アルディッティ四重奏団によるラッヘンマンの弦楽四重奏曲全集


ラッヘンマン 弦楽四重奏曲全集
 アルディッティ四重奏団
 Kairos 2006年 12662KAI
12662KAI

先週木曜日のラッヘンマンのオーケストラ作品の公演ですが、オペラシティ・コンサートホールの客席は、ざっとみて7・8割は埋まっていて、その予想外の盛況ぶりにちょっとビックリしました。というのも、2003年の「書」世界初演の時は、サントリーホールがガラガラに近い状態だったからです。

しかも先週火曜日にオペラシティ・リサイタルホールで行われた、ラッヘンマンの室内楽作品コンサートに到っては、なんとチケット完売だったそうです。

私は室内楽作品コンサートの方は行きませんでしたが、この日に演奏されたラッヘンマンの弦楽四重奏曲第3番「グリド」に関しては、この作品の日本初演となった2004年の公演(アルディッティ四重奏団来日公演)をトッパンホールで聴きました。以下はその時のプログラムです。

2004-06

この時もホールはガラガラではなかったですが満席とは言えない状態だったと記憶しています。それが先週の公演はチケット完売ですから、やはりここ数年でラッヘンマンの知名度というか人気が飛躍的に上昇したのではないかと思われます。

ラッヘンマンの音楽には独特の吸引力があり、その楽想は極めて難解で、現代音楽の最先端を行くものでありながら、その革新的とも言える響きの斬新さと、それに付随して感覚に訴えてくる力が凄くて、聴いていて何か根元的な音楽の力を感じ取れるような、そんな気になる不思議な魅力があります。おそらくそのあたりの魅力が現代の多くの聴衆の感性を惹き付けているのではないかと、そんな気がします。

CDの話に移りますが、本ディスクはラッヘンマンの弦楽四重奏曲全集(もちろん2009年現在における暫定的全集です)で、昨年購入したものです。

収録曲は弦楽四重奏曲第1番「グラントルソ」、第2番「精霊の輪舞」そして第3番「グリド」の3曲。このうち第3番「グリド」はアルディッティSQに捧げられた作品です。

第1番「グラントルソ」は70年代初頭に作曲されたラッヘンマンの前衛意欲剥き出しの作品で、例えば(5:00)近辺に聴かれるノコギリでギリギリ擦っているかのような猟奇的な響きなど、全編に弦楽四重奏離れした斬新かつ熾烈な音響展開が充溢し、聴いていてひたすら圧倒させられます。

第2番「精霊の輪舞」は80年代後半に作曲された、弓に圧力をかけないで奏するフラウタート奏法に焦点の当てられた作品で、第1番「グラントルソ」での熾烈さこそ影を潜めるかわりに特殊奏法自体の音響的異常性をくっきりと顕現させた、この世のものとも思えない響きの表出が連続します。

第3番「グリド」は21世紀初頭に作曲された作品で、アルディッティSQによる演奏を想定して書かれているだけに、特殊奏法の効果を極限まで推し進めたような超難技巧の作品になっています。と同時にラッヘンマンのある種の円熟をも強く感じさせる作品で、第1番「グラントルソ」の、この世のすべてを破壊するかのような音楽のエネルギーに対比すると、楽想的にはかなり丸い感じもします。そのぶん成熟した音響展開の醍醐味に満ちた、ラッヘンマンのカルテット作品におけるひとつの到達点、そんな感じの曲です。

ラッヘンマンのオーケストラ作品展「協奏二題」(東京オペラシティ 5/28)の感想


昨日のコンサート、ラッヘンマンのオーケストラ作品展「協奏二題」の感想です。

前半の「アカント」(オーケストラを伴う独奏クラリネットのための音楽)は1970年代作曲の作品で、オーケストラ及びクラリネット独奏とテープ音との対話形式で進められるものでした。ステージ両脇のスピーカーから流れるテープ音の素材として用いられたのはモーツァルトのクラリネット協奏曲ですが、その有名なメロディを含め、それが原曲のまま流されることはほとんどなく、各旋律がブツ切りに破壊された断片を中心にテープ音が構成されていました。そのテープ音を「傍らに(=アカント)」、オーケストラとクラリネット独奏が異彩を極めたような音響展開を繰り広げる、という感じの曲でした。

冒頭からチェロ後方に配置されたクラリネット部隊がいきなりクラリネットの吹口を手のひらで叩きだし、その軽打音をもって音楽が始まり、あとはもう特殊奏法のオンパレード。息音、弓の背側で弦を擦る音、弦を指で引っ掻く音(もちろん、ピチカートとは全然違います)、、、

このあたりは、さすがにラッヘンマンの音楽ならでは、ですが、そういう風に感じるのは今現在だからで、仮にこれを作曲当時の70年代に耳にしたとしたら、どれほどの衝撃を受けたか、それこそ19世紀初頭の聴衆がベートーヴェンの「英雄」交響曲を初めて耳にした時に近いようなものではなかったか、など、そんなようなことを思い浮かべつつ聴き入り、その常軌を逸した、ラッヘンマンの言うところの「音響のジャングル」に圧倒される思いでした。

後半の「ハルモニカ」(独奏テューバを伴う大オーケストラのための音楽)は1980年代初頭の作品で、ラッヘンマンが言うにはある種の「ダンス音楽」であり、テューバというダンスに不向きな楽器に敢えてダンスをさせた冒険作、とのことでした。前半の「アカント」と同様、音素材としてベルクのヴァイオリン協奏曲の冒頭旋律、バッハの無伴奏チェロ第1番プレリュードの冒頭旋律などを用いたものでしたが、いずれも原型をほとんど留めないほどに極度に変形(というより破壊)された上で用いられていました。

実際、演奏前のラッヘンマンのプレトークで、まずバッハ無伴奏チェロのメロディを実際に弾かせ、「これが私の曲ではこのように変形されて使われます」と言って、オーケストラに当該場面を演奏させるといった解説が為されましたが、それを聴いても、一体どう変形したのが、さっぱり分からないほどでした。

この「ハルモニカ」の全体の雰囲気は、前半の「アカント」での弱音をメインとする展開とは逆に、冒頭から強音でガンガン押しまくるアグレッシブかつ攻撃的な楽想が支配的で、なかんずくオーケストラがアルペジオ風の幅広い音階を縦横無尽に駆け巡る様には激烈なものがあり、その意味において「アカント」をベートーヴェンの「英雄」交響曲とするなら「ハルモニカ」は「運命」交響曲、そんなイメージが聴いていて何となく連想されました。

特殊奏法の駆使という点でも「アカント」に負けず劣らずで、たしか開始10分ほど過ぎたころ、テューバ独奏の橋本晋哉が譜面台からおもむろにエンピツを一本手に取り、何をするのかと思いきや、それでテューバの管側面を叩き出すという異様な光景が繰り広げられました。打楽器と化したテューバ。

もちろんそれはラッヘンマンの提唱する「ミュージック・コンクレート(具体音楽)」の概念に基づく、「楽器の身体性」の実践なのですが、こういうのは、聴覚的なインパクト以上に、視覚的なインパクトというのが絶大で、ありきたりの常識というか価値観が大きく揺さぶられる快感というか愉悦に酔わされる、そんな感じでした。その独特の雰囲気は、少なくともCDなどではほとんど感得不能ではないかと思われるものです。

振り返るに、本公演における日本初演の2作品はいずれもすこぶる本格的な現代音楽作品に特有の、強烈な耳当たりの悪さを伴う、そしてそれ故に聴衆への媚びやハッタリが完全に除外された真実の音楽に他ならないものと感じましたが、それ以上に、往年のラッヘンマンの剥き出しの前衛精神が満面に炸裂したような強烈な音響的刺激感が素晴らしく、その点においては少なくともラッヘンマンの近年の作品である、5年前サントリーホールにおいて同じオーケストラで聴いた「書」よりも印象的に上回る感じがしました。

以上が演奏そのものに関しての感想で、これほどの現実離れした音楽作品を一点の綻びもなく現実離れした音響に具現せしめた飯森範親の手腕、ならびに2000年の「マッチ売りの少女」日本初演からラッヘンマン作品に深い関わりを有する東京交響楽団の作品への深い理解と確かなシンパシー、いずれも驚嘆に値するレベルで見事というほかありませんでした。

ただ、プレトークに関しては、もう少し短くても、さらに言うなら、特に無くても、、という気もしました。実際、2時間の公演時間において、「アカント」が25分で、「ハルモニカ」が30分と、正味1時間未満でしたし、質的にはこれ以上ないほど素晴らしいものでしたが、量的には若干物足りなさも残るものでした。

ちなみに2003年のサントリーホールの公演は以下のような演目で、かなり盛り沢山な内容でした。

2003-12
(↑文字が見にくい場合はイメージをダブルクリックして下さい)

今回の公演でのラッヘンマンのプレトークは、確かに傾聴に値するものでしたし、人によっては作品の理解が深まったこともあるかも知れないですが、私の印象を率直に言うなら、例えば「ハルモニカ」の素材の解説に関して上で少し書いたように、各作品を聴く上でそれほどに有用とは思えませんでした。

このあたりの感じ方は人それぞれと思いますが、私の場合、現代作品に関しては必要最小限の知識だけ押さえて、あとは音響を聞こえるままに聴いて自由に想像を膨らませるという聴き方をとっているので、逆にあれこれ解説されると想像の楽しみが狭められてしまい、かえって窮屈な気がしてしまいます。理想的には、プレトークを外して、代わりにもう一曲くらい、2~30分程度のラッヘンマンのオーケストラ作品を聴ければ完璧でした。

