テンシュテット/ロンドン・フィルによるマーラー交響曲第3番の1986年ロンドン・ライヴ


マーラー 交響曲第3番
 テンシュテット/ロンドン・フィル
 ICAクラシックス 1986年ライヴ ICAC5033
ICAC5033

ICAクラシックスから先般リリースされた、クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるマーラー交響曲第3番のCDを購入しました。1986年ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのライヴ録音。歌唱パートはヴァルトラウト・マイアーが務めています。

テンシュテット/ロンドン・フィルのマーラーのライヴ録音としては近年ロンドン・フィル自主制作レーベルから交響曲第6番、第1番、第2番、第8番といった超弩級のCDが次々とリリースされているところ、今回はICAから86年の交響曲第3番ライヴのリリースということになりますが、稀代のマーラー指揮者テンシュテットならではの深みのあるマーラーにじっくり耳を傾けてみたいと思います。

レヴァイン/ウィーン・フィルによるマーラー交響曲第2番「復活」


マーラー 交響曲第2番「復活」
 レヴァイン/ウィーン・フィル
 オルフェオ 1989年ライヴ ORFEOR837112
ORFEOR837112

独オルフェオから先般リリースされた、ジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるマーラー交響曲第2番「復活」のCDを購入しました。1989年8月ザルツブルク祝祭大劇場での演奏会のライヴ録音で、独唱はキャスリーン・バトルとクリスタ・ルートヴィヒが務めています。

今年はマーラーイヤーということか著名なマーラー指揮者の残した貴重なライヴ音源が続々と発掘・リリースされる状況となっていますが、このレヴァイン/ウィーン・フィルの「復活」もどのような演奏か楽しみです。

ギーレン/ベルリン放送交響楽団によるマーラー交響曲第6番「悲劇的」


マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
 ギーレン/ベルリン放送交響楽団
 アルトゥス 1984年ライヴ ALT214
ALT214

アルトゥスから先般リリースされたミヒャエル・ギーレン指揮ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団) の演奏によるマーラー交響曲第6番「悲劇的」のCDを購入しました。1984年9月ベルリン、フィルハーモニーでのライヴ録音。

ギーレンは周知のように南西ドイツ放送交響楽団を指揮して独ヘンスラーにマーラー交響曲全集を録音しており、そこでは鋭利な辛口指向の解釈によりギーレン独自のマーラー像を構築しマーラー指揮者としての評価を確立するに至りましたが、今回リリースのベルリン放送響とのライヴでは80年代当時のギーレンのマーラー演奏手腕に注目してみたいと思います。

スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団によるショスタコーヴィチ交響曲第10番の1968年ロンドン・ライヴ


ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
 スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団
 ICAクラシックス 1968年ライヴ ICAC5036
ICAC5036

ICAクラシックスから先般リリースされた、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(当時の名称はソ連国立交響楽団)の演奏によるショスタコーヴィチ交響曲第10番の1968年ロンドン・ライヴのCDを購入しました。1968年8月21日ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールのプロムスでのライヴ録音。また併録曲としてチャイコフスキーの付随音楽「雪娘」組曲より「メロドラマ」、およびリムスキー=コルサコフの歌劇「見えざる町キーテジ」より「自然への讃歌・タタールの侵略とケルジェネツの戦い」も収録されていますが、こちらは同月22日・30日のプロムスでのコンサートのライヴとされています。

ここに収録されているショスタコーヴィチの交響曲第10番が演奏されたコンサートの前日にあたる1968年8月20日、旧ソ連を中核とする共産圏の連合部隊であるワルシャワ条約機構軍がチェコに侵攻した事件、いわゆる「プラハの春」が勃発したため、折り悪くプロムスに参加していた旧ソ連を代表する交響楽団のコンサート、あまつさえ演目が旧ソ連を代表する作曲家ショスタコーヴィチの交響曲ということで一部の聴衆の猛烈な反感を買い、ものものしくも不穏な空気に包まれた異様な演奏会となったと伝えられています。

そのような尋常ならざる状況下の演奏会で披歴されたスヴェトラーノフ/ロシア国立響のショスタコーヴィチとは果たしていかなる演奏だったか、じっくり聴いてみたいと思います。

シュウォーツ/シアトル交響楽団によるボロディン交響曲全集


ボロディン 交響曲全集
 シュウォーツ/シアトル交響楽団
 ナクソス 2009~2011年 8572786
8572786

ナクソスから先般リリースされたジェラード・シュウォーツ指揮シアトル交響楽団の演奏によるボロディン交響曲全集のCDを購入しました。2009年から2011年におけるシアトル、ベナロヤ・ホールでのセッション録音。ボロディンが生前に完成させた交響曲第1番と第2番に加えてグラズノフのオーケストレーションに基づく未完成の交響曲第3番まで収録されています。

シュウォーツ/シアトル響といえば昨年末に購入したウィリアム・シューマンの交響曲全集が印象に残っていますが、今回はロシアの作曲家ボロディンの3つの交響曲をどのように演奏するか興味津々です。

ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツによるヨハン・クリストフ・バッハの作品集


ヨハン・クリストフ・バッハ 声楽作品集
 ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
 ソリ・デオ・グローリア 2009年ライヴ SDG715
SDG715

英ソリ・デオ・グローリアより先般リリースされた、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏によるヨハン・クリストフ・バッハの声楽作品集のCDを購入しました。2009年4月ロンドン、カドガン・ホールでのライヴ録音。
 
収録曲はヨハン・クリストフ・バッハ作曲のアリア、モテット、ダイアローグおよびラメントが各2曲で計8曲。歌唱陣はジュリア・ドイル、キャサリン・フーグ(以上ソプラノ)、クレア・ウィルキンソン(メゾ・ソプラノ)、ニコラス・マルロイ(カウンターテノール)、ジェームス・ギルクリスト、ジェレミー・ブッド(以上テノール)、マシュー・ブルック、ペーター・ハーヴェイ(以上バス)。

大バッハことJ.S.バッハの父ヨハン・アンブロジウス・バッハの従兄弟にあたるヨハン・クリストフ・バッハは生前には大バッハに匹敵する名声を勝ち得たとも伝えられており、また大バッハの幼少期に音楽家として大きな影響を与えたことでも知られています。

ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツは同じレーベルから最近リリースされたモーツァルトのカドガンホールライヴが素晴らしい演奏内容でしたので今回の新譜も楽しみに聴いてみたいと思います。

ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の来日公演(10/20 東京オペラシティ・コンサートホール)の感想



先週(10/20 東京オペラシティ・コンサートホール)のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ率いるザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の来日公演の感想です。

