山田一雄/札響によるベートーヴェン交響曲全集


ベートーヴェン 交響曲全集
 山田一雄(第1番のみ矢崎彦太郎)/札幌交響楽団
 コロンビア・タワーレコード 1989〜91年ライヴ TWCO-1001/5
TWCO-10015

先月の下旬にタワーレコードから復刻リリースされ、少なからぬ反響を呼んでいるという、山田一雄/札幌交響楽団のベートーヴェン交響曲全集を聴いてみました。

これはヤマカズの愛称で親しまれている巨匠・山田一雄が、最晩年に札幌交響楽団と行った一連のベートーヴェン・チクルスの演奏会のライヴで、そこでは1989年4月の7番を皮切りに、91年5月の「第9」まで計8曲が演奏されたのですが、同年8月にヤマカズ氏が急逝されたため、あと一歩でチクルス完成には到りませんでした。

そして、その未収録の交響曲第1番はヤマカズ氏の愛弟子・矢崎彦太郎の代行により同年10月に演奏されました。そのライヴを含めることで、晴れて交響曲全集として完成しリリースされたものが本ディスクです。

実はまだ一枚目しか聴いていないのですが、この「英雄」が素晴らしくて、本当に血の通った、いいベートーヴェンを聴くことができ、嬉しく思いました。

ところで、「“炎の巨匠”が最後に辿りついた魂のベートーヴェン!」というのがこのCDのオビに記載されているキャッチフレーズなのですが、このフレーズは、どうなのでしょうか、変な誤解というか先入観をもたらす怖れも多分にあるような気がします。

少なくとも、このヤマカズ氏の最晩年のベートーヴェンは、真っ赤に燃え上がるような灼熱の演奏というのではなくて、むしろ風格のある造型の格調や知的な構成感といった特徴が強く、それがアンサンブルの有機的な音響展開と結託し醸し出す音楽の色合いにおいて、聴いていて指揮者の人生の、その年輪の重みを感じさせるような独特の深い境地に到達したベートーヴェン、そんな風に私は感じました。

この「英雄」においては、全楽章とも必要以上な加速減速を抑制した、堅固な造形感に基づく、正調のベートーヴェンが展開されているのですが、それでいて四面四角な硬直とも無縁な、血の通った音楽の息づかいが聴いていて顕著なところが、まず印象的でした。粘るところはフレーズをリテヌートさせ、決めどころではフレージングに思い切った張りを与え、といった味付けが要所要所に為されているからですが、そういう味付けを、これ見よがしの誇張でなしに、むしろ音楽の表情の当然の帰結のように聴かせてしまうあたり、やはり並の指揮者ではないなと、聴いていて感嘆させられる思いでした。

それもおそらく、ギリギリの抑制なのではないかと思います。感情に振り回されず、厳しい自己抑制を常に怠らない、真摯な演奏姿勢。だからこそ、そこから滲み出てくるものの重みに、聴いていて素直に打たれる、そんな気がします。

実際このヤマカズ氏の「英雄」の後、続けて矢崎彦太郎氏の1番が収録されているのですが、続けて聴くと、明らかに音楽の表情の造り方に違いが聴かれ、興味深く思いました。矢崎氏はヤマカズ氏よりもさらにカッチリした感じの、端正な演奏なのですが、ヤマカズ氏のそれと比べるとフレーズをリテヌートさせない角張ったベートーヴェンとなっていて、少なくとも、ヤマカズ氏の演奏の後で耳にすると、聴いていてどこか型どおりといった印象が残ってしまいます。

逆に言うと、ヤマカズ氏のベートーヴェンにはヤマカズ氏ならではの融通無碍なフォームが聴いていて見え隠れするのですが、そのあたり、おそらく氏が最後に辿りついた境地に由来し、かつ氏ならではの精神性を踏まえたような、なにか掛け替えのないもののように思われました。

札響のメンバーも、そのあたりの指揮者の解釈を最大限に表現しようと最高の献身度で演奏していることが、明確に伺えるものでした。例えば、第1楽章(6:08)あたりのフォルテ進行でのえぐりのきいたアタック、(8:27)あたりの渾身のフォルテッシモ、、、

そういうわけで、このヤマカズ氏の「英雄」を聴いた限りにおいて、ベートーヴェン全集の残り4枚に収録の7曲を聴くのが俄然たのしみになりました。それらについても、また機会があれば感想を書いてみたいと思います。

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