ラッヘンマンのオーケストラ作品展「協奏二題」


今日は東京オペラシティ・コンサートホールで、ヘルムート・ラッヘンマンのオーケストラ作品展「協奏二題」と題されたコンサートを聴いてきました。

2009-05-28-1

演目は、前半が「アカント」~オーケストラを伴う独奏クラリネットのための音楽、後半が「ハルモニカ」~独奏テューバを伴う大オーケストラのための音楽。いずれの作品も本公演が日本初演となるものです。また各曲の演奏前に、来日中のラッヘンマン自身による(同時通訳を介しての)作品解説トークが行われました。

演奏は飯森範親の指揮による東京交響楽団、クラリネット独奏は岡静代、テューバ独奏は橋本晋哉によるものでした。

ラッヘンマンが自作の公演のために来日したのは2003年の「書」世界初演以来、約5年ぶりになりますが、私は当該公演もサントリーホールで聴いていて、そのアンサンブルの発する斬新を極めたような響きを耳にして驚愕すると共に、その魔術的ともいうべき響きの妙に魅了させられたことが思い出されます。

既にラッヘンマンは現代音楽の作曲家の中でも大家とされる存在ですが、それでも生演奏に接する機会は限られているのが現状で、今日も仕事を何とか早めに切り上げてホールに滑り込みました。

がんばって聴きに行った甲斐ありで、貴重な音響体験を味わえたコンサートでした。感想はまた後日に。

コルボ/ローザンヌ声楽&器楽アンサンブルによるバッハ・ロ短調ミサの96年ライヴ盤


J.S.バッハ ミサ曲ロ短調
 コルボ/ローザンヌ声楽&器楽アンサンブル
 ヴァージン・クラシックス 1996年ライヴ 5623342
5623342

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」特設CD販売エリアにて購入したディスクです。

今年の3月にリリースされたコルボ/ローザンヌ声楽&器楽アンサンブルのバッハ・ロ短調ミサ(2008年録音)に関しては先月感想を掲載したところですが、コルボは1996年に既にこのロ短調ミサを、同じく手兵ローザンヌのアンサンブルを指揮してライヴ録音していました。こちらは未入手でしたので、この機に購入して聴いてみました。

声楽独唱はサンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)、ベルナルダ・フィンク(メゾ・ソプラノ)、マルクス・シェーファー(テノール)、マルコス・フィンク(バス)の4人で、08年盤と同じように声楽独唱4人の布陣で演奏されています。

聴いてみると、演奏の特徴や演奏から受ける印象などにおいて、新録音に近しい雰囲気を湛えた演奏内容で、あたかも春の陽光の中に身を沈めているような、アンサンブルのまろやかな味わいに、独特かつ得難い魅力が感じられます。

新録音との比較という点では、演奏タイムが新盤の106分に対しこちらは101分と若干短く、ライヴ録りとスタジオ録りの違いもあって、新盤の方が落ち着いた佇まいから緻密に音楽を練り上げているという印象が強いですが、こちらの旧盤は実演特有の臨場感があり、音楽の生々しい肌ざわりという点に特徴を感じさせます。

演奏としての感銘の度合いという点では、演奏が全体にこなれていて、音楽が自然に語りかけるような新盤の方に軍配をあげたい気がしますが、こちらの旧盤も名演で、新盤とはまた一味違う美点を有するコルボならではのロ短調ミサだと思います。

グレチャニノフの「受難週」&ヘンデルのシャンドス・アンセム集(シャンドス30周年BOX:CD8&9)


シャンドス30周年BOX収録盤のCD8&9の感想記です。

ANNI-08
グレチャニノフ 「受難週」
 ブラッフィー/フェニックス・バッハ・クワイヤー、カンザス・シティ・コーラル
 2004年録音

これはロシアの作曲家アレクサンドル・グレチャニノフが1911年に作曲した正教会の受難週間用の聖歌で、一般に「受難週」または「受難の7日間」と呼ばれる作品です(原題はPassion Week)。

全74分を要する大曲ながら、音楽自体は概ね淡々とした語り口で厳かに進められ、静かに繰り返される高揚と沈静のスタティックな起伏感に聴いていてジワジワと惹き込まれます。何か不思議な魅力のある作品で、何となくペルトあたりの音楽の先駆けという感じもします。

チャールズ・ブラッフィーの合唱指揮に基づくアメリカの2つの合唱団の歌唱は、明晰な発声から透き通るようなハーモニー展開を形成してすこぶる美しく、特にフォルテでの透徹した響きの厳粛な佇まいに魅了されます。

本ディスクは第50回グラミー賞でクラシック部門の最優秀録音賞を獲得したディスクとのことです。さすがに音質が抜群ですね。

ANNI-09
ヘンデル シャンドス・アンセム第1番~第3番
 クリストファーズ/ザ・シックスティーン
 1987年録音

ヘンデルのシャンドス・アンセム全11曲のうちの第1番~第3番の3曲が収録されています。

本来アンセムは王室礼拝堂のための音楽ですが、このヘンデルのシャンドス・アンセムは当時パトロンであったシャンドス公爵の個人的な礼拝のために作曲されたもので、ヘンデルの残した数曲のアンセムの中でも戴冠式アンセムと並ぶ傑作とされるものです。

ハリー・クリストファーズ指揮ザ・シックスティーンの合唱団の歌唱は、総じてイギリス英語のイントネーションに対する、母国語の強みを活かしたようなニュアンスの豊かさといい、発声の美しさといい、礼拝音楽としての厳かな格調といい、いずれも高いレベルでまとっていて傾聴させられます。

驚かされるのが音質の良さで、20年も前の録音なのに、ソノリティの感触が実在感に満ちていて魅了されます。実際、本BOXのひとつ前のディスク(CD8)である前記グレチャニノフ「受難週」の音質と比べてもほとんど遜色ないほどです。同じ「シャンドス」を冠するこのアンセムの名に恥じない、シャンドス・レーベル会心の録音というべきでしょう。

ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークによるブラームスの交響曲第2番他


ブラームス 交響曲第2番、アルト・ラプソディ他
 ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
 ソリ・デオ・グローリア 2007年ライヴ SDG703
SDG703

ガーディナーの運営によるソリ・デオ・グローリア・レーベルよりリリースされた、ガーディナー/ORRによるブラームス・プロジェクトの第2弾となるディスクです。

収録曲は①ブラームス アルト・ラプソディ②シューベルト 水の上の精霊の歌③同 タルタロスの群れ④同 御者クロノスに⑤ブラームス 交響曲第2番。③と④はシューベルト原曲のブラームスによる編曲版に拠っています。

このシリーズの第1弾である、昨年9月リリースの交響曲第1番を含むアルバムに関しては以前に感想を掲載していて、その新鮮なブラームス像に感心させられるものでしたが、今回の第2弾ディスクにおいても、前回同様、ブラームスと同時代の作曲家の声楽作品がカップリングされています。

演奏ですが、前半配置の声楽曲、後半配置の交響曲ともに前回同様すこぶるフレッシュな感触を満たした演奏で、特に交響曲第2番の演奏は、おそらくピリオドオーケストラによるブラームスのシンフォニー録音としては、前回の交響曲第1番の録音と並んで、ひとつの画期的な成果とも言えそうです。

ここでのピリオドアンサンブルの形成するハーモニーの個性感や特徴に関しては、概ね前回の交響曲第1番でのそれに類似し、例えばヴィブラートを抑制したフレージングラインが描きだす造形的輪郭の美しさ、あるいは清潔感豊かな古楽器の音色の魅力など、前回の感想と共通するものです。

それに加えて、今回のアルバムを聴いて印象的だった点は、ブラームスのシンフォニーに内在するところのある種の声楽的な歌謡性とでもいうような性質に、聴いていてかなり意識が向けられたことで、そのあたりは、少なくとも前回のアルバムでは、さほどには意識させられなかったことです。

それはおそらく、今回のアルバムのメインがブラームスのシンフォニーの中でも特に歌謡的側面の強い第2番である点や、その前に配置されているのが歌曲王シューベルトの声楽曲である点などによると思われますが、このあたりはガーディナーによる配曲の妙とも言えそうで、このブラームス・プロジェクトにおけるガーディナーのこだわりというかメッセージ性が聴いていて何となく実感できたような気がします。

また、ここでのガーディナーの指揮に関し、ピリオドアプローチによりながらも随所に即興的とも言うようなフレッシュな表情付けが聴かれてちょっと驚きました。

特に印象的だったのが終楽章コーダのティンパニの運用で、このパートはスコア上425小節でffとなるところ、このガーディナーの演奏では409小節のアタマ(8:30)からffで叩かせています。こういうのは初めて耳にするやり方ですが、聴いていてそうすることに対する不自然さがなくて、むしろある種の必然さえ感じられるくらいでした。

難点に敢えて触れるなら、演奏自体の完成度が、前回のアルバムの水準をやや下回る感じがするあたりでしょうか。特にナチュラルホルンに関しては、前回の録音ほどにはフレージングの切れや音色の強さに欠ける感じもします。第1楽章の展開部冒頭(10:00)からの第1ホルンのフレーズには音程にやや危うさがありますし、コーダ(17:20)からのホルンのソロも前半のフレーズの音立ちがキリッとしません(ただ、後半に入るとグッと良くなりますが)。