2011-10-20c

演目は前半シューマンの交響曲第4番、後半ブルックナーの交響曲第9番でしたが前半のシューマンは聴いていません。ホールに到着したのが開演30分ほど過ぎた時点だったからで、定時に仕事を終わらせられず開演に間に合わなかった不手際を悔やむばかりです。

したがって以下の感想は後半のブルックナーに関するものですが、それこそ10年に一回くらい出会えるかどうかというくらいの途方もなく素晴らしい演奏でした。その音楽の密度は充実の極みを行き、これまで何度となく耳にしたミスターS/読売日響のブルックナーの実演とひき比べても明らかに一回り上を行く水準でしたし、これはブルックナーを知悉し尽した指揮者と同じくブルックナーを知悉し尽したオーケストラ、このコンビだけが為し得る演奏としか言い様がありません。

そしてこの演奏を聴いて私がつくづく思い知らされたのが、ブルックナーの音楽というのは超現実的なまでの造形的・音響的・旋律的な美しさを湛えつつも、その美しさと相反するような超現実的な壮絶、凄絶、熾烈な側面をも不可分に具有する、そんな不条理な作品なのだということでした。

たとえば第1楽章の再現部冒頭、あたかも世界が崩れさるといわんばかりの激烈なアッチェレランドで再現されたメインテーマ、それに続いて再現された、静謐で神秘的な美しさに包まれたような第2主題、それに続いて再現された、静謐な神秘と凄絶な咆哮とが渾然一体となって奏でられた第3主題。ブルックナーのソナタ形式としての構造自体が内包するこういったアンビバレントな特性が、ミスターSならではの主観的なアプローチにより無上に鮮明にして鮮烈に浮き上がっていたこと、この事実に私は当夜もっとも激しい感動を覚えました。決して凄絶一辺倒でなく、かといって美しい一辺倒でもない、いわく分かち難い融合が音楽の中に必然的にある、こういう背反性が実は私がブルックナーの音楽に惹かれる要因のひとつにほかならないところ、当夜のミスターSの披歴したブルックナーでは、この背反的な音楽の特性が容赦なく描き切られていたという観点において、私が直近の10年で耳にしたどのブルックナーの実演よりも際立ったものがありました。

そして、それを遡ると結局11年前に奇しくも同じホールで耳にしたギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団の来日公演で披瀝されたブルックナー9番まで行き着くことに気がつきました。この意味で私にとって当夜の演奏会は10年に一回くらい出会えるかどうかというくらいのブルックナーを耳にした希有な時間にほかなりませんでしたし、おそらく生涯忘れられないコンサートになるのではないかと思いました。

ウィーン・フィル来日公演(10/17 サントリーホール)の感想


先週のウィーン・フィル来日公演(10/17 サントリーホール)の感想です。

2011-10-17d

オケの配置は両翼型(第1V-チェローヴィオラー第2V)、編成はモーツァルトが10型でブルックナーが14型でした。なお指揮者のクリストフ・エッシェンバッハは両曲とも譜面なしでの指揮でした。

前半のモーツァルト交響曲第34番は今一つパッとしない演奏で、ウィーン・フィルにしては各パートの音色の色彩立ちが大人しく、ずいぶんシックでストイックな響きだなと思ってしまいましたし、このシンフォニーの祝祭的な性格からするともう少し華やかさが欲しいとも聴いていて思いましたが、ただエッシェンバッハの運用に関しては、第1楽章では展開部・再現部それぞれの冒頭でテンポに溜めを持たせたり、第2楽章も遅めのテンポでじっくりとメロディを聴かせたり、終楽章はベートーヴェンを指揮するようなダイナミックな身振りでガッチリとした造形を披歴してみせたりなど、そのリーダーシップは全体的に顕著に発揮されていたように思えましたので、決して無個性の演奏ではなく、後は好みの問題ということになろうかと思います。

後半のブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」 においては、前半のモーツァルト以上にエッシェンバッハのウィーン・フィルに対するリーダーシップが強力に発揮されていましたが、こちらは曲自体の性格に照らしても申し分がなく、まさにこのコンビならではというような見事なブルックナーを耳にすることができました。アンサンブルが全体的に少し荒れ気味だったのが玉にキズでしたが、ウィーン・フィル特有の音響美は前半のモーツァルトよりも顕著でしたし、総タイム70分オーバーの雄大な時間的スケール、独特の粘着味を帯びたメロディの濃密感、ニュアンスに富んだピアニッシモの表現力、深々と鳴らされたフォルテッシモの屈強な迫力。

このようなエッシェンバッハのブルックナーを聴きながら思い起こされたのが、昨年のウィーン・フィル来日公演で耳にしたフランツ・ウェルザー=メストのブルックナー9番の演奏のことでした。

そのメスト/ウィーン・フィルのブルックナーというのは、全体を通してアンサンブルに余分な力みや停滞がなく、音楽が自然に淀みなく流れていき、トッティの響きも円滑に溶け合って決して汚く響きませんでしたし、メストの運びはリズムの切れが良く、テンポも速めで、響きのバランスにしても最強奏のクライマックスでさえ決して大音響を炸裂させることをせず、ここぞという時に必ずウィーン・フィルの馥郁たる音響美がホールに充溢するという按配でした。

それに対し今年のエッシェンバッハ/ウィーン・フィルのブルックナーというのは上記のメスト/ウィーン・フィルのブルックナーとは好対照とも思える演奏でした。というのも、音楽を自然に淀みなく流していくというよりは指揮者の主観により随時メリハリ立った起伏を与えつつ、最強奏のクライマックスではアクセル全開のフォルテッシモを披歴し、時にはウィーン・フィルの馥郁たる音響美に背を向けてでも耳に痛いくらいに熾烈で凄味のある大音響を容赦なく炸裂させるという行き方が披瀝されたからです。

そして正直このエッシェンバッハの行き方だと同じブルックナーでも4番でなく9番であればさぞかし、という気がしてしまいました。逆に昨年のメストの行き方の場合むしろ曲想的に9番よりも4番の方がフィットしたかもしれないという気もしました。

ともあれ今年のウィーン・フィル来日公演では久々に指揮者の強烈なリーダーシップに則したブルックナーの充実した演奏が聴けて大満足でしたし、できればエッシェンバッハにはまたウィーン・フィルとともに来日し、今度はブルックナーの8番や9番あたりを是非とも指揮して欲しいと思いました。

