カンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR響によるラヴェル「ボレロ」ほか


ラヴェル ボレロ、高雅で感傷的なワルツ、ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ
&ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」
 カンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR響
 GLOR 2001~2003年 GC08061
GC08061

先月リリースされた、シルヴァン・カンブルランのラヴェル・アルバムを聴いてみました。

カンブルランというと今年の4月に東京芸術劇場で読響を指揮してのオール・フランス・プロのコンサートを聴き、この指揮者はただ者ではない!、と痛感させられた記憶が新しいところですが、それからほどなくCDショップで本ディスクが売られているのを見つけて、購入したものです。

収録曲はラヴェルの「ボレロ」、「高雅で感傷的なワルツ」、オラフ・ベーアのバリトン歌唱による「ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ」、ムソルグスキー=ラヴェル編の組曲「展覧会の絵」。なお本CDにはボーナスDVDも付属していますが、これはGLORレーベルのプロモーション用DVDのようで、本CDの内容に関連するものではありませんでした。

その演奏ですが、最初のボレロに度肝を抜かされました。そのアンサンブル展開における目を見張るほどの緻密ぶり、そして音楽の推移に伴いハーモニーが描きだす色彩的なダイナミクスの、恐るべき克明感。

実際、このカンブルランのボレロは、全体の演奏タイムが17分弱なのですが、平均的には15分、早いテンポの演奏だと13分台も珍しくないこのボレロにおいて、このタイムは明らかに異質というべきものです。

とはいえ、例えばチェリビダッケなどは多分もっと遅かったはずで、これよりタイムの長い演奏というのも無いことは無いのですが、しかしこのカンブルランの演奏を聴いて私が最も驚いたのは、タイム自体というより、聴いていて造型的に異端という印象をさほど受けず、むしろオーソドックスだとさえ「錯覚」してしまったことです。なにしろ、このボレロを聴き終えて、タイムを確認して17分弱だと知ってビックリしたくらいですから。

思うに、このカンブルランの演奏においてのスロー・テンポ設定が、明らかに音色のディテールを追求するためのものであることは聴いていて明らかと感じましたが、そのバランスが練り切られているため、聴いていて意識がそのテンポ的な奇矯感の方に向かず、むしろ瞬間瞬間のハーモニーのめくるめく音響美と、ひとコマひとコマの音色推移の鮮烈性の方にこよなく集中させられてしまう、そんな雰囲気があり、そのあたりのカンブルランの魔術的ともいうべき音楽の進め方は、端的に驚くべきものというより他ないと思います。

このボレロと比べると、「高雅で感傷的なワルツ」以下の3曲はテンポ的にはずっとオーソドックスで、その意味ではボレロでの衝撃感こそ控え目ですが、いずれの演奏においても、「音楽の表情が強くて演奏の雰囲気がどぎついほどリアル」という特徴が一貫して聴かれます。

このあたりの特徴に関しては、カンブルランがそういう方向に意識的に演奏を導いていることが大きな要因と考えられ、例えば「展覧会の絵」の6曲めの(0:41)からのシュムイレのフレージングなど、普通はトランペットがタ・タタタとリズムを刻むところ、カンブルランはタン・タタタというように前打音のリズムをやや強調させていて、しかもそれを早いテンポで吹かせているので、かなりコミカルなフレージングの流れが形成されていて、聴いていて思わず吹き出しそうになるほどです。

以上、このカンブルランのラヴェル・アルバムは、普通のラヴェルの演奏とは一味もふた味も違う、まさに「カンブルランのラヴェル」が味わえる一枚で、この前のコンサートの時以上に、やはりこの指揮者はただ者ではなかった!、と再度痛感させられるものでした。

カリツケ/ケルン放送響及びクラングフォルム・ウィーンによるラッヘンマンの「慰め」と「コンチェルティーニ」


ラッヘンマン コードウェルのための祝砲、慰め、コンチェルティーニ
 カリツケ/ケルン放送交響楽団、クラングフォルム・ウィーン、ブルック&ロス(guitar)
 KAIROS 2005・06年 12652KAI
12652KAI

ラッヘンマン作品の意欲的な録音を継続している墺KAIROSレーベルから、新たにラッヘンマンの3作品を収録した2枚組のアルバムがリリースされたので購入してみました。

収録曲は①2人のギタリストのための「コードウェルのための祝砲」②16人の投票人と管弦楽のための「慰め」③コンチェルティーニの3曲で、このうち②は本ディスクが世界初録音のようです。

①の「コードウェルのための祝砲」は1977年作曲のギター・デュオ曲で、スペイン戦争で戦死した詩人クリストファー・コードウェルの詩が2人のギタリストにより朗唱される(2:28)からの部分を挟んで、ギターというよりほとんど電子音さながらの強烈な耳当たりが全編に充溢する音楽です。ラッヘンマンの作品群の中では比較的有名なもので、特にギター愛好家の間ではかなり知られた作品のようです。

②の「慰め」の世界初録音は本ディスクの目玉とも言えそうですね。これは1960年代作曲の「慰めⅠ」と「慰めⅡ」の2曲を取り込んで5部形式に発展させた作品で、大編成のオーケストラとテープ音と声楽ヴォーカル(投票人)との対話形式で音楽が進められていくものです。

声楽に関してはその大部分が息音と断片的なフレーズとで満たされ、大オーケストラの特殊奏法が繰り出す嵐のような音響展開とあいまって、その耳当たりは激烈というほかなく、まさにラッヘンマンの60年代の前衛精神剥き出しの頃の研ぎ澄まされた表現意欲を下敷きとした、聴いていて奈落に引き摺りこまれるような、もの凄い音楽です。

③の「コンチェルティーニ」は2005年のルツェルン音楽祭でアンサンブル・モデルンにより初演された作品で、そのアンサンブル・モデルンによる録音も既にリリースされています(EMSACD001)。

これはラッヘンマンのオーケストラ作品としては2009年現在で最終のものですが、円熟というよりむしろ②に負けず劣らずの表現主義的な傾向が強く出ていて驚かされます。

ここでのヨハネス・カリツケ指揮によるクラングフォルム・ウィーンの演奏は見事ですが、SACD仕様によるアンサンブル・モデルンの録音には若干およばない気もします。というのも、この曲は実演ではアンサンブルのメンバーが演奏会場に分散して演奏を行うため、その音響感の伝達の度合いという点で、やはり空間的プレゼンスに勝るSACD盤の音質に軍配があがるからです。

とはいえ演奏自体はアンサンブル・モデルンに引けを取りませんし、その対抗盤として充分傾聴に値する演奏だと思います。

バッハ・教会カンタータ第4番のCD聴き比べ


J.S.バッハの教会カンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」に関して、手持ちのいくつかのディスクで聴き比べてみました。

MIR057
ピエルロ/リチェルカール・コンソート
 Mirare 2007年

まず、昨日のピエルロ盤です。シンフォニアは冒頭からバスがかなり大きめの音量で録られています。それも残響の加減からか、かなりボワンとした感じで、間延びしたような感じに響き、いまひとつキリッとしません。ここは後述のリヒター盤など、この世のものとも思えないくらいの峻厳なアーティキュレーションを聴かせているのですが、このピエルロ盤はちょっとアンサンブルのフォーカスが甘い感じがします。

第2曲は冒頭からOVPPの素晴らしい透明感が炸裂し、合唱団による他盤よりも、各パートの言葉の織り成すニュアンスの綾が、ビビッドに伝わってくる感じです。終盤のハレルヤ・フーガでは(2:50)からもの凄い加速を仕掛けていて、その高速テンポでも一糸乱れぬ声楽ハーモニーの一体感には聴いていて度肝を抜かれるくらいです。もっとも、このあたりはちょっとわざとらしいとまでは言いませんが、表面的な印象も正直否めないところです。

以降もOVPP方式の利によりハーモニーの透明感においては一頭地を抜くものがあり、まるでバッハのテクスチャ内部の美が表面化されていくような、独特の美しさに満ちた美演です。反面、声楽器楽ともども、ここぞという時の音響的な量感に軽さが否めず、それがひいては音楽の軽さをも感じさせてしまう気がするあたりが、ひとつの弱みのような気もします。色々な意味で、後述のリヒター盤とは対極的な地点にある演奏(良し悪しではなく演奏様式という意味で)という感じがしました。

4509-91755-2
アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
 テルデック 1971年

続いてアーノンクール盤、これはピリオド・アンサンブル黎明期における記念碑的な録音ですね。

このアーノンクールとレオンハルトとが分担して共同で完成させた、史上初のバッハ教会カンタータ全集においては、周知のように「女性歌手を使わない」ことが特徴的なコンセプトです。これはバッハの時代の考証に基づくもののようですが、このBWV4の録音においても、アルト・パートはカウンター・テナーのポール・エスウッド、そしてソプラノ・パートにはウィーン少年合唱団のボーイ・ソプラノが起用されています。

このあたりが本演のひとつの特徴で、確かにボーイ・ソプラノの発声というのは、その天使的な趣きに独特のものがあります。反面、本職のソプラノ歌手に比して歌唱技巧が冴えないという点に大きな弱点があり、特に3曲めのソプラノとアルトの二重唱において、対旋律のエスウッドの歌唱がパリッとしていることもあり、主旋律のソプラノが弱く聞こえてしまうあたり、ちょっと問題かと思われるところです。

ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのアンサンブルは、現在のピリオド・アンサンブルの水準と比べるのは少し酷かも知れないですが、フレージングの切れや技巧の冴えなどはあまりパッとせず、音色も原色感剥き出しの、ザラッとした感触で、テルデック特有の残響感に乏しい音質と相まって、端的に言うなら飾り気の無い演奏という印象を受けます。しかし聴いていて、その飾り気の無さゆえに逆に強い説得力を感じさせるのが面白いところで、何というか、音楽の色合いが赤裸々にして生々しく、そして音楽の切迫した雰囲気がかなり強く出ています。

この演奏はおそらく1971年という年代においてのピリオド・アンサンブルの臨界をゆく表現と思われますが、その臨界性が得難いまでの表出力に昇華されているのではないかという気がします。異色ですが、強い存在感を有する録音です。

BIS-CD-751
鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン
 BIS 1995年

続いて、鈴木雅明/BCJ盤です。

このディスクは現在までリリースが継続している鈴木雅明/BCJのバッハ教会カンタータ全曲録音シリーズ第1弾のもので、その第1曲めにこのBWV4が配されています。他の収録曲はBWV150とBW196で、これらはバッハの作曲した最初のカンタータとも目されている最初期の作品です。

この鈴木盤では、ピッチが465となっていて、現代の標準ピッチよりも半音高く設定されています。これはバッハが初期のカンタータにおいて想定したとされるコールトーンに基づくものです。

私の印象では、ここでのピリオド・アンサンブルによる3種の中では最も音楽的に練り切られていて充実感に富んだ演奏です。これがBCJの、教会カンタータ全曲録音という大航海の船出を飾る演奏ということも、多分に関係していると思いますが、とにかく音楽の隅々まで血の通ったような、その有機的なアンサンブル展開には理屈を超えた吸引力が感じられ、このカンタータの核心に直接食い込んでいくとでもいうような絶妙なアンサンブル形成に耳を奪われる思いです。高めのピッチもあり、音色に関しては聴いていてピリオド・アンサンブルとは思えないほどの精彩感ですし、歌唱陣も総じて素晴らしく、そのフレーズのひとつひとつにまで気持ちのこもったような歌唱ぶりには、聴いていて体が痺れるような感じさえします。