このあたりはライヴ取りゆえのムラとも思えるところですが、逆にいうなら、この演奏は紛れもなくライヴである、という事実が聴いていて良く実感されもしました。

以上、主に⑤の交響曲第2番の印象について書きましたが、①のアルト・ラプソディを歌うナタリー・シュトゥッツマンの名唱ぶりも印象に残りました。

言うまでもなく当代きっての実力派コントラルトとして認知されている歌手です。最近でもラトル/ベルリン・フィルの新譜、ラヴェル「子供の魔法」で母親役などを歌っているのを聴いたばかりですが、それとひき比べてもシュトゥッツマンの本領がより発揮されていると思われるのはこちらのアルト・ラプソディで、やはりこの人はオペラよりも歌曲の人だなと思いました。

ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカによるハイドンのザロモン・セット全曲


ハイドン 交響曲第93番~第104番(ザロモン・セット)
 ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ
 デッカ 1971・72年 4781221
4781221

先々月購入した、ドラティのハイドン交響曲全集ボックス・セットに関してですが、最初の1枚である交響曲第1番~第5番に続いて、今度はザロモン・セットの12曲をひと通り聴いてみました。

ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカの演奏は、いずれの曲においても造型的にはすこぶるオーソドックスで、几帳面なほどに手堅い進め方ですが、局面に拠らずバシッとフォーカスの定まったような克明なアンサンブルから繰り出される、高弦の華やかな音彩と低弦の深いコクとの絶妙なハーモニーが素晴らしく、とりわけヴァイオリン・パートの響きの立ち具合、その鮮やかにしてきっぷのいい鳴りっぷりは、往年のデッカ・レーベル特有のオンマイク録音による音質の利に拠るところ大としても、聴いていて痛快この上なく、その響きは古楽器アンサンブルの発するガット弦の鮮烈感にも似た感触さえ覚えるほどです。大音量で聴くと、その鳴りっぷりの良さに本当に惚れぼれします。

逆に弱い点を挙げると、造型的なまとまりをかなり意識したような感じの、カッチリした音楽の組み立てゆえに、ニュアンスとしてのユーモアとかウィットネスといった表情感がそれほどには際立たない点、また管楽器に弦パートほどのヴァイタリティというか押しの強さが伴わない点(特にホルンが弱い)といったあたりでしょうか。

とはいえ、ドラティの揺るぎないアプローチからくる正攻法の造型展開はすこぶる立派で、特に弦楽器の音色の抜群の訴求力を持ち味とする鳴りの良いアンサンブルには聴いていて何ともいえない爽快感を覚えます。

また、交響曲第103番冒頭のドラムロールがスコア通りのppではなくffからデクレシェンドするようになされている点からも明らかなように、手堅いながらもスコア至上主義的な硬直感から解放された音楽のしなやかな呼吸感があります。

音質に関しては、1971~72年の第5期録音の96番~104番より、1972年の第6期録音の93~95番の方が、ソノリティが何となくヴィヴィッドでパリっとした感じですね。

エルガー・ヴァイオリンとピアノのための作品集&グレインジャー管弦楽作品集(シャンドス30周年BOX:CD6&7)


シャンドス30周年BOX収録盤の感想記、今回はCD6と7です。

ANNI-06
エルガー ヴァイオリンとピアノのための作品集
 ケネディ(vn)、ペッティンガー(pf)
 1984年録音

収録曲は、
①愛の挨拶
②愛の言葉
③月光に
④ため息
⑤夕べの歌
⑥朝の歌
⑦6つのやさしい小品
⑧ヴァイオリン・ソナタ

ナイジェル・ケネディのシャンドスへのファースト・レコーディングとされるディスクです。ピアノ奏者はピーター・ペッティンガーですが、①のみチェロとの二重奏で、チェロ奏者はスティーヴン・イッサーリスです。

演奏ですが、⑧のヴァイオリン・ソナタが絶品と感じました。このソナタは私としては、五嶋みどりが1997年に録音したソニー盤(SICC339)がベストパフォーマンスではないかと思っていたところ、このケネディの演奏はその五嶋盤の演奏と同格か、それ以上とも思える表出力を湛えていて驚かされました。

第2楽章こそ、その突き抜けた美しさにおいて五嶋盤に一歩を譲る感があるとしても、第1楽章などは五嶋盤よりさらに情趣豊かで、なかんずく楽章後半から終盤にかけての直截な情熱味が素晴らしいですね。

他の小品作品(①~⑦)においても、84年当時のケネディの初々しいほどにストレートな弾きっぷりがエルガーの音楽の気品や機知や仄かな感傷味をケレン味なく表現していて、聴いていて心安らぐと同時に心満たされるような気持ちに誘われる、何ともすがすがしい快奏です。

ANNI-07
グレインジャー 管弦楽作品集
 ヒコックス/BBCフィル
 1996年録音

オーストラリアの作曲家パーシー・グレインジャーの管弦楽作品を収録したアルバムです。

収録曲は、
①モールバラ公爵のファンファーレ
②コロニアル・ソング
③イングリッシュ・ダンス
④シェパーズ・ヘイ
⑤3人の仲間がいた
⑥フィッシャーの水夫宿
⑦われら夢見し者たち
⑧収穫の讃歌
⑨楽しい鐘の音
⑩ウォーキング・テューン(吹奏楽版)
⑪組曲「要約すれば」
⑫緑の茂み
以上12曲。

いずれの作品も、いかにもグレインジャーらしい作風を感じさせる雰囲気というべきでしょうか、イギリス民謡を下敷きとした、陽気で屈託の無い音楽であって、親しみ易く、聴いていて心軽やかな気持ちになる曲ばかりです。

その作風ゆえに、ともするといかにも「軽い」音楽、という印象に流れがちですが、本ディスクのヒコックス/BBCフィルの演奏が、ムード的に流れず地にしっかりと足のついた、かなり本格的な感じのアンサンブル展開であるため、いわゆるポップス的なムードは希薄です。

グレインジャーというと、私としてはリンカーンシャーの花束、カントリー・ガーデン、デリー地方のアイルランド民謡というあたりが代表作だと思うのですが、本ディスクはそのいずれも収録されていません。どちらかというと秘曲集的な位置づけのアルバムのようですが、それだけに新鮮で、聴いていてグレインジャーの音楽独特の心地良さを改めて印象づけられました。

ラトル/ベルリン・フィルによるラヴェルの「子供と魔法」と「マ・メール・ロア」


ラヴェル 歌劇「子供と魔法」全曲、バレエ音楽「マ・メール・ロア」
 ラトル/ベルリン・フィル
 EMIクラシックス 2008年ライヴ(子供と魔法)、2002年(マ・メール・ロア) TOCE90010
TOCE90010

サイモン・ラトルとベルリン・フィルのコンビによる最新盤で、ラヴェルのオペラ全曲とバレエ音楽とを組み合わせたアルバムです。

輸入盤の方は先行してリリースされていましたが、国内盤は歌詞対訳が付く上にHQCD仕様の高音質盤でのリリースなので、値段は多少高いものの国内盤の方を選んで購入しました。

ラヴェルのオペラ「子供と魔法」は、そのもう一つのオペラ作品「スペインの時」同様、19世紀後半にワーグナーを頂点として肥大化を極めたオペラ芸術に対する当てつけとも思えるほどに小規模かつシンプルな書式の作品で、実際このラトル盤でもオペラ全曲で44分と、時間的にはワーグナーのオペラの一幕にも満たない規模です。

このラトル盤のキャスティングですが、ラトルの夫人であるマグダレーナ・コジェナーを子供役に、そしてナタリー・シュトゥッツマン、ジョゼ・ヴァン・ダム、フランソワ・ル・ルーといった名手たちが脇を固めた、かなり豪華な布陣です。

オーケストラ演奏に関してはさすがにベルリン・フィル、というところでしょうか。ライヴとはいえ演奏上の技術的な困難はほぼ克服された地点から、全般にラトルのタクトに対し盤石ともいうべきアンサンブル展開で応答しています。

そのラトルの指揮ですが、これは明らかに表現主義的な解釈に則したラヴェルだと思います。オペラのシナリオの進行に伴う、音楽の表情や雰囲気の推移が醸し出す強烈なコントラスト、その激しい落差に聴いていて引き摺り回される思いです。

思うに、このラヴェルのオペラはとかくメルヘン性が強調される傾向にあるとはいえ、その真の面白さは、リアリスティックな場面とマンガチックな場面とが隣り合わさったような、この世のものとは思えないほどの振幅の激しさにこそあるように思います。

このラトルの表現は、まさにその点がこよなく強調されたものとなっており、私の感覚にジャストフィットしていて、聴いていて楽しくて仕方がない、というのが率直な感想です。

例えば第1部の終盤、童話の中から飛び出したお姫様が、悪い魔法使いにより地下に引きずり込まれる場面の後、子供が「薔薇の芯よ、白百合の香りよ、、」と歌うあたりに立ち込める、聴いていて身が引き締まるくらいにリアルに張り詰める喪失感。その直後、あの小人の老人と数字の踊りから、猫のニャンニャン二重唱につながるあたりの、コミカルというには度を越したような、むしろ狂気的とさえ言えるような表情付け。その圧倒的なコントラストたるや、この世のものとは思えないほど(シナリオの話ではなく、音響そのものが)です。