プラハ国立歌劇場の来日公演・プッチーニ「トスカ」(10/16 東京文化会館)の感想


プラハ国立歌劇場の来日公演・プッチーニ「トスカ」(10/16 東京文化会館)の感想です。

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ノルマ・ファンティーニのトスカは掛け値なしに絶品でした。低音・高音を問わず声が独特の柔らかみを帯びた艶やかで高貴な美しさを帯び、それがプッチーニの音楽の甘美な色調に対し絶妙にフィットしていて、その声自体の持つ得難い魅力だけでも絶大なものがあるのに、加えて非の打ちどころのない歌唱テクニック(ブレスコントロールの巧みなこと!)、ここぞという時の声量の豊かさ(第2幕「歌に生き恋に生き」では歌い終わったあとホール内の拍手喝采がしばらく止まなかった!)、機械的な歌い回しとは無縁な溢れんばかりの感情の発露(第3幕でのカヴァラドッシとの二重奏での「(スカルピアに)刃物を突き刺した」のハイCのくだり!)、これらの要素が混然一体となって醸し出すプリマとしての強烈なオーラ。

ファンティーニがまさに「伝統のベルカント唱法を受け継ぐイタリアを代表する名ソプラノ」であるという事実をつくづく実感させられた舞台でしたし、同時に、一般にはヴェリズモに近いオペラとして位置づけられる「トスカ」が本質的にベルカント(美しい声)のオペラであるという事実もまた、ファンティーニの並はずれた歌唱力によりまざまざと認識させられた舞台でした。素晴らしいトスカでした。

カヴァラドッシを演じたピエロ・ジュリアッチは声量だけならファンティーニをも凌ぐかというくらい声が出ていましたが、第3幕の「星は光りぬ」など聴いていて強弱の動きが計ったように機械的だったりなど、やや声量に頼り過ぎて細かいニュアンスが大味に流れていた印象も受けました。スカルピアを演じたミゲランジェロ・カヴァルカンティは細かいニュアンスには富んでいてスカルピアのゾッとするような卑劣な人格が観ていて良く伝わってきましたが、ここぞというところで声量が明らかに不足気味だったのが残念でした。ジョルジョ・クローチ指揮のオケの演奏は全体に可もなく不可もなく、やや非個性的とも思えましたが正攻法にやるべきことをやり尽くした手堅い運用でした。

演出に関しては、舞台装置の視覚的なリアリティと美しさが印象的でした。公演プログラムによると、このプロダクションはチェコの舞台設計家イルジー・スヴォボタの手による1947年の舞台装置に基づく復元演出とのこと。聖アンドレア教会(第1幕)、ファルネーゼ宮殿(第2幕)、聖アンジェロ城(第3幕)、それぞれの舞台となる建造物の重厚な色調や質感が素晴らしく、その実在感が劇に独特のリアリズムを付与していました。リアリズムといえば、終幕の際のトスカの投身自殺のシーンでファンティーニは本当に身投げをするように両脚を揃えて頭から舞台裏に飛び降りていくように見えました。おそらく後ろにネットか何かが張ってあるのでしょうけど、演技としては迫真でしたがひとつ間違えば大ケガしそうな感じでした。

ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の来日公演(10/20 東京オペラシティ・コンサートホール)



10/20 東京オペラシティ・コンサートホール

ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団 来日公演

2011-10-20a 2011-10-20b

指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ

演目:
シューマン 交響曲第4番
ブルックナー 交響曲第9番

素晴らしい演奏会でした。これほどの演奏会、それこそ10年に一回くらい出会えるかどうか、というくらいに。

ウィーン・フィル来日公演(10/17 サントリーホール)


10/17 サントリーホール
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演

2011-10-17a 2011-10-17b

指揮:クリストフ・エッシェンバッハ

演目:
モーツァルト 交響曲第34番
ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」

感想は後日あらためて出しますが、特に後半のブルックナーにマエストロ・エッシェンバッハの個性感が良く出ていました。アンサンブルは全体的に少し荒れ気味でしたが、程よく活かされたウィーン・フィル特有の音響美、総タイム70分オーバーの雄大な時間的スケール、独特の粘着味を帯びたメロディの濃密感、ニュアンスに富んだピアニッシモの表現力、深々と鳴らされたフォルテッシモの屈強な迫力、いずれも素晴らしく、総じて聴き応え十分のブルックナーでした。

プラハ国立歌劇場・来日公演 プッチーニ「トスカ」(10/16 東京文化会館)


10/16 東京文化会館
プラハ国立歌劇場・来日公演

プッチーニ 歌劇「トスカ」

2011-10-16a 2011-10-16b

指揮:ジョルジョ・クローチ
演出:マルティン・オタヴァ

トスカ:ノルマ・ファンティーニ
カヴァラドッシ:ピエロ・ジュリアッチ
スカルピア:ミゲランジェロ・カヴァルカンティ
アンジェロッティ:ルカーシ・ヒネック=クレーマー

「3・11」以降に来日して引っ越し公演を行ったオペラハウスとしてはMET、ビューネ・バーデン、ボローニャ、バイエルンに続いて5番目となるプラハ国立歌劇場の「トスカ」を観に行きました。

この一ヵ月ほど続いたオペラ通いも、取りあえず今日で一区切り。「カルメン」「ローエングリン」「トロヴァトーレ」「サロメ」「トスカ」。また見事に有名オペラばかり観てしまいましたが、いずれの公演も演出において独自の工夫が凝らされていましたし、好き嫌いはあるにせよ、やっぱりオペラっていいなとつくづく思いました。

公演感想は後日あらためて出しますが、ノルマ・ファンティーニのトスカが絶品でした。今日は彼女に尽きると言っても過言でないほど。ちょっと驚いたのは最後の投身自殺の場面。ひとつ間違えば大ケガしそうな飛び降り方でした。

パーヴォ・ヤルヴィ/パリ管弦楽団によるフォーレ作品集


フォーレ 声楽作品集
 パーヴォ・ヤルヴィ/パリ管弦楽団
 ヴァージン・クラシックス 2011年ライヴ 0709212
0709212

英ヴァージンから先般リリースされた、パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏によるフォーレ作品集のCDを購入しました。2011年2月パリでのライヴ録音。

収録曲は以下の5曲。
①レクイエム
②ラシーヌの雅歌
③チェロと管弦楽のためのエレジー
④パヴァーヌ
⑤バビロンの流れのほとりに
歌手は①がフィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)とマティアス・ゲルネ(バリトン)、⑤がマリー・ヴィルジニア・サヴァスターノ(ソプラノ)、レティティア・シングルトン(アルト)、マティアス・ヴィダル(テナー)、ウーゴ・ラヴェク(バス)。なお⑤は世界初録音と表記されています。

