メトロポリタン・オペラ来日公演「ボエーム」をネトレプコが降板、代役はなんとフリットリ


来月のメトロポリタン・オペラ来日公演で「ボエーム」ミミを歌う予定だったアンナ・ネトレプコが、原発問題を理由に来日を断念したそうです。本日付けでメト来日公演公式ホームページ上に告知されています

代役はなんと、バルバラ・フリットリとのこと。

ネトレプコのミミが聴けないのは正直ガッカリとはいえ、フリットリのミミといえば昨年のトリノ王立歌劇場来日公演での「ボエーム」で聴きましたが、その歌唱は素晴らしいの一言でした。あのフリットリの名唱を再び日本で聴く機会が巡ってこようとは、、、

もう来週から公演開始という直前期にプリマ降板の告知というのは、通常なら非常識もいいところですが、今回は事情が事情だけに、さすがに責められませんね。取りあえずネトレプコ→フリットリであれば、それほどクレームも出ない気がしますし(少なくとも昨年のゲオルギューのような騒動にはならないのでは?)、まあ妥当な人選だろうと思います。

ただ今からだとリハーサルなどの準備期間が足りるのかが心配ではありますが、、

スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団によるラフマニノフ交響曲第2番


ラフマニノフ 交響曲第2番、幻想曲「岩」
 スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団
 キャニオンクラシックス 1995年 PCCL-00569
PCCL-00569

昨日のブログ更新で、マルク・ゴレンシュタイン指揮ロシア国立交響楽団の演奏によるラフマニノフ交響曲第2番のCDを購入したことを書きましたが、このオケによるラフマニノフの2番の録音としてはゴレンシュタインの前任エフゲニー・スヴェトラーノフが最晩年に録音したCDがリリースされています。

このCDはスヴェトラーノフの死の翌年2003年にキャニオンからリリースされたもので、もともとラフマニノフ交響曲全集としてセット販売されていたものの分売になりますが、これほど重厚で重量感あふれる同曲の録音は珍しいと思われますし音質の良さも含めてスヴェトラーノフ最晩年の音楽の凄味が極めて良好な形で伝わってくるという点で傾聴に値する録音だと思います。

このたび購入したゴレンシュタインのCDと上記スヴェトラーノフ盤とでは同じ曲を同じオーケストラが演奏しているということで、どのような違いが出るか聴き比べてみるのも一興かと思いますし、この機会にスヴェトラーノフのラフマニノフ演奏にもじっくり耳を傾けてみたいと思います。

ゴレンシュタイン/ロシア国立交響楽団によるラフマニノフ交響曲第2番


ラフマニノフ 交響曲第2番
 ゴレンシュタイン/ロシア国立交響楽団
 ロシア国立響自主制作? 2004年ライヴ 規格番号なし
No-Number01

故障して修理に出しているアンプが、近日中に戻ってきそうです。部品調達に手間取ったが、めどがついたとのこと。やれやれです。もともと3ヶ月は見てほしいと言われていたので、ほぼ見積もり通りではあるんですけど、長かったなあというのが率直なところ。長年使っていて愛着もあるので、買い替えなくて済みそうで、何より。

あれから新規に入手した未聴盤も結構たまってきているんですが、その中の一枚が、このCDです。マルク・ゴレンシュタイン指揮ロシア国立交響楽団の演奏によるラフマニノフ交響曲第2番。おとといサントリーホールで購入しました。2004年10月1日、モスクワ音楽院ホールでのライヴ収録とあります。

これはホール限定販売とされていたものですが、ネットで調べてみたところ確かに国内の輸入盤ショップでは取り扱われていないもののようで、パッケージには規格番号のようなものがなく、レーベル名も記載されていないことからロシア国立交響楽団の自主制作CDではないかと思われます。

このコンビのCDはほとんどリリースされていないと思いますし、先週ホールで耳にした同曲の実演は、私の好みからは少し外れるスタイルではあったものの、現在では貴重とも思えるロシア色の充溢する、濃密な響きの感触において強烈な聴き応えを感じたのも事実ですので、そのあたりを本CDで再び体験できるか、じっくり聴いてみたいと思います。

ロシア国立交響楽団の来日公演(5/28 サントリーホール)


5/28 サントリーホール
ロシア国立交響楽団 来日公演

2011-5-28

指揮:マルク・ゴレンシュタイン

演目:
グラズノフ バレエ音楽「ライモンダ」より3つの小品
ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番
(チェロ:アレクサンドル・ブズロフ)
ラフマニノフ 交響曲第2番

アンコール:
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド
ラフマニノフ ヴォカリーズ

名門ロシア国立交響楽団の、実に14年ぶりの来日公演とのことです(それがまた、どえらい時期に当たってしまったものですが)。この時期にヨーロッパのオーケストラがフル編成で果敢に来日を果たした、その心意気に敬意を表しつつ聴きに行きました。

オーケストラは通常配置、編成はショスタコーヴィチが14型でグラズノフとラフマニノフが16型でしたが、後者はチェロ奏者が12人、つまり16-14-12-12-8という、やや低弦に厚みを持たせたバランスでした。

まずグラズノフのバレエ音楽「ライモンダ」より、第3幕への間奏曲、グランド・ワルツ、スペインの踊りが演奏されました。これは初っぱなの挨拶代わりに強烈なのを一発と言わんばかり、アンサンブルの鳴りっぷりが豪快なものでしたが、しかし豪快一辺倒というのとも、また違っていました。

ゴレンシュタインはスコアなど不要と言わんばかり暗譜で指揮していましたが、どんな強奏であろうと絶えないアンサンブルの強力な一体感、あるいは音楽に対する強い共感に裏打ちされた、個々のメロディの濃厚な歌われ方、ハーモニーの意外なくらいのキメの細かさなど、これがオーケストラにとって自家薬籠中の作品であるということを聴き手に強く印象づける、その意味で本場の名に相応しい演奏でしたし、聴いていて爽快な気分に誘われました。しかしスヴェトラーノフ時代には、もっと凄かったのでしょうか、うーむ、、、

続いてアレクサンドル・ブズロフをチェロ独奏に迎え、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番が演奏されました。なお、本来の独奏者はアレクサンドル・クニャーゼフが予定されていましたが、キャンセルとなりました。

ブズロフというチェリストは初めて聞く名前でしたし、クニャーゼフの降板にガッカリしていたしで(今年の2月に同じホールで聴いたドボコンの実演が素晴らしかったから)、この演奏には正直、それほどの期待は抱いていませんでした。

ところが演奏が始まるや度肝を抜かされました。まず、いきなり暗譜でバリバリ弾き始めたことに驚きましたし(ここではゴレンシュタインの方は対照的にスコアを丹念に見ながらの指揮ぶり)、弾きっぷりにしても実にアグレッシヴで、その積極果敢なボウイングの切れ味は素晴らしいばかり、それでいてテクニックは正確無比、このロストロポーヴィチを想定して書かれたという難曲を危うげなく弾き切り、この作品特有の屈折した情熱味も仮借なく表現されているあたりも、聴いていて思わず唸らされましたが、なにより作品に対する没入の度合い、のめり込み方がハンパでない。

休憩時にロビーで購入した公演プログラム掲載のプロフィールによると、ブズロフはモスクワ音楽院で学びナターリャ・グートマンに師事とありました。クニャーゼフのような鬼才タイプではなく、もってまわらない真っ直ぐな表現を信条とする演奏家という印象を実演から受けましたが、あのグートマンの弟子と知ってなるほどと思いました。

後半のラフマニノフ交響曲第2番は、提示部反復こそ省かれましたが、それでも演奏タイム1時間に及ぶ大演奏。前述のように低弦に厚みを含ませたアンサンブル編成から展開される、実にコッテリと濃厚な弦のハーモニー、これに金管のズッシリと重厚な吹き回しと、木管の図太くて味の濃い音色、これらが絶妙に合流し、文字通りロシア本場を地でいく濃密なラフマニノフの響きがホールに充溢する様は、大いに傾聴に値するものでしたが、ただ聴いていてどうにも気になった、というか正直あまり感心しなかったのが、ゴレンシュタインの演奏スタイル。