とにかくこのラトルの演奏では、メルヘンチックに聴かせる場面と暴力的に聴かせる場面とが密に隣接、ないし同居さえしているような独特の雰囲気があり、聴いていてドキドキさせられることしきりでした。ラヴェルの毒のようなものが、ずいぶんと抉りだされた演奏だなと、聴いていて感じました。

併録のマ・メール・ロアは、組曲版でなくバレエ版で収録されていますが、「子供と魔法」に比べて毒気を抑えて純音楽的に練り上げられた美演という印象です。確かにベルリン・フィルの精緻な表現力が凝縮されたような名演ですが、「子供と魔法」の方のインパクトが強烈なので、ちょっと食い足りない気もしました。

以上、このラトル/ベルリン・フィルのラヴェル、特に「子供と魔法」は久々にラトルの真骨頂の炸裂した、胸のすくような快演で、このコンビによるこれまでの一連のEMIの録音の中でも、ことラトルらしさの発現の度合に関してはおそらくトップクラスのものではないかと思われるものでした。

ショパンの練習曲全集&ディーリアスの声楽作品集(シャンドス30周年BOX:CD4&5)


だいぶ間が空いてしまいましたが、シャンドス30周年BOX収録盤の感想記のつづき、今回はCD4と5です。

ANNI-04
ショパン 練習曲全集
 ロルティ(pf)
 1986年録音

ショパンの練習曲集Op.10、練習曲集Op.25、3つの新練習曲のエチュード、計27曲が収録されています。

ルイ・ロルティは1984年ブゾーニ国際コンクール優勝の経歴を有し、シャンドスに多くのピアノ曲を録音しているカナダのピアニストです。

ここでのロルティの演奏ですが、どのフレーズの入り方ひとつ取っても、このショパンのエチュードに対するピアニストの思い入れの強さが聴いていて良く伝わってくるような感じがします。

テンポのコントラストが比較的くっきりとした、ドラマティックなスタイルでありながら、緩急のドラマが殊更に強調されるというより、むしろ音楽の自然な流れとしての起伏を意識させられるところが好感的ですし、個々のフレージングの冴えも見事で、タッチは総じて粒立ちがよく、万全なテクニックに裏打ちされた指回し、ことに右手の回転の速さにはしばしば感嘆させられます。

敢えて難を言うなら左手の質感の軽さ、でしょうか。ここぞという時にもう少しズドンと来る強烈な打ち込みが聴ければ、演奏の余韻がさらにひきたつような気もします。とはいえ、このロルティのショパン練習曲全27曲、およそ退屈とは無縁な、聴いていて胸のすくような名演です。

ANNI-05
ディーリアス 声楽作品集
 ヒコックス/ボーンマス交響楽団
 1993年録音

バリトンのブリン・ターフェルを主たる歌い手としたディーリアスの声楽作品集です。

収録曲は①海流②告別の歌③日没の歌。③ではターフェルに加えてサリー・バージェスがソプラノを歌っており、ダブルコーラス用の②ではボーンマス交響合唱団メンバーとウェインフリート・シンガーズがコーラスに起用されています。
 
このディーリアスは出色の内容で、ターフェルの歌唱表現力が総じて素晴らしいのと、ディーリアスのスペシャリストたるリチャード・ヒコックス率いるボーンマス響の充実したアンサンブル展開の相乗効果により、聴いていてディーリアスの音楽の深奥をも感じさせるような鮮烈な表情が醸し出されていて惹き込まれました。

ホイットマンの「草の葉」をテクストとする切ないストーリーの「海流」(①)は聴いていてジワジワと胸に迫ってくるような感興の高まりが素晴らしく、特に(19:51)あたりの痛切などは筆舌に尽くせないほどです。

③の「日没の歌」も名演です。アーネスト・ダウソンの詩作をテクストとするこの歌曲では明確なシナリオを有する①と異なり、日没の寂寥感を人生の黄昏に重ねて歌い上げた、心理的な内容ですが、ここでもやはり二人の歌い手が傑出していて、説得力のあるヒコックスのアンサンブル展開ともども、作品の美しさと苦味とが程よい均衡をもって響いていて惹きつけられます。

チェリビダッケ/ミラノ・イタリア放送響によるブラームスの交響曲全曲ライヴ


ブラームス 交響曲全集
 チェリビダッケ/ミラノ・イタリア放送交響楽団
 メモリーズ 1959年ライヴ MR2105
MR2105

これは伊メモリーズ・レーベルから先月リリースされたもので、セルジウ・チェリビダッケが1959年の3月にミラノ・イタリア放送交響楽団を指揮し、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院大ホールにおいてブラームスの交響曲全曲チクルスのコンサートを行った際のライヴ演奏が収録されています。

1959年というと、チェリビダッケがベルリン・フィルのポスト争いでカラヤンの後塵を拝し、その後1970年代にシュトゥットガルト放送響に落ち着くまでの間ヨーロッパ各地のオーケストラを転々と客演していた時期に当たるものですが、カラヤンとのベルリン・フィルのポスト争いでのチェリビダッケの最大の敗因ともいうべき、オーケストラが音を上げるほどに徹底的にアンサンブルを締め上げる非情な采配が、このミラノ・イタリア放送響とのブラームス・チクルスではどの程度再現されているか、そのあたりの興味も抱きながら、本ライヴ演奏に耳を傾けてみました。

まず交響曲第1番ですが、第1楽章冒頭の全強奏の豪烈ぶりから思わずのけ反ってしまうほどで、主部以降も荒ぶったアンサンブル展開の発する表出力がもの凄さの限りで、ことに強奏起伏時の音響的な凄味は聴いていて空恐ろしいほどです。

その反面、アンサンブルの精度に関してはチェリビダッケの演奏とは信じがたいほどのアバウトさで、この点にも驚かされます。そもそも楽章出だしのティンパニの刻みからしてリズムが明らかにズレてますし、テンポが揺れて造型が大きくうねるあたりでのアンサンブルの縦の線がグラグラだったりと、こと完成度に関してはほとんどアマチュア・オーケストラ並みのレベルで、終楽章の再現部で第2テーマが戻ってくる場面(13:39)にいたっては、もはやアインザッツがバラバラで崩壊状態です。

しかしながら、ここでのブラームスの真価は完成度ではなく、そのアンサンブルの猛烈な鳴りっぷりにこそあり、むしろアンサンブルが乱れるのも委細かまわず、オーケストラがチェリビダッケのタクトに必死になって喰らい付いているというような、ただならぬ気迫、何か尋常ならざる気配が立ち込め、聴いていて完成度の低さというような観点がどこかに吹っ飛んでしまうような面持ちにさせられるほどです。

また第3楽章においては驚異的なスローテンポが敷設されていますが、その5分40秒という楽章タイムは、あの最晩年のミュンヘン・フィルとの同曲のライヴ(EMI盤)と全く同じものです。

してみると、このミラノ・イタリア放送響とのブラームスにおいては、アンサンブル上の破綻をある程度承服してまでも、自己流のブラームスをあくまで貫きとおすというようなチェリビダッケの不退転の覚悟が聴いていてうっすらと感じ取れるような気配があり、そのチェリビダッケ流儀のブラームスを、オーケストラがこちらも不退転の姿勢で必死で音化していくスリリングな緊張感が、素晴らしい感興の高まりにまで昇華された演奏、という感じがします。

第2番~第4番の3曲の交響曲の方も同様の雰囲気です。例えば第4番の第1楽章の(2:39)で、木管がフレーズの出を思いきり外していますが、こういうのはウィーン・フィルやベルリン・フィルあたりなどではおよそ考えられないミスで、いかにこのイタリアのオーケストラが、このブラームスのシンフォニーを演奏し慣れていないか、がよく伺われるところです。

しかし、その「演奏し慣れていない」という要因が、実はこれら一連のブラームス・チクルスに聴かれる演奏の凄味の根元にあるものではないかと、何か逆説的ながら思えてきます。いずれにしても、この一連のブラームスは、演奏技術の高低と表出力の高低が必ずしも比例するものではないという好例を示すとともに、チェリビダッケの残した数種のブラームスの録音の中でもトップクラスの表出力を保持した演奏ではないかと思いました。

LFJ2009はこれでひと区切り


前回の更新をもってLFJ2009の公演感想をひと通り書き終えましたので、次回更新からは以前のようなCD感想の形に戻したいと思います。

実際、今月2日のカルミナSQのバルトークの新譜以来、丸2週間、CDの感想を書いてないんですね、、、LFJ2009をちょっと引っ張り過ぎてしまいましたか。

そのLFJ2009もこれでひと区切り、と言いたいところですが、実はまだ終わりではなくて、LFJ特設CD売り場で購入したCDがいくつかあり(以下の写真)、その感想も掲載する予定です。
LFJ2009-CD

ですが、これ以上LFJ2009について引っ張ると、他のことができなくなって良くないと思いますので、上記のCDの感想については、おいおい出していく形にします。

とりあえず次回更新からは、新譜の感想をメインとしつつ、「シャンドス30」全盤の感想掲載といった、一時保留となっている件も再開したいと思います。

あと、今年に入って中古盤の感想記を一度も出していませんので、来月あたりちょっとまとめて出してみたいと思います。これまで新譜盤優先で掲載してはいますが、最近購入した中古盤の中にも新譜盤を凌ぐ感銘を受けるディスクが多々あり、また興味深いレア盤も手に入ったりするなど、色々と書きたいことがありますので。