パーヴォ・ヤルヴィはフランクフルト放送響やシンシナティ響などを指揮して活発にレコーディングをリリースしていますが2010年から音楽監督を務めているパリ管弦楽団との録音は意外に少なく、ここではパリ管にとって自家薬籠中の作曲家であるフォーレの作品に対しヤルヴィがどのような味付けを施すか興味をそそられます。

ヘンゲルブロック/北ドイツ放送交響楽団によるメンデルスゾーン交響曲第1番&シューマン交響曲第4番


メンデルスゾーン 交響曲第1番&シューマン 交響曲第4番
 ヘンゲルブロック/北ドイツ放送交響楽団
 ソニー・クラシカル 2011年 88697940022
88697940022

ソニー・クラシカルから先般リリースされた、トーマス・ヘンゲルブロック指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏によるメンデルスゾーン交響曲第1番とシューマン交響曲第4番のCDを購入しました。2011年3月ドイツ・リューベックでのセッション録音。余白にはメンデルスゾーン弦楽八重奏曲の「スケルツォ」も収録されています。シューマンの4番は初稿版のスコアでの演奏のようです。

これはヘンゲルブロックの北ドイツ放送響首席指揮者就任記念録音とのことですが、ドイツ屈指のシンフォニーオーケストラである北ドイツ放送響がヘンゲルブロックのもとで音響的にどのような変容を遂げるか興味深いところです。

オピッツによる「ジャパニーズ・ピアノ・ワークス」


「ジャパニーズ・ピアノ・ワークス」
 オピッツ(pf)
 ヘンスラー 2011年 98631
98631

独ヘンスラーから先般リリースされた、ゲルハルト・オピッツのピアノ演奏による「ジャパニーズ・ピアノ・ワークス」と題された日本の作曲家のピアノ作品集のCDを購入しました。2011年3月ドイツ・ノイマルクトでのセッション録音。

収録曲は
①藤家溪子 「水辺の組曲」
②武満徹 「雨の樹 素描」
③池辺晋一郎 「大地は蒼い一個のオレンジのような・・」
④諸井三郎 ピアノ・ソナタ第2番
の4作品ですが、収録時間の配分で見ますと全80分のうち①が約40分、②と③が各5分程度、④が30分という按配です。また④は本CDが世界初録音になるとのこと。

①に関しては、2009年に作曲家の藤家溪子がオピッツの長崎でのリサイタルを聴きに行った折に、10年前に自身が作曲した「水辺の組曲」のスコアをオピッツに手渡してみたところ非常に興味を示されたという経緯が記載されており、おそらく今回の録音に繋がったのではないかと思われますが、この作品についてオピッツは、この音楽の中には謎のようなものが多くあり、解き難い疑問が残るが、そのような疑問は西洋人の作品からよりも日本人の作品から多く浮かび上がる、という風に述べています。

④は諸井三郎が1940年に作曲した作品で、緊迫した世界情勢の中で日本の将来を深く考える中から生み出されたものであるという作曲家自身のコメントが掲載されています。このソナタに関して演奏者のオピッツは、構成上のスタイルはパウル・ヒンデミットの影響によりつつ、直接的にはリストのロ短調のピアノ・ソナタにインスパイアされた作品ではないかと分析しています。

この録音は東日本大震災の直ぐ後に為されており、CDにはオピッツおよびヘンスラー制作陣の日本へのエールとしてのリリースと書かれていますが、いずれにしてもドイツのピアニストの大家による貴重な邦人作品のレコーディングですのでじっくりと耳を傾けてみたいと思います。

タローとラバディ/ル・ヴィオロン・ドゥ・ロワによるバッハのピアノ協奏曲集


J.S.バッハ ピアノ協奏曲集
 タロー(pf) ラバディ/ル・ヴィオロン・ドゥ・ロワ
 ヴァージン・クラシックス 2010年 0709132
0709132

英ヴァージンから先般リリースされた、アレクサンドル・タローのピアノ演奏とベルナール・ラバディ指揮ル・ヴィオロン・ドゥ・ロワの伴奏によるバッハのピアノ協奏曲集のCDを購入しました。2010年カナダ・ケベックでのセッション録音。

収録曲は以下の6曲。
①ピアノ協奏曲ニ短調 BWV1052
②ピアノ協奏曲ニ長調 BWV1054
③アダージョ~協奏曲ニ短調 BWV974
④ピアノ協奏曲ヘ短調 BWV1056
⑤ピアノ協奏曲ト短調 BWV1058
⑥4台のピアノのための協奏曲イ短調 BWV1065

③はマルチェッロのオーボエ協奏曲をバッハが編曲したアダージョを更にタローとラバディがアレンジしたもの。また⑥は多重録音によりタローが4台のソロ・パートを演奏しています。

現代ピアノとピリオド楽器アンサンブルとの共演によるバッハの録音というのは珍しいですが、どのような演奏なのでしょうか。

新国立劇場・R.シュトラウス「サロメ」(10/9)の感想


新国立劇場・R.シュトラウス「サロメ」(10/9)の感想です。

2011-10-9c

サロメを演じたエリカ・ズンネガルドはストックホルム生まれの美貌のドラマティック・ソプラノですが、全般にやや声量不足かとも思えましたが堅実な歌唱技術をベースに高音域の艶やかな美声を武器としつつ演出の要求するサロメの魔性を声量に頼らず最後まで過不足なく演じ切ったように思われましたし、ドラマティック・ソプラノとしては中音域の力強い押しの強さがもう少しあればとも思いましたが、迫真の演技力も含めてズンネガルド独自のサロメ像を明確に浮き出させていた点に敬服しました。

ヨハナーンを演じたジョン・ヴェーグナーは、昨年の新国立劇場「カルメン」でエスカミーリョを歌ったのを聴いたときにはフランス語の発声が全体に固くて滑らかさを欠くなど違和感があり、多分ドイツ・オペラの方が得意なのだろうなと思ってしまいましたが、やはり今回のヨハナーンの方が適役という印象で、その威厳に富んだボリュームある発声のスタイルはヨハナーンの高潔なキャラクタに相応しいものでした。ヘロデ役スコット・マックアリスターに関しては準備不足だったのかもしれませんが声量が全般に振るわず演技やニュアンスにおいても正直それほど際立った印象ではありませんでした。