徹底した定速テンポ型の運用でした。第1楽章の中盤の山場でも思いきった加速を仕掛けるでなく、さりとてテンポを落として情緒を強調するでもなく、コーダのクライマックスでさえ定速進行という、とにかくイン・テンポで押し通すスタイルで、それゆえ確かに、このうえなく音楽の格調が高く、なるほど本場のラフマニノフとは本来こういうものかもしれないと思えなくもないものでしたが、その反面において、音楽の動きが全体的に杓子定規のようで柔軟性に欠け、ずいぶん表情が堅いなという印象も強く、ちょっと「様式」に拘り過ぎではないかと思ってしまいました。

そもそもラフマニノフの2番をどれほど格調高く演奏しようともドイツ音楽のようにはならないと思うし、むしろアンサンブルの進行に適度なうねりを持たせた方が曲調が引き立ち、ひいてはオケ特有の濃い響きの個性感にもシンクロするように思えますし、特にスヴェトラーノフの薫陶を受けた、このオケならそういうスタイルの方が向いているのではないかと思ってしまいます。このあたりは私の好みに過ぎないので、演奏自体が立派であるということに変わりはありませんが、、

最後にゴレンシュタインが「東日本大震災の被災者に捧げます」と、日本語で聴衆に告げ、アンコール曲としてラフマニノフのヴォカリーズが粛然と演奏されました。

バシュメット/モスクワ・ソロイスツ来日公演(5/22 東京オペラシティ・コンサートホール)


5/22 東京オペラシティ・コンサートホール
モスクワ・ソロイスツ合奏団 来日公演

2011-05-22

指揮:ユーリ・バシュメット

ヴァイオリン:アリョーナ・バーエワ
ヴィオラ:ユーリ・バシュメット
ピアノ:クセーニャ・バシュメット

演目:
メンデルスゾーン ヴァイオリンとピアノのための協奏曲
パガニーニ カプリース第21、9、24番(弦合奏付き編曲版)
パガニーニ ヴィオラ協奏曲
チャイコフスキー 弦楽セレナード

アンコール:
武満徹 映画「他人の顔」より「ワルツ」
シュニトケ ポルカ
ベンダー グラーヴェ

東日本大震災に端を発した、福島原発の放射能漏れ事故、先月のレベル7宣言、そして先週のメルトダウン報道などから、ヨーロッパ各国のオーケストラが軒並み来日公演を取り止める事態となっているなか、ユーリ・バシュメット率いるモスクワ・ソロイスツ合奏団の来日公演が予定どおり開催されるということで、聴きに行きました。

弦のみのアンサンブルは通常配置で、全曲ともファーストヴァイオリン4名という規模でしたが、セカンドヴァイオリンが3名なのに対し、ヴィオラが4~5名という、やや変則的なバランスでした。

まずメンデルスゾーンの、ヴァイオリンとピアノのための協奏曲が、アリョーナ・バーエワ(ヴァイオリン)とクセーニャ・バシュメット(ピアノ)を独奏者として演奏されました。これはメンデルスゾーン弱冠14歳の作品で、サロン・コンサートで演奏するために作曲されたものですが、ここでの独奏者両名の演奏たるや目覚ましく、特に第1楽章の中盤から終盤にかけての、白熱的な音楽の高潮など、とてもサロン音楽とは思えないほどのものでしたが、それでもやはり、サロン音楽としての表出力の限界が、特に第2楽章と終楽章で正直それなりに意識されてしまいましたし、せっかくの独奏者の見事な表現力を全開とするには、いささか曲の器が小さすぎた感も否めませんでした。

続いてパガニーニ「24のカプリース」より第21、9、24番が、引き続きアリョーナ・バーエワをヴァイオリン独奏として演奏されました。本来パガニーニの「24のカプリース」は無伴奏ヴァイオリンのための作品ですが、それを弦楽合奏付きに編曲したデニーソフ編曲版での演奏で、これは初めて耳にするものでしたが、弦楽合奏は基本的に伴奏に徹し、あくまで主役はヴァイオリン独奏という構えとなっていて、原曲の超絶的なヴァイオリン技巧の持ち味をそのままに、音楽的に巧く厚みを持たせたような感じが新鮮で、こういうのもアリだなと思いましたし、バーエワの溌剌とした弾き回しは、ラテン的なパッションというよりはスラブ的ともいうべき真摯な情熱を帯びたものとして切々とホールに響き渡り、聴き応え満点でした。

休憩をはさんで、ユーリ・バシュメットの弾き振りで、パガニーニのヴィオラ協奏曲が披露されましたが、これは公演プログラムの作品解説によりますと、パガニーニが作曲した「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとギターのための四重奏曲第15番」をモスクワ・ソロイスツのメンバーであるバラショフとカッツがヴィオラ協奏曲に編曲したものである、とのことです。ここではヴィオラ独奏者として世界的名手であるバシュメットの面目躍如たる、非の打ちどころのない演奏技術力に裏打ちされた、まさに貫禄の演奏ぶりでした。敢えて言うなら、パガニーニの音楽の色と、合奏団のストイックな響きの性格とが、微妙にミスマッチかなと思えなくもありませんでしたが、それを言うのは野暮というものかもしれません。

最後は、チャイコフスキーの弦楽セレナード。この曲で4型?と、最初は正直いぶかりましたが、聴いてみると、まずテンポの動きに関しては、最初こそ重く引き摺るように始められたものの、おしなべて柔軟な緩急の運用で、型に嵌った感じの演奏とは一味も二味も異なる、まさしく小編成ならではの、フレキシブルなアンサンブルの機動力が素晴らしいものでしたし、それ以上に、アンサンブルの僅か16人の奏者が、それこそ一心同体ともいうべき強固な一体感をもって、切々とメロディを奏でていく音楽の様相に、何とも言えない感銘を覚えました。そして、小人数とは思えないほど、実に濃厚で、芳醇な響きに満ちた演奏でした。オペラシティ・コンサートホールの潤沢な残響特性が、プレイヤーの人数の少なさを音響的に補っていたのかもしれませんが、やはりアンサンブルが「自分たちの音楽」として作品を知悉しているという、アンサンブルとしてのポテンシャルが、これほどの演奏を可能にしていたような気がします。心に沁み入る、まさに本場のチャイコフスキーでした。

アルミンク/新日本フィルの演奏会(5/20 すみだトリフォニーホール)の感想


昨日(5/20)のアルミンク/新日本フィルの演奏会(すみだトリフォニーホール)の感想です。オケの配置はVn-Va対向、編成はブラームスのみ14型で他2曲が16型でした。

最初のドヴォルザーク・交響的変奏曲は演奏機会の少ない作品とのことで最初は興味深く聴いていましたが、この作曲家に特有の美しいメロディに彩られた、親しみやすい諧調はよいとしても、似たような雰囲気の変奏部が30分近くも延々と連なっているのには、いい加減うんざりで、だから演奏機会が少ないのでは、とも思ってしまったんですが、昨日は少し体調が悪かったため、そんな風に感じただけかもしれません。

続いてはブラームスのダブル・コンチェルト。ヴァイオリン奏者がアリッサ・マルグルス、 チェロ奏者がタチアナ・ヴァシリエヴァでしたが、もともとはヴァイオリン奏者に五明カレン、チェロ奏者にクリスティアン・ポルテラが予定されていたところ、両名とも都合により(福島原発でしょうね)キャンセルとなり、上記2名が急きょ登板という形になりました。

ヴァシリエヴァは先のラ・フォル・ジュルネで少しだけ聴いたものの、きちんとした形で聴くのは今回が初めてでしたが、彼女の演奏にしては全体に手堅い感じで、マルグルスともども、ブラームスのスコアを誠実に音化していたという点では十分な演奏とも思えましたが、ヴァシリエヴァは昨年リリースされたショパンのチェロ・ソナタのCDが非常に素晴らしかったし、バッハ無伴奏チェロ組曲のCDでもやりたい放題というべき個性的な演奏だったことを考えると、もう少し彼女ならではの個性味が強く出ても良いのではと思ってしまいました。

後半は、いよいよマルティヌーの交響曲第3番。実は、これを目当てに当夜の公演チケットを取りました。この曲が昨年末にヤクブ・フルシャ/東京都響の演奏会で取り上げられ、絶賛を博したという評判を聞くにおよび、それほどの曲なら是非とも生で聴いてみたいと、思っていたところが、このたび新日本フィル定期でアルミンクが取り上げるというので、この機とばかり聴きに行きました。