こと感銘の度合いという点において、この鈴木盤は後述のリヒター盤のそれにも匹敵し得る稀少な演奏のひとつだと思います。

413646-2
リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団
 アルヒーフ 1969年

最後はバッハ演奏の大御所ともいうべきカール・リヒターの録音です。ここでのリヒターの演奏は一風変わった様式で、バス以外の独唱パートをすべて合唱編成に置き換えて録音しています。

その演奏ですが、音楽の純粋な迫力という面では他の演奏を全く寄せ付けない至高のものです。迫力と言っても、ピリオド・アンサンブルよりも物量・性能に勝るモダン・オケだからという次元の話ではまるでなく、例えば最初のシンフォニア冒頭のコントラバスの打ち込み、直後の高弦の短2度下降のモチーフ、この1小節だけでもう完全に別世界で、この響きの重厚感、音色のコク、確固たる造型的格調、揺るぎない様式美、すべてがまさにリヒターのバッハであり、その根元的な迫力には震えがくるほどです。

3曲め、5曲め、7曲めの重唱においては、合唱編成による際立った量感が濃密な聴き応えを提供していて圧倒されます。6曲目のバス独唱はF-ディースカウにより歌われていますが、4分半をかけた徹底的なスロー・テンポ(アーノンクール盤は3分、ピエルロ盤と鈴木盤はともに2分半)が導く音楽のスケール感が比類なく、ディースカウも気持ちのこもった名唱を聴かせ、ことに(3:23)からの「死神とて・・」の下りでの絶大な表出力は聴いていて鳥肌が立つくらいの凄味がありますね。

ピエルロ/リチェルカール・コンソートによるバッハの教会カンタータ第4、131、182番


J.S.バッハ 教会カンタータ第131番、第182番、第4番
 ピエルロ/リチェルカール・コンソート
 Mirare 2007年 MIR057
MIR057

先月の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」特設CD販売エリアで購入したディスクで、フィリップ・ピエルロ/リチェルカール・コンソートによるバッハ教会カンタータ集です。これは本年4月にリリースされたばかりの新譜のようです。

ピエルロ/リチェルカール・コンソートは、今回のLFJではCホールの公演345でミサ曲ト短調とマニフィカトBWV243を聴きましたが、それとは別に教会カンタータの公演も組まれていました。そのプログラムはカンタータ第4番とカンタータ第131番の2曲でした。

そもそも今回のLFJでのバッハ教会カンタータ公演は全部で3種類あり、ひとつは鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンのBWV78とBWV30、ひとつはアンタイ/ル・コンセール・フランセのBWV93とBWV33、そして残るひとつが前述のピエルロ/リチェルカール・コンソートのBWV4とBW131です。

私はこのうちの2つの公演を聴きましたが、ピエルロ/リチェルカール・コンソートの公演だけは聴いていません。できれば聴きたかったのですが、チケットが取れませんでした。

しかし本CDにはちょうど、その聴けなかった公演での2曲が収録されています。これ幸いとばかりに聴いてみました。

独唱陣はキャサリン・フュージュ(S)、カルロス・メーナ(C-T)ハンス=イェルク・マンメル(T)、ステファン・マクラウド(B)という布陣で、このうちフュージュを除く3人は、公演345のミサ曲ト短調とマニフィカトBWV243でのソリストと同じ顔ぶれです。

また、その公演345同様、ここでもOVPP(One Voice Per Part)方式が採られています。このOVPPはアンタイ/ル・コンセール・フランセの実演でも採用されていましたが、鈴木雅明/BCJの方は合唱団によるコーラスとなっていて、古楽アンサンブルとしてもスタンスの分かれるところのようですね。

まず最初のカンタータ第131番「深き淵より、我、主よ、汝に呼ばわる」ですが、これは悔い改めの礼拝のためのカンタータで、バッハの全カンタータの中でも特異な作品です。特定の祝日あるいは行事のためのものではなく、一種の災厄祓いのためのカンタータで、全5曲すべてに聖書の詩編130編の歌詞が引用され、全般にしごく重い曲調です。ただ、儀式的性格もそれなりに強くて、重い雰囲気の割に深みはいまひとつ弱い、そんな気もします。

ここでのピエルロ/リチェルカール・コンソートの演奏は、実演時を彷彿とさせる、精緻を極めたような繊細にして透明感あふれるハーモニーの美しさが素晴らしくて傾聴させられます。

さらに実演時に違和感を覚えたOVPP方式においても、カンタータだとむしろハマっているように聴こえるから不思議なところで、確かにボリューム的な押しの強さが削がれる反面として、ソノリティの透明感が絶大です。とくに(2:52)からの「主よ、私の声を聴いて下さい」と呼び掛けるくだりなど、アーノンクール盤(こちらは合唱団方式です)と聴き比べてみると、同じ曲とは思えないほどです。

確かに透明感もすごいですが、それ以上に、OVPPだといかにもひとりひとりが神に語りかけている、という雰囲気がこよなく強調される格好となり、合唱団方式よりも強く、切実に訴えかけてくる感じがします。

またテンポ感にしても、おおむね速めで、時間的にもアーノンクール盤より全体に短縮的です。このテンポ感と歌唱方式との違いにより、アーノンクール盤だとかなり重い雰囲気という感じですが、こちらのピエルロの方はそういうい雰囲気よりも、むしろ澄み切った音楽の美しさの方に自然に意識が向けられる感じがします。

次のカンタータ第182番「天の王よ、汝を迎えまつらん」は、枝の日曜日のためのカンタータで、これはバッハがワイマールの宮廷楽長に就任して初めて作曲した記念碑的なカンタータとして有名なものです。

カンタータの主題はイエス・キリストのエルサレム入りで、前半あたりはそれを祝福するような喜悦的な雰囲気ですが、エルサレム入りから程無く十字架にかけられることを暗示し、後半はかなり重苦しい雰囲気が支配的です。

この曲は中盤でアリアが3曲連続しますが、その2曲めのアルトのアリアがこのカンタータの中枢を為していて、そこでのカウンターテナーのカルロス・メーナの歌唱が見事です。ここはアーノンクール盤のカウンターテナー、ポール・エスウッドもなかなかに美しい歌唱を披歴していますが、こちらのメーナの方が透明感があり、聴いていて儚くデリケートなその音彩感に何ともいえない趣きがあります。

最後のカンタータ第4番「キリストは死の縄目につながれたり」については、今日はちょっと時間切れで、また後日あらためて書きます。

モントゥーとコンセルトヘボウ管のブラームス・ライヴ集


ブラームス 交響曲第1番、第3番、悲劇的序曲、ヴァイオリン協奏曲
 モントゥー/コンセルトヘボウ管弦楽団、ミルシテイン(Vn)
 TAHRA・タワーレコード 1950~63年 TWK-0008
TWK-0008

タワーレコードから先月リリースされた、ピエール・モントゥーとコンセルトヘボウ管によるブラームス作品のライヴ録音を集めた2枚組のアルバムで、かつてTAHRAレーベルからリリースされ現在廃盤となっているCDの復刻盤とのことです。

モントゥーのブラームスというと、交響曲第2番がその一八番として知られ、特に最晩年(62年)にフィリップスに録音したロンドン響との交響曲第2番などは古典的名盤として広く認知されているものですが、その2番以外のブラームスの交響曲は意外にもスタジオ録音されていませんでした。

さっそく聴いてみると、1枚目の交響曲第1番と悲劇的序曲では、ともに重厚に引き締まったアンサンブルから繰り出されるモントゥーならではの燃焼力のある演奏が展開されていて惹き込まれます。1回勝負のライヴゆえの、ピンと張り詰めた演奏の雰囲気も素晴らしく、管パートを中心に多少アンサンブルが荒れ気味なのは気になるとしても、聴いていてリアルに迫ってくるような音楽の迫真さに打たれます。

悲劇的序曲は62年、交響曲第1番は63年の録音と、いずれもモントゥー最晩年、80代後半のコンサートですが、その高齢にしてこれほどの生気に満ちて張りの豊かなブラームスを奏でられること自体驚きですし、特に交響曲第1番終楽章のコーダ(14:55)からの猛烈果敢なアッチェレランドなど、87歳の指揮者の棒とはちょっと信じがたいほどです。

残念なのは音質で、その演奏自体の充実感とは裏腹に、音質的には必ずしも満足できるものでなく、鮮明度は充分確保されているものの、空間的なプレゼンスが全体に弱く、モノラルなので横の広がりに乏しいのは仕方ないとしても、縦の広がりが十分でなく、例えば交響曲第1番第1楽章の(8:30)あたりのクライマックスの迫力など、本当はもっと凄いように思われますし、全体にダイナミック・レンジの確保がいまひとつの水準という感じが否めません。

2枚目に収録の交響曲第3番は1960年の録音ですが、ここでは折り目正しく造型を刻んだ正調の流れをベースに、時折テンポに揺らぎを与えつつ音楽が進行し、それはまるで音楽の奥底から湧き出てくるかのような表情のたゆたいとも言えるような、まさにモントゥーならではのブラームスで、その芸格の高みには聴いていて実直に感じ入るものがあります。

ミルシテインのソロによるヴァイオリン協奏曲は1950年のライヴで、味の濃い演奏ですが、音質が古いためか他の3曲よりはアンサンブルの引き締まり感に乏しく、ミルシテインのソロも本調子とは言い難い気がします。両雄の貴重な顔合わせの記録とはいえ、特にミルシテインのブラコンにはヨッフム/ウィーン・フィルと1974年に録音した超名演があるので、その演奏の水準から計ると印象的にかなり落ちるというのが率直なところです。

以上、このモントゥーとコンセルトヘボウ管のブラームス・ライヴ集は、音質面こそ必ずしも充分とは言い難いとしても、演奏自体は往年の大指揮者モントゥーの大きな芸格をあらためて再認識させられるもので、特に最晩年録音の3曲に関しては、私にはモントゥーのブラームスへの大いなる共感に裏打ちされた掛け値なしの名演と感じられました。

「世界のオーケストラ名鑑387」について


音楽之友社より、「世界のオーケストラ名鑑387」という本(下記写真左)が刊行されました。

2009-06-24

これは先週末に書店で見かけて購入したものですが、音楽之友社のサイトによると、この本は同社の1993年刊行の「世界のオーケストラ123」(上記写真右)の完全改訂版と銘打たれています。また同サイトには、『従来の刊行本は「メジャー」を中心に、取り上げるオーケストラの数も、国際的な知名度や、日本でもなじみの150から200団体ほどであった。本書はあらゆる国、地方を羅し紹介することで、世界の主要なオーケストラの情報が入手できる』と書かれています。

確かに、この「387」という数字はすごい数で、少なくとも改訂前の「世界のオーケストラ123」の3倍以上という計算になりますし、さらにその掲載団体も「現在活動中」の「常設」のプロ・オーケストラに絞られているようです。つまりサイトウ・キネン・オーケストラのように常設でない団体や、フィルハーモニカ・フンガリカのように現在活動していない団体は、この387の数字には含まれていません。

このオーケストラ名鑑は、これほど多数のオーケストラの情報を掲載している点で画期的ともいえそうですし、編纂に携わった方々の功労も讃えられて然るべきものだと思います。