ヘロディアスを演じたハンナ・シュヴァルツは大ベテランとしての安定した歌唱力もさることながら独特の貫録というのか、その舞台姿には揺るぎない存在感がありました。シュヴァルツといえば、あまりにも有名なカール・ベーム指揮ウィーン・フィル演奏によるオペラ映画「サロメ」での小姓役が思い出されます。この映画はゲッツ・フリードリヒの演出により1974年に制作されたものですが、約40年後の現在でも同じ「サロメ」のオペラで壮健な歌唱力を披歴していることに改めて敬服の念を抱きました。

2011-10-9d
ベーム/ウィーン・フィルのオペラ映画「サロメ」での
ハンナ・シュヴァルツ(市販のDVDより)

ラルフ・ヴァイケルト指揮の東京フィルの演奏は全体を通して整然と破綻なくアンサンブルを持続しつつも聴かせどころでは実に豪快な鳴りっぷりを披歴し、その思い切りの良さには聴いていて惚れぼれするほどでしたが、逆に繊細な部分を大きな音で誤魔化しているように思えなくもなく、サロメの官能的な色彩美やその本性としての残虐獰猛な気質の発露を表現するための、おもに弱音時におけるデリケートな陰影が不足気味であったようにも思えました。しかし純音楽的には良く練られた表現でしたし、指揮者交代のアクシデントを跳ね除けて大健闘という印象でした。

アウグスト・エファーディングの演出に関しては奇を衒った読み替えとか、取り立てて斬新な舞台効果というようなものは特段みあたらず、いわばオーソドックスな舞台回りに基づく正攻法の演出様式と思われましたし、視覚的にも観念的にもリヒャルト本来の音楽の醍醐味を阻害せず、安心して演奏に集中できるという観点において好演出という評価を確立しているのかと最初は観ていて思いました。

しかし舞台を良く観ていると、この演出では大胆な読み換えとか舞台効果などとは無縁である反面、歌手の演技に一定の方向性が細かく規定されており、特にサロメに関しては潜在する二面性のうち幼い少女としての人格の発露の方に重点が置かれていたように思われましたが、とりわけ踊りの褒美に何を望むかと聞かれたときケラケラあどけなく笑いながら無邪気に「ヨカナーンの首」と告げるあたり、なかなか観ていてゾッとするものがありました。

本質的に「サロメ」は先週の新国立劇場で観たヴェルディの「トロヴァトーレ」などと違いシナリオ自体の持つ訴求力が尋常でないので、必要以上に演出で手当てをする必要もないとも思えますが、それでも演出のコンセプトの方向性は大事ですし、そのあたりのバランスが考え抜かれているあたりが本演出の大きな美質となっているのではないかと思いました。

新国立劇場・R.シュトラウス「サロメ」(10/9)


10/9 新国立劇場
 R.シュトラウス「サロメ」

2011-10-9a 2011-10-9b

指揮:ラルフ・ヴァイケルト
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:アウグスト・エファーディング

サロメ:エリカ・ズンネガルド
ヨハナーン:ジョン・ヴェーグナー
ヘロデ:スコット・マックアリスター
ヘロディアス:ハンナ・シュヴァルツ
ナラボート:望月哲也

なお当初予定されていた指揮者は尾高忠明でしたが健康上の理由のため出演できなくなったとのこと。またヘロデ役にはクリスティアン・フランツが予定されていましたが親族が危篤状態のため来日できなくなったとのことです。

「サロメ」は正直それほど好きなオペラではありませんが、エファーディング演出に興味があって劇場に足を運びました。なにしろ同じ演出で通算5回めの公演というのは新国立劇場としても異例のロングヒット?ですので、それほど人気のプロダクションであれば後学のため一度は観ておきたいと思ったからです。

感想は後日あらためて出しますが、それにしても本公演と同じ日に、神奈川の平塚で人間の生首がビニールに包まれて発見なんて物騒なニュースが報道されていましたが、こういう残虐非道は「サロメ」の中だけの話にしてもらいたいものですね。

新国立劇場・ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」(10/2)の感想


先週の新国立劇場・ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」(10/2)の感想です。

2011-10-2c

マンリーコ役ヴァルテル・フラッカーロというと2008年の新国立劇場「トゥーランドット」でのカラフが思い出されますが、そのときは声量こそテオリン演じるトゥーランドットにやや押されている感がありましたが歌唱力は見事なもので、終盤のアリア「高慢な姫よ」でハイCを完璧に決めて貫禄を見せつけたのが印象に残っています。今回のマンリーコでも概ね同じような印象で、有名な第3幕「見よ恐ろしき炎を」で完璧に決められたハイCを含め、このドラマティック・テノールの難役を万全の歌唱力をもって最後まで歌い抜いた点は感服の一言でしたが、それだけに声量的に突き抜けたものがあればさぞかしとも思ってしまいました。

レオノーラ役タマール・イヴェーリというと2009年の新国立劇場「オテロ」でのデズデーモナが思い出されますが、このときはデズデーモナとして当初予定されていたヴェルディ・ソプラノのノルマ・ファンティーニの代役だったと記憶します。今回もレオノーラとして当初予定されていたタケシャ・メシェ・キザールの代役登板でしたが、一昨年のデズデーモナ同様今回もヴェルディ・ソプラノとしては少し小粒かなという印象で、その清潔感のある澄んだ美声ゆえの可憐なイメージは良く出ていたものの局面によってはもう少し声に強さが欲しい感もありました。

アズチェーナ役アンドレア・ウルブリッヒはここぞという時の声量が凄くて歌唱陣中随一というほどでしたが肝心の人格的表情が今一つ一本調子という域を出ず、時々セリフ棒読みのようなぶっきらぼうな歌い回しが聴かれたのには少々興ざめでした。アズチェーナは自分の産んだ子供を自分の手で焼き殺してしまったことから明らかに精神に異常を来たした人物ですが、そのあたりの常軌を逸した人格表現がもう少し踏み込んで描かれていたら尚よかったと思ってしまいました。

ルーナ伯爵役ヴィットリオ・ヴィテッリは本作の悪役としての人格表現、歌唱力、ここぞという時の声量というあたりのバランスが程よく取れていて揺るぎない安定感がありました。悪役としての人格といってもルーナ伯爵の場合は「オテロ」のイアーゴなどに比べれば相当うすっぺらい悪役的人格に過ぎませんが、与えられているアリアには第2幕の「運命の時は来た」を頂点として優れたものが多く、メイン級4人の中でもひときわ深い余韻の残る素晴らしい歌いっぷりでした。