この交響曲はマルティヌーが1944年に作曲した、3つの楽章からなる作品で、作曲の背景には当時アメリカで暮らしていたマルティヌーの、祖国チェコへの望郷の念と、そのチェコを蹂躙したナチスへの反感の念といったものがあるとされますが、なるほど悲劇的な音楽のトーンが全体を支配するなか、鬱屈した感情が全編に逆巻いているような、名状しがたいペシミズムが、時おり唐突に暴発したように盛りあがり、それが凄まじいカタストロフを形成する、そんな音楽の様相が、当夜のアルミンク/新日本フィルの実演においては仮借なく表現されていました。

この作品が、確かに尋常ならざる緊迫感に満ち溢れたような作品である点は、当夜の実演では十分に伝わってくるものでしたが、しかし私が聴き終えてピンとこなかったのは、まず、この曲がベートーヴェンの「英雄」交響曲を意識した作品であると、マルティヌーが明言している点で、あのベートーヴェンの英雄の、雄渾きわまりない楽想とは、随分と乖離しているように思えるし、あの音楽史に燦然と輝くほど驚異的にロジカルに組まれたベートーヴェンのソナタ構造という点でも、やや系統の異なる作品のように思えるしで、一体どのあたり意識したのだろうというのが聴き終えても謎のままでした。

他にもマルティヌーは、確か交響曲第6番がベルリオーズの幻想交響曲をモデルとし、交響曲第2番がベートーヴェンの「田園」をモデルとしたと言っていたと記憶しますが、そもそも自分の書いた交響曲において、過去の有名作品、それも音楽史上において特筆大書されるほどの交響曲を、いちいちモデルにした、と明言するシンフォニストは、私の知る限りマルティヌーだけに見られる現象ではないかと思うんですが、何故そうする必要があるのか、、?

というようなことは、マルティヌーの交響曲を理解するうえで考えざるを得ない点でもなんでもなく、どうでもいい話なのかもしれません。が、私には何となく引っ掛かる。そのへんの手掛かりを当夜の実演で掴めればいいなあと思っていたのが、結局わからずじまい。せっかくのアルミンク/新日本フィルの好演(アルミンクは先週マスコミを騒がせた福島原発「メルトダウン」報道にもかかわらず、公演の4日前に来日、3日前からリハーサル開始、という強行軍で、あれだけの演奏が出来てしまうのは、やはりオケに地力があるからでしょうね)、体調が良い時に聴いていたら、もっと収穫が得られたかもと、少し悔いが残りました。

アルミンク/新日本フィルの演奏会(5/20 すみだトリフォニーホール)


5/20 すみだトリフォニーホール
新日本フィル 定期演奏会

2011-5-20

指揮:クリスティアン・アルミンク

演目:
ドヴォルザーク 交響的変奏曲
ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
 ヴァイオリン:アリッサ・マルグルス
 チェロ:タチアナ・ヴァシリエヴァ
マルティヌー 交響曲第3番

少し体調が悪かったりで、全体的に消化不良でした、、

# マルティヌーの3番がよくわからない、、

マフチン&児玉桃の室内楽コンサート(LFJ2011公演)


5/5 東京国際フォーラムD7ホール
LFJ2011・公演D-35d

シューマン 幻想小曲集op.73
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番
 ドミトリ・マフチン [ヴァイオリン]
 児玉桃 [ピアノ]

この2曲で45分の枠、、、きっとテンポが遅いのかな、と思っていたら、普通のテンポで、普通に30分で終わりました、、(アンコールのシューマン幻想小曲集第2番を含めて35分の公演でした)。

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番は今年のLFJ初日に、同じく児玉桃さんのピアノ演奏で聴きましたが、この時はオーギュスタン・デュメイのヴァイオリン演奏でした。感情の高まりを比較的ダイレクトに表現していた、デュメイの情熱的なスタンスとは対照的に、こちらはテクニックの切れを前面に押し出した、ヴィルトゥオーゾ・スタイル。デュメイのやったように、終楽章で足を床にガツン、ということはせず、一定の節度を崩さず、ヴァイオリン演奏自体のもつ醍醐味をホールに充溢させる、そんな演奏。

それにしても児玉桃さんは相手がデュメイでもマフチンでも、ピタリと合わせて、それに相応しいピアニズムを展開するあたりの、ピアニストとしての技量は、やはり見事としか言いようがありません。

もっとも、譜めくり係の女性との呼吸は全体にイマイチだったようで、譜面をめくる場所を間違えて止められたり、など。

何回目かの拍手に応えて、二人の演奏者と一緒に譜めくり係の方もアンコール用の譜面を携えて登場したものの、二人が再び袖に引っ込んでしまい、ステージに一人取り残されて慌てるひとコマも、、登場がワンテンポ早かった、ですね。

ドマルケット&ダルベルトの室内楽コンサート(LFJ2011公演)


5/5 よみうりホール
LFJ2011・公演Y-383

ブラームス チェロ・ソナタ第2番
R.シュトラウス チェロ・ソナタ 
 アンリ・ドマルケット [チェロ]
 ミシェル・ダルベルト [ピアノ]

この2曲で55分の枠、、、きっとテンポが速いのかな、と思っていたら、普通のテンポで、普通に15分オーバーでした、、

ステージ前方にドマルケット、後方にダルベルト、という配置。直前の公演(ライプツィヒ四重奏団)のY-382と違って弦奏者が一人なので、ステージの奥行きに若干の余裕があったとみえ、こちらは公演Y-382のようにピアノが反響板にべた付けという状態ではありませんでした。

そのせいもあるのか否か、同じホールで直前に耳にした田部京子さんの抑制の効いたピアニズムとは一味違い、ダルベルトは調和の取れた音楽の造型美を踏まえつつも、アクセルを踏み込むところでは大胆に踏み込み、ホールを震撼させる強打を炸裂させるという、メリハリ豊かなピアニズムを披歴しました。ドマルケットのチェロは実に豊穣な響きの感触。ふくよかに美しい音色がホールに充溢し、とにかく聴いていて惚れぼれでした。

それにしてもブラームスとR.シュトラウスのチェロ・ソナタ、こうして並べて演奏されると、同じドイツの作曲家でも、オペラを全く書かなかった作曲家と、ドイツ音楽史上でも屈指のオペラ作曲家とでは、たとえ小規模な室内楽作品であっても、音楽の性格に如実な開きがあるということを、あらためて実感させられました。

児玉桃のピアノ・リサイタル(LFJ2011公演)


5/5 東京国際フォーラムG402ホール
LFJ2011・公演G-36f

シェーンベルク 3つのピアノ曲op.11
ブラームス パガニーニの主題による変奏曲
ヴェーベルン ピアノのための変奏曲op.27
ブラームス 4つのピアノ小品op.119
 児玉桃 [ピアノ]

なお曲順は予定ではシェーンベルク→ヴェーベルン→ブラームスの2曲の順でしたが開演直前に上記のように直されました。

これだけの小規模なホール(座席数わずか100)で至近距離からプロのピアニストのピアノ演奏を聴く、というのは初めての体験でしたが、やはりサントリーの大ホールなどで聴くのとは感覚が全然ちがうといいますか、部屋全体がピアノに共鳴しているような印象でした。

児玉桃さんの現代曲の実演といいますと、去年7月にサントリーホールで聴いた、メシアン「鳥たちの目覚め」が思い出されますが、今回のシェーンベルクとヴェーベルンも見事でした。その強い表出力を伴うタッチの凛とした佇まいは、新ウィーン楽派特有の音楽の異界性を汲み、情緒的なものから解放された抽象的な音の世界へ塗り替えてしまうような演奏でしたし、ブラームスも、昨年のLFJでのD7ホールで聴き、その一心不乱なピアニズムの迫力に聴いていて度肝を抜かれたショパンのスケルツォを彷彿とさせる、気持の入った演奏でした。

ただ残念なのは、ホールの空調の音。どじゃぶりの雨が建物に当たっているような感じで、最初は夕立かと思ったほど。とにかくザワザワうるさい。

新ウィーン楽派のピアノ曲の場合、無音に語らせるというのか、音と音との間に静謐さに意義をもたせるという作風なので、そのあたりが相当にスポイルされた感もありましたし、やはり空調は止めるか弱めるべきであったと思われます。

