スクロヴァチェフスキ/読売日響のベートーヴェン演奏会(9/28東京オペラシティコンサートホール)の感想


オール・ベートーヴェン・プログラム。前半が交響曲第2番、後半が交響曲第3番「英雄」。いずれも素晴らしい演奏だった。

両曲ともにキビキビとした速めのテンポを主体とする古典的な均衡の取れたフォルムをベースとしながら、一つ一つのフレージングの強弱に対するコントロールは緻密を極め、一体デュナーミクを何段階で切り分けているのだろうと思えるほどだったし、キメ細かく描き分けられるアーティキュレーションの手の込みようも尋常でなく、オーケストラの響かせる音の情報量の豊かさにも聴いていて圧倒される思いだった。

特に驚嘆させられたのはスクロヴァチェフスキの敷設するテンポの速さと、オケから響いてくる音の膨大な情報量、この両立の度合いがずば抜けているということだった。一般的に細部まで疎かにしない稠密な解釈というのはテンポの速さに比例して困難になるはずなのに、スクロヴァチェフスキの場合は事情が違うらしい。どんなにハーモニーが密集しても各パートの動きが手に取るように聴こえるし、最強奏におけるアンサンブルの見晴らしの良さにも惚れぼれさせられること頻りだった。

ちょうど先週スラットキン/N響のショスタコーヴィチ「レニングラード」の実演を聴き、その感想はブログに書いたが、こちらの演奏でも全体的に快速テンポに基づく音楽の推進性が際立っていたし、それでいてスラットキンは整然とアンサンブルを牽引しオーケストラを雄大に鳴らし切った。しかし、こと音の情報量に関しては特筆すべき水準というほどにはなく、テンポの代償として、必ずしも細部まで完璧に磨き込まれていたとは言い難い面もあったし、音楽の表情においても前のめりなフレージング展開が時に画一的に聴こえてしまうという側面も否定できなかった。

この点においてスクロヴァチェフスキの場合は違っており、テンポの速さと細部の磨き上げとが排斥関係にない。そのかわりスラットキンのような猛烈な鳴りっぷりとはいかない。最強奏でもオケを必要以上にがならせず、鳴りを抑制させ、つねにアンサンブルの見晴らしの良さに意が注がれていた。だからヴォリュームにものを言わせた迫力という面ではそれなりに聴き劣りが否めないものの、無数の音符がコンスタントに理路整然と秩序を保って響いているという純音楽的な迫力という面では途方もない演奏としてホールに響きわたった。

スコアをそのまま音にしただけでは自然に前に出てこない音やフレーズに関しては積極的にスコアのバランスに手を入れるという趣旨の演奏ポリシーをスクロヴァチェフスキは以前に語っていたが、その意味での緻密な創意工夫の度合いは当夜のベートーヴェンにおいても際立っていた。しかし「英雄」第1楽章コーダの、例のトランペットによるテーマ線を敢えてスコア通り途中で途切れさせた行き方には、スクロヴァチェフスキのスコア尊重に対する明瞭な姿勢が現われていた。スコアに手を入れるべきところは積極的に入れるが、入れるべきでないところは入れない、というあたりにスクロヴァチェフスキの指揮者&作曲家としての視点が巧妙に織り交ざり、そうして出来上がった、独創的でありながら決して奇を衒わないこの指揮者ならではのベートーヴェン像を久しぶりに堪能した。

それにしてもスクロヴァチェフスキは今何歳なのだろうと思ったら88歳とのこと。しかも来週10月3日が89歳の誕生日なのだとか。あの指揮台でのキビキビとした指揮ぶりからは想像もつかない年齢だし、指揮ぶり、解釈ともども全く老け込んでいないのが凄いものだとあらためて思った。非凡な演奏をする指揮者はあるいは体の構造も常人離れしているのかもしれない。

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