ピエトロ・リッツォ指揮の東京フィルの演奏は全体的にタイトに引き締ったアンサンブル運用からイタリア・オペラの呼吸に則した適度な緩急強弱の起伏を明確に描き出したアプローチを披歴し、力感に富んだ強奏時の鳴り具合も上々、細かいフレーズの描き分けなどに画一感がなきにしもあらずでしたが、イタリア・オペラ特有のメリハリ感が良く表現されていた点などをはじめ終始安心して聴いていられるものでした。

演出に関しては擬人化された死を演じる役者を舞台上に配置した上で、その役者に全幕を通して「死」を演技させるという趣向が独創的でしたが、公演プログラム掲載の演出プラン解説によりますと「トロヴァトーレ」というオペラは人智を超えた存在として死がドラマを支配していて、最終的に死が全てを完結させる、という視点を強調したコンセプトのようです。このオペラは確かに主要キャスト4人のうち3人までが終幕の間際にドミノ倒しのようにバタバタと死んでいき、最後の一人が「俺だけが生きるのか?」と叫んで幕切れになるという形になっています。

そして、この「死」(を演じる役者)は例えば第1幕のラストでマンリーコがルーナ伯爵を切り殺そうとしたときに両者に割って入ってルーナ伯爵の命を救う(おそらくルーナ伯爵はまだ死ぬべき存在ではない、あるいは最終的に生き残ることが宿命づけられているということか)など、狂言回しというに留まらず全幕を通してドラマに積極的に介入していきます。

このオペラは筋立てに問題が多いことが古くから言われているところですが、演出家自身も演出プランの中で筋立てに問題があると遠まわしに認めているので、そのあたりを突き放して捉えた演出とも言えそうですが、その突拍子もない筋立てを「死」という人智を超えた存在が意図的に仕組んだものであるという風に再構成したあたりは確かに観ていて斬新でした。

もっとも、それだとアズチェーナの狂気を孕んだ異常な人格なども「死」に仕組まれたものとして帰着してしまったりなど、キャラクタ本来の持つ潜在的な人間の異常心理の刻印の度合いが希釈化されるという副作用があるようにも思えてしまいましたし、ひとつのコンセプトとしては面白いと思ったものの、結局はシナリオ自体の限界というか、どうにもならない側面をも一層ひき立たせたような気もしてしまいましたが、少なくともシナリオの脆弱性に何の手当てもしない有りきたりの演出よりは観ていてよほど面白かったのも事実ですし、そのオリジナリティ自体は正当に評価されて然るべき演出ではないかと思いました。

インバル/フランクフルト放送交響楽団によるブルックナー交響曲第2番


ブルックナー 交響曲第2番
 インバル/フランクフルト放送交響楽団
 テルデック 1988年 WPCS-6042
WPCS-6042

昨日のブログ更新でエリアフ・インバル/東京都交響楽団の演奏によるブルックナー交響曲第2番の新譜CDを購入したことを書きましたが、周知のようにインバルは以前テルデックにフランクフルト放送交響楽団を指揮したブルックナー交響曲全集を録音しているため、今回リリースのブル2はインバル2度目の同曲録音になります。

そのフランクフルト放送響とのブルックナー全集でインバルが用いたスコアは周知のようにレオポルド・ノヴァーク校訂のブルックナー新全集版スコアによる第1稿であって、このことが同全集のひとつのセールスポイントとなっていたと記憶しますが、しかし第2交響曲の録音に関してインバルは第3楽章のスケルツォ主部のリピートを何故かハース版の指示に従って実施していたため、どうしてノヴァークの指示を徹底しないのだろうと当時は疑問に思ったりもしましたが、今にして思えばインバルは単なる学究的な興味から同全集を眺められることを嫌ったのかもしれないという気もしています。

いずれにしても、このフランクフルト放送響との旧録音は世評の高い録音ですし、私自身も耳タコというくらい聴き込んでいる愛着のあるCDのひとつです。それだけに今回リリースの都響との新録音とではインバルの解釈にどのような変化が聴かれるか興味をそそられます。

インバル/東京都交響楽団によるブルックナー交響曲第2番


ブルックナー 交響曲第2番
 インバル/東京都交響楽団
 エクストン 2011年ライヴ OVCL00452
OVCL00452

エクストンから先般リリースされた、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団の演奏によるブルックナー交響曲第2番のCDを購入しました。2011年5月18日、東京文化会館での演奏会のライヴ収録。

インバル/都響というと私には今年5月にサントリーホールで聴いたリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」での充実度を極めた演奏内容が思い出されますが、このCDに収録のブルックナーも同じ時期のライヴ録音ということで、どのような演奏が聴けるか大変たのしみです。

エーネスとノセダ/BBCフィルによるバルトークのヴァイオリン&ヴィオラ協奏曲集


バルトーク ヴァイオリン協奏曲第1番・2番、ヴィオラ協奏曲
 エーネス(vn,va) ノセダ/BBCフィル
 シャンドス 2009~2011年 CHAN10690
CHAN10690

英シャンドスから先般リリースされた、ジェイムズ・エーネスのヴァイオリンおよびヴィオラ独奏とジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニックの演奏によるバルトークのヴァイオリン・ヴィオラ協奏曲集のCDを購入しました。2009年11月から2011年2月にかけてのマンチェスター新放送センタースタジオでのセッション録音。

収録曲はヴァイオリン協奏曲第1番と第2番およびヴィオラ協奏曲の計3曲。この3曲を一人の演奏者がヴァイオリンとヴィオラの二刀流で録音したものとしてはイェフディ・メニューインのものが有名ですが、ここでは辣腕ヴァイオリニストとして評価の高いエーネスが3つの協奏曲でどのような演奏を聴かせるか興味深いところです。

ケント・ナガノ/バイエルン国立管弦楽団によるブルックナー交響曲第7番


ブルックナー 交響曲第7番
 ケント・ナガノ/バイエルン国立管弦楽団
 ソニー・クラシカル 2010年ライヴ 88697909452
88697909452

ソニー・クラシカルから先般リリースされた、ケント・ナガノ指揮バイエルン国立管弦楽団によるブルックナー交響曲第7番のCDを購入しました。2010年9月、ベルギーのゲントでの演奏会のライヴ収録。

このコンビの実演は先月末にバイエルン国立歌劇場「ローエングリン」で聴いたばかりですが、そこでのナガノ指揮バイエルン国立管のワーグナー演奏は私には今一つピンときませんでしたが今回の新譜はナガノが得意とするブルックナーということで気持を切り替えて聴いてみたいと思います。

マルティノン/フランス国立放送管弦楽団によるベルクの「ルル」組曲&マーラー交響曲第3番


ベルク 「ルル」組曲
&マーラー 交響曲第3番
 マルティノン/フランス国立放送管弦楽団
 Cascavelle 1971・73年ライヴ VEL3160
VEL3160