田部京子とライプツィヒ四重奏団の共演によるブラームスのピアノ五重奏曲(LFJ2011公演)


5/5 よみうりホール
LFJ2011・公演Y-382

ブラームス ピアノ五重奏曲
 田部京子 [ピアノ]
 ライプツィヒ弦楽四重奏団

ライプツィヒ弦楽四重奏団は昨年のLFJでメンデルスゾーンとシューマンの室内楽の演奏を聴きましたが、その時はB5ホールで、かなり至近距離から聴いたこともあってかアンサンブルの熱感あふれる演奏に聴いていて惹き込まれたことを覚えています。

しかし今回は千人規模のホールで聴いたこともあってか、印象は少し昨年と異なりました。彼らの録音したドイツもののCDさながらの、正攻法に基づく手堅い運びという感じの演奏であり、張り詰めるような熱気こそ希薄ながら、音楽の隅々までコントロールと目配りが行き届いた、まさに自分たちの国の作曲家の音楽を演奏している、という雰囲気の如実に立ち込める演奏でした。

田部京子さんのピアノも、彼らのアンサンブルに過不足なく寄り添っていましたが、ここぞという時にピアノが鳴り切らない嫌いもあり、やや抑制が効き過ぎではないかと聴いていて思えなくもありませんでした。

いや、途中まではそう思っていたんですが、もしかしてステージの制約のためピアノの鳴りが振るわないのでは、という印象を聴いていて感じ出しました。

というのも、このよみうりホールのステージというのは、奥行きが極端に狭く、実際この時の演奏では、4人のカルテット奏者がステージ前方、その真後ろにピアノという配置でしたが、もうこれだけでステージの奥行きを全て使い切ってしまい、ピアノは反響板にべた付けという有り様でした。

これだと、まず、譜めくりの人を左どなりに配置できない(実際、私が最終日に聴いた4公演のうち、3公演までは、ピアノ奏者に譜めくりの係が配備されていたが、この公演Y-382のみ、配備されていなかった。むろんベレゾフスキーのリストのように暗譜でバリバリ弾くなら譜めくりの係は要らないが、この時の田部京子さんの演奏では、しっかり譜面が置かれていた)。それに、ピアノが反響板にべた付けだと、音がモロに跳ね返ってくるため、大きな音を出しづらいのではないか、という気もします。

よみうりホールのアコースティックは思ったより悪くない(Aホールよりはずっといい)だけに、そのあたりのステージの狭さが演奏家に不要な圧迫感を与えはしないかと、そのあたりが気になりました。

読書間奏「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(下)」


「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(下)」
アレクサンダー・ヴェルナー(著)
喜多尾道冬、広瀬大介(訳)
音楽之友社

    c-kleiber-biografie

昨年秋に音楽之友社から発売されたカルロス・クライバーの伝記「カルロス・クライバー~ある天才指揮者の伝記(下)」を読みました。

上巻同様、いや上巻以上に面白い「逸話」に事欠かない内容で、読んでいると稀代のキャンセル魔クライバーの武勇伝が次々に出てきますが、とくにレコーディングがらみのトラブルが多く、おもだったところを抽出しますと、まずドイツ・グラモフォンのプッチーニ「ボエーム」全曲録音、これをミラノ・スカラ座とセッション形式で進めていたがレコーディングの途中でクライバーが「もうできない」と言い放って、最終的に頓挫。ドレスデン・シュターツカペレとの「トリスタン」は録音の大詰めの最終段階でルネ・コロと大喧嘩して指揮を降板(しかしクライバーがグラモフォン側に説得されて、しぶしぶ発売を許諾したため奇跡的に日の目を見る)。

1982年6月のベルリン・フィル創立百周年記念コンサートでクライバーはベートーヴェンの交響曲第4番とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を振る予定で、この時の「新世界」に関してはEMIからLPでリリースされる手はずだったが、プローベに入る直前にパート譜を巡る些細な(?)トラブルで御破算となった。1982年12月のウィーン・フィル定期演奏会におけるベートーヴェンの交響曲第4番と第6番「田園」は、本来グラモフォンにより録音されレコード化されるはずだった。しかしクライバーは最後のプローベの途中で急に姿をくらました。それで御破算。

1993年ウィーン・フィルとの「英雄の生涯」のライヴ。ソニーからリリースされる手筈だったが、ややこしい事情で結局は御破算に。2001年ごろ、ドイツ・グラモフォンにシューベルトの最後の交響曲「グレート」をベルリン・フィルと録音する計画が進められていたが、これも最終的に頓挫、、、、

以上がレコーディングがらみの主だったケースとして本書に記載されていたトピックスですが、それ以外にも録音の絡まない演奏会のキャンセル絡みのトラブルも多数とりあげられています。クライバーらしい奇抜な言動の例としては、例えば、、、

1978年6月18日の「ばらの騎士」上演をクライバーは指揮しなかった。指揮を引き受けたホルスト・シュタインは、クライバー・ファンからブーイングを受ける羽目になった。クライバー本人の弁によれば、今回の出演を辞退したのには音楽と関係のない、しかるべき理由があるとのことだった。おりからサッカー・ワールドカップの最中で、アルゼンチン対ブラジルの試合を見逃したくなかったのである。・・

このくらいならまだしも、、、

・・ウィーンで、彼はまたぞろウィーン・フィルハーモニー管弦楽団長とオーパーリングを歩いていた。彼はクライバーにコンサートを指揮するのかどうかと尋ねた。二人はメルセデスの営業所の前を通りかかった。店にはぴかぴかのモデルが展示されていて、クライバーの目はそれに吸いつけられた。彼は尋ねた、「この車、今すぐ手に入るかな」。店に入って問い合わせると、その車はすでに売約済みで、数か月待たなければならないと告げられた。するとクライバーは言った、「じゃあ指揮はやめだ」。

さすがに、ここまでになると正直「どこまで本当なのか」という疑念が生じます。事実に反しているのではという意味ではなく、クライバーの言動が、どこまで本当の意思表明なのか、という意味でです。

例のショスタコーヴィチの「証言」ではないですが、これでは単純に書かれていることだけでクライバーの本心を読み取るのは難しいのではないかとも思えてきます。

最晩年にクライバーが指揮をする気持ちをなくしていったのには幾つか理由があるとして、オペラ興行の衰退(歌劇場の公演水準の低下)と作品の良さを阻害する演出主導のプロダクション(レジーテアーター)に対する嫌悪の念、それに聴衆の無批判(問題意識のない演奏家を称賛する聴衆のデカダンスの傾向)といった理由が本書では挙げられています。

しかし、このあたりも果たして迂闊に信じていいのかという疑念が拭えません。額面どおりに受け止めるのは危険ではないかという気もします。

少なくとも、常人の理解を遙かに超越した指揮者クライバーの晩年の心象風景は、この伝記出版をもってしても依然として謎に包まれたままだったというのが率直な印象です。

N響の定期演奏会(5/14 NHKホール)


5/14 NHKホール
NHK交響楽団 定期演奏会

2011-5-14

指揮:尾高忠明
ゲスト・コンサートマスター:ライナー・キュッヒル

演目:
ウォルトン チェロ協奏曲
(チェロ:スティーヴン・イッサーリス)
エルガー 交響曲第3番(ペイン補筆完成版)

2曲とも滅多に実演に掛からない曲ですし、この機会に聴いておくのもいいかもと思いホールに行きました。オケの配置はVn-Va対向、編成は前半が14型で後半が16型。

前半のウォルトン・チェロ協奏曲はスティーヴン・イッサーリスのチェロ独奏が見事でした。冒頭からイッサーリスの代名詞ともいうべきガット弦の響きの柔らかさや軽やかさを十分に活かした、軽妙洒脱なボウイングの妙を披瀝したかと思うと、第2楽章では速めのテンポから切れのあるテクニックでバリバリと弾き進めていながら、すべての音符が克明に浮き上がらんばかりに稠密なボウイングの妙技を披歴したり、終楽章での、音楽の暗い内面を聴き手に意識させるほどにシビアな表出力を湛えた強奏の緊迫感など、この作品の演奏としては、全体的に揺るぎない説得力を保持した表現として耳をそばだたせられること頻りでした。