しかしながら、ことオーケストラの選定コンセプトに関しては、ちょっと解せないものを感じました。

まず、この名鑑には以下のオーケストラ団体が載っていません。

①ロシア・ナショナル・フィル(ロシア)
②ル・コンセール・フランセ(フランス)
③リチェルカール・コンソート(ベルギー)
④ローザンヌ器楽アンサンブル(スイス)
⑤ジャパン・シンフォニア(日本)

一応お断りしておきますが、私は別にこの名鑑のアラを探そうと思って非掲載の団体名を無理やり捻出したわけではなく、この5つの団体はいずれも、私自身がこの直近2ヶ月の間に実演に接して、各々にひとかたならぬ感銘を受けた、個人的に感慨深いオーケストラにほかならないものです。

上記5つの団体は、確かにメジャーとは言い難い面もあり、敢えて387の中に含めなくとも良いという考え方も有り得るところですが、その場合、387の中に含まれている以下の団体との兼ね合いが引っ掛かります。

⑥カラカス・フィルハーモニー管弦楽団(ベネズエラ)
⑦メデジン・フィルハーモニー管弦楽団(コロンビア)
⑧シャム・フィルハーモニー管弦楽団(タイ)
⑨マカオ管弦楽団(中国)
⑩キンバンギスト交響楽団(コンゴ共和国)

上記の5つの団体は現状、来日経験もCD録音も無く、少なくとも日本においては圧倒的にマイナーなオーケストラ団体です。しかもこれらはパッと見て目についたものを挙げただけで、⑥~⑩の他にも、おそらく相当数掲載されているはずです。

つまり解せない点というのは、⑥~⑩の類の団体を相当数載せておきながら、①~⑤を載せないというあたりの考え方というかセンスが、私にはちょっと理解しかねる、ということです。

もちろんこのあたりの考え方は人それぞれですし、私などがここで異議を唱えても詮無いことでもありますが、実演を踏まえての印象を言わせていただくなら、①~⑤はいずれも世界のメジャー・オーケストラと互角に抗し得る実力とポテンシャルを備えた団体で、特に②と⑤に関しては、或いは世界に2つとさえ無いような素晴らしい個性を有する団体ではないかと思っているところです。

以上、少々生意気なことを書き連ねてしまってすみませんが、要するに個人的に思い入れのあるいくつかのオーケストラの名前が本名鑑における387の中に見られないことに、ちょっと寂しいものを感じたと、そういうことでした。

ラニクルズ/アトランタ響によるグレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」


グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」
 ラニクルズ/アトランタ交響楽団、ブリューワー(sop)
 テラーク 2008年 CD80699
CD80699

これは最近リリースされたグレツキ「悲歌のシンフォニー」の新録音で、ラニクルズ/アトランタ響による演奏です。

グレツキのこの曲を私が初めて耳にしたのは、かのジンマン盤でした。その美しい曲想に感銘を受け、いくつか異演盤も購入し、それぞれの表情の違いを味わってみたりなどしましたが、最後に購入したカスプシク盤からはもうかなりのご無沙汰で、この曲としては約10年ぶりの新譜購入になります。

ここで指揮を務めるイギリス(スコットランド)の指揮者ドナルド・ラニクルズはアトランタ交響楽団の首席客演指揮者ですが、オペラ畑での名声も高く、近々ベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督への就任が予定されているとのことです。

さっそく第1楽章から聴いてみると、まず冒頭、カノン風の主題がコントラバスからチェロ、ヴィオラ、そして高声へとリレー伝達されるあたりの鮮やかな色合いの推移が、引き締ったテンポ感から浮上しては消えてゆく、その刹那的な儚さに思わずハッとさせられました。総じてラニクルズがアトランタ響の弦パートから引き出すフレーズには怜悧にして研ぎ澄まされた響きの冴えが付帯し、(7:00)付近の高弦の鮮烈な訴えかけといい、音楽に否応なく惹き込まれる感じがします。

(10:58)からのソプラノ独唱「聖十字架修道院の哀歌」はクリスティーン・ブリューワーにより歌われていますが、その透明なヴィブラートが醸し出す非現実的な美しさが素晴らしく、(14:08)でオーケストラにバトンタッチするあたりには静謐な高揚感に満ち、聴いていて体が痺れるような感覚に襲われるほどでした。

以上の第1楽章は、演奏時間で23分を切っているあたりも特徴のひとつで、これはかなり速めです。ちなみにジンマン盤はこの楽章で約26分、カスプシク盤に至っては約30分です。

続く第2楽章は、第2次大戦においてナチス・ドイツのアウシュビィッツ強制収容所で処刑された、18歳の少女が死の間際に収容所の壁に書き残したとされる、自らの母親に対しての祈りの言葉が歌詞として織り込まれた、このシンフォニーの核心部ともいうべきところですが、ブリューワーは気持ちを込めるというよりもむしろ発声自体の純粋な表現力にすべてを掛けたような、純音楽的に際立った美感を湛えた歌唱を披歴していて、オーケストラ演奏ともども夢見るような美しさに包まれ、それに追随する音楽の悲しさがまたひとしおであり、(3:48)あたりなどはまさに聴いていてジンとくる感じがします。

終楽章は、ポーランドの古い民謡から取られたという、息子を戦争で殺された母親の悲哀の情を綴った歌詞をベースとするもので、楽章を支配する悲しげな和音が調性的な安らぎを求めて揺れ動きつつ、最後に絶望的な階調に終結するまでの繊細な音楽のドラマが聴きものです。しかし、ここでのラニクルズとブリューワーが指向する表情形成はあくまで純音響的な磨き込みに終始するもので、速めのテンポ感も含めて、この楽章の「ドラマ」を無頓着なくらい強調しない解釈が敷設されているように感じられます。

このあたりはやや評価の分かれるところかも知れませんが、私の印象としては、はじめはもう少し効果を狙っても、と思いつつ聴き進んでいくうち、その起伏を抑えたスタティックな音楽の流れから、ソプラノが歌う「言葉」の確たる気配が立ち昇るかのような、不思議な感覚に捉われ、その聴感はまるでこの曲を初めて聴く気がするほどにフレッシュにして奥深い音楽の味わいを伴うものでした。

以上、このラニクルズ/アトランタ響の「悲歌のシンフォニー」は、私にとって同曲との10年ぶりくらいの再会となるものでしたが、なんだか初めてこの曲を聴いた時のような感動を喚起させられ、正直自分でもびっくりするほどでした。この演奏、他の人にはどんな風に聞こえるでしょうか。興味あるところです。

メンデルスゾーン劇付帯音楽「真夏の夜の夢」CD寸感


昨日(6/21)の休日は、ちょうど今年の夏至にあたる日でした。

夏至といえばシェイクスピアの「夏の夜の夢」などが思い浮かぶところですが、本年はちょうどメンデルスゾーン生誕200周年にあたる年でもありますね。

そういうことで、昨日を中心にメンデルスゾーン作曲の劇付帯音楽「真夏の夜の夢」の演奏をさまざまなCDでざっくりと聴いてみました。以下、それぞれの寸感を書いてみます。

①ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
 GLOSSA 1997年ライヴ録音

Mendels-midsummer1

アンサンブルの弦と管の音色の鮮やかな対照感、強めのアタックによる弦のフレージングの切迫感、管群パートの発する音色の鋭い点綴感、そういう側面の強調された覚醒的なスタイルでの名演で、音楽のピリッとした雰囲気がいい感じです。演奏技術的な側面といいスケール感といい、モダン編成オーケストラによる演奏に比しても遜色なく、聴きごたえが濃厚ですね。

②ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団
 ハルモニア・ムンディ・フランス 1994年録音

Mendels-midsummer-2

こちらもブリュッヘン盤と同様、古楽器編成オーケストラによる演奏で、録音時期も近く、響きの洗練の度合いも互角で甲乙付けがたいものですが、響きの感触には微妙に温度差が感じられます。このヘレヴェッヘ盤は総じてまろやかにして優美な音色の淡彩が印象的な、ドリーミーなスタイルでの名演という感じで、音楽の陶酔的な肌触りが秀逸です。

③クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団
 EMIクラシックス 1960年録音

Mendels-midsummer-3

古典的名盤です。やや遅めのテンポ、がっちりと強固な構築感、各声部を極めて重厚に鳴らすアンサンブルの質感。終曲までの安定したテンポ感と重厚な音響展開も演奏全体に構築的で濃密な感触を与えていますが、それが過ぎて、あまりシェイクスピアの世界らしくないのが、難点といえば難点かも知れませんね。むしろゲルマン的な幻想感のようなものに換骨奪胎されていると考えるべきでしょうか。

④プレヴィン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 フィリップス 1985年録音

Mendels-midsummer-4

やはりウィーン・フィル強しで、世評の高い名盤です。全体に表情がおおらかで、音楽が伸びやかで、音色も美しく、おそらくこの曲に対してある程度共有的に期待されている表情のイマジネーション、例えば幻想的な音楽の起伏、メルヘン的な色彩、あるいはユーモア・ロマンといった要素を、最大公約数的に持つ演奏ではないかと思います。

⑤アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団
 テルデック 1992年ライブ録音

Mendels-midsummer-5

個々のフレージングの古楽奏法的な鋭角性を意識したような、メリハリの効いたアーティキュレーションが印象的な演奏です。その結果、この演奏はこの曲に一般に期待されるような、ドリーミングな音楽的階調を提供する演奏には仕上げられていないようですね。おそらくこの演奏で聴くべきは、この曲に対する従来までの、慣習的な表現作法上の生ぬるさを、敢えて払拭しようというような意欲自体にあるような気がします。

⑥アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ソニー・クラシカル 1995年ライブ録音

Mendels-midsummer-6

ベルリン・フィルのジルベスターコンサートのライブ収録です。アバドの指揮は速めのテンポを基調とした推進的かつ躍動的な性格が強く、オケの合奏精度もさすがに高い水準ですが、ジルベスターコンサート向けの構成ということで、かなりカットが入れられているようです。葬送行進曲やベルガマスク組曲がないのはともかく、間奏曲後半のイ長調アレグロ・モルト・コーモド以降がばっさりカットされているのは、ちょっと勿体ない気もします。

⑦ダヴァロス/フィルハーモニア管弦楽団
 IMP 1993年録音

Mendels-midsummer-7

全編に渡ってハイ・テンポの推進性が強調されている演奏です。序曲など第1テーマからハイ・テンポで一気に駆け抜けられていて、部分的に聴くといささか情緒不足で情感に乏しいような印象も受けるとしても、その一気呵成なアンサンブルの活力が、並はずれた高揚感を醸し出していて思わず傾聴させられます。「妖精の歌」は二人のイギリス人歌手による端正な英語の発声に基づく品の良い歌唱で、シェークスピアの雰囲気に良くあっていますね。

⑧マッケラス/エイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団
 ヴァージン・クラシックス 1987年録音

Mendels-midsummer-8

おそらく同曲初の古楽器編成オーケストラによる録音です。比較的小人数編成の弦楽パートの、古楽器的な音色の持ち味が良く活かされていて、全体に響きとして派手さが薄いのに音楽としては色彩的、という古楽器演奏独特の特性が良く出ています。反面、全体的にアンサンブルの技巧的な側面が大人しく、また響きの総音量も抑制されているので華やかな雰囲気にいささか欠ける感じはします。

