プレトニョフ/ロシア・ナショナル管によるベートーヴェン交響曲全集


ベートーヴェン 交響曲全集
 プレトニョフ/ロシア・ナショナル管弦楽団
 グラモフォン 2006年 4776409
4776409

ミハイル・プレトニョフがロシア・ナショナル管を指揮して短期間で一気に録音したベートーヴェン交響曲全集です。2007年秋にリリースされるや、その演奏内容の奇抜さにより賛否両論を巻き起こしたことは周知のとおりです。

これは昨日のロシア・ナショナル管の公演感想より先に書いておいた方が良かったような気もしますが、いちおう、本全集に関する私なりの感想をここで書きます。

まず最初の一枚である第1番と「英雄」から聴き始めて、第1番を聴く限りは、今時ずいぶんロマンティックな解釈だけれど、それほど奇抜ではないな、という印象でしたが、これが「英雄」になると状況が一変します。

この「英雄」の第1楽章、まず(1:02)で唐突にガクッとテンポを落とし、すぐ元に復帰。以降もこのストップ・アンド・ゴーの繰り返しで、展開部など、ここからスロー、ここからは高速、とまるで接続曲かなにかみたいに進めていって、聴いていて何だろうこれは?、と思うほどにフォルム感が脆弱です。以下の楽章も含めて、こんなショパンみたいなベートーヴェン、初めて聴いたなと、半ば呆れる思いで耳を傾けていました。

しかしこれはまだ序の口で、「田園」ともなると、斬新な解釈というよりもキテレツそのもの、そんな印象を最後まで拭えませんでした(第1楽章の最初の5小節目のところ、初めて聴いた時に思わずふき出した人は沢山いるはず、、)。

このプレトニョフの演奏と同様、ベートーヴェンの交響曲の造形構造に対し極限的な揺さぶりをかける指揮者としては、例えばフルトヴェングラーの名前を挙げることができるかと思います。しかし、このプレトニョフのベートーヴェンは、フルトヴェングラーのベートーヴェンに比して、その表現の真実味において、どうにも圧倒的な開きをを感じざるを得ません。

フルトヴェングラーのベートーヴェンというのは、およそ人間の演奏行為における極限地点での勝負の記録であり、同時に演奏表現としても限界ギリギリをゆくものであり、その臨界性こそがフルトヴェングラーの絶大な表出力の根源になっているのですが、このプレトニョフの方はというと、聴いていてそんな限界ギリギリという気配感が、率直に言ってどうにも希薄です。単なる場当たり的な思い付き、面白半分、とまで言うと言い過ぎかも知れませんが、正直それに近いような匂いがプンプンする、そんな演奏です。

とはいえ、録音はしょせん録音に過ぎす、これだけ聴いて真実味がないなどと軽々しく結論づけるのも早計であり、実演では印象が全然ちがって、真実味たっぷりに聴こえるかも知れない、だからもし機会があり、このコンビのベートーヴェンを実演で聴けるなら聴いてみたいと、思っていたところ、それが聴けるというのでサントリーホールに赴きました。結果は残念ながら、昨日掲載したとおりです。

というわけで、このプレトニョフのベートーヴェン全集は、私には総じてピンとこない演奏なのですが、それでも聴いていて迫真な感触を受ける楽章が1つだけあります。「第9」の第1楽章です。

この「第9」第1楽章はかなりの名演ではないかと感じました。冒頭部をこんなに長々と引っ張った演奏というのは前代未聞ですが、それはそれとして、続く最初の強奏のパンチ力が目も覚めるほどに強烈で、提示部など明らかにアンサンブルの集中力が違う感じがします。展開部中盤から再現部冒頭までは怒涛のようなテンポで走り抜けていますが、このテンポにしてかなり抉りの効いたフレージング展開で、このあたり聴いていて興奮させられますし、再現部冒頭のアンサンブルの鳴動力も素晴らしく、コーダの(13:59)あたりの緊迫に満ちた最強奏の凄味も驚嘆に値するものです。

しかし第2楽章は第1楽章ほどの緊迫力はなく、第3楽章もテンポをかなり動かした表現で、「英雄」の時みたいなデタラメな感じが付きまといますし、終楽章もかなりキテレツですね。とくにバス独唱の登場する直前の全強奏の場面などは前代未聞で、さすがにここは聴いていて失笑を禁じえませんでした。

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