ただ、ガット弦の制約によるのか、少なくとも私の座席(2階前方)からだと、チェロの音が少し小さいかなという印象も正直あって、もう少し近距離で聴くか、あるいはサントリーホールなど良く響くホールで聴いたら、さらに演奏の面白味が映えていたかもしれないという気もしました。アンコールはツィンツィアーゼのチョングリが披露されましたが、弓を床に置き、右手でチェロの弦をギターのように弾いて演奏し、ホールを大いに湧かせました。

後半のエルガー交響曲第3番ですが、これはペイン補筆完成版、すなわち、本来エルガーの死去により未完に終わった作品である交響曲第3番を、イギリスの作曲家アンソニー・ペインが、エルガーの残したスケッチを元に補筆完成した版に基づく演奏でした。

このペイン補筆完成版は1998年にアンドリュー・ディヴィス/BBC響が初演して以来、CD録音も複数のものが為されていますし、すでに一定のポピュラリティを獲得している作品ですが、エルガー自身は自分の死後スケッチを破棄することを望んだと伝えられていることから、補筆の段階でそれなりに物議を醸したとされ、その意味では、マーラーの未完の交響曲第10番のクック補筆完成版と、いみじくも似たような運命を辿った作品であるようにも思えます(マーラーも自分の死後、交響曲第10番のスケッチを焼却するようにと伝えていた)。

初めて実演で耳にしての率直な印象としては、その音楽としての高貴な風格やノーブルな気品、それに叙情的でウィットに富んだ旋律美など、聴いていて確かにエルガーの完成したであろう交響曲にも、限りなく近いような感触もあるし、さりとて微妙な違和感もあるしで、正直どこまでエルガーとして聴けば良いのやら、という戸惑いも少なからずという按配でした。

少なくとも、このペイン補筆完成版の厚みのあるオーケストレーションは、こうして実演で目の当たりにすると、どうなんだろうという気もしました。というのは、前述のマーラーの交響曲第10番クック補筆完成版の場合、マーラーのオリジナルのスケッチを尊重し、オーケストレーションの加筆を出来るだけ控えめに抑えるというのが補筆者の方針だったのに対し、こちらのペイン補筆完成版の場合、エルガーの断片的なスケッチを、これだけの大規模なオーケストレーションにまで膨らませている以上、やはりどこかで無理が生じていなくはないかという素朴な疑問を聴いていて拭えなかったからです。

イギリス音楽を得意とする尾高忠明の指揮は、このペイン補筆完成版を録音した数少ない指揮者(日本人では唯一のはず)としての貫録でオーケストラを堅実に牽引し、そのタクトにN響のアンサンブルが一定の距離を保ちつつ付いていく、という風で、終楽章などもう少し喰らい付いてもという感もありましたが、熱し過ぎず覚め過ぎず、全体的に程好いバランスの演奏でした。

プラジャーク四重奏団のブラームスほか(LFJ2011公演)


# この前、ネット上で「クラシックの固定概念を覆す、型破りな弦楽四十奏団『MozART GROUP』の演奏がスゴい!」というニュースを見かけたんですけど、、

# 固定概念を覆すっていうから、ホントに40人?と思った人って結構いたりして、、

5/3 東京国際フォーラムG409ホール
LFJ2011・公演G-17d

シェーンベルク スケルツォ・ヘ長調
ブラームス 弦楽四重奏曲第1番
 プラジャーク弦楽四重奏団

プラジャーク四重奏団は1972年に結成されたチェコのカルテット団体。昨年に第1ヴァイオリン奏者が交代したとのことですが、その交代の影響があるか否か、聴いていて私には、全体的にチェロ奏者がアンサンブルにおけるリーダーシップを取っていたように思われました。

まずチェロのフレージングが常に太い柱のようにデンと構えていて、そこに他のパートが同調していき、それがアンサンブル全体としての響きに収斂し、深みと訴求力のある、得もいわれぬ音彩が、滔々と紡ぎだされていく、という按配。

G409ホールは150席くらいの小さなホール(というか、本来は会議室)で、今年はじめて入ってみました。やはり、これくらいの大きさだと弦楽四重奏曲には最適なサイズという感じがします。文字通り「室内楽」の醍醐味を満喫しました。

5/4 東京国際フォーラムCホール
LFJ2011・公演C-24e

ブルックナー 交響曲第7番
 金聖響 [指揮]
 兵庫芸術文化センター管弦楽団

兵庫芸術文化センター管弦楽団は2005年に設立された兵庫県立芸術文化センター専属のオーケストラ。実演を聴くのは今回が初めてでしたが、まず全体的にアンサンブルの線が細いなと感じました。少なくとも骨太の演奏という感じではありませんでしたが、そのぶん細部まで緻密かというと、そうでもなく、ヴィオラ部など、はっきりと聴こえてこない内声部が割と多かったし、ホルンやトランペットのソロにしても、難所は楽々とクリアしているので、上手いな、と思っていると、えっ?と思うようなところでミスをする、という按配。

当初のプログラム白紙撤回の後に組まれた公演であることを考えると、あの短い準備期間で、ここまで、という点では確かに敬服に値する演奏であったようにも思えますし、線が細い云々というのも、結局のところ好みの問題にほかなりませんが、聴いていて何か中途半端というのか、もう少しブラッシュアップしうる余地もあるのでは、という歯がゆいような印象を受けました。

インバル/都響の演奏会(5/11 サントリーホール)の感想


昨日(5/11)のサントリーホール、インバル/都響の演奏会の感想です。

前半のシューベルト交響曲第5番は、全体的に速めのテンポで、サクサクと快適に進んでいき、インバルにしては仕掛けの少ない表現とも思えましたが、ケレンミのない音楽の進め方から、この作品の愛らしい旋律美、エレガントな気品など、いずれも過不足なく表現されていて、聴いていて素直な視点から作品を楽しめましたし、およそコワモテの指揮者という印象のあるインバルの、また意外な側面を垣間見たような気もしました。

30分という長めの休憩を挟んで、リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」が演奏されましたが、これは大変に熱の入った演奏であるとともに、この曲がそれこそマーラーの交響曲にも一脈通ずる凄味を湛えた音楽作品であるという観点を聴き手に開陳するような凄演でもあり、このコンビの並はずれた表現力をあらためて思い知らされました。

たまたま「英雄の生涯」を、私は3日前にN響の演奏会で聴いたばかりでしたが、ことオーケストラの演奏に関しては、私としては昨日のインバル/都響の方に、聴いていて多く惹かれるものがありました。というのは、N響の「英雄の生涯」の方は確かに、この作品の華麗にして複雑に入り組んだオーケストレーションの醍醐味を過不足無く音響化する、という点では、それこそ満点に近い演奏内容でしたが、「英雄の戦い」のようなクライマックスにおいてさえ、やはりスコアに書かれていることを過不足無く音響化する、という域を踏みださず、それゆえ何か作品の講釈を聴かされているようで、正直さほど演奏に感心することなく、それほど音楽にのめり込むこともできなかったのに対し、昨日のインバル/都響のそれは、まず細大漏らさぬ緻密なアンサンブル処理から繰り出される、覚醒的な音響の緊迫感が素晴らしく、ここぞというクライマックスではアクセルを思い切りよく踏み込み、熾烈な音響の充溢を躊躇しないという、強メリハリ型の表現スタイルであったがゆえに、このリヒャルトの交響詩に潜在するところの猛々しい感情の奔流が強度のリアリズムを帯びて聴き手に迫ってくるような演奏にまで昇華されていたように思われたからです。

その意味で、この「英雄の生涯」はマーラーを得意とするインバルの面目躍如たる演奏ではないかと思えましたし、そのインバルの指導で鍛えられた都響のアンサンブルの優れたレスポンスもまた絶賛に値するものであったと思います。

オケの配置は通常型、編成はシューベルトが12型、リヒャルトが16型でした。

インバル/都響の演奏会(5/11 サントリーホール)


5/11 サントリーホール
東京都交響楽団 定期演奏会

2011-5-11

指揮:エリアフ・インバル

演目:
シューベルト 交響曲第5番
R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

開演の前、場内に「拍手は指揮者のタクトが下りてから・・」のアナウンスがあったんですけど、これを読売日響のコンサート以外で聞いたのは今日が初めてで、ちょっとオヤッと思いました。

