サマーフェスティバル2009「音楽の現在」の感想
サマーフェスティバル2009「音楽の現在」(サントリーホール 8/25)の感想です。
最初に演奏されたのは、イタリアの大家サルヴァトーレ・シャリーノの「リコーダーとオーケストラのための4つのアダージョ」でした。
冒頭トロンボーンの奇怪な響きで幕を開け、10型編成のオーケストラが奏でる鋭角的なモチーフがさまざまに組み合わされて得られる、旋律性に乏しいハーモニーの動きと、それに対峙するかのようなリコーダー・ソロの旋律性豊かな吹き回しとの、異様なまでのコントラストがユニークな雰囲気を形成する作品で、ことにリコーダーのフレージングは尺八をかなり強く連想させるような趣きがあり、その和風な色合いに対しても不思議な感覚を抱きながら耳を傾けました。
その独特の雰囲気といい、奇抜なコントラストといい、聴いていてかなり惹き込まれた作品でしたが、同時に、私が当初イメージしていたシャリーノの作風と大分かけ離れていたことに驚かされもしました。
というのも、私がシャリーノに対して抱いていたイメージというのが、例えば音響の極限的な希薄化を伴う作風とか、ドイツのラッヘンマンと双璧ともいうべき特殊奏法の開拓者であるというものでしたが、この作品にはそういう希薄化された音響の感触とか特殊奏法といった要素は特に目立たなかったからです。
このあたりは単に私の理解が浅かっただけかも知れませんが、いずれにしても、ちょっと意表を突かれたのは事実で、おかげで私の先入観が半ばリセットされた状態で作品に接することになり、そのため結果的に音楽の発する新鮮な刺激と感興とに予断なく身を委ねることができたような気がします。
続いてアメリカの女流作曲家オーガスタ・リード・トーマスのヴァイオリン協奏曲が演奏されました。
「楽園の曲芸師」と名付けられたこの作品は、オーケストラが楽園、ヴァイオリン・ソロが曲芸師をそれぞれ担当するというもので、ハープやチェレスタの耽美的な響きを強調したオケのハーモニーに、ソロのラプソディックなフレージングが巧く対比されていました。雰囲気的には少々ロマンティックで、先のシャリーノ作品でのソロv.s.オケの異様なコントラストを聴いた後だと、いまひとつピリッとした緊張感に乏しい嫌いもありましたが、時おり垣間見せた幽玄で静謐な音楽の景色が息を呑むほどに美しくて印象に残りました。
休憩を挟んで、イギリスの若手作曲家ルーク・ベッドフォードのオーケストラのための「花輪」が演奏されました。これは今回の演目で唯一、協奏曲形式でない作品で、ティンパニが使われたのはこの曲だけでしたし、コントラバスクラリネットという珍しい楽器まで動員し、すこぶるダイナミックな音響レンジがアンサンブルから表現されていて、その点では傾聴させられるものでした。
しかし、作風自体はいささか陳腐というか、冒頭で金管斉奏により提示されるモチーフを執拗なまでに繰り返しつつ、少しずつ変化を持たせていくという風で、要するにミニマル・ミュージック的な色彩が強く、音響の圧倒的なダイナミクスの割りに、斬新という印象は聴いていてそれほど受けませんでした。
最後はハンガリーの大家ペーター・エトヴェシュの「2台ピアノとオーケストラのための協奏曲」が演奏されました。これは全5楽章からなる協奏曲で、エトヴェシュと同郷のバルトークへのオマージュであると述べられています。
印象的にはバルトークの「オーケストラのための協奏曲」をさらに抽象化し音響的に極限まで研ぎ澄ましたような激烈な音楽で、ここではティンパニを用いない代わりにスネアドラムが効果的に用いられ、ここぞという時に強烈なビートを打ち出していましたし、ピアノはソロとして立ち回るというよりむしろ打楽器の一種としてオケの中に組み込まれているという風でした。とにかく本公演の4曲の中では最もエキサイティングな作品で、聴いていて率直に興奮を禁じ得ませんでした。
以上、本公演で耳にした4曲の現代作品においては、その作風の多彩さと共に、各作品の主張する個性的な音響展開の醍醐味をじっくりと堪能することができ、その点では大満足な内容でした。
ただ敢えて言うなら、いずれの曲も、かつて一度も耳にしたことが無い、くらいの途方もなく斬新な音響とまでには到らなかった点に一抹の物足りなさも残るものでした。
この点でラッヘンマンなどはやはりすごいと改めて思うのですが、その意味では、シャリーノの作風が予期に反していたのは良くも悪くも、、というところでしょうか。もちろん十分に面白く聴いたのですが、あの作風が本当にシャリーノの本領だったのかどうか、正直そんな疑問も少し残りました。
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