引き続きボローニャ歌劇場の来日公演・ビゼー「カルメン」(9/16 東京文化会館)の感想


昨日の続きです。演出について。

2011-9-19

この演出ではオペラの舞台が1990年代のカストロ政権下のキューバという設定で、まず第1幕の舞台はハバナ葉巻の工場の前でした。キューバの特産品であるハバナ葉巻は国家にとって貴重な財源なので軍の管轄下にあり、その工場で働く女工の一人がカルメン、その工場を管理する軍人の一人がホセ、という設定。第2幕はキューバのバー「セビリア」、第3幕はキューバの波止場、第4幕はキューバの国技ボクシングのスタジアム前という具合に、それぞれ置き換えられていました。

「カルメン」というと何より濃密なスペイン情緒の充溢するオペラという先入観のある私のような観衆にとって、この大胆な読み換えは確かに斬新というほかなく、その音楽の発散するスペイン情緒が行き場を失ってホール内を彷徨うというのか、正直はじめのうちは違和感ありありという感じでしたが、観ているうちにこれはこれで面白いと思えてきました。いわば音楽自体に内包されているところの汎時代的ないし汎地域的な音楽の魅力なり訴求力のようなものが、なまじ舞台がキューバだけに一層ひきたつように思えてきたからです。

そうだとしても、ここで問題なのが何故あえてキューバなのか、という疑問ですが、プログラムの解説によると、演出家のアンドレイ・ジャガルスが90年代末にキューバを訪れた際の強烈な印象が下敷きにあるということのようです。当時カストロ政権下の社会主義体制にあったキューバの国民は貧困に喘いでおり、彼らはみな自由を強く渇望するという状況下にあったところ、それが自由を渇望するカルメンという女性像と二重写しになり、今回のような演出に繋がった、と述べています。

しかし私には正直あまりピンと来ませんでした。というのも、まずキューバ国民が抑圧を被っている基本的人権レベルの自由ないしは貧困から逃れるという意味での自由と、カルメンの渇望する精神的ないし個人主義的な意味での自由とは性質に少なからず開きがあるように思えたこともありますが、実のところ私は全く別の方向性のものを演出に対し期待していたので、その方面においては結果的に肩透かしだったという印象を抱いてしまったからです。

そもそも私が今回のボローニャの「カルメン」を観に行こうと思ったのは、昨年に読んだ一冊の本がきっかけでした。
「『七人の侍』と現代――黒澤明 再考」(四方田犬彦・著 岩波新書)。黒澤明監督の不朽の名画「七人の侍」に関する著書独自の視点に基づく作品論です。

その本には、21世紀の現在なお「七人の侍」を含む黒澤映画が世界のいたるところで現代的なテーマとして受容されているという興味深い事実が開示されており、その例として意外にも現在のキューバにおいて黒澤映画が広く受容されている、という実態が示されていました。とくに「七人の侍」はキューバ人が最も熱狂し、わがごとのように興奮しながら観ている映画であるが、それは単に国境や民族を超えて理解しうる痛快なアクション映画であるという理由だけでなく、革命を体験したキューバが社会主義国家として長年にわたり超大国アメリカの脅威に晒されてきた特殊事情が厳然とあるからであり、それがあの映画での孤立無援の主人公たちへの共感に繋がっているのだと著者は考察しています。

これを読んだ時に私がふと思ったのは、もし仮に「七人の侍」がオペラ作品であり、その舞台を90年代あたりのキューバに置き換えるような演出がなされたならば、その演出は非常に秀逸なものになるのではないかということでした。少なくとも当時のキューバという国家が特殊的に置かれた抜き差しならない国民の状況が、あの映画作品で描かれている抜き差しならない農民の状況と絶妙な形でシンクロし、その政治的メッセージのもつパワーにより、観衆に与えるインパクトなり訴求力は際立ったものになるだろうことは容易に想像されるからです。そこにもってきて今年のボローニャの日本公演「カルメン」の演出では舞台が何と、その90年代のキューバに置き換えられているということで、これは是非とも観ておきたいと思いました。

結果的には前述のように今一つピンと来なかったというか、いささか安易な読み換えという風に私には移ったというか、もう少しキューバに置き換えた意義を掘り下げても良かったのではないかと思ってしまいましたが、このあたりは原作オペラとの兼ね合いもあるので難しいところでもあり、その意味ではあのあたりがギリギリかなと思いますし、少なくとも演出家自身が狙いとした「この作品は世界中どの歌劇場でも同じような演出で上演されているが、『この演出どこかで観たな』と思われるようなものをまた一つ創るようなことはしたくなかった」(公演プログラムより)という独自の確固たるビジョンに基づき、あそこまで「カルメン」というオペラの舞台を既視感のない形で再創造せしめた演出という点では、やはり一目置かれるべき秀逸な演出だったと感じました。いずれにしろ、これまで私が観た「カルメン」の舞台の中では(都合4回だけですが)抜群に面白く、また、いろいろと考えさせられた演出でした。

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