結構、広まっているんですね、これって。要するに、そういう人が多い、と、、

ただアナウンスしても守らない人は守らないんですよねぇ、、この前なんて、、

そんな話はさておき、今日の「英雄の生涯」は圧巻でした。マーラーを得意とするインバルの面目躍如たる演奏というべきでしょうか。

ちょうど「英雄の生涯」は3日前にN響の演奏で聴いたばかりですが、ことオーケストラの演奏に関しては、私としては今日のインバル/都響の方に、聴いていて惹かれるものが多かったと思います。

ベレゾフスキーのリスト、デュメイのブラームス(LFJ2011公演)


5/3 よみうりホール
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011

・公演Y-18b
リスト 超絶技巧練習曲集(全曲)
リスト メフィスト・ワルツ第1番
 ボリス・ベレゾフスキー [ピアノ]

もともとの予定では超絶技巧練習曲集の全曲から抜粋して演奏される予定だったところ、ベレゾフスキーの希望で全曲演奏に変わりました。

ベレゾフスキーの実演を初めて聴いたのはLFJ2009で、演目はバッハのピアノ協奏曲でしたが、そこでは強弱の幅を大きめに取り、神秘的な弱音の妙感なり、強音の起伏力を、明確に強調させた音楽造りとなっていて、バッハというよりは、むしろショパンみたいな演奏だなと思いました。

そのとき会場で購入したベレゾフスキーのCDというのが、彼がテルデックに録音したリストの超絶技巧練習曲集でした。このCDを聴いた感想は以前にブログに掲載した通りです。

そのCDを聴いていて驚かされた、右手と左手のバランスの取り方なども、この実演ではしっかりと再現されていましたし、やはり凄いピアニストでした。

・公演Y-18c
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第2番
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番
 オーギュスタン・デュメイ [ヴァイオリン]
 児玉桃 [ピアノ]

デュメイの実演を聴くのは久しぶり。2008年9月、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。デュメイの持ち味ともいうべき、闊達なフレージングの織り成す鮮やかなパッションと、美麗にして熟した音色とが醸し出す響きの魅惑に酔わされました。

しかし今回のブラームスは、様式的にはベートーヴェンの時と同様、デュメイらしい情熱感あふれるフレージング展開でしたが、演奏に対する熱の入りようといったらなく、なかんずく第3ソナタ終楽章では強奏に係るボウイングのシーンで、必ずと言っていいほど足をステージにガン、ガン、と叩きつけていたほど。そのデュメイの鬼気迫るボウイング展開に、ピタリと合わせ、完璧なデュオを織り上げた児玉桃さんのピアニズムともども、実に熱の入った、いい演奏でした。

レヴァインがメトロポリタン・オペラ来日公演を(また)キャンセル


来月にメトロポリタン歌劇場を率いて来日の予定となっていた音楽監督ジェイムズ・レヴァインが、体調不良のために日本公演を降板することになったとの報道が一昨日ありました。MET来日公演の公式サイトでも告知されています。

この報道を知って、時勢がら「レヴァインよ、お前もか」と思ってしまいましたが、よく調べてみたら、とくに放射線恐さゆえの来日拒否、というのではなさそうで(レヴァインは最近、健康上の理由でボストン交響楽団の音楽監督を辞任すると発表している)、どうやら純粋に体調が良くないので来日を中止する、ということのようです。

しかし、この人は5年前のMET来日公演でも直前キャンセルをしているわけで、正直「またかよ」という感も否めないのではありますが、、、

それで代役ですが、ファビオ・ルイジと発表されています。なぜ彼が?、と一瞬おもったんですが、ルイジは現在メトロポリタン・オペラ首席客演指揮者を務めているとのこと。ルイジというと2010年までドレスデン歌劇場の音楽監督で、2012年からチューリッヒ歌劇場の音楽監督の予定ですから、ちょうど今年はフリーだったんですね。

レヴァインの降板は残念ですが、代役がルイジであれば特に公演に支障は出ないでしょうし(むしろイタリア・オペラならイタリア人のルイジの方が気質が合うかもしれない)、これで取りあえず今年のMET来日公演は問題なし、と言いたいところですが、そもそもMET自体が来月、本当に日本に来るのかという問題があるので、必ずしも楽観はできないかなという気はします。

むろん現状では、METは予定通り来月に来日することになっているし、前述の公式サイトにも、「日本の人々を勇気づけるためもメトロポリタン・オペラは日本公演を実施する」と、まことに勇ましい文言を掲げているので、このまま行けば来日の運びとなりそうですが、それでも直前になって行政当局の通達により残念ながら、なんて事態も起こらないとは限らない、、某歌劇場なんて、その通達で日本から一目散に逃げ帰っていますし、、

その某歌劇場ですけど、前売りチケットを早々に購入し、準備万端で公演を楽しみにしていた一人として、無茶を承知で言わせていただくなら、あのフィレンツェ市長の帰国命令を「何を言うか」と跳ね付け、あのまま日本に留まってオペラ公演を敢行してくれていたら、それこそ後世に語り継がれるような逸話になったと思うんですけどね、、

いずれにしても、METは無事に来てくれることを祈るのみです。

N響の定期演奏会(5/8 NHKホール)


5/8 NHKホール
NHK交響楽団 定期演奏会

2011-5-8

指揮:尾高忠明
コンサートマスター:ライナー・キュッヒル

演目:
尾高尚忠 交響曲第1番
R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

ゲスト・コンサートマスターにライナー・キュッヒルを迎えての公演、これは聴いてみたいと思いホールに赴きました。

オケの編成と配置は前後半ともVn-Va対向配置の16型。前半の演目は尾高尚忠(本日の指揮者・尾高忠明の父親)の交響曲第1番。1948年に作曲された未完の交響曲であり、従来は第1楽章のみの完成とされてきたところ、近年になって第2楽章が発見されたとのことで、本日も2楽章版での演奏でした。演奏タイムは第1楽章が約20分、第2楽章が約10分という配分で、完成されていたら1時間規模の大曲となっていたはず。

なかなか面白く聴きました。作風としては明らかに後期ロマン派風、印象としては、マーラーのシンフォニー様式という器に、リヒャルト・シュトラウスを思わせる雄弁な音楽を盛り込みつつ、随所に日本的な陰影を思わせる雅やかな色彩で味付けした、という、乱暴に言ってしまえば、そんな音楽。

もっとも、この作品は作曲の経緯からして平和への祈念、という意味合いが厳然とあるようで、そのあたりの切実な訴えもまた、時に容赦なく熾烈な打楽器の激打を伴い、聴き手の胸を鋭く抉るものでした。娯楽色と、音楽としての含蓄、そのあたりのバランスの調和もまた、この作品を聴く醍醐味の一つではないか、と聴き終えて感じました。

後半のリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」では、あらためてキュッヒルのヴァイオリン・ソロの表現力に感服させられました。

世界中のオーケストラのコンサートマスターの、試金石のひとつとされるのが、この交響詩の中盤で英雄にエールを送る愛人を演じる、ヴァイオリン・ソロであると、よく言われますが、ここはキュッヒルにとっても今日のコンサートでの最大の見せ場にほかならない場面。しかし、ここで彼が披歴したのは、何ら気負いも力みもない、文字通り自然体というべきボウイングでした。

それでいて個々のメロディを実に表情豊かに奏でていく、、流暢に、雄弁に。単に美しいというに留まらない、深い奥行きのフレージングと包容力のある音色、そこから紡がれる慈愛に満ちた旋律の流れ、いずれも素晴らしいものでした。

キュッヒルの実演を聴くのは昨年11月のサントリーホールでのウィーン・フィル来日公演以来ですが、近年のウィーン・フィル来日公演がサントリーホール限定みたいなことになっている関係上、NHKホールで耳にする彼のヴァイオリンの、輪郭のくっきりとした、凛然とした色彩というのも、私には随分と新鮮に思えました。

N響の演奏に関しては、こういった規模の大編成の難曲となれば、やはり得意分野というべきなのか、実に上手い演奏でした。

少なくとも、この作品の複雑に入り組んだ、華麗なオーケストレーションの醍醐味を過不足無く音響化する、という点では、それこそ百点満点に近い演奏内容だったと思いました。が、聴いていてN響はどこまで本気を出しているのだろう、という疑問が最後まで払拭できなかったのも事実。もし、これが本気だとしたら、それはそれで困る、というようなポテンシャルを持つオーケストラ、それがN響だと、私は思っています。