⑨レヴァイン/シカゴ交響楽団
 グラモフォン 1984年録音

Mendels-midsummer-9

響きの性質上、あまりコクのある感じではないですが、アンサンブルのキレの強さが印象に残ります。 響きの精密感、情報量、そういう点では随一の演奏ではないでしょうか。もともと過分に精密感を追求するような性質の曲ではないですが、しかしビシッと決まったフル編成のアンサンブルの華やかな響きは聴いていて爽快の一言です。

⑩リットン/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 セラフィム 1985年録音

Mendels-midsummer-10

具体的にどこがどうというのではないのですが、少なくともここで掲載している他盤のそれと比べると全体として印象が落ちるなというのが率直な感想です。表情としては中庸でオーソドックスですが、この曲の場合は何かプラスアルファ的な要素がないと、やはりちょっと厳しい気がします。いかに名曲でも、序曲などは作曲家17歳の時の曲ですし、、、

⑪ヘレビッヒ/シュターツカペレ・ベルリン
 ドイツ・シャルプラッテン 1976・77年録音

Mendels-midsummer-11

演奏全体を通して弦パートにかなりの充実感があり、いかにも本場の演奏という感じです。序曲などに聴かれるドイツ音楽然とした響きの肌ざわりが印象に残ります。重低音パートの押しが全体的にもう少し強ければおそらく最高水準の演奏になったのではないか、そんな気がします。

⑫小澤征爾/ボストン交響楽団
 グラモフォン 1992年録音

Mendels-midsummer-12

通常カットされることの多い情景音楽まで含め、この曲の本来の音楽が一通り含まれています。もっとも本ディスクの聴きものは、メロドラマの日本語シナリオを読みあげる吉永小百合のナレーションではないでしょうか。購入してから10年以上も経つディスクですが、昨日ひさびさに聴いてみて、その朗読の素晴らしさに愚かしくも初めて気付かされたように思います。さまざまな役柄を演じながらの表情の絶妙な描き分けといい、演技力の凄みといい、聴いていて小澤/ボストン響の演奏以上に感心させられることしきりでした。さすがに稀代の名女優ですね。

パーテルノストロ/ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルによるブルックナー交響曲全集


ブルックナー 交響曲全集
 パーテルノストロ/ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィル
 メンブレン 1997~2006年ライヴ 232766
232766

これは今月、突如としてリリースされた超廉価ボックスセットのブルックナー交響曲全集で、ロベルト・パーテルノストロの指揮、ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の演奏により1997年から2006年にかけてドイツのヴァインガルテン・バジリカ大聖堂で行われたブルックナー全曲チクルスのコンサートがライヴ収録されています。

この超激安ぶりは既に話題になっているところですが、私も都内の量販店で1700円で販売されていたものを入手しました。このセットはCD11枚組なので17000円でもまだ安いくらいだと思うんですが、、、

もちろん安く買えるぶんには文句も無いですが、正直この価格には、本当にいいのか?と思ったのも事実ですね。

さっそく第1番から、番号順に第4番まで聴いてみました。

値段が値段だけに正直ちょっと不安でしたが、フタをあけてみると、演奏内容、音質ともにしっかりとしていて一安心でした。むしろ、なぜこんな価格設定にしたのかが不思議なくらいです。

オーケストラのソノリティは明るい基調の響きやしっとりとした美しい音色を感じさせる上質のトーンで、残響レベルは全体的に高めとはいえハーモニーがダンゴ的に混濁するようなことはなく、確かに若干、細部の見通しが弱いシーンもあることは否めないとしても、そのアンサンブルのふっくらと芳醇な音響感はすこぶる心地よく、パーテルノストロの正攻法の指揮ぶりもブルックナーの音楽の美感を仮借なく描き出していて、少なくともそのあたりの美感に富んだ音響展開に関しては聴いていて実直に惹き込まれるものでした。

ただ、いささか物足りないと感じた点も2つほどあります。まず、全体にブルックナーの音楽の構造美に対しては、前述したような音響美の確立度から計ると、いまひとつ突き詰められていないように思われる点で、総じてハーモニーが立て込んでくる部分になると響きの組み上げがいささか雑に流れる気配があります。例えば交響曲第1番の終楽章(2:00)あたりのアンサンブルの雑然とした感じなどがそうで、もちろんライヴ一発録りという制約は大きいとしても、構造美的にはやや緻密さを欠くような印象も聴いていてそれなりに感じました。

もうひとつの点ですが、全体にオーケストラの高声パートは弦・管とも非常に良く鳴っている反面、意外にバスの響きが薄く、音色もさらりとした感じで、少なくとも質感的にがっちりとした感触がさほど振るわず、ここぞという時の質感的な集約もいまひとつ万全ではないような、そんな印象をところどころ感じました。

あと付け加えるなら、交響曲第2番の第1楽章(11:53)からの金管コラールなどに聴かれるように、必要以上に管が全面にでしゃばり過ぎる局面が少なからず耳につきます。ただ、その良し悪しは微妙で、一概には言えないとも思いますが、、、、

これまで聴いた4枚(第1~第4)の中でのベストは、第4番「ロマンティック」です。2番からスタートして3番を経て、本ブルックナーチクルス3年目となるこの4番ではアンサンブルのこなれ具合、充実感、完成度などいずれも高いレベルでまとまっていますし、交響曲第1番のそれよりは響きに雑然とした感じが意外に少なく、パーテルノストロの指揮、ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルの響き、いずれもプラス面が万遍なく演奏の前面に発揮されていて、音楽自体の魅力に率直に浸ることができる演奏だと思います。

ちなみに、この一連の録音がドイツの大聖堂でのコンサートのライヴ収録であることは先に書きましたが、ここでの交響曲第3番の演奏の、第3楽章の(5:42)あたり、ゴーン、ゴーンと、大聖堂の鐘の音と思われる響きが聴かれます。このあたり、同じように大聖堂の鐘の音が演奏中に聴かれる、朝比奈/大阪フィルの聖フローリアンでのブルックナー7番ライヴを、聴いていて彷彿とさせられました。

第5番以降はまだ未聴ですが、また機会があれば感想を書き込んでみたいと思います。

コーガンのソロによるベートーヴェンのヴァイオリン作品のライヴ集


ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、第9番「クロイツェル」、第3番、ヴァイオリン協奏曲
 コーガン(vn) ギレリス(pf) コンドラシン/モスクワ・フィル
 ヴェネチア 1964年ライヴ(ソナタ)、62年ライヴ(協奏曲) CDVE04348
CDVE04348

旧ソ連時代のメロディア音源を中心に貴重な録音の復刻を続けている露ヴェネチア・レーベルから、新たにレオニード・コーガンの1960年代におけるベートーヴェン作品のライヴ集がリリースされました。

CD2枚組で、1枚目にはヴァイオリン・ソナタ第5番「春」と第9番「クロイツェル」が、2枚目にはヴァイオリン・ソナタ第3番とヴァイオリン協奏曲が、それぞれライヴ収録されています。ソナタはいずれも1964年のライヴで、ピアノはエミール・ギレリス、協奏曲の方は62年のライヴで、コンドラシン/モスクワ・フィルの伴奏です。

ヴェネチア・レーベルの復刻盤は音質においても定評があり、実際コンドラシン/モスクワ・フィルのショスタコービッチ交響曲全集などはちょっと度肝を抜かれるほどでしたが、そのあたりの音質面にも期待しつつ、さっそく聴いてみました。

そうすると最初のソナタ第5番「春」から実に目覚ましい音質で、期待通りというより期待以上でした。第1楽章冒頭のテーマからして音響的プレゼンスが抜群で、響きのリアリティが素晴らしく、コーガンの冴えざえとしたフレージングから繰り出される怜悧な音色の訴求力に思わず身が引き締まるほどです。

ここでのコーガンの弾きぶりは、その甘美なメロディに対して感傷性を残しながもむしろシリアスな佇まいで、この第1テーマを聴いてここまで身が引き締まる体験というのは、ほとんど記憶にない気さえします。どっしりとした質感と絶妙な呼吸感のフレージング。続く第2テーマ(1:06)からのスフォルツァンドなどもアクセントが活きていることこの上なく、以降も全曲を通して、表面的なロマンティズムに安易に流されず、作品の内面を確として見据えたような大家のヴァイオリニズムが披歴されていて、極上の音質と相まり、聴き終えて言い知れないほど深い余韻が刻み込まれる演奏でした。

この「春」に続く第9番「クロイツェル」がまたもの凄い演奏で、そのただならぬ表出力はこの曲の多くの録音に比しても間違いなくトップレベル、そう確信するに足るものです。

この「クロイツェル」においてもコーガンのフレージングは情緒に訴えかける甘口な表情形成とはいわば対極に位置する、毅然とした辛口の表情付けですが、その抑制されたロマンティズムとは裏腹なまでに個々のフレーズから放射されるエネルギーが凄まじく、第1楽章の第1テーマ(1:35)のsfpなどに聴かれる、鋭く研ぎ澄まされたアクセントの訴求力にも聴いていて実直に圧倒させられます。なかんずく(3:31)からの最強奏のもの凄い迫力! このコーガンの迫力にギレリスのピアノは全体にやや圧され気味で、少なくとも拮抗しているとは言い難い点が残念ですが、ことヴァイオリンの表現力に関しては圧巻で、聴いていて胸が痛くなってくるような、その感傷を超えた純然たる音楽の痛切味に圧倒させられる、そんな演奏です。

2枚目に収録のソナタ第3番も含めて、本アルバムのソナタ3曲のライヴは、いずれもコーガンの圧倒的な芸格をあらためて印象づけられるもので、特に「春」と「クロイツェル」に関しては、今までさまざまな録音で聴いてきた曲ですが、聴き終えてこれほどの名演に出会えたことの喜びがしみじみと湧き起こるほどのものでした。

最後のヴァイオリン協奏曲ですが、こちらは残念ながら音質がかなり落ちるようです。ソナタ3曲の2年前のライヴながら、ノイズレベルがかなり高めで、ソノリティ自体も全体に荒れ気味な感触と言わざるを得ず、コーガンのソロはさすがに立派ですが、それでもソナタの時より響きの引き締まり具合がいまひとつですね。この年代のライヴとしては決して悪い音質ではないと思いますが、少なくともソナタ3曲から続けて聴くとかなり落ちるな、というのが率直なところです。

カルミナ四重奏団によるドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲


ドビュッシー&ラヴェル 弦楽四重奏曲
 カルミナ四重奏団
 デンオン 1992年 COCO-70518
COCO-70518

先週末に第一生命ホールで聴いたカルミナSQの来日公演では、ラヴェルの弦楽四重奏曲が演目に含まれていましたが、カルミナSQはこの作品をデンオンに録音しており、私の印象において、これは同曲の多くの録音の中でもひときわ素晴らしい名演と感じるものです。

印象としては先の実演における感想と概ね重なるものですが、その実演を踏まえてあらためて聴き直してみると、おそらくこのカルテット・アンサンブルの最大の美質は、ロマンティックで美しい音楽を奏でるスタンスと、リアリスティックでシビアな音楽を奏でるスタンスとが、彼らのメンタリティにおいて絶妙に両立ないし共存し得ている点にあるのではないかと、そんな気がしました。

このラヴェルの四重奏曲と、その先達的位置づけにあるドビュッシーの四重奏曲の2曲に関しては、現状おそらく以下のアルバン・ベルク四重奏団の録音が、不動の名盤としての地位を確立しているように思います。

