東京交響楽団の演奏会(5/26 サントリーホール)の感想


①モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」

聴いていて改めて思ったのは、ユベール・スダーンがザルツブルグのモーツァルテウム管弦楽団の音楽監督を長年務めてきた経歴の持ち主である、ということだった。隙のないカッチリと構築されたモーツァルト。編成はVn-Va対向10型だがチェロが6人とやや低弦重視で、響きのベースラインがガッシリとして揺るがない。その上に造型されるフレージングラインの明晰なフォルム。まさに古典派音楽の均衡。

ふと思い出されたのが、昨年の秋に同じホールで聴いたウィーン・フィルのモーツァルト交響曲第34番。ウィーン・フィルにしてはいささかシックでストイックな響きであり、正直もう少し音が華やかであってもと思ったが、エッシェンバッハは古典派音楽の名品というに相応しいガッチリとした造形感を、すこぶる丹念に構築し、モーツァルト演奏に一家言ある指揮者のこだわりを感じさせた。当夜のスダーンのアプローチも、それと一脈通ずるものがあるように思えた。

②マーラー 交響曲「大地の歌」

管弦楽の面では、スダーンは前半のモーツァルト同様タクトを持たないスタイルからオケを丁寧にコントロールし、マーラー演奏としては自制の効いた表現だったが、ひとつひとつの音を磨きあげ、フレーズのみならず一音一音に至るまで意味を持たせようという指揮者の強い信念のようなものが透けて見える、純音楽的な精神美に富んだ演奏だった。

歌唱の面では両歌手ともに声量がいい意味で抑制されていた。歌唱のラインが管弦楽の響きの中に上手に溶け込んでいるというべきだろうか。正直、最初イシュトヴァーン・コヴァーチハーズィの歌唱を耳にしたときは、単純に声量不足の歌手ではないかと疑った。しかし続くビルギット・レンメルトの歌唱を聴いて考えを改めた。

というのもレンメルトは昨年秋の新国立劇場ドヴォルザーク「ルサルカ」でイェジババ(魔法使い)役を歌ったのを聴いたが、あの時は役柄に相応しい潤沢な声量で朗々と同役を歌いこなしていたからで、そうなると本演奏においては必要以上に声を張り上げず、むしろ歌曲としての細やかな言葉のニュアンス、発声がオケの響きと溶け合った時に放たれる特殊な響きの陰影、そういったものをきちんと表現することを狙いとし、敢えて声量を抑制したのでは、という風に思われたのだった。

そして、そのようにして構成された、いわば管弦楽&歌唱一体的な「大地の歌」は、他の演奏とは一味ちがう独特の深みに満ちていた。例えば、かつて同じホールで耳にしたカンブルラン/読響の「大地の歌」は、全体的にオーケストラの存在感が強いがために歌手の存在感が埋没気味だった。しかし、当夜のスダーン/東響のそれは、抑え気味の声量にもかかわらず歌手の存在感が決して埋没しない。

終楽章において死に対する恐怖とも憧れともつかないアンビバレントな感情を甘やかに歌い上げるレンメルトの歌唱は実に感動的だったが、これは歌手が歌いあげる歌詞の枠に収まり切らない言外の機微を、オーケストラが歌手に寄り添いながら絶妙に表現していたからではなかったか。深い余韻の残るマーラーだった。

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