィルにより演奏された前記ベートーヴェン交響曲第9番のライヴ録音の方はソニークラシカルからリリースされている

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