TOCE-9023
ドビュッシー&ラヴェル 弦楽四重奏曲
 アルバン・ベルク四重奏団
 EMIクラシックス 1984年 TOCE-9023

上記アルバン・ベルクSQ盤は確かに魅力的な演奏で、いずれも両作品のエレガンスな側面を強力に押し出したような美演であるとともに、そのハーモニーの上質のエレガンシーに聴いていて実直に酔わされるものです。

ただ、カルミナSQの演奏と比べると、全体にアンサンブルをまろやかに溶け合わせようとする意識が勝ち過ぎるような印象も聴いていて拭えないところです。それが必ずしも悪いというのではないのですが、表情がやや陶酔的に過ぎる嫌いもあり、少なくとも私が聴いてよりグッとくるのはカルミナSQ盤のラヴェルの方です。

ドビュッシーの方も、やはりカルミナSQの方に軍配をあげたい気持ちに駆られます。第1楽章後半のクライマックスでの、ものすごいアッチェレランドに立脚したパッションの爆発など最高ですし、第3楽章中盤でのアンサンブルを突き破って鳴り響くヴィオラの訴求力といい、終楽章でのパッショネイトなハーモニーの色合いなど、いずれもアルバン・ベルクSQを上回る表出力を感じさせるものです。

スピヴァコフ/ロシア・ナショナル管によるショスタコーヴィチの交響曲第5番と第9番


ショスタコーヴィチ 交響曲第5番、第9番
 スピヴァコフ/ロシア・ナショナル管弦楽団
 エクストン 2000年ライブ OVCL-00117
OVCL-00117

先週末サントリーで聴いたロシア・ナショナル・フィル来日公演ではウラディーミル・スピヴァコフの指揮によるショスタコーヴィチ交響曲第5番が披露されましたが、スピヴァコフはこの曲をロシア・ナショナル管と録音したCDをリリースしています。それがこのエクストン盤です。

併録の第9番ともども、2000年のモスクワ音楽院大ホールでのライヴ録音です。ライヴ録音であるという旨の表記は見当たりませんが、終演後に拍手が収録されていることから、ライヴであることが判ります。

このCDは、世評もすこぶる高くて、既に名盤と認知されているものですが、私が感じた印象として、まず音質の素晴らしさは特筆されるべきものだと思います。これは、少なくともライヴ録音の音質としてはほとんど奇跡的なレベルではないでしょうか。

この超高音質を背景に、演奏内容としてもちょっと圧倒されるものがあります。第1楽章でいうなら(9:56)あたりの弦の殺気立ったようなフレージング、(10:15)あたり連続する金管の最強奏の激烈ぶり、あるいは終楽章(03:23)からの最強打連撃の常軌を逸した迫力など、いずれもアンサンブルの表出力が半端でなく、ひりつくような緊迫に満ち、これほどのケタ外れの表現力をアンサンブルから引き出しているスピヴァコフの指揮ぶりに、聴いていて実直に驚嘆させられるものです。

終楽章冒頭では、第8小節で加速しないで第10小節で一気にテンポアップ、という個性的なアプローチが取られていますが、これは先週ロシア・ナショナル・フィルとの実演で披歴したアプローチと同じもので、おそらくスピヴァコフの流儀なのだと思います。

以下、余談ですが、本CDのライナーノートの作品解説に以下のような記載があります。

OVCL-00117-2
(↑読みにくい場合はダブルクリックして下さい)

この終楽章コーダのテンポ指定が、実は間違いであるという話自体は特に目新しいものではないのですが、こうして明確に間違いであると指摘している記述というのは初めて見たように思います。

実際、私の持っているポケットスコア(全音楽譜出版社)でも、以下のように4分音符=188としています。

OVCL-00117-3

このあたり、間違いと分かっているなら直した方がいいと思うのですが(もちろん出版元が直さない限り、勝手には直せないのでしょうけど、、)。

ちなみに本CDでは当然のように♪=188で演奏していますし、先週の実演でもそうでした。

カルミナ四重奏団来日公演(第一生命ホール 6/13)の感想


カルミナ四重奏団来日公演(第一生命ホール 6/13)の感想です。

最初のバルトークですが、全体的な印象としてはCDの方を聴いて感じたものと同様、この作品に内在する印象主義的な色彩感がえぐりだされたような、独特の演奏カラーでした。CDで聴いた時には、この作品の中にこれほどの隠された美が潜在していたのか、という点で率直に驚きを禁じえないものでしたが、こうして実演に接してみると、その美というのが決してまやかしではなくて、現実に存在し得る、確たる美だったということをはっきり意識させられるものでした。特に第3楽章はCDで聴いたとき、まるでドビュッシーの音楽を思わせる寄るべないハーモニーの浮遊感が強く印象的でしたが、CDではやはり弱音領域の実在感が実演に遙かに及ばず、実演に接し、あらためてその美しいハーモニーの浮遊感に酔わされる思いでした。

続いてシャーンドル・ヴェレッシュの弦楽四重奏曲第1番が演奏されました。この曲は1931年の作品で、ヴェレッシュはハンガリーに生まれ後年スイスに亡命した、バルトークの弟子筋にあたる作曲家です。初めて聴く曲ですが、その印象はバルトークの弦楽四重奏曲第3番、第4番あたりにかなり近しい感じがしました。

休憩をはさんで、後半はまずダニエル・シュナイダーの弦楽四重奏曲第3番が演奏されました。これまた初めて聴く曲ですが、これは現代スイスの作曲家シュナイダーが2002年にカルミナ四重奏団のために書いた作品とされ、「日は昇り、日は沈む」という題名を有しています。第1楽章はアジア、第2楽章はアメリカ、終楽章はブラジルの音楽がそれぞれ素材とされた多国籍な楽想で、聴いていて音楽としての奥行きがいまひとつ平板な印象も否めないところでしたが、今日の4曲の中では格段に親しみやすいムードの作品でした。

最後のラヴェルの四重奏曲ですが、印象としては1992年にデンオンに録音したCDに聴かれる演奏と同様の様式でしたが、その深みにおいてはやはりCDよりずっと上と言わざるを得ず、とにかく魅了させられました。フランスの作品だからといってアンサンブルをまろやかに溶け合わせる、という感じは希薄で、むしろ互いに響きをガンガンぶつけ合っている印象さえ受け、音色のメリハリが立つこと甚だしく、旋律形成においてもボッテリしたところがなく、実にシャープ。それなのにハーモニーが常に美しい音彩を絶やさないのが聴いていて驚異的で、フランス作品らしい豊かなメロディ・ラインの魅力も良く生かされていて、何というか、ちょっと非の打ちどころが見当たらない、そんな演奏でした。

アンコールの2曲は思わぬ収穫で、ドビュッシーはCDでもラヴェルとのカップリングで録音されていますが、そこでは楽章中盤でアンサンブルを突き破って鳴り響くヴィオラの訴求力がすこぶるつきで、それを実演でしっかり体験できました。ジミ・ヘンドリックスのパープル・ヘイズは、クロノス・カルテットのCDで何度か聴きましたが、ナマで聴いたことはなく、それを思わぬ形で耳にすることが出来て嬉しかったです。

ロシア・ナショナル・フィル来日公演(サントリーホール 6/12)の感想


ロシア・ナショナル・フィル来日公演(サントリーホール 6/12)の感想です。

オーケストラ編成は16型のフル編成、配置はステージ向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並べた変則対向配置でした。

前半のチャイコフスキーの3曲ですが、いずれも演奏内容としてはいまひとつというのが率直なところです。最初の「ロメオとジュリエット」は、確かにアンサンブルの鳴り具合は良くて、その大音量の迫力には十分なものがありましたが、その割りにアンサンブルのフォーカスが全体に甘く、個々のフレージングに切れを感じにくく、響きがどうもボワンとした感じで緊張感がいまいち、という按配でした。続く「ロココ風の主題による変奏曲」と「アンダンテ・カンタービレ」においては、このオーケストラの特徴と喧伝されていた弦パートの艶やかな音彩ないし細やかな陰影の付け方に惹かれるものがあり、リプキンのチェロ独奏でのテクニシャンぶりも見事なものでしたが、いずれも作品自体の品の良いムード感をかなりストレートに出したような、甘口の音楽造りゆえに、聴いていて確かに心地良いものでしたが、同時にいささか深みに乏しいような印象も否めませんでした。

以上が前半の感想で、後半のショスタコーヴィチもこの調子だとちょっと困るなと、正直思っていたところ、後半に入ったそのショスタコ5番においては、前半からすると打って変ったようにアンサンブルに引き締った緊張感が全編に漲り、その豹変ぶりに驚かされました。

第1楽章冒頭からすこぶる表現力のある響きがアンサンブルから一貫して供給され、前半のチャイコフスキーでのフォーカスの甘さがウソのように、ピントがビシッと合ったソノリティといい、パワフルなフォルテッシモの荒びた迫力といい、いずれも前半での表面的な迫力とは段違いで、特にクライマックスでの殺気立ったような弦のフレージングと金管の最強奏で畳み掛けられる熾烈な大音響などは聴いていて空恐ろしいくらいでした。

第2楽章は聴いていてゾクゾクするほどにグロテスクな音響感が充溢し、木管(特にファゴット)が随所に発した音色のうす気味の悪さは強烈でしたが、これが第3楽章になると、木管が一転して淡く儚い音彩を奏で、それが弦のセンシティヴなフレージングと相まって、実に深々とした祈りの音楽が現出され、その第2楽章との表情の落差においては、聴いていてちょっと気が遠くなるくらいの対極性を感じさせるものでした。

終楽章は冒頭がかなり個性的で、最初4分音符=88のテンポで入り、11小節めで104まで上げるのですが、途中スコアに加速指示がある8小節めで敢えて加速せず、直前の10小節めになって一気にテンポアップ、というやり方を披露しました。このやり方だとスコアに型通りに従うよりも、ずっとドラマティックな効果が出ますが、僅か1小節で104まで上げなければならないため、アンサンブルが乱れるリスクも伴うところです。それをロシア・ナショナル・フィルは事も無げにこなしてみせ、そのアンサンブルの強力な一体感には聴いていて度肝を抜かれる思いでした。その冒頭のインパクトは圧巻という他なく、以降もアンサンブルの圧倒的な表出力が冴えわたり、その狂気すら孕んだような迫真の音響展開も含め、聴き終えて言い知れぬ感動を呼び起される演奏でした。

以上、本公演は前半はともかくも、後半のショスタコーヴィチに関しては強度のリアリティを孕み迫真を極めた聴き応え満点の演奏で、それは少なくとも、私がこれまで聴いた同曲の実演の中では屈指の水準と感じられるものでした。

カルミナ四重奏団来日公演(第一生命ホール 6/13)


今日は第一生命ホールでカルミナ四重奏団の来日公演を聴きました。

2009-06-13

演目は以下の通りです。

①バルトーク 弦楽四重奏曲第2番
②ヴェレッシュ 弦楽四重奏曲第1番
③シュナイダー 弦楽四重奏曲第3番
④ラヴェル 弦楽四重奏曲

また、アンコールには以下が演奏されました。

⑤ドビュッシー 弦楽四重奏曲より第3楽章
⑥ジミ・ヘンドリックス パープル・ヘイズ

本公演は「The Challengers - 挑戦する者」と題されていて、演目は主に20世紀音楽で構成されていました。②のシャーンドル・ヴェレッシュと③のダニエル・シュナイダーの四重奏曲はともにカルミナSQの本拠であるスイスの作曲家の手による作品です。

