チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ来日公演(10/17 サントリーホール)の感想


2012-10-17b

日本ではモスクワ放送交響楽団の名称で広く認知されているチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラの、芸術監督フェドセーエフ80歳記念ツアー。その東京公演最終日を聴いた。

最初の演目はスヴィリードフの交響組曲「吹雪」(プーシキンの物語への音楽の挿絵)、その全9曲のうち6曲が続けて演奏された。ゲオルギー・スヴィリードフはショスタコーヴィチの弟子筋にあたるロシアの作曲家で、交響組曲「吹雪」は本来プーシキンの小説を原作とする映画劇伴として作曲された音楽が1974年に組曲として再構成された作品。映画音楽としての実用性に重きが置かれているようで、耳に心地よいメロディがこれでもかとばかり充溢する、そのかぎりで聴いていて爽快な気分に浸れる音楽。これは指揮者やオケにとってはゆかりの作品のようで、ヴィブラートたっぷりの弦の美しいメロディの奏で方といい、全体的に堂に入った演奏という風格だった。

続いてリムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲。濃厚な弦のコッテリしたハーモニーに金管の重厚な吹き回しと木管の図太く味の濃い音色が絶妙に合流し紡ぎ出された響きは文字通りロシア本場を地でいく濃密な味わいのものであり、その演奏内容の見事さもさることながら、同じホールで昨年聴いたロシア国立交響楽団のラフマニノフと同様、いわゆるロシアの地域的伝統に根ざした固有の響きの特性というものが現在に至るまで脈々と受け継がれているという事実、その歴史の重みに対して聴いていて自ずと敬意を抱かされるようなロシア色の豊かな演奏だった。

後半はショスタコーヴィチの交響曲第10番だったが、この演奏は震えがくるほどに素晴らしかった。まさに正統派のショスタコーヴィチというに相応しい、小細工無用の王道的解釈による堂々たる演奏内容であり、フェドセーエフは標準より少し遅めのテンポをベースに奇を衒うことなく粛々とアンサンブルの歩を進め、この作品に特有の音楽の異常性を誇張を排して有りのままに描き出したが、そのケレン味の無さがかえって作品の異常性に由来する緊張感を増幅せしめ、そのハーモニーの微妙な絡み合いが醸す繊細な音色の奥行きの深さといった方面に幾度となく耳をそばだたさせられたし、異様なほどに透徹した響きのフォルテッシモからは深淵を覗くような凄味が感じられるなど、特に第1楽章を聴き終えた時のゾッとするような恐怖の印象は、この曲を聴いて初めて味わうような類の感覚だった。

このショスタコーヴィチの一連の作品の中でもひときわ謎めいた交響曲第10番の成立がソビエトの一時期の政治的情勢に深く起因していることは疑いないにしても、その真価、いうなら地域性を超越した普遍的な人間性の訴えかけを聴き手に真摯に伝達するには、やはり根本的に作品や作曲家に対する演奏する側の内的共鳴の深さが大きくものを言うのかもしれない。がむしゃらに大きな音を出したり流暢にメロディを歌ったりということに意を注ぐ行き方とは対極的なまでに主知的なアプローチだったが、しかし途方もない説得力に満ちた演奏だった。

このショスタコーヴィチの大曲をフェドセーエフはタクト無しで指揮したが、指揮者の所作に吸着するかのようなオーケストラの反応の度合いが尋常でなく、その点にも感服した。フェドセーエフが前任者ロジェストヴェンスキーの後を襲ってモスクワ放送響の芸術監督に就任したのが1974年なので、今年で38年という、世界的にも稀な長期政権である以上は当然なのかもしれないが、文字通り自身の手足のようにオケをドライヴし荘厳な音響の伽藍を精緻に組み上げていく手腕には恐れ入るばかりだった。

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