「こんな夢を見た」~浜岡原発の原子炉運転停止要請に思うこと


来年のLFJのテーマは「ロシア」とのこと、、

ロシア、、地域の括りとしては、絶妙かもしれない。「ドイツ」や「ウィーン」だと広すぎるし、「アメリカ」や「日本」だと、狭すぎる、音楽史的に。

ただ、一人の作曲家をデンとテーマに据えるというのは、去年のショパンを最後に、もうないのかなという一抹の寂しさも感じる。

テーマ作曲家といえば、今年のLFJのテーマは「タイタンたち」だったので、当然マーラーを中心としたテーマ構成が予定されていたが、あの震災によるAホール使用不可などの、公演規模縮小の煽りをうけ、当初予定されていたマーラー演目の公演は、交響曲を中心に壊滅状態となり、結果的にブラームス一色のような状態となってしまった。これは生き残ったホールの規模の関係上、室内楽の公演を中心にせざるをえなかったことが、大きく響いたように思う。こと室内楽の分野に関しては、マーラーとブラームスでは、勝負にならない。

なので、今年のLFJの実質的なテーマ作曲家は、紛れもなく「ブラームス」だった。おととし私は、バッハをテーマとしたLFJが終ったとき、来年はショパンだと発表されたのを受け、それじゃ再来年はブラームスではないかと予想してブログに書いたが、その予想が結果的に、変な形で当たってしまったようだ。

話はガラッと変わるが、菅直人首相が昨日、首相官邸で緊急記者会見を行ったところによると、静岡県御前崎市にある浜岡原発の、すべての原子炉の運転停止を中部電力に要請した、とのこと。すでに今日の朝刊で大手各紙が一面トップで大きく報じている。

むろん実現するまでには紆余曲折あるだろうし、止めるにしても、完全停止まで何年もかかるのだろうし、止めることによって日本経済が失うものも、決して小さくはないかもしれない。だから、これを英断と決め付けるのは早計かもしれない。

この報道を知ったとき、私の脳裏に鮮明に思い起こされたのが、黒澤明監督の晩年の作品「夢」の中のエピソード、「赤富士」だった。もし原子炉の運転停止が本当に実現するなら、あの身も毛もよだつような「赤富士」の光景は、万が一にも起こりえないだろう。

この「夢」という映画は、1990年公開の作品で、8話のショートストーリからなる、オムニバス形式の映画となっていて、全話とも最初、夏目漱石「夢十夜」さながらに「こんな夢を見た」と表示されて始まる。

「赤富士」は、その6番目のエピソードだ。いきなり真っ赤な富士山が噴火を起こしているようなシーンで始まる。ものすごい数の群衆が逃げ惑っている。そこへ主演・寺尾聰の扮する主人公の旅人が登場。「噴火したのか、富士山が、、大変だ」。

幼子を負ぶった女が言う「もっと大変だよ、あんた知らないの? 発電所が爆発したんだよ、原子力の」。黒い服の男いわく「あの発電所の原子炉は6つある。それがみんな、次から次へと爆発を起こしているんだ。」

迫りくる放射能。もはや逃げ場はない。幼い子供を負ぶった女が叫ぶ・・「原発は安全だ、危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない、絶対ミスは犯さないから問題はない、ってぬかしたやつら、許せない! あいつらみんな縛り首にしなくちゃ、死んだって死にきれないよっ!」 その叫びを聴いた黒い服の男は、「すいません、僕もその縛り首の仲間の一人でした」と言い残し、海に身投げをする、、

このエピソードは、もう誰が見ても明らかなくらい、国の原発政策への警鐘となっている。この映画を10年くらい前に見たとき、正直この「赤富士」(と次のエピソード「鬼哭」)については、全くピンとこなかったが、今DVDで観て見ると、、、さすがにゾッとせざるを得ない。

これが文字通り「夢」で終わるのなら、英断と評してもよいのではないか。難しいところかもしれないが、、

以上、今回はTwitterモードでした。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011雑感


結局、今年のLFJは3日間で9公演を聴きました。去年は2日で8公演でしたし、9公演というのは過去LFJ中最多かなと、、

2011-5-7

しかし今年は何といってもLFJの代名詞ともいうべき5千席を誇るAホールを含む、3つのホールでの公演が無かったし、コルボ、エンゲラーといった、私にとってのLFJ常連のコンサートも、無かった。いろいろな面で、通常のLFJとは音楽祭としての雰囲気が異なっていて、異様とまではいかなくても、ある種の名状しがたい雰囲気が、ホールというホールに充満していたのは、おそらく確かであったろうと思います。おそらく今年のLFJだけの現象であって、来年からは昨年のような、「普通」の雰囲気に戻ることになるのでしょうけど、、、

前売りチケットの売れ行きのことですが、今年は大丈夫なのかと本気で心配しました。

例えば最終日に聴いた公演G-36f(G402ホール)のチケット、これ実はLFJ初日の3日前、4月30日の夕方に購入したものです。

このG402ホールというホールは、実は今年はじめて入ったんですが、なにしろ客席が僅か100席という小規模ホール(というか、会議室なんですが)ゆえ、このホールでの公演チケットは、例年だと発売開始と同時に一瞬で売り切れてしまい、まず普通は手に入らない(ただ私の場合チケット争奪戦に本気で加わっていないこともあるかもしれないが)ところが、今年は開催3日前だというのに、チケットぴあの残券を検索してみると、どの公演も軒並み「残席あり」で、たった100席のG402ホールですら、平気で売れ残っている、、、Aホールを含む3ホールの公演が取りやめになっているのに、、これはとんでもない事態ではないかと、本当に、、

しかし終わってみれば、どうやらチケットは概ね捌けたようでしたが、それでも稼ぎ頭のAホールが使えなかった以上、やはり収益的には、相当苦しいことになるはずで、、、

雑感、、と言っても、一言で言ってしまえば、いかにLFJが、素晴らしい音楽祭であるかを、つくづく思い知らされた、というに尽きるんですが、それは例年のLFJに出向いて公演を聴いて素晴らしかった、というのとは、また全く別の意味の素晴らしさであって、それはちょっと一言では言い尽くせないし、言葉を沢山かけても、やはり言い尽くせないような気がするので、雑感にもならないんですが、3日間、行って良かったです。もう、それだけですね。

各公演の感想は、あらためて出します。来週いっぱいくらいで。どうせCD聴けないし、、、

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011(5/5)


「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011」最終日に行ってきました。

2011-5-5

今日は以下の4公演を聴きました。

・公演Y-382(よみうりホール):
ブラームス ピアノ五重奏曲
 田部京子 [ピアノ]
 ライプツィヒ弦楽四重奏団

・公演Y-383(よみうりホール):
ブラームス チェロ・ソナタ第2番
R.シュトラウス チェロ・ソナタ 
 アンリ・ドマルケット [チェロ]
 ミシェル・ダルベルト [ピアノ]

・公演G-36f(G402ホール):
シェーンベルク 3つのピアノ曲op.11
ブラームス パガニーニの主題による変奏曲
ヴェーベルン ピアノのための変奏曲op.27
ブラームス 4つのピアノ小品op.119
 児玉桃 [ピアノ]

・公演D-35d(D7ホール):
シューマン 幻想小曲集op.73
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番
 ドミトリ・マフチン [ヴァイオリン]
 児玉桃 [ピアノ]

ということで、いわばブラームスの室内楽めぐりという感じの一日でしたが、どの演奏においても例年のLFJとはまた一味ちがった緊張感が付帯していて、いずれも並々ならない充実度の演奏内容だったと感じました(が、それだけに演奏環境というか、ホールの問題点の方が、例年以上に気になってしまった感も正直ありましたが、、、特に、よみうりホールとG402ホールは、ちょっと、、)。

ところで今日の午後3時過ぎ、OTTAVAブースにピアニストのフランク・ブラレイが登場するというので、そのインタビューを聴きに行きました。

もともとブラレイは今年のLFJの当初の発表プログラムでの出演予定に含まれていませんでしたが、しかし福島原発のレベル7宣言のために当初の公演予定アーティストの来日キャンセルが続出したため、LFJのプログラムが白紙撤回に追い込まれた後に、急遽LFJに参加すると発表されたアーティストです。