カルミナSQというと私としては最近リリースされたバルトークのアルバムを聴いた際の新鮮な印象が記憶に新しく、その感想については本ブログに先月掲載したところですが、ちょうどそのアルバムに収録の第2番が、今日の演目に含まれていました。

またラヴェルの四重奏曲に関しても、カルミナSQはCD録音をしていますが、そこでの演奏はこの作品の録音の中でも最高水準の出来ばえではないかと感じていたところです。

以上のような理由で、今日は主に①と④の2曲を目当てにホールに足を運びました。

両曲とも、やはり弱音領域でのアンサンブルの訴求力が録音とは段違いで、CDの限界性も痛感させられたとはいえ、実演ならではの陰影ゆたかな音響展開の醍醐味をじっくりと堪能しました。

感想は後日出しますが、昨日サントリーで聴いたロシア・ナショナル・フィルの方から先に出しますので、今日の感想は早くて明後日くらいになると思います。

ロシア・ナショナル・フィル来日公演(サントリーホール 6/12)


今日はサントリーホールでロシア・ナショナル・フィルハーモニー交響楽団の来日公演を聴いてきました。

2009-06-12

指揮者はウラディーミル・スピヴァコフで、演目は以下の通りです。

①チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
②同 ロココ風の主題による変奏曲
③同 アンダンテ・カンタービレ(弦楽四重奏曲第1番の第2楽章)
④ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

②と③はガブリエル・リプキンをチェロ独奏に迎えての演奏でした。

これだけでもかなりのボリュームですが、さらに①の前には日本とロシアの国歌演奏というのがありましたし、アンコールとして以下の3曲も演奏されました。

⑤シュニトケ アダージョ
⑥チャイコフスキー ハンガリー舞曲
⑦同 「くるみ割り人形」より「トレパーク(ロシアの踊り)」

これだと当然2時間のワクに収まるはずもなくて、終演時刻は9時半を回っていました(週末で良かったです)。

ところで「ロシア・ナショナル・フィル」ですが、このオーケストラは2003年にロシアのプーチン政権の肝入りで設立された団体で、本公演が初来日となります。似た名称のオーケストラに、プレトニョフが設立した民営の「ロシア・ナショナル管弦楽団」がありますが、これとは完全に別団体です。

どうも、今日ホールに聴きに来られた人の中には、「ロシア・ナショナル管」だと思って聴きに来た人が何人かいらしたようです。ただでさえ名前が似ていてまぎらわしいところですが、今日の演目である④のショスタコの5番を、当夜の指揮者スピヴァコフがロシア・ナショナル管の方とCD録音(エクストン)していることも、そのまぎらわしさに拍車をかけていたようですね。

チケット代はかなり安めで(S席で1万2千円というのは良心的な価格設定かと)、ボリュームたっぷりという、お得感のあるコンサートでした。

演奏内容については、前半はちょっといまひとつと感じましたが、後半が見違えるような出来で、すこぶる壮絶なショスタコーヴィチでした。

その感想については、また後日に。ただ、明日もまた別のコンサートに行く予定があるので、早くても明後日になります。

N.ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管によるドヴォルザーク交響曲全集


ドヴォルザーク 交響曲全集
 ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
 シャンドス 1986・87年 CHAN9991-6
CHAN9991-6

今週始めにサントリーホールで聴いたドヴォルザークの交響曲第1番「ズロニツェの鐘」は、この演奏頻度が極度に低い名曲を生演奏で聴くことができ、そのうえ演奏内容も素晴らしくて感無量でした。

私がこの「ズロニツェの鐘」を「名曲」として認識するようになったのは、実は最近のことで、あるCDでこの曲を聴いたのがきっかけです。

そのCDというのは、ネーメ・ヤルヴィがスコティッシュ・ナショナル管弦楽団を振ってシャンドスに録音したもので、それは激安レーベルのブリリアントから2008年にリリースされた、以下のドヴォルザーク・シンフォニー全集に含まれていたものです。

93635
ドヴォルザーク 交響曲全集
 ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(第1~第4)
 ビエロフラーヴェク/チェコ・フィル(第5~第7)
 ヤンソンス/オスロ・フィル(第8・第9)
 ブリリアント・クラシックス 1987~92年 93635

私がこの「ズロニツェの鐘」という曲の真価を初めて認識させられたような気がしたのが、このヤルヴィの演奏を聴いた時でした。

そもそもドヴォルザークの交響曲のうち初期の5曲は、いずれも演奏頻度がそれほど高いものではないですが、その中でもこの交響曲第1番「ズロニツェの鐘」は突出的に演奏頻度が低く、日本はもとより本場チェコでさえ滅多に掛からない曲だそうです。

この曲はドヴォルザーク24歳の時の若書きの作品で、ドイツの作曲コンクール落選作であり、それに失意したのかドヴォルザーク自身がこの曲を半ば封印状態にしてしまい、1865年に作曲しながらスコアの出版が実に100年近く後の1961年という、数奇な運命を辿った経緯があります。

おそらくこのあたりの事情もその演奏頻度の低さに影響していると思われますが、最大の要因は、この曲が「第1番」にして、いきなりドヴォルザークの9曲のシンフォニー中最大の演奏時間を要する大曲だからではないかと考えられます。つまり、この曲を上演するとなるとプログラムの後半以外考えられない、さりとて、この曲をコンサートのトリに据えるにはポピュラリティが弱く、集客性の観点から躊躇してしまう、そんな性質がこの曲の扱いを難しくしているような気がします。

CDの話に戻りますが、私は上記ブリリアントのボックスセットによってヤルヴィ/スコティッシュによるドヴォルザークの名演ぶりを知るに及び、同セットにふくまれていない5番~9番の方についてもヤルヴィ/スコティッシュの録音で聴きたくなりましたが、探してみるとバラ売りのものは見当たらず、結局、ダブリ覚悟で交響曲全集盤の方を購入しました。

全9曲とも共通して言えることですが、必ずしも「ドヴォルザークらしい」感触の演奏ではないと思います。造型的にはスマートで、テンポを揺らすなどの情緒を強調するような表情付けは総じて抑制されていますし、弦の編成もやや小振りで、重厚な量感あるいは濃厚なメロディ・ラインといった方面は目立たず、オーケストラの洗練された音色のフィーリングも含め、いわゆるチェコの郷土色のようなものからはかなり遠くに位置づけられる演奏です。

しかし純音楽的な観点からみて、これほどの充実感に満ちたドヴォルザークは滅多に耳に出来ないのではないかと感じられるのも、また事実です。ヤルヴィのアグレッシヴなまでの表現意欲がオーケストラの隅々にまで浸透したかのような、フォルテでの胸のすくようなオーケストラの鳴りっぷり、金管パートのめくるめく音彩感、そして一点も弛緩しないアンサンブルの素晴らしい集中力から繰り出される、音楽の圧倒的なインテンシティ。

ヤルヴィ/スコティッシュはこの全集と同じ時期に、シャンドスにプロコフィエフやショスタコーヴィッチなどのシンフォニーも録音していますが、いずれも抜群の演奏内容です。このあたりがおそらくネーメ・ヤルヴィの最も脂の乗っていた時期にして、オーケストラとしても全盛期、そんな感じがします。

マイヤーとブロムシュテット/ドレスデン国立管によるウェーバーのクラリネット協奏曲集


ウェーバー クラリネット協奏曲第1番・第2番、クラリネットと管弦楽のための小協奏曲
 マイヤー(cl)ブロムシュテット/ドレスデン国立管弦楽団
 EMIクラシックス 1985年 TOCE-7218
TOCE-7218

おとといサントリーホールで聴いた読売日響のコンサートではザビーネ・マイヤーのソロによりウェーバーのクラリネット協奏曲第1番が演奏されましたが、その前日、予習がてら聴いておいたのが本ディスクです。これは購入してから、もう10年は経つと思います。

ザビーネ・マイヤーの、例のベルリン・フィルとの一件が一段落した頃の録音で、天才クラリネット奏者として名を馳せた実力のほどが聴いていてよく伺える演奏です。

協奏曲第1番のソロの入り(1:12)の音色のとろけるような美しさにおいては、その弱奏感(スコアはp)からすると驚くほどに色彩的な訴求力があり、この時点でグッと演奏に惹きつけられます。それでいて(2:49)からの第2テーマのfにおいては先のpとは一味違う音色の強さと凛々しさがあり、以降も場面に応じて音色のニュアンスが実に多感。コーダの超高音の最強奏での、澄み切った音色もすごいですね。第2楽章冒頭のpp展開は夢のようですし、終楽章もソロの豊かな活動力が常に絶えない、そんな演奏です。

協奏曲第2番、小協奏曲の方もクラリネット・ソロに関しては極上の美演で、ブロムシュテットの指揮も、全体的に強奏時の音の切り方がもう少しキリッとしていれば、なお良かったと思いますが、ソノリティ自体の美感はかなり立っていると感じます。

以上がCDに関しての主な感想ですが、では実演でも同様だったかと言うと、実はCDとは印象がかなり異なるものでした。

CDで聴くと、どうしても音色が美しいとか美演とか、そういう方面に意識が行ってしまうのですが、実演になると美しい云々といった印象はむしろ二の次で(むろん十分に美演でしたが)、それよりはマイヤーのクラリネットの器楽臭の希薄さの方に、聴いていて言い知れない感銘を覚えました。

技巧的にはかなりの難曲であるのに音程ミスが皆無で、どのフレージングにも危うさが無い、これだけでも驚異的なのに、演奏が進むにつれて、そのクラリネットの音色がまるで人声のようなフィーリングを帯び出し、マイヤーのステージ上の華麗な立ち振る舞いも含めて、コンチェルトというよりむしろオペラ歌手がアリアを歌っているのを聴いているような、そんな錯覚さえ喚起させられるほどでした。

これはおそらくマイヤーのクラリネット演奏における天才性のひとつの発露ではないかと考えられ、その驚異的に流暢な吹き回しに基づく、天衣無縫のフレージング展開が、クラリネットの器楽的ソノリティを超え、何か別次元の表現力を獲得したかのような、そんな希有の感触を味わうことのできた演奏でした。

そしてその感触というのは、少なくとも前記CDで聴くぶんにはそれほど強いものでなくて、それは単純に実演と録音での聴こえ方の違いなのか、それとも若干25歳というCD録音時からマイヤーのクラリネット演奏自体が深化したからなのか、その両方なのか、分かりませんが、いずれにしてもCDとは印象が随分ちがうなと感じましたし、こと音楽の深みという点ではやはり実演の方がCDを一歩凌駕していたと思います。感動的でした。

下野竜也/読売日響のコンサートの感想


昨日のコンサート(下野竜也/読売日響 サントリーホール 6/8)の感想です。

最初のウェーバー・「オイリアンテ」序曲は対向配置の12型編成で演奏されましたが、そのアンサンブル展開は、聴いていて率直に「ああ、いい音だな」と思わせられるものでした。低弦の豊かな力感、ズシリとした弦の量感、そして管の質朴な音色の彩り、それらはおおむねドイツ風のアンサンブルの色合いを匂わせるものでしたが、それがウェーバーの音楽に巧くフィットしていましたし、何よりフレージングの集中力が素晴らしく、何か久々に耳にするようなその本格的な音楽の感触に思わず惹き込まれました。

