ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団来日公演の感想


昨日のサントリーホール、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の公演の感想です。

オーケストラの配置は向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並べた対向配置で、編成は前半のメンデルスゾーンが14型、後半のブルックナーが16型でした。

まずメンデルスゾーンの「宗教改革」ですが、昨日も書きましたが「初期稿」と呼ばれる版で演奏されました。第1楽章の第2テーマの直前に聴いたこともないメロディが出てきたり、確かに聴いていてオヤッというような新奇さが印象的でしたが、異版としての鮮烈性そのものは、最近シャイー/ゲヴァントハウス管のCDで耳にした、「スコットランド」のロンドン版ほどには際立っていないようにも思えました。

しかし演奏自体は素晴らしく、上記「スコットランド」のCDを聴いて感じたことが、当該実演でも概ね当てはまるものでした。

アンサンブルは第1楽章から響きの立ち上がりが異常に良く、早くもエンジン全開という風で、推進的なテンポの颯爽とした音楽の構えから、密度感ぎっしりの充実した音響が披歴されましたし、強奏時のアンサンブル展開でもCD同様、激しいアクセントを伴う弦の刻みが聴かれ、聴かせどころでのホルンやトランペット強奏の味の濃い響き、ティンパニの闊達なアクティビティなど、いずれも聴いていて惚れぼれするばかりでした。

そもそもメンデルスゾーンの「宗教改革」は、作品自体はそれなりに底の浅いものでもあると思うのですが、これだけ熱のこもった演奏で聴かせられた日には、やはりグイグイと惹き込まれてしまいますね。いくらメンデルスゾーンゆかりのオーケストラであっても、指揮者が例えばクルト・マズアだったらどうか、という気もするので、この感銘深い演奏の出来ばえは、そのようなオーケストラの矜持に加え、シャイーの指揮の殊勲に負うところもかなり大きいのではないかと、聴き終えて思いました。いずれにしても、これは大変な聴きものでした。

後半のブルックナー交響曲第4番では、前半のメンデルスゾーンよりはテンポを落としつつ、シャイー特有の流動的でしなやかなアンサンブル展開から、16型の深々としたソノリティの広がりを聴き手にじっくり聴かせるというような、手堅い運用を基本としながら、ここぞという時には強烈なまでの変わり身の速さで、ドラマティックな起伏力を聴き手に存分に印象づける、そんな演奏でした。例えばクレッシェンドから全強奏に移る瞬間に、感極まったようなテヌートを披露する場面が何遍も聴かれましたし、最弱奏と最強奏の間のダイナミックレンジの途方もない広がりといい、トッティでのホルンやティンパニの猛烈な鳴りっぷりといい、いずれも手堅い一辺倒でないスリリングなまでの迫力と、美しい一辺倒でない荒々しい表出力とが確として刻印されていたので、その聴きごたえは確かに並々ならないものでした。

もっとも、このような演奏様式は、私が最近CDで耳にしたブロムシュテット/ゲヴァントハウス管のブルックナー6番に聴かれるものとは、方向性において少なからぬ隔たりが感じられたのも事実で、昨日書いたところの「留保」というのも、そのあたりに関係してきます。

というのも、そのブロムシュテットの演奏は折り目正しい職人気質的な運用であって、そこには安心して音楽に浸れる造型の揺るぎない安定感があり、それゆえにゲヴァントハウス管が持つアンサンブルの美質そのものが前面に仮借なく押し出される形にもなり、実質的な意味での音楽としての訴えかけの素晴らしさや、聴いていて「本場のブルックナー」としての醍醐味を満喫させてくれるような演奏の雰囲気に、私は強く惹かれたのですが、その感じから計ると、本演でのシャイーの表現は演奏としての深みの度合いとして、ブロムシュテットの水準には到達していないような印象を最後まで拭えなかったからです。確かに聴きごたえは並々ならないのですが、その割に聴いていて深い演奏だな、という感覚が充分に追随しないもどかしさ、というべきでしょうか。

これはどういうことかと考えるに、やはりシャイーの指揮というのが根本的に、ブロムシュテットのような実質的な音楽としての訴えかけというより、もっと感情の赤裸々な動きを重視したり、感覚的な方面に対する愉悦を志向したりするところに、要因のひとつがあるのではないかという気がします。

おそらくメンデルスゾーンやシューマンといった、ロマン派の激しい情熱を押し固めたような作品であれば、様式的にも最適に近い上に、これらの作品に対するゲヴァントハウス管のずば抜けた適性も十二分に発揮され、ひっきょう圧倒的な表出力に昇華されるようなメカニズムになっていると思うのですが、これがブルックナーのようなロマン派の範疇から激しく逸脱する作品となると、このようなメカニズムも百パーセントの機能性を発揮するまでには、必ずしも到らないのではないか、、、もちろん、演奏としての深みの度合いという、甚だしく抽象的なものさしを、こんなシンプルな解法で円満に解決しようなんて絶対にムリなのは分かっていますが、ただ深みが云々と言うだけでは、あまりに生産性がないので、とにかく私なりに思うところを率直に書いてみました。

それにしてもゲヴァントハウス管のアンサンブルというのは、本当にいい音を出していて、これはもう聴き惚れるばかりでした。少なくとも日本のオケには、ちょっと出せないような趣きがあるというのか、例えばシャイーの棒で激しく煽られる局面においてさえ、その奥の方には同楽団の地肌の響きの温もりが常にデンと構えたような定着があり、ウィーン・フィルのような色合いとはまた異質ながらも、そこにはドイツの深々とした伝統のようなものが、やはり揺るぎなく下敷きになっているんだなと、聴いていて素直に納得させられる思いでした。

以上、本公演は多少の留保は付くとしても全体的には満足のいく内容でしたし、民営のオーケストラとしては世界最古とされるゲヴァントハウス管の、その無形文化財をも思わせる掛け替えのない美質に対し、聴いていて自然に意識を向けさせてくれるような演奏であった点も含めて、私には極めて意義深いコンサートでした。

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