そのあたりの出演の経緯につき、インタヴュアー小田島久恵さんの質問に応える形でブラレイが語ったことは、以下のようなものでした。

「LFJ公演開催が危機的状況にあることを知って、自分の方からルネ・マルタンに電話し、日本に行って演奏することを直訴した」。

何ら偉ぶるでなく、さも音楽家として当たり前であるかのような口調で、、

、、、、、

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011(5/4)


「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011」2日目に行ってきました。

2011-5-4

今日は以下の2公演を聴きました。

・公演C-24e(Cホール):
ブルックナー 交響曲第7番
 金聖響 [指揮]
 兵庫芸術文化センター管弦楽団

・公演C-24f(Cホール):
「ルネ・マルタンの“ル・ク・ド・クール” 」
出演者:
①庄司紗矢香 [ヴァイオリン]
②ドミトリ・マフチン [ヴァイオリン]
③松山冴花 [ヴァイオリン]
④タチアナ・ヴァシリエヴァ [チェロ]
⑤児玉桃 [ピアノ]
⑥広瀬悦子 [ピアノ]
⑦フランク・ブラレイ [ピアノ]
⑧シャニ・ディリュカ [ピアノ]
⑨ファイト・ヘルテンシュタイン [ヴィオラ]
演目:
ヘンデル パッサカリア[①④]
フォーレ ピアノ三重奏曲より第1楽章[①④⑧]
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番より第2楽章[②⑤]
シューマン ピアノ三重奏曲より第3楽章[③④⑦⑨]
細川俊夫 「五木の子守唄」(編曲)[①⑤]
ベッリーニ 「ノルマ」より「清らかな女神よ」[⑥⑧]
ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲より第1楽章[①③④⑤⑨]

公演C-24eのブルックナーは、ノヴァーク版、14型、通常配置での演奏。これは正直、やや疑問が残るブルックナーでした。後日。

公演C-24fですが、これはもう、何て言っていいのか、、

まず、この公演は開演直前まで曲目が伏せられていて、出演予定アーティストも、当初の発表では上記①②④⑤⑥の、5人だったところが、最終的に上記のように9人となりました。まさにLFJならではとしか言いようのない豪華な陣容です。

そして開演に先立ち、当公演は本来「タイタンたち」のテーマに則した曲目を予定していたところ、「被災者の方々を思っての曲目」に変更しました、というアナウンスがあり、続いて上記の7曲が、9人の演奏者たちにより、いずれもこれ以上ないというくらいに厳粛に演奏されていきました。

この公演に関しては、実は私は大きな勘違いをしていて、たぶん豪華アーティストをずらっと並べての、名曲メドレーみたいな和気あいあいとした、お祭り公演なんだろうと思って、そんな軽い気持ちでチケットを買いました。ところが、ふたを開けてみれば、和気あいあいなどという雰囲気は薬にしたくてもなく、厳粛な雰囲気のなか、それこそ死者を弔うかのように真摯に、切々と音楽が奏でられていき、、、

ゆえにホール内の雰囲気も、いわく名状しがたいものとなりました。私の隣に座っていた若い女性の人は、最初のヘンデルからワンワン泣きっぱなしだったし、ホール内を見回しても、感極まったような感じの人があちこちに、、、

いや、真面目な話、この公演は一種のサプライズ公演だったとはいえ、冒頭で「被災者の方々を思っての曲目」と告知され、それでこの7曲を並べられて、それを世界的な名手を揃えた9人の演奏者が入れ替わり立ち替わり、迫真の演奏を奏でていくと、いうことになれば、これはもう泣くなという方が無理な話で、あらためてルネ・マルタンの構想力に、ほとほと感服させられました。なんというコンサートを企画するのだろう、この人は。

# 明日は4公演。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011(5/3)


「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011」初日に行ってきました。

2011-05-03

今日は以下の3公演を聴きました。

・公演Y-18b(よみうりホール):
リスト 超絶技巧練習曲集(全曲)
リスト メフィスト・ワルツ第1番
 ボリス・ベレゾフスキー [ピアノ]

・公演Y-18c(よみうりホール):
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第2番
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番
 オーギュスタン・デュメイ [ヴァイオリン]
 児玉桃 [ピアノ]

・公演G-17d(G409ホール):
シェーンベルク スケルツォ・ヘ長調(①)
ブラームス 弦楽四重奏曲第1番(②)
 プラジャーク弦楽四重奏団

公演G-17dはアンコールありで、盛大な拍手に応えてメンバーの方がWe don't have no more music(今回これ以上、曲を持ってきていない)とお詫びしつつ①、および②の第3楽章を続けて演奏しました。

公演Y-18bの方は、もともとリストの超絶技巧練習曲集の、全曲から抜粋して演奏される予定だったところ、ベレゾフスキーの希望で全曲演奏に変わりました。公演時間も20分オーバーで全65分。すごく得した気分。演奏も素晴らしかった、、、

実際、上記の3公演いずれも圧巻というべき演奏が披瀝されました。やはり今こういう状況にある日本に、外国から敢然とやってきて演奏するというあたり、音楽に対するモチベーションというか、音楽家としての精神的な心構えからして、生半可なものではないのでしょうね。けだし本物というべきでしょう。

ちなみに今年は去年のLFJのような一日6公演とかはやめて、3日の間で少しずつ聴くという方針で臨むつもりです。それで今日は公演同士の間隔が結構ひらいていたんですが、空いた時間は地上キオスクと地下展示場キオスクでの無料コンサート、屋台村、それにOTTAVAのブースをハシゴして過ごしました。OTTAVAのブースは特に有意義で、公演アーティストのインタヴュー、それに 飯尾洋一さんやルネ・マルタンさんの貴重なお話も聴けましたし、とにかく時間の経つのが速くて、何時の間にか夕方という感じでした。

ただ人出は、、例年に比べると、やはり今一つというところ。午後は雨模様でしたし、、

# 明日も出撃。2公演ほど聴く予定。

スコアも積もればアンプを壊す・・・


例の震災が起きた3月11日は、首都圏の交通機関が一斉に麻痺状態となり、私も当日のうちには勤務先から帰宅できず、どうにか翌日の明け方に家に到着し、さっそく自室の被害状況を確認すると、幸いなことにCDの類には特に損傷は見当たりませんでしたが、その代わりに書籍の類が床などに大量に散らばっていて、ことにプリメインアンプの上に大量のスコアが散らばっているのが目にとまりました。

その時に落ちてきたスコアというのが下記の写真で、全部で50冊ほどです。ちょうどアンプの斜め上方にある棚の上に無造作に置いておいたのがいけなかったんですが、、、

score2
score1

慌ててスコアを片づけてアンプのスイッチを入れてみると、とりあえず問題なく起動し、CDを掛けて30秒ほど聴いてみたら特に支障なく聴ける感じでしたので、やれやれ大丈夫だと思って、そのときは安堵しました。

しかし震災直後ということもあり強烈な余震が頻繁に襲ってきましたし、テレビをつければ東北地方が大変なことになっていて、おまけに福島原発の事故で放射能漏れという信じがたいニュースまで報道されていたし、とても落ち着いて音楽を聴ける状況ではないと思い、それで当ブログは当面のあいだ休止するという告知を出しました。

それで慌ただしく一週間が過ぎたころ、そろそろブログを再開と思って腰を据えてCDを聴こうとしたら、そのとき初めてアンプの調子がおかしいことに気がつきました。キーンという甲高いノイズ音が断続的に発生し、音が著しく濁ってしまうという症状がでていて、これはマズいということで、メーカーに連絡して修理に来てもらいましたが、結局2回みてもらって手に負えないという結論になり、本格的に修理に出すということになりました。

しかし当然といいますか、こういう時勢がら同じような修理の依頼がメーカー側に殺到している状況とのこと。それに部品メーカーの一部が被災したということで部品調達にも支障が出ているらしく、修理完了がいつになるか、ちょっと確約が難しいという話でした。以上が今回のアンプ故障の顛末です。

ところで、明日から東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011の本公演が始まりますが、どうもチケットの売れ行きが芳しくないようですね。今年のLFJは震災のため中止という、妙なデマがネット上を飛び交っているみたいですけど、そのあたりの風評の影響が少し心配です。

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