それにしても、先の4月にカンブルランの指揮で聴いた際の、あのフランス風味のアンサンブル展開と同一のオーケストラとは俄かに思えないほどでしたが、このあたりのアンサンブルの柔軟性というか幅広い表現力のポテンシャルは読売日響のひとつの持ち味なのかも知れません。

続くウェーバー・クラリネット協奏曲第1番はオーケストラを8型に刈り込んだ上で、ザビーネ・マイヤーのソロで演奏されました。やはりこの人は天才だな、というのが率直な感想ですが、それについては今日はちょっと書き切れないので、すみませんがまた後日に譲ります。

後半のドヴォルザーク・交響曲第1番「ズロニツェの鐘」は再び編成を12型に戻して開始されました。第1楽章冒頭のホルンの勇壮なコラール、続くメランコリックな第1テーマと、とにかく魅力的なメロディが連続するこの提示部は、ある意味いきなり全曲の白眉とさえ言えそうな楽想を有していて、それだけに、もしオーケストラの立ち上がりが鈍い場合は作品全体の魅力さえ損ないかねないところですが、下野は初手からエンジン全開でこの提示部をダイナミックに走り抜け、その迫力は聴いていてゾクゾクするほどのものでしたし、展開部以降の猛るような楽想も含めて、ドヴォルザークの若々しい音楽のパッションが存分に伝わってきて感動的でした。

第2楽章はオーボエを主役とするロマンティックな旋律美に富んだ楽想、第3楽章は野暮ったいほどの民族舞曲風の楽想ですが、いずれにおいても下野は真っ直ぐでひたむきなアプローチを通じて各楽想の魅力を過不足なく伝え切り、初めて聴く生演奏の感銘というのもあって、聴いていてため息が出るほどに魅力的な演奏の情景でした。

終楽章はアンサンブルに漲る素晴らしい情熱味がみずみずしい楽想の魅力をこよなく引き出していて圧倒される思いでしたが、それは下野自身プログラムに寄稿したところの、ドヴォルザークが「夢を追い求め、希望に満ちて、決して裕福ではなかったけれども音楽家への道をひたすら走っていた頃の」音楽、まさにその通りの印象となっていたように思います。終盤の突き抜けた高揚力なども出色でしたし、すこぶる新鮮な感動をもって全曲を聴き終えました。

全体としてみると、下野がこの作品に対していかに強い共感と情熱をもって臨んだかが良く伺える演奏でしたが、その点において、この曲はある程度、指揮者を選ぶのではないか、そんな気がします。というのも、やはり初期作品ゆえの構成力の弱さ(冗長さ)があるため、客観的に突き放して演奏されても、ルーチン的に演奏されても、途端に退屈な演奏に堕してしまう危険性が高く、ひっきょう指揮者自身の情熱や共感が不可欠と思われるからです。

その意味で当夜披歴された演奏は申し分なく、およそ即物的な表情とは無縁でしたし、何よりアンサンブルの有機的な運用において素晴らしいものがあり、その聴き映えはドヴォルザークの後期作品のそれにも十分に比肩するほどのものでした。

敢えて言うなら第1楽章の提示部反復に関してでしょうか。冗長を嫌っての配慮か、反復を省いていましたが、滅多に実演にかからない曲であることを考えると、敢えて反復する手もあったように思います。演奏の充実度からしても反復に耐えるものであったと感じました。

以上、本公演はドヴォルザークの隠れた名曲にして一度ナマで聴いてみたいと思っていた作品を大変見事な演奏で耳にすることができ、新鮮な体験にして感無量のコンサートでした。

下野竜也/読売日響(サントリーホール 6/8)


今日はサントリーホールで読売日響のコンサートを聴いてきました。

2009-06-08

指揮者は下野竜也、演目は前半がウェーバー・「オイリアンテ」序曲、続いてザビーネ・マイヤーをソロに迎えてのウェーバー・クラリネット協奏曲第1番(そのアンコールとしてストラヴィンスキー・「3つの小品」第3曲)、そして後半がドヴォルザークの交響曲第1番「ズロニツェの鐘」でした(アンコールはドヴォルザークの「わが母の教えたまいし歌」)。

今日のコンサートのお目当ては、ずばり「ズロニツェの鐘」です。

この「ズロニツェの鐘」は私の好きな曲のひとつですが、作品自体がドヴォルザークの全9曲のシンフォニーの中でもかなり特異な位置づけにあり、まず滅多に演奏されない曲で、実際この曲をナマで聴いたのは今日が初めてです。

今日を聴き逃すともう何年も聴く機会が来ないかも、、そう思って、仕事を何とか遣り繰りしてホールに赴きました。

感想はまた後日書きますが、一言で言うなら、指揮者が下野竜也で良かった、ということでしょうか。この曲は、やはりある程度「指揮者を選ぶ曲」だと思いますから、、、

ベレゾフスキーによるリストの超絶技巧練習曲


リスト 超絶技巧練習曲
 ベレゾフスキー(pf)
 テルデック 1995・96年 WPCS12113
WPCS12113

先月の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」特設CD販売エリアで購入したディスクです。

公演215の終了後に購入したものですが、そこではベレゾフスキーのサイン会が予定されていて、私もサインをもらっておこうと列に並んでいたところ、サイン会はキャンセルするとの告知が、、。なんでも「体力の限界」とのことでした。

というわけでサインはもらい損ねましたが、このリスト、かなりの名演だと思います。

ボリス・ベレゾフスキー、1990年のチャイコフスキーコンクールにおいて若干19歳で優勝を果たした、筋金入りのヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。

LFJ2009ではバッハのコンチェルトを聴きましたが、そこではバッハというよりショパンというようなダイナミクスの幅広さが印象的で、ロマン派的な表情に富み、そのあたりの不意打ち感に独特のものがありました。

対してこのリストですが、やはりベレゾフスキーの本領はこのあたりの音楽にあることが明瞭に伺われるものです。

この最難曲に対する揺るぎないテクニックの安定感においても凄いものですが、むしろ聴いていて驚かされるのが、右手と左手のバランスの取り方です。

例えば、6曲めの「幻影」。冒頭のまどろむような音彩が、中盤で力強く高揚していく、その頂点たる(2:39)あたりの左手の充実感たるや、右手の華やかなパッセージが霞むくらいの押しの強さがあり、その強烈にして重厚な最強奏には聴いていて驚愕させられるほどです。

総じてこのベレゾフスキーのリストにおいては、確かにテクニックもすごくて盤石ですが、むしろその盤石のテクニックを土台に、この曲の表面的な華やかさに過分に捉われることなく、自己の目線で作品を描き切っているようなスタンスに聴いていて強く惹かれました。

来年のLFJは、テーマがショパン。おそらく、ベレゾフスキーが活躍し得る公演が少なからず組まれるように思います。チケットさえ取れれば、聴いてみたいですね。

アンタイ/ル・コンセール・フランセによるバッハの管弦楽組曲集


J.S. バッハ 管弦楽組曲第1番・第4番、ヴァイオリンとクラヴィーアためのソナタ第4番
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ
 Mirare 2006年 MIR017
MIR017

先月の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」特設CD販売エリアにて購入したディスクで、アンタイ/ル・コンセール・フランセによるバッハ・アルバムです。

収録曲は管弦楽組曲第1番と第4番、BWV1017のソナタ、それにカンタータBWV21のシンフォニア。BWV1017のソナタはアンタイのチェンバロ、アマンディーヌ・ベイエのバロック・ヴァイオリンで録音されています。

ピエール・アンタイとル・コンセール・フランセは、今回のLFJ2009において都合3公演聴く機会がありましたが、その中でもCホールの公演244で聴いたバッハ教会カンタータ公演は、このアンサンブルならではの、フランス・バロックの極上の味わいというものを肌で感じた、ちょっと忘れ得ぬ公演でした。

しかしながらB7ホールで聴いた公演327(管弦楽組曲第1番、第2番)の方は、ホールに少なからぬ問題があり、演奏自体の素晴らしさに反して、音響的には必ずしも満足するものではありませんでした。

対して本ディスクを聴いてみると、特に公演時の演目であった組曲第1番など、音響的にやはり段違い、というほかなく、公演244において聴かれた、あの各楽器の放つ音色の得も言われぬ艶やかさ、この世のものとも思えないほどのフレージングのエレガンシー、それらのハーモニーの形成する極限的色彩美、それらが上質の音質から聴いていて蘇ってくるような感じがします。組曲第1番メヌエットの(3:32)あたりの木管の艶めかしいフレージングなど、まさにあの時の、という感じです。

併録されているBWV1017のソナタの方も絶品で、特にベイエのバロック・ヴァイオリンの響きが、弦楽器というより管楽器のような精妙を極めた音色を放っていて驚かされます。およそ弦楽器に、こんな響きが可能なのかという点で、聴いていてびっくりするほどです。

以上、このアンタイ/ル・コンセール・フランセのバッハ・アルバムは、そのバッハらしからぬとさえ思えるほどに洗練を極めたフランス・バロック風のアンサンブル展開が織りなす極上の味わいに酔いしれる一枚でしたが、それだけに、これをあのとき実演で耳に出来たらさぞかし、という思いも強まるものでした。

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハの教会カンタータ第78、99、114番


J.S.バッハ 教会カンタータ第78番、第99番、第114番
 鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン
 BIS 2003年 BIS-CD-1361
BIS-CD-1361

先月の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」特設CD販売エリアにて購入したディスクです。

これは鈴木雅明/BCJのバッハ教会カンタータ全集の第25集にあたり、LFJ2009での演目であった第78番のカンタータが収録されています。

公演終了後には鈴木雅明のサイン会が催されました。それで私も本CDのブックレット裏面にサインを頂きました。
BIS-CD-1361-2

ちなみに鈴木雅明/BCJのバッハ教会カンタータ全集は現在42集まで進行中ですが、LFJ2009でのもうひとつの演目であった第30番カンタータの方は未だ録音されていないようです。

第78番のカンタータですが、こうしてCDであらためて聴くと、実演での感興が蘇ってくるようなところもあり、実演とはいささか趣きが異なるところもあり、というところでしょうか。

4人の独唱陣は全員LFJ2009での実演時とは違っていますし、ロケーションも、神戸松陰女学院大学のチャペルでの録音で、国際フォーラムで聴いた時よりはふっくらとした残響の肌ざわりが心地よく、この音質は教会カンタータの録音としては理想的な感じがします。

カンタータ第99番は三位一体の祝日後第15日曜日のためのカンタータで、冒頭のコラールを始めフラウト・トラヴェルソが大活躍するカンタータです。アーノンクールの録音など、その天国的な色調にうっとりさせられるものですが、この鈴木雅明/BCJの演奏は、その点はかなりストイックな感じがします。

カンタータ第114番は三位一体の祝日後第17日曜日のためのカンタータです。疾風怒涛のような冒頭の合唱曲が強烈ですが、白眉はむしろ第2曲のアリアでしょう。このアリアはレオンハルト盤(レオンハルト・コンソート)の録音が素晴らしく、そこではチェロ(ビスルマ)とフラウト・トラヴェルソ(ブリュッヘン)によって形成される厳しくも美しい諧調が感動的です。ここでの鈴木雅明/BCJの演奏はやはり真摯で、レオンハルト盤とはまた違った、洗練された古楽演奏の様式美というのか、そんな印象を感じさせる名演ですね。

ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管によるショスタコーヴィチの交響曲第10番


ショスタコーヴィチ 交響曲第10番、バレエ組曲第4番
 N.ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
 シャンドス 1988年 CHAN8630
CHAN8630

一昨日はパーヴォ・ヤルヴィがシンシナティ響と録音したショスタコーヴィチの10番の新譜についての感想を掲載しましたが、この曲では、パーヴォの父親ネーメ・ヤルヴィがかつてシャンドス・レーベルに録音したCDがあります。

そこで、その父ネーメがスコティッシュ・ナショナル管を振って録音した同曲のCDを聴き返すとともに、息子パーヴォの最新盤と聴き比べてみました。

演奏タイムはネーメ盤の方が短めで、第1楽章はネーメ盤23分に対しパーヴォ盤25分、第4楽章はネーメ盤12分半に対しパーヴォ盤14分という風に、特に両端楽章でネーメ盤の方が速めのテンポです。

演奏内容ですが、ネーメ盤のアンサンブル展開はパーヴォ盤のそれに比し音響の色彩感が明らかにどぎつく、ここぞという時の金管パートの強烈というより熾烈というべき最強奏の凄味には尋常ならざるものを感じます。

第1楽章の中盤の強奏起伏たる(10:58)からの金管のフォルテッシモの壮絶感などがそうで、ここは一昨日のパーヴォ盤の感想の中で、「ここは本当に凄い演奏だと、聴いていて言い知れぬ恐怖というか戦慄的なインパクトを存分に感得させられる」と書いたところですが、その「本当に凄い演奏」に該当するひとつがこのネーメ盤にほかならず、ここにはパーヴォ盤において希薄と感じた破滅的な色合い、この作品に内在する狂気の気配、あるいは聴いていて奈落に引きずり込まれるような感覚、そういう雰囲気が如実に聴かれます。

対して、ネーメ盤に対しパーヴォ盤が優位と感じるところは、まず強奏弱奏を問わず恐るべき明晰さをもってハーモニーが形成されている点で、特に両端楽章ではネーメ盤よりテンポがひとまわり落ち着いていることに加えてDSDのクリアな音質も手伝い、聴いていて作品のディテールの隅々までが見晴らせるようなパースペクティヴにおいてネーメ盤を凌ぐ美質を満たしていると思います。

そしてシンシナティ響のアンサンブル能力という点でも、ネーメ盤のスコティッシュ・ナショナルのそれを一歩凌駕し、一昨日書きましたように、その技巧的な切れと安定感に関しては聴いていて端的に魅了させられるものです。

以上の観点からすると、それぞれ一長一短で引き分け、と言いたいところですが、こと演奏自体の純粋な表出力という面では、パーヴォ盤はネーメ盤に及ばない、というのが私の率直な感想です。パーヴォ盤はおそらく現代オーケストラの可能な最高のパフォーマンスのひとつですが、ネーメ盤に比べると全体に技巧に対する過度の追求、ないし客観的な楽譜の再現へのこだわりが過ぎる反面、作品内部への踏み込みが甘く、聴いていてこの交響曲の異常性、ひいてはショスタコーヴィチの音楽の特異性が十全に伝わってこないように思います。

逆に言うとネーメ盤はその切羽詰まったような音楽の緊迫感においてパーヴォ盤に優位し、その演奏内容の凄みをあらためて認識させられるものでした。

パーヴォ・ヤルヴィ/シンシナティ響によるショスタコーヴィチの交響曲第10番


ショスタコーヴィチ 交響曲第10番&トルミス 序曲第2番
 P.ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団
 テラーク 2008年 CD80702
CD80702

レコーディングにおいて現在最も精力的な活動を続けている指揮者のひとり、パーヴォ・ヤルヴィが手兵シンシナティ響と録音したショスタコーヴィチの10番がリリースされました。カップリングには現代エストニアの作曲家ヴェリヨ・トルミスの序曲第2番が収録されています。

聴いてみると、ショスタコーヴィチの第1楽章は冒頭の低音弦から音量をかなり抑えた静謐なメロディの流れが形成されていますが、これはスコアのpというよりむしろppに近いフィーリングで、シンシナティ響の持ち味たるダイナミック・レンジの広さを印象づけられます。

続く(2:51)からのクラリネット・ソロはヴィブラートを抑えての冴えざえとした感触で、その後の主題起伏でも、怜悧なフレージング展開のアンサンブルが、恐るべき明晰さをもって強奏部を形成している点に驚嘆させられます。そうかと思うと(7:09)からの第2テーマのフルート・ソロはヴィブラートたっぷりで、先刻のクラリネットとは真逆な感触、このあたりのメリハリの利いた表情付けも印象的です。

シンシナティ響のアンサンブル能力も素晴らしく、例えば(12:03)からの金管のアーチ形成の立派なこと、まるでシカゴ響の如しで、他のパートも含めて技巧的な切れと安定感に関しては聴いていて端的に魅了させられるほどです。

以上のように、この演奏は表面的には現代オーケストラの最高のパフォーマンスのひとつではないかと思われるほどに立派で、かつ音質も優秀なのですが、演奏内容それ自体としては、正直いまひとつ訴えてくる力に不足するような印象が否めませんでした。

特に物足りないと感じたのが、楽章後半の強奏起伏における壮絶度で、ここは本当に凄い演奏だと、聴いていて言い知れぬ恐怖というか戦慄的なインパクトを存分に感得させられるのに対し、このヤルヴィの演奏だと、確かにエネルギーに満ちた管弦楽のダイナミズムには強く圧倒させられるとはいえ、それを突き抜けた破滅的な色合いに乏しく、この作品に内在する狂気の気配、あるいは聴いていて奈落に引きずり込まれるような感覚、そういう雰囲気があまり伺われないように思えるからです。

あくまで私の印象ですが、ヤルヴィのアプローチが純音楽的に練られ過ぎてかえってこの曲の獰猛な肌ざわりが洗い流されてしまったような感があるのと、全体的にシンシナティ響のアンサンブルの機能主義的な側面を強く押し出し過ぎて逆に表情の強さに味気なさを来たしたような感があり、もっと端的に言うなら、作品の内部に対する踏み込みがいささか甘かったのではないかというのが率直な感想です。

第2楽章以降においても、確かに強奏部におけるアンサンブルの馬力、弱奏部における細やかな音彩のたゆたい、いずれも表現自体としては傾聴させられるものですが、それが狂気的な領域にまで昇華されないのが聴いていて歯がゆく、それもヤルヴィの実力をもってすればおそらく可能ではないかと思われるだけに、尚更そういう思いが強まります。

トルミスの序曲第2番はショスタコーヴィチのシンフォニーのアレグロ楽章と類似する雰囲気をもった作品です。ここでのヤルヴィ/シンシナティ響の演奏はショスタコの10番以上にアンサンブルを強力に鳴らして圧倒されるほどですが、こちらは作品自体の訴求力に限界が感じられ、アンサンブルの最高ともいうべきパフォーマンス・レベルにしては心に喰い込んでくるようなインパクトがそれほど振るわない、そんな感じがします。

以上、このヤルヴィ/シンシナティ響の新譜は、私としてはいまひとつ食い足りない思いが残るものでしたが、それはあくまでショスタコーヴィチの音楽の特異性に起因するものと思われ、演奏自体は傾聴すべき内容であり、少なくとも現代オーケストラの可能な最高のパフォーマンスのひとつではないかという印象は聴いていて強く感じさせる演奏でした。

ノット/ケルン放送響によるラッヘンマンの「ヌン」


ラッヘンマン 「ヌン」、「ノットルノ」
 ノット/ケルン放送交響楽団(ヌン)
 ツェンダー/クラングフォルム・ウィーン(ノットルノ)
 KAIROS 1999年(ヌン)、95年(ノットルノ) 12142KAI
12142KAI

これはヘルムート・ラッヘンマンの代表作「ヌン」の世界初録音盤です。この作品は1997年から99年にかけて作曲された、大編成オーケストラと独奏フルート、独奏トロンボーン及び男声合唱のための音楽です。

ここでの演奏はジョナサン・ノット指揮ケルン放送響、フルート独奏はギャビー・パ=ヴァン・リエ、トロンボーン独奏はミカエル・スウォボダがそれぞれ務めています。

作品中にはラッヘンマンが傾倒する西田幾多郎のテキストが声楽的に用いられていますが、それは例によって断片的なものにとどまり、例えば(17:55)あたりでは、男性コーラスがボソッと何かを語ろうとし、その度にピアノが強烈な和音でそれを遮る、というような特異な処理がされていて、かなり抜き差しならない音景が描き出されています。

さらには(18:10)あたりの特殊奏法が発する音響の異常な感触、クライマックスたる(25:05)あたりのゾッとするような絶叫など、全体にラッヘンマンの音楽特有の強烈感に満ち、このあたりの感覚を言葉にするのはかなり難しいですが、皮相な喩えで言うなら、まるで深淵にひとり佇み、そこで何か得体の知れない存在に絶えず脅かされるような、極度の緊張感に満ちた音楽、そんな印象を受けます。

ラッヘンマンの代表作というとよく「マッチ売りの少女」が挙げられますが、オペラ創作はラッヘンマンの本流とは言い難いこともあり、ちょっと違和感を受けます。例えばベートーヴェンの代表作として「フィデリオ」を挙げるのに近い感じでしょうか。

やはりラッヘンマンの本流は抽象的な絶対音楽の分野の創作にこそあると思われ、その中から代表作と目される作品を挙げるなら、現状ではさしずめ、この「ヌン」あたりかという気がします。

ところで、この作品にはオーストリアKAIROSレーベルの前記ノット盤に加えて、最近もうひとつの録音が、ドイツの現代音楽専門アンサンブル「アンサンブル・モデルン」の自主制作レーベルよりリリースされました。以下のシュテンツ盤です。

EMCD004
ラッヘンマン 「ヌン」
 シュテンツ/アンサンブル・モデルン・オーケストラ
 ENSENBLE-MODERN 2005年ライヴ EMCD004

こちらはマルクス・シュテンツの指揮によるライヴ盤で、フルート独奏ディートマー・ヴィースナー、トロンボーン独奏ウーヴェ・ディエルクセンに加えて、スコラ・ハイデルベルクによる混成合唱が用いられています。

現代音楽の専門部隊ともいうべきアンサンブル・モデルンの演奏だけあり、特殊奏法における切れ味はさすがで、(23:23)あたりの息音の生々しさなどにはノット盤を上回る印象の強さがありますし、(32:30)から音楽が異様にヒートアップするあたりなど、全体にライヴ的な雰囲気も豊かです。ただ、録音が全体にオフマイク気味で、その距離感ゆえに(27:15)あたりのクライマックスの迫力などは、ノット盤のそれよりもやや落ちる感じがします。

スタジオ録音でカッチリ固めた、完成度のノット盤に対し、ライヴの雰囲気が生々しい、臨場感のシュテンツ盤、いずれも本作品の醍醐味が端的に感じられる演奏内容です。もっとも、特殊奏法の性質上、やはり視覚的インパクトを伴う実演には如かずという印象も否めないところで、この種の音楽をCDで聴くことの難しさや限界に関しても、それなりに意識させられるように思います。

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