LFJ2009公演感想:アンタイ/ル・コンセール・フランセによるバッハの管弦楽組曲第1番と第2番


・公演327(B7ホール):
管弦楽組曲第1番BWV1066
管弦楽組曲第2番BWV1067
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ

今年のLFJは、このコンサートで締めとなりました。アンタイ/ル・コンセール・フランセは教会カンタータ公演の方で前日の公演244、この日の公演343と聴いていて、本公演が3回目になりますが、このアンサンブルの破格の音響美が小ホールではどう響くか楽しみでした。

ですが、結果的にそれは必ずしも満足のゆくものではなく、いささか期待はずれという思いが否めませんでした。その要因はおそらく演奏自体ではなく、ホールにあるように思います。

この「ケーテン」と銘打たれたB7ホール、今回初めて入ったんですが、最初ホールに入って、かなり違和感を感じました。視覚的な印象として、明らかに音楽ホールとして不向きなように思えたからです。

このホールの詳しいスペックはこちらに記載されているとおりですが、要するに面積1400平方mの平土間のオープンスペースで、用途としては国際会議や展示会、ファッションショーといったあたりが挙げられています。

このホールを実際に見ての印象ですが、まず天井がかなり低く、しかもデコボコで、およそ音響的な効果を考えていない造りであることが明瞭です。

客席は備わっておらず、公演時にはパイプ椅子が並べられていましたが、この客席全体をグルッと取り囲むように、白い板が配置されていました。

この白い板、最初は反響板かなにかかと思ったんですが、軽く叩いてみると、どうも単なる仕切り板のようで、もともと殺風景なホールの視界を遮断するためのもののようでした。

肝心の音響ですが、明らかに落ちます。もともとのホール構成自体が音響効果を考慮していないところに加え、あの無造作に配置された仕切り板が響きの抜けを阻害し、残響感がほとんど無いのに音色がモヤモヤしたようにくすんでしまい、このオーケストラの美しい響きをCホールの方で既に2回聴いていた私の印象として、正直これは酷いなと思ったほどでした。

どうしてここまでホールについて書くのかというと、本公演は開演前にちょっとしたアクシデントがあり、そのことが気になるからです。

もともと本公演は20時45分開始予定でしたが、演奏者の要請により開演が21時に遅らされ、かつその10分前までホールに入場できないというアナウンスがありました。

その理由をB7ホール担当のボランティアの方に伺うと、「リハーサルをしているから」とのことでした。

それ以上は聞きませんでしたが、この理由はどうも腑に落ちないものでした。アンタイ/ル・コンセール・フランセは本公演と全く同一の演目を、前日、隣のCホールで演奏しており、それを開演時間を遅らせてまで、ギリギリまでリハーサルを行う必要性は考えにくいと思ったからです。

しかし、ホールに一歩入ってみて、その理由が何となく分かったような気がしました。

このホールの音響特性は、ピリオド・サンサンブルにとって、ましてや繊細な音色の美をギリギリまで追求する彼らにとっては、相当な難物であろうと思われ、そのためのリハーサルだとすると合点が行くものです。

以上、ホールのことばかり書いてしまって恐縮ですが、私の印象として演奏家が気の毒な気がしたのも事実で、改善の余地もあるように思いますので、僭越ながら私なりの意見を述べさせていただきました。

LFJ2009公演感想:ピエルロ/リチェルカール・コンソートによるバッハのミサ曲ト短調とマニフィカト


今日は最終日に聴いた公演345の感想ですが、その前に、公演343についても簡単に触れます。

・公演343(Cホール):
カンタータ「ただ愛する神の摂理にまかせ」BWV93
カンタータ「主イエスキリストよ、ただ汝にのみ」BWV33
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ
 キャサリン・フーグ(ソプラノ)
 ダミアン・ギヨン(カウンターテナー)
 ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
 マティアス・フィーヴェク(バス)

前にも書きましたとおり、これは2日目に聴いた公演244と同一内容のものです。とはいえ、席位置が2日目の最前列に対して上記のように異なっていたため、それに伴い演奏の印象も2日目とはやや相違しました。

この位置からだと、その距離ゆえに最前列で聴いたときの鮮烈感には及ばないものでしたが、それでもやはりこのオーケストラの音色は美しくて独特だなと、再認識させられるものでした。

・公演345(Cホール):
ミサ曲ト短調BWV235
マニフィカトBWV243
 ピエルロ/リチェルカール・コンソート
 マリア・ケオハネ(ソプラノ)
 サロメ・アレール(ソプラノ)
 カルロス・メナ(カウンターテナー)
 ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
 ステファン・マクラウド(バス)

フィリップ・ピエルロ/リチェルカール・コンソートによるバッハのミサ曲ト短調とマニフィカトBWV243の公演です。

リチェルカール・コンソートは古楽大国ベルギーのアンサンブルで、1980年創設というからには古楽アンサンブルとしては老舗というところでしょうか。配布されたメンバー表をみると、フルート奏者にル・コンセール・フランセのマルク・アンタイがクレジットされていました。

アンサンブル展開は、ル・コンセール・フランセよりは色彩的でなく、BCJよりはストイックでなく、そのあたり中庸というか、バランスが巧くとれていたような感じでした。ただ逆に言うと、それゆえに突き抜けたインパクトに欠ける面もあったようですが、、

また、声楽合唱のパートに関しては、合唱団を使わず、独唱陣が合唱団を兼ねる、いわゆるOVPP(OneVoicePerPart)方式での演奏でした。

このOVPPはアンタイ/ル・コンセール・フランセのカンタータ公演でも取られていた方式ですが、それをト短調ミサやマニフィカトにまで取り入れるというあたりは、ピエルロのこの方式に対する入れ込み具合が伺われて興味深いものです。

とはいえ、正直このOVPPに関しては、いささか違和感も否めないところで、とくに前日、あのコルボのロ短調ミサを聴いているだけに、何となくボリューム不足で、ミサ曲というよりむしろ小型カンタータを聴いているような感覚に近かったと思います。

そのあたりの、ミサ曲としての重厚な雰囲気にいまひとつ欠ける点は聴いていて引っ掛かりましたが、独唱陣のアンサンブルはすこぶる精緻で、OVPPならではの透明感もあり、その澄み切ったハーモニーの織り成す独特の美しさには率直に傾聴させられました。

そして、このハーモニーの晴朗感は、トランペットとティンパニの加わる後半のマニフィカトにおいてもしっかり継承されていました。

全体的に、この公演は出来ればもう少し小型のホールで聴きたい気もしましたが(Cホールは音楽専用ホールとはいえ、天井が無駄に高いなど、音響性能としてはいまひとつですね)、ル・コンセール・フランセともBCJともまた一味違う、個性味豊かなバッハの古楽演奏を楽しめました。

LFJ2009公演感想:コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによるバッハのロ短調ミサ


・公演216(Aホール):
ミサ曲ロ短調BWV232
 コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
 シャルロット・ミュラー=ペリエ(ソプラノ)
 ヴァレリー・ボナール(アルト)
 ダニエル・ヨハンセン(テノール)
 クリスティアン・イムラー(バリトン)

コルボのロ短調ミサ、これはLFJ2日目最後の公演にして、私が最も楽しみにしていた公演です。

その理由は、同じ顔合わせで録音され今年の3月にリリースされた、同曲の新譜の演奏が素晴らしかったからで、それについては当ブログで以前書きました

対して本公演ですが、ソリスト4人のうち2人が上記録音とは違っていて、ソプラノは録音では谷村由美子でしたが公演ではシャルロット・ミュラー=ペリエ、同じくテノールもセバスチャン・ドロイからダニエル・ヨハンセンに代わっていました。

とはいえ、コルボ/ローザンヌ・アンサンブルの音楽造りに関しては録音と比べてもぶれはなく、聴き進むほどに音楽の懐の深さに実直に魅了されるような、あの録音での感興を生演奏で心ゆくまで堪能することができました。

こうして実演に接してみると、録音からでは伝わらないコルボの指揮の奥深さが伺われ、その点でも感銘深いものでした。

コルボはこのロ短調ミサ全曲を指揮する中で、立って指揮する場面、椅子に座って指揮する場面、指揮棒を持って指揮する場面、指揮棒を持たずに指揮する場面、というように4つの局面を楽曲ごとに使い分けていました。

立って指揮したのはコラールのようなアンサンブル全体を要する合唱曲で、対して座って指揮したのはアリアを中心とする独唱曲です。これには体力的な要因もあるような気がしますが、音楽のメリハリという点でも(視覚効果も含めて)一定の効果を伺わせるものでした。

指揮棒の使い分けですが、例えば第17曲の十字架斉唱のような精妙な弱音を基調とする楽曲では指揮棒を持たず、その後の第18曲(キリスト復活)となるや指揮棒をかざしてダイナミックに、という感じで、その音楽のコントラストたるや絶妙でした。

音響的には、Aホールというちょっと万全とは言い難い環境のため、教会的なソノリティの感触というより、むしろ屋外で聴くような感触に近いものでしたが、私の場合CDでの印象がオーバーラップしていたこともあり、あまりホール特性は気になりませんでした。

敢えて言うなら、公演時間でしょうか。公演終了の予定時刻は23時15分とされていましたが、その時刻はまだアニュス・デイに差し掛かったところでした。やはり5千人の大ホールゆえにタイムスケジュールの若干の遅れは避けられず、実際の終了時刻は23時30分。これだと、最後の方ではどうしても終電を気にしながらという感じになりますから、できればもう少し落ち着いて聴きたかったところです。演奏内容が素晴らしかっただけに尚更ですね。