スイスCascavelleから先般リリースされた、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏によるベルクの「ルル」組曲とマーラーの交響曲第3番を収録したCDを購入しました。ベルクが1971年11月、マーラーが同73年10月、いずれもライヴ録音。マーラーの独唱者はメゾ・ソプラノがヒルデガード・ルトガース、ソプラノがマリー・リンゼイ。

フランスの名匠マルティノンはフランス音楽のみならずマーラー演奏のエキスパートでもありましたが、今回リリースのマーラーは当時の手兵フランス国立放送管を指揮しての大作・交響曲第3番ということで、最晩年のマルティノンならではの明晰にして深みのある演奏を期待して聴いてみたいと思います。

メータ/ベルリン・フィルによるR.シュトラウスの楽劇「サロメ」全曲


R.シュトラウス 楽劇「サロメ」全曲
 メータ/ベルリン・フィル
 ソニー・クラシカル 1990年 SRCR8665/6
SRCR86656

今月、新国立劇場でヴェルディの「トロヴァトーレ」とリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」が並行して上演されます。このうち「トロヴァトーレ」の方は一昨日すでに観ましたが、今度は「サロメ」の方を観に行こうと思います。

「サロメ」は正直それほど好きなオペラではありませんが、エファーディング演出に興味があります。同一演出で通算5回めの公演というのは新国立劇場としても異例のロングヒットですし、それほど人気のプロダクションであれば一度は観ておきたいと思うからです。

そういう次第で、その予習としてズービン・メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による「サロメ」の歌詞対訳つき全曲盤を聴いておこうかと思っています。メータがベルリン・フィルとリヒャルト作品を集中的にレコーディングしていた時期の録音。サロメ役は稀代のドラマティック・ソプラノであるエヴァ・マルトン、ヨカナーンがベルント・ヴァイクル、ヘロデがハインツ・ツェドニク、ヘロディアスがブリギッテ・ファスベンダーという豪華な布陣です。

私自身「サロメ」を観るのは今回はじめての体験になりますので、ここはしっかりと対訳をさらっておきたいと思います。

新国立劇場・ヴェルディ「トロヴァトーレ」(10/2)


10/2 新国立劇場
 ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」

2011-10-2a 2011-10-2b

指揮:ピエトロ・リッツォ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:ウルリッヒ・ペータース

レオノーラ:タマール・イヴェーリ
マンリーコ:ヴァルテル・フラッカーロ
ルーナ伯爵:ヴィットリオ・ヴィテッリ
アズチェーナ:アンドレア・ウルブリッヒ
フェルランド:妻屋秀和

新国立劇場の新シーズン初日の舞台を観てきました。

演目はヴェルディの人気オペラ「トロヴァトーレ」。観ていて、なんとまあ歌の御馳走攻めというようなオペラであることかと、つくづく思いました。美しいメロディのアリアが応接の暇もないくらいに次から次へと目白押しという贅沢さにはそれこそイタリア・オペラの歌の快楽が凝縮されたかのような感すらあります。

そのあたりのヴェルディならではの歌の愉悦の醍醐味をたっぷりと堪能しました。歌唱・演奏に関しては欲を言えば切りがないという面もありますが、新国立劇場の水準としては全体的に高いレベルで良くまとまっていたように思えましたし、終演後の聴衆の反応も概ね上々の様子でした。

演出上の仕掛けとしては、擬人化された死を演じる役者を舞台上に配置し、その役者に全幕を通して「死」を演技させるという趣向が目を引きました。ひとつのコンセプトとしては面白いと思ったものの、結局はシナリオ自体の限界というか、どうにもならない側面をも引き立たせたような気がしなくもありませんでしたが、いずれにしろ後日あらためて感想を出します。

引き続きバイエルン国立歌劇場の来日公演・ワーグナー「ローエングリン」(9/25 NHKホール)の感想


昨日に引き続きバイエルン国立歌劇場の来日公演・ワーグナー「ローエングリン」(9/25 NHKホール)の感想ですが演出について思うところを書きます。

・・産業の目的は、金を儲けることだろう。だからそれにケチをつけるつもりは毛頭ない。勝手にどんどんやって、どんどん金を儲けてくれ。
 だが芸術の目的は、やはりそれとは違うだろうと思うのだ。娯楽産業と違って芸術は、真実を示すものでなくてはならない。この世界では愛が必ず勝つとは限らないことを、努力した善人が報われて幸福になるとは限らないことを、示すものでなくてはならない。・・・
 現代の演出家たちが、さまざまな工夫を凝らして、ワーグナー作品に救われないラストを用意したがるのも、それを敏感に感じ取っているからに他ならないだろう。ジャン=ピエール・ポネルはここバイロイトで、最後瀕死のトリスタンの許にやって来て、「イゾルデの愛の死」を歌って彼と運命を共にするイゾルデを、トリスタンが見た幻覚ということにして、トリスタンに救いのない死を与えた。ハリー・クプファーもまた、ラストに救済のテーマが出てこないドレスデン初稿を用い、オランダ人をゼンタの妄想の中の存在とすることで、誰も救われない「さまよえるオランダ人」を舞台に載せた。
 こうした演出を、作曲家の意図を歪めているとして忌み嫌う人もいるが、演出家たちは今の時代、元のままでは逆に感動を与えることができないと考えて、そうしているのだ。・・・
   深水 黎一郎「ジークフリートの剣」より引用

今回のバイエルン歌劇場「ローエングリン」のプロダクションは2009年にミュンヘンでプレミエ上演されたリチャード・ジョーンズの演出ということで、これはプレミエ当時かなり物議を醸したという話ですが、まずローエングリンは中世の騎士ではなくて流浪の大工、対してエルザは設計士としてバリバリ働くキャリアウーマンという設定で、最初ガランとしていた舞台上、ストーリーが進むにつれて一軒の家が新築されていき、それが第3幕冒頭で完成するも、例の禁問をエルザが発してしまったことにより、ローエングリンの手で燃やされてしまう、という趣向でした。

またローエングリンの人格の描かれ方にしても聖なる騎士というには程遠く、例えば第1幕ラストのテルラムントとの決闘シーンでは形勢が悪いとみるや、やにわに拳銃を取り出してズドン、第3幕のテルラムント殺害のシーンでも剣で向かってくるテルラムントを拳銃でズドンと、なんとも卑怯なものです。