LFJ2009公演感想:ベレゾフスキーとエンゲラーのソロによるバッハのピアノ協奏曲


・公演215(Aホール):
ピアノ協奏曲第1番BWV1052
ピアノ協奏曲第5番BWV1056
2台のピアノのための協奏曲第1番BWV1060
 ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
 ブリジット・エンゲラー(ピアノ)
 カントロフ/シンフォニア・ヴァルソヴィア

モダン・ピアノとモダン・オーケストラによるバッハのクラヴィーア協奏曲3曲の公演です。CホールからAホールへ、そして古楽器からモダン楽器へ、ということでここで音楽の雰囲気もガラリと転換、そんな感じでした。

Aホール、何ともだだっ広いホールですが、幸い座席が上記のように前から2列目という好位置に恵まれ、ホール特性にあまり左右されず演奏を堪能することができました。

最初のピアノ協奏曲第1番は、ブリジット・エンゲラーのソロで弾かれました。エンゲラーというと、昨年のLFJで聴いたベートーヴェンのトリプル・コンチェルトの演奏が思い出されるところで、オケも同じくシンフォニア・ヴァルソヴィアでした(指揮はカスプシク)。共演者はチェロがクニャーゼフ、ヴァイオリンがマフチン。腕達者の豪華な共演にワクワクさせられました。

対して今回のバッハですが、エンゲラーのソロは一貫的に明朗な色感のタッチから鮮やかに浮かび上がるメロディ・ラインの情感に特徴を感じさせます。強弱の幅はおおむね抑制され、旋律取りが非常にクッキリしていて、バッハのメロディの美しさを印象づけられました。

続くピアノ協奏曲第5番は、今度はボリス・ベレゾフスキーのソロで弾かれました。ベレゾフスキーのフレージング展開はエンゲラーとは対照的に、強弱の幅を大きめに取り、神秘的な弱音の妙感ならびに強音の起伏力を明確に強調させた音楽造りとなっていました。このため、デュナーミクが弱音に掛かる局面においてはメロディラインが途切れそうになるくらいで、バッハというよりむしろショパン、そんな感じの演奏でした。

以上の2演においては、それぞれのピアノ奏者の個性味がかなり直截に発揮されていたため、同じバッハでもかなり対照的な表情が聴かれて興味深いものでしたが、敢えて軍配を上げるとすると、やはりベレゾフスキーでしょうか。エンゲラーのピアノは、好演としても聴いていて不意打ち的な刺激において弱みが感じられ、私としては、バッハであれほどのロマン派的な表情を創出せしめたベレゾフスキーの方により惹かれるものを感じました。

最後の2台ピアノのための協奏曲BWV1060は、もちろん両者の共演です。腕達者の豪華な共演に、聴いていて昨年のベートーヴェンのトリプル・コンチェルトでのワクワク感が蘇る思いでした。

LFJ2009公演感想:アンタイ/ル・コンセール・フランセによるバッハの教会カンタータBWV93とBWV33


・公演244(Cホール):
カンタータ「ただ愛する神の摂理にまかせ」BWV93
カンタータ「主イエスキリストよ、ただ汝にのみ」BWV33
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ
 キャサリン・フーグ(ソプラノ)
 ダミアン・ギヨン(カウンターテナー)
 ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
 マティアス・フィーヴェク(バス)

鈴木雅明/BCJに引き続き、同じCホールでのバッハ・教会カンタータ公演で、今度はピエール・アンタイ率いるル・コンセール・フランセによる演奏です。ここではBCJと違って合唱団は配されず、4人のソリストが合唱パートを歌う、いわゆるOVPP(One Voice Per Part)方式が採られていました。

この公演は、開演直前に曲目変更があることを知らされ、当初予定されていたカンタータBWV178が、カンタータBWV33に変更されました。

私はあらかじめBWV178の方を(アーノンクールの録音で)予習してきていたので、それがBWV33にチェンジと聞いてオヤオヤという感じでしたが、困ったのはカンタータBWV33について全く予習して来なかったことで、直前変更ゆえ歌詞のプリントも間に合わなかったようでBWV93だけしか配布されませんでした。

そのBWV93ですが、これは三位一体の祝日後第5日曜日のためのカンタータで、その核心は5曲めのレツィタティーフにおいて叙述されるものです。ペトロが一晩をかけた漁で一匹も網に掛けられなかったが、イエスの言葉に促されてもう一網を投じたところ、網に入り切らないほどの魚が掛かった、という寓話(実話?)がモチーフとされ、貧困にあえいでいても神を信じてさえいれば必ず富がもたらされる、という教義を背景とするカンタータです。

音楽的には弦とオーボエだけの質素なオーケストレーションですが、4曲めの二重唱アリアが現実離れした美しさを湛えていて異彩を放っています。このアリアはその旋律美ゆえに、後にバッハによりオルガン演奏用に編曲されてもいます(「シュプラー・コラール」第3番)。

さて、演奏ですが、まず座席位置が何と最前列、それも指揮者すぐ後方という位置でした。

このポジションは室内楽規模のオーケストラ、とくに古楽器オケのコンサートにおいてはまさに特等席で、今回初めて接するフランスの名門古楽器アンサンブル、ル・コンセール・フランセの織り成すアンサンブルの醍醐味を存分に堪能することができました。

そこにおいてはアンサンブルの響きの放つ官能的なまでの美しさがむせかえるほどに立ち込め、陶然とした面持ちで一時間ひたすら聴き入ってしまうほどでした。ヴァイオリンといいチェロといいオーボエといい、各楽器の放つ音色の得も言われぬ艶やかさ、この世のものとも思えないほどのフレージングのエレガンシー、それらのハーモニーの形成する極限的色彩美。その感覚的な至福感たるや圧倒的なものでした。

これは、直前に聴いたBCJのアンサンブルとは対極にあるようなアンサンブル展開で、そのBCJの印象覚めやらぬうちに聴いたこともあり、同じ古楽器アンサンブルでも、こんなにも違うものかと絶句させられるものでした。

誤解の無いように付け加えますと、これはBCJとル・コンセール・フランセと、古楽器アンサンブルとしてどちらが優れているかという話では全然なく、要するに方向性が明らかに別ベクトルであるということで、バッハの音楽の感覚的官能的な美を究極的に押し出したようなル・コンセール・フランセ、バッハの音楽の内面的な深みを究極的に押し出したようなBCJ、その優劣を判断するのは私には到底無理ですし、おそらく無意味でしょう。

実際、本演におけるル・コンセール・フランセのアンサンブル展開は、聴いていて酔いしれるほどの極上の音響美に陶酔させられるものであったとはいえ、必ずしもバッハを強く感じさせるものとは、言い難い側面も否めないと思います。

例えばBWV33においては、神というのは救い手であると同時に裁き手でもある、という2面性がカンタータのテーマとされています。前述のようにこのことは公演の後日に認識したもので、演奏中はそんなことは何ら意識せず聴いていたわけですが、仮にそれを知っていたとしても、そういう背反的な葛藤のドラマを音響的に十分実感できたか、というと、ちょっと疑問です。それほどに感覚的な愉悦味に勝るアンサンブル展開だからで、少なくともそういう点に関してはBCJの方がすんなり実感させてくれるのではと思われるところです。

以上、このル・コンセール・フランセのカンタータ公演は、直前に聴いたBCJのそれとはある種の対極性を備えつつも、それと同等の究極性をも感じさせる鮮烈な演奏内容でした。教会カンタータという同一ジャンルにしてこれだけ多様的な表現の広がりを実感させられるあたり、まさに「ラ・フォル・ジュルネ」ならではの醍醐味ではないかと思います。

LFJ2009公演感想:鈴木雅明/BCJによるバッハの教会カンタータBWV78とBWV30


・公演243(Cホール):
カンタータ「イエスよ、わが魂を」BWV78
カンタータ「喜べ、贖(あがな)われし群れよ」BWV30
 鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン
 レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)
 青木洋也(カウンターテナー)
 ユリウス・プファイファー(テノール)
 ステファン・マクラウド(バス)

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハの教会カンタータ公演で、2作品が取り上げられました。

最初のカンタータ「イエスよ、わが魂を」BWV78は三位一体の祝日後第14日曜日のためのカンタータで、これはバッハのコラール・カンタータの代表作として名高いものです。このBWV78はバッハ・コレギウム・ジャパンが正式に発足した1990年4月の大阪いずみホールでのデビュー公演で取り上げられており、今日まで続いているBCJのカンタータ上演の歴史は、このカンタータをもって始まったことになります。

最初に配置されたト短調のコラール幻想曲は定旋律が縦横無尽に展開される壮大な合唱曲となっていて、歌詞のテーマがキリストの受難である点も含め、受難曲レベルの深みと迫力さえ立ち込めるような名曲ですし、3曲のアリアも美しさの限りです。対して異様に緊張感の高い5曲めのレツィタティーフなど、アリアとレツィタティーフとが交互に形成する表情の揺さぶりの度合いが聴きもので、聴いていて胸を大きく揺さぶられるような素晴らしい振幅力があります。

カンタータ「喜べ、贖(あがな)われし群れよ」BWV30はヨハネの生誕日のためのカンタータで、演奏時間で40分近くを要する大規模なカンタータです。洗礼者ヨハネの生誕を祝うカンタータであるだけに、喜悦的な雰囲気な雰囲気が支配的で、最初のBWV78での受難曲のような雰囲気とは対照をなす感じがします。

洗礼者ヨハネというのはイエスに洗礼をほどこした預言者ですが、むしろ「サロメ」で首を切り落とされる預言者としての方が有名でしょうか。このカンタータでも、3曲目のアリアにおいて、「神の誠実なしもべ」、「主の道を整えるためはるか以前から選ばれていた者」として歌われています。ちなみに「ヨハネ受難曲」のヨハネ(いわゆる12使徒のひとり)とは別人です。

アリアは4曲ありますが、テノールが歌うものはなく、バス用2曲、ソプラノとアルト用が各1曲という構成です。器楽的に最も美しいのは8曲目のバスのアリアでしょう。オーボエ・ダモーレとヴァイオリン・ソロが創出する、美しいアンサンブルの色彩感。対して声楽的に最も美しいのは10曲目のソプラノのアリアですね。

さて、鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏についてです。もう4年も前になりますが、同じ顔合わせによる「バッハの教会カンタータ・シリーズ」のコンサートを東京オペラシティで聴いた時のことが思い出されます。

BCJ-2005
この時は、カンタータ1番、126番、127番の3曲が取り上げられました。

私がバッハの教会カンタータをナマで聴いたのは、それが初めてで、BCJの織り成す精緻を極めたような、厳しい音楽造りに、オペラシティ・コンサートホールの潤沢な残響特性が照応し、バッハの音楽の美しさと厳しさ、苦味と甘みの両面が互いに排斥することなく両立されていることに驚かされると同時に、その浮世離れした音楽の佇まいに魅了される思いで、バッハのカンタータとはこういうものかと、その魅力の一端を私なりに垣間見たような気がしました。

そのコンサートを契機に、それまであまりピンと来なかったバッハの教会カンタータというものに対して自分なりに興味が向くようになり、アーノンクール&レオンハルトの教会カンタータ全集を購入し、ゆっくりとしたペースで全曲聴き通したりもしました。

対して、本公演ですが、ホール特性がさすがにオペラシティ・コンサートホールとはかけ離れていることもあり、私がかつて同ホールの公演で感じた美しさと厳しさという観点では明らかに後者の割合が上回るもので、端的に言うならストイックなまでに雑味のなく厳しい、純音楽的なバッハが現出されていました。

このため、BWV30の方においては正直アンサンブルの音色にもう少し色気というか艶っぽさのようなものが強ければ華やかな音楽の楽想によりマッチしたようにも思われましたが、逆にBWV78の方においては、その響きの虚飾の無さがプラスに作用し、特に冒頭のコラール幻想曲に立ち込めた音楽の深味など、ちょっと喩えようもないほどでしたし、各アリアの清楚で内面的な美しさも、聴いていて実直に胸打たれるものでした。

欲を言うなら、これがオペラシティ・コンサートホールであればさぞかし、と思われたのも事実で、特に3曲のアリアにおいては、おそらく前述したような甘味と苦味、陶酔と覚醒との絶妙なる音響的なバランスが聴かれたのではないかとも想像されましたが、そうだとしても、不慣れなホールであそこまでの突き詰められた音響美を現出せしめたBCJには率直に感服する思いであり、私にとってはこの上もない「ラ・フォル・ジュルネ2009」開幕公演となりました。

「熱狂の日2009」を振り返って


今日あたり「ラ・フォル・ジュルネ2009」の公演感想をまとめて掲載するつもりでしたが、ちょっと予定変更させて下さい。

というのも、書きたいことがあり過ぎ(特に2日目の4公演)、まとめられないんです。

それなら、無理にコンパクトにまとめるよりも、気の済むまで書いた方がいいかなと、そう思いまして、、、

結局、各公演ごとに個別に感想を書くことにしました。まあ、いつもやっている形態どおりです。次回から開始します。

そういうわけで、今日はLFJ2009の大まかな総括を簡単に。

そもそも私がLFJというイベントに強く惹かれたのは昨年のことですが、その理由を簡単に言うなら、私のそれまでのコンサートというものに対する既成観念に大きな揺さぶりをかけられたから、です。

通常のコンサートにおいては、2時間という時間枠が絶対的な前提、まずそれありきで、曲目の構成も当然その枠を前提に考えられる、そういうクラシック・コンサートのア・プリオリをLFJはひっくり返した、これが何より衝撃的でした。まず曲目ありきで、時間枠は2の次3の次。私の感覚だと、こういうのはちょっと考えられないものでしたから。

さらには、外来アーティストや演奏団体を中心とする公演を気ままにハシゴできてしまうという、ウソのような贅沢ぶり。

おまけに、あの低料金。今回も、すごいと思いますよ。例えば、今回私が最も楽しみにしていた公演、コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルのバッハ・ミサ曲ロ短調。S席4千円でしたが、仮にこれと全く同じ公演を、例えばサントリーホールでやるとすると、少なくみてもその倍はするのではないでしょうか。

もちろんホールの音響特性は明らかにサントリーより大きく落ちますし、その辺は割り引くとしても、それでもやはり、この顔ぶれでよくこの料金で、と思わされます。

以上は概ね昨年のLFJ2008において私が感じた、この音楽祭に対する印象です。対して今年のLFJ2009ですが、上で書いた中での「公演を気ままにハシゴ」というあたりが抜けてしまったのが残念でした。

とはいえ、それはあくまで日程短縮などの不可抗力に拠るもので、運営自体に落ち度があったわけではなく、仕方の無いところですから、また来年以降に期待ですね。

次回以降、まず公演243の感想から順次アップします。

「熱狂の日」来年はショパン、さ来年は?


バッハ・コーヒー・ハウスのホットコーヒーです。
LFJ2009-5

来年の「LFJ2010」のテーマ作曲家が発表されたようで、なんとショパンだそうです。

それでは、さ来年「LFJ2011」のテーマはどうなるでしょうか?はなはだ気の早い話ですが、私の予想としては、「ブラームス」ではないかと思います。

これまでベートーヴェン、モーツァルト、国民楽派、シューベルト、バッハときて来年ショパンですから、あと考えられるセンとしては、そのあたりではないかと。

ネームバリューからするとブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、ハイドンあたりも考えられますが、ブルックナーとマーラーはジャンルが交響曲に偏り過ぎてちょっと取り上げにくい気がします。その点、ショスタコーヴィチとハイドンはジャンルも多岐に渡っていて、知名度的にも十分ですが、こちらは集客力という点にいささかネックがあるような気がします。

ということで、ショパンの次は多分ブラームスあたりではないかなと推察されます。まあ、正解発表は来年の今頃ですね。

「熱狂の日」最終日は「余韻」


「ラ・フォル・ジュルネ2009」最終日に行ってきました。

2009-05-05-a

あいにくの雨模様で、会場は写真のように日中から薄暗く、人出も前日までの盛況ぶりからするといまひとつな感じでした。

最終日は、以下の3公演を聴きました(曲目はすべてJ.S.バッハです)。

・公演343(Cホール):
カンタータ「ただ愛する神の摂理にまかせ」BWV93
カンタータ「主イエスキリストよ、ただ汝にのみ」BWV33
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ

・公演345(Cホール):
ミサ曲ト短調BWV235
マニフィカトBWV243
 ピエルロ/リチェルカール・コンソート
 マリア・ケオハネ(ソプラノ)
 サロメ・アレール(ソプラノ)
 カルロス・メナ(カウンターテナー)
 ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
 ステファン・マクラウド(バス)

・公演327(B7ホール):
管弦楽組曲第1番BWV1066
管弦楽組曲第2番BWV1067
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ

以上のうち、最初の公演343は、2日目に聴いた公演244と同一内容のものです。これはもともと私の知人と聴くつもりで、当初から連席でチケットを取っていた公演で、まあ接待のようなものです。とはいえ、2日目とは席位置がだいぶ異なり、それに伴い演奏の印象も2日目とはそれなりに相違しました。

ということで、実質的には公演345と327の2公演が私にとっての最終日の演目となり、いずれも演奏自体は感銘深いものでしたが、2日目の4公演の圧巻ぶりに比すると質的・量的ともに及ばずというのが率直なところで、むしろ最終日は至福の2日目の余韻とでも言うような、そんな感じの一日でした。

あと、有料公演ではないですが、ブランデンブルグ広場のミュージックキオスク(通称鳥かご)で有料公演出演者の飛び入り公演(直前まで誰が来るのか知らされない)があって、そこでアンドレイ・コロベイニコフのピアノ演奏(以下の写真)を聴くことができました。

2009-05-05-b
演奏されたのは、バッハのシャコンヌのピアノ編曲版です。

欲を言うならもうひとつふたつ、有料公演を聴けたらなお良かったんですが、やはり出ませんでした、当日券。昼過ぎに会場に来て、とりあえずダメもとでチケット売り場へ行ってみると、、、

2009-05-05-c
「一般席の販売は全て終了しました」

まあ何と言いますか、今年は明らかに去年とは違いますね。

ただ、それにはどうやら相応の理由があるようで、むしろ今年は例外ということのようです。

正直、今年の「ラ・フォル・ジュルネ」での当日券の出なさ加減には私もちょっとムッとしていて、これでもし、実態がガラガラだったら執行部に苦情のひとつも、、と思っていたんですが、2日目のAホール最終公演、コルボのロ短調ミサでの客席の様子を目の当たりにし、そんな気も吹き飛びました。

なにしろ、開演21時過ぎで終演23時過ぎというタイムテーブルの公演にして、5千席の客席が8割がた埋まっているのですから!