これにより、まずローエングリンの「神聖な衣」を剥ぎ取るということに成功し、さらに物語全体を所謂「お伽話」のレベルから現実感のあるもの、いわば現代的な男女のドラマとして描き直すことにも成功し、その結果として「ローエングリン」としては一種の異様な現実感が舞台に載せられると同時に、その現実感ゆえに、そこに展開されるドラマに対して観客によっては身につまされるような物語として再構成されたり、身につまされることはないにせよ我々にとっての卑近な問題に思いを巡らせる契機を提供する、というようなことも可能性として十分にあり得る、そのあたりが本演出の狙いどころなのかなと私には観ていて思えました。

しかし残念ながらそこから先がない、というか、そこ止まりであるがゆえに、本当に優れたワーグナー演出を観た時に味わうような強烈な感銘を観た者に植え付けるというまでには至らないのではないか、という風にも思えてしまいました。

それでは私の考えるところの優れたワーグナー演出というものはどんなものだと問われた時に、その一例を示すとするなら、この記事の冒頭で引用した、小説「ジークフリートの剣 」の中で言及されているような演出コンセプトを挙げたいと思います。むろん人によっては異論を持たれるかもしれませんし、こういった動機付けが全てということでもないにせよ、ワーグナーのオペラに対し大胆な読み換えを行う演出家の演出上のインセンティブを考える上で傾聴に値する視点ではないかと思うからです。

そしてワーグナーのオペラにおいて所謂「優れた演出」というのは、そこに時として残酷な真実を投射することにより観た者に感動を与えるものである、とするなら、このリチャード・ジョーンズの大胆な読み換えは、大胆不敵な割りにそのあたりがぬるいというか、むしろ私には観ていて「ローエングリン」特有の救いの無さが戯画化されることにより緩和され、どこか微温的な後味を残すに留まったような印象さえ受けました。

もちろん私の感受性・想像力の乏しさゆえにそう思ってしまったのであって、この演出には本来もっと深く切実なものが秘められていたのに私が汲みとれなかっただけかもしれませんが(というか、その公算の方が大きいと思いますが)、少なくとも私としての印象は以上の通り、確かに斬新でユニークな趣向で、観ていて退屈はしませんでしたが、結局のところ今ひとつ余韻の弱い演出だったというのが率直なところでした。

バイエルン国立歌劇場の来日公演・ワーグナー「ローエングリン」(9/25 NHKホール)の感想


先日のバイエルン国立歌劇場の来日公演・ワーグナー「ローエングリン」(9/25 NHKホール)の感想です。

2011-09-25c

歌唱陣で傑出的だったのはヨハン・ボータとワルトラウト・マイヤーの二人。ヨハン・ボータは第1幕の登場シーンから透き通るように柔らかい美声がホールを包み込み、この世ならぬ存在たるローエングリンの第1声としてピタリと嵌った歌唱が披歴され、これは!、と期待してしまいましたが、全幕を通して低音・高音とムラなく澄んだ声の美しさに加え、ヴェルディのオテロを得意とするキャリアを裏付けるかのように中高音域の屈強感も目覚ましく、ホールを制圧するような圧倒的な最高音の伸びこそ少々振るわなかったものの、第3幕「名乗りの歌」での前半の柔らかく透き通るような声の美しさと、後半部の猛々しく力感ゆたかな歌唱との絶妙な対比の描かれ方には聴いていて思わず唸らされました。

同時に、このローエングリンという特殊な役柄には様々な困難がテノール歌手に要求されるということも改めて感じさせられました。超難度の歌唱技術に加えて声の透明感と強度とのバランスの取り方が非常に難しく、なるほど往年のルネ・コロが「現在ドイツ語圏でローエングリンを歌えるヘルデン・テノールは5人といない」と豪語したエピソードが思い出されましたが、21世紀の現代においてもローエングリンをここまで歌いこなせる歌手はやはり少ないのではと感服させられた歌いっぶりでした。

オルトルートを演じたワルトラウト・マイヤーですが、まず声量という点では当夜の歌唱陣の中で随一というほどでしたし、ここぞという時の緊迫に満ちた凄絶な歌唱力にも圧巻たるものがあり、ことに第2幕に関しては観ていてマイヤーの独壇場かというほどでした。オルトルートの常軌を逸したキャラクター、そのゾッとするような負の性格、それがマイヤーならではの強靭を極めた発声から説得力のある表現力で描き切られていましたし、この「ローエングリン」というオペラにおいていかにオルトルートの存在感が重いかが否応なく伝わってきました。稀代のワーグナー歌手マイヤーならではの素晴らしい歌唱力でした。

エルザを演じたエミリー・マギーといえばダニエル・バレンボイム指揮「マイスタージンガー」全曲CDでエヴァを歌い、同「ローエングリン」全曲CDではエルザを歌うなどリリック系ワーグナー歌手として著名なソプラノですので、かなり期待して聴きましたが、この歌手独特の声の美しさは健在でしたが全般に歌唱の線が細く声量が冴えずという按配で、どうも思ったほどパッとしなかったというのが正直なところです。テルラムントを演じたエフゲニー・ニキーチンも聴いていてさほどにパリッとした印象ではなく、確かに声量こそ立っていましたが、オルトルートを演じたマイヤーの圧倒的な存在感に対して全体的にキャラクタとしての影が薄く、表情が淡泊で、自分の妻の手のひらの上で最後まで踊らされたあげく無残に死んでいく、というテルラムントの悲哀な部分への踏み込みに今一つ物足りなさを感じてしまいました。

オーケストラの演奏に関しては、ケント・ナガノの指揮は純音楽的な方向性に基づく端正で堅実なアプローチを最後まで押し通し、その流暢にして快適なアンサンブル展開は確かに音楽の流れを淀みなく再現していましたが、ワーグナー特有の濃淡起伏なりメリハリに乏しい、のっぺりとしたものに聴かれてしまい、このオペラの複雑に入り組んだ起承転結を表現するにしては正直やや淡泊すぎないかと思いましたし、低音に重みを持たせるよりも円滑にアンサンブルの歩を進めることを重視したような行き方も、ここぞという時の軽量感がワーグナーの音楽本来の質量に対して物足りなく思えるケースもしばしばでした。

その誇張のない正攻法のアプローチから「ローエングリン」の音楽自体の持つ魅力に関しては充分に伝わってきたもののバイエルン国立歌劇場のオケならではの魅力という点では今一つピンとこなかったというのが率直な印象で、正直こんなものかなという食い足りなさも感じてしまいましたが、むしろワーグナーの本家バイエルン歌劇場の舞台ということで事前の期待値が高過ぎたのかもしれません。

演出についての感想は後日に。

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