これでは他の公演も推して知るべきで、当日券ゼロもやむを得ないでしょう。

そもそも私は、去年が5日開催だったという、大事なことを失念しておりました(3日しか行かなかったもので、、)。それが今年は3日に短縮されたので、チケットが取り難いのは自明の理ですね。なのに、おとといの当ブログで「腑に落ちない」とか、「信じがたい」とか、考え足らずに勝手なことを書いてしまってすみませんでした。

それでも、敢えてひとつだけ言わせていただくなら、最終日に聴いた最後の公演327、会場が「ケーテン」と銘打たれたB7ホールで、今回初めて入ったんですが、このホール、音響的にも視覚的にも、かなり問題を感じました。ちょっと、演奏家が気の毒な気がしましたし。これについては、また後日あらためて書きますけれど、、、

以上、いろいろ書きましたが、全体的には、特に2日目を中心に「ラ・フォル・ジュルネ」らしさを満喫しました。楽しかったです。

「熱狂の日」2日目は「至福」


「ラ・フォル・ジュルネ2009」2日目に行ってきました。

2009-05-04

初日は煮え湯を飲まされましたが、2日目はしっかり以下の4公演、聴いて来ました(曲目はすべてJ.S.バッハです)。

・公演243(Cホール):
カンタータ「イエスよ、わが魂を」BWV78
カンタータ「喜べ、贖(あがな)われし群れよ」BWV30
 鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン
 レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)
 青木洋也(カウンターテナー)
 ユリウス・プファイファー(テノール)
 ステファン・マクラウド(バス)

・公演244(Cホール):
カンタータ「ただ愛する神の摂理にまかせ」BWV93
カンタータ「主イエスキリストよ、ただ汝にのみ」BWV33
(↑当初予定されていたカンタータBWV178から変更になりました。)
 アンタイ/ル・コンセール・フランセ
 キャサリン・フーグ(ソプラノ)
 ダミアン・ギヨン(カウンターテナー)
 ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
 マティアス・フィーヴェク(バス)

・公演215(Aホール):
ピアノ協奏曲第1番BWV1052
ピアノ協奏曲第5番BWV1056
2台のピアノのための協奏曲第1番BWV1060
 ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
 ブリジット・エンゲラー(ピアノ)
 カントロフ/シンフォニア・ヴァルソヴィア

・公演216(Aホール):
ミサ曲ロ短調BWV232
 コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
 シャルロット・ミュラー=ペリエ(ソプラノ)
 ヴァレリー・ボナール(アルト)
 ダニエル・ヨハンセン(テノール)
 クリスティアン・イムラー(バリトン)

ちなみに最後のロ短調ミサは、終演時刻が23時30分! 終電ギリギリで、帰宅時には日付が変わってました。

以上の4公演、計5時間は質的にも量的にも圧巻で、至福の一日でした。これでこそ「ラ・フォル・ジュルネ」。

書きたいことは多々ありますが、まだ最終日がありますので、それと合わせて後日、感想をまとめてアップしたいと思います。

最終日は3公演、聴く予定です。

「熱狂の日」初日は「空振り」


今日は「ラ・フォル・ジュルネ2009」の初日ということで、有楽町の東京国際フォーラムに赴きました。しかし、、、。

2009-05-03-1

結論から言いますと、今日は完全に「空振り」でした。

なにしろ、チケットが全く買えないという状況、、、国際フォーラムに着いたのが昼過ぎ、13時少し前くらいでしたが、この時点で販売されていた当日チケットは、公演番号116、127、147の3公演のみで、いずれも開演時刻が21時~22時のものでした。

さすがに8時間以上もその場で待機する気にはならず、結局、今日の公演は諦めざるを得ませんでした。

まあ、今日の公演に関してはもともと前売りチケットは入手しておらず、当日券だのみで足を運んだわけですが、結果的にはそれが裏目に出ました。

いちおう、Aホールの113の公演、ラドゥロヴィッチのソロによるヴィヴァルディの「四季」は当日券がかなり出るという情報を得ていたので、最低限これは聴けるだろうと、他は、あわよくばAとCのホールあたりでひとつふたつ聴ければ、というのが私の事前の目算でしたが、、、

そもそもは前売りチケットの入手を怠った私が悪かったのですが、それにしても、どうも腑に落ちない気がします。

「ラ・フォル・ジュルネ」というのは、こういうものなんでしょうか? 私は去年のシューベルト・イヤーが初めてだったので、それ以前の状況は存じないですが、少なくとも去年に関しては、前売りチケット無しでぶらっと出かけて、当日券だけで3日間で9公演も聴けましたので、今年もそんな感覚で行ってみたら、なにか全然状況が違ったと、そんな感じです。

ひょっとして去年の方が例外だったのかも知れませんが、それにしても、あの五千席を擁するAホールが、そんなに何公演も完売状態という状況自体、ちょっと信じがたい気がするんですが、、、

そんなわけで、有料公演はあきらめ、リューベック広場の無料コンサートの方を聴くことにしました。

2009-05-03-2

まず丸の内合唱団による声楽コンサート(上記写真)を拝聴。そのあと、近くのブースでソプラノとピアノによるミニ・コンサートがあり、バッハのコーヒー・カンタータのアリアなどが披露されましたので、近くの売店でコーヒーを買い、それをすすりながら聴かせて頂きました。

その後は、館内の喫茶店で軽く食事を。
2009-05-03-3

それで有楽町を後にしましたが、せっかく都心まで出てきたこともあり、お茶の水界隈に寄り道し、中古盤を大量購入して帰途に着きました

明日と明後日の公演に関しては、前売りチケットをある程度確保してますので、とりあえず明日の「初日」に備えてコンディションを整えておこうと思います。

カルミナ四重奏団の初のバルトーク四重奏曲集


バルトーク 弦楽四重奏曲第1番、第2番
 カルミナ四重奏団
 DENON 2008年 COGQ-37
COGQ-37

先週リリースされた、カルミナ四重奏団初のバルトークの四重奏曲集です。カルテット結成25周年の節目を迎え、満を持しての録音とのことですが、私も前々からカルミナ四重奏団のバルトークは聴いてみたいと思っていたところで、さっそく聴いてみました。

まず第1番の四重奏曲ですが、第1楽章冒頭から第1ヴァイオリンがややポルタメント気味に音を滑らかに引き摺るように開始され、以降も個々のフレーズの曲線的な軌跡が克明かつ美しく描き出されていて、ヴィブラートも明らかに多めです。さらには(4:30)からのモルト・アッパーシオナートでの思い切ったルバートなど、聴いていてロマン主義的な解釈を根幹とする様式がかなり押し出された表現という感じがします。

それは以降の楽章も同様で、第2楽章では例えばクライマックスたる(7:06)あたりの猛烈なルバートなどびっくりするほどですし、第3楽章では冒頭のチェロのモノローグに聴かれるエモーショナルな色合いといい、あるいは(1:43)からのmfフレーズを明らかにsfに置き換えたような解釈といい、まるで後期ロマン派作品のような表情を呈していて驚かされるものです。

次の第2番の四重奏曲ですが、こちらは前述した後期ロマン派風の第1番に比較して、むしろ印象主義的な色彩感を全面に押し出したようなスタイルを敷設している点に大きな特徴を感じ取ることができます。

この特徴に関しては、本ディスクのライナーノートにおいてカルミナSQヴィオラ奏者チャンプニーにより明示されている演奏方針でもあり、これらのバルトーク作品が、ラヴェルの弦楽四重奏曲から少なからぬ影響を受けたのではないか、という考え方に則しての解釈とされるものです。

このような印象主義を思わせるアンサンブルの色づかいというのは、前述の第1番の方でも少なからず耳にされましたが、むしろ第2番の方により顕著に現われているようです。とりわけ第3楽章全体に漂う、表面的な響きの美しさとは裏腹なまでの寄るべないハーモニーの浮遊感は、まるでドビュッシーを聴くような錯覚さえ喚起させられるほどです。

こうしてみると、今回のカルミナSQの演奏は、これらのバルトーク作品をおそらく確信犯的に後期ロマン派の最後端に位置づけたような表情が聴かれ、その結果としてこれまであまり意識されなかった角度からの作品の眺望がもたらされ、そのフレッシュな演奏カラーに聴いていて魅了させられると同時に、これらの作品の中に、これほどの隠された美が潜在していたのか、という点において率直に驚きを禁じえないものでした。

もっとも、前述のように本演奏の解釈は後期ロマン派の最後端としての位置づけにあると思われる以上、これらのバルトーク作品に対し20世紀音楽の起点としての意味合いを求める聴き手にとってはやや物足りなさが残るようなところはあるかも知れません。アルバン・ベルクSQほどではないにしろ、耳当たりとしては甘口的な感触が相対的に勝る演奏だからです。

以上のように、このバルトークはその強い個性感ゆえに賛否は分かれるところかも知れませんが、私にはカルミナSQの確固たる演奏ヴィジョンに裏打ちされた鮮烈な演奏内容と感じられました。第3番以降の録音も継続するのか、継続した場合は第1・2番と同じようなスタイルを貫くのか、ガラリと変えてくるのか、分かりませんが、ちょっと注目したいと思います。

さて、いよいよ明日から、ラ・フォル・ジュルネ開幕ですね。私も3日間、「熱狂の日」を楽しんでみたいと思います。

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