井上喜惟/ジャパン・シンフォニアの演奏会の感想


昨日のコンサート(井上喜惟/ジャパン・シンフォニア 第一生命ホール)の感想です。

全演目を通してオーケストラの編成は8型で一貫され、向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並べての変則対向配置でした。

最初のラヴェル「クープランの墓」は、ちょうど先々週カンブルラン/読響による演奏を東京芸術劇場で聴いたばかりで、その時も同じく8型での演奏でしたが、同じ曲で、同じ編成規模でも、ホールが違うとこんなに響きが違うのか、という点が印象的でした。管楽器を中心に小ホールならではのインティメートな音色の感触に耳を奪われましたし、オーボエを中心に木管ソロの冴えた音色の精彩も大変見事なもので、終曲後の拍手では指揮者の井上が客席を向くより先に第一オーボエ奏者の方を起立させて讃えていたほどでした。

続くショーソンの歌曲集「愛と海の詩」は蔵野蘭子のソプラノ独唱で歌われましたが、全体に強弱の幅の抑制して声量的に余裕を持たせた歌い回しから、ブショールの詩作が表情豊かに歌い上げて傾聴させられるものでした。声量的な余裕に基づく発声面の安定感、ないし高域の澄んだ美声という点では率直に感嘆させられたほどで、これでフランス語のイントネーション自体が持つ発音の美感面にいまひとつの冴えが加わっていたら、なお良かったと思いますが、オーケストラ伴奏の充実も含め、このショーソンの歌曲の得もいわれぬロマンティズムの魅力が聴いていて感度良く伝わってきました。またオーケストラとの関係では、歌手のすぐ真後ろにチェロが配置される変則対向配置のポジショニングのため、歌手と低弦との連携感が必然的に密となり、特に第3部「愛の死」において死の動機をつかさどる低弦部と歌唱との応答において素晴らしいニュアンスが聴かれました。

後半部のフランクの交響曲ですが、この曲に対するに8型は規模が小さく、そのあたりがどう響くか一抹の不安もありましたが、第1楽章が始まってみると、音響的な迫力に関しては充分な手応えがあり、前半部よりも弦の力感が格段に強調されたボウイング展開がフレーズの色合いに張りを与えていましたし、ことにトッティでの引き締まった音響感は小ホールの空間を飽和させることなく満たして思わずゾクッとさせられるものでした。

小編成のアンサンブルならではの求心力に由来する音響的な集中力も素晴らしく、テンポ的にも、全体に快速調を回避してのどっしりとした重みのある進め方で、特に再現部冒頭のffのカノンに入るや驚くほどのスローテンポを披歴するなど、随所にアンサンブルの量感的な弱みをカバーする工夫が聴かれ、決して重厚ではないのに聴き応えは濃厚、そんな確かな手応えを感じさせる表現でした。

第2楽章に入ると、弱奏時においては文字通り室内楽的なキメ細やかさでハーモニーが描出されてゆき、特に中間部などはまるで細密画を目の当たりにするような緻密な色彩美に聴いていて陶然とさせられました。さらに管パートの発する甘美な音色からはこぼれ落ちるほどの旋律美が満ち、まさにこの編成ならではのバランスから導出される絶妙な美しさに惚れぼれさせられましたし、その美点をこれほど鮮やかに、精度良く現出せしめた井上喜惟のアンサンブル統制力にも感服する思いでした。

終楽章は第1楽章以上に気合のこもったアンサンブルのパワフルな強奏展開により音楽に充実した高揚力が与えられ、どんなにパワフルなトッティにおいても混濁しないハーモニーの見晴らしもさることながら、むしろその音響的な奥行きの豊かさや立体感の方に、より強く惹かれるものがありました。前に同じホールで聴いたブラームスの時もそうでしたが、アンサンブルの響きに余分な贅肉がないため、室内楽ホールの音響的な特性を介して、各パートの響きのニュアンスの妙がくっきりと伝達され、そこから浮かび上がる音楽の瑞々しい感触と、そこから醸し出される深い味わいに、聴いていて心打たれるような感興を覚えました。

以上、本公演は3演目それぞれにおいて音楽のフレッシュな妙味を満喫させられるものでしたが、とりわけ後半のフランクは、およそ井上喜惟とジャパン・シンフォニアのコンビのみが為し得るのではないかと思われるほどに個性的でありながらも、表現としての高い純度を示した、聴きどころ満載の演奏でした。

井上喜惟/ジャパン・シンフォニアの定期演奏会(第一生命ホール 4/29)


今日は第一生命ホールでジャパン・シンフォニアの定期演奏会を聴きました。指揮は音楽監督の井上喜惟です。

2009-04-29a

今日の公演はオール・フランス・プログラムで、前半がラヴェルの「クープランの墓」、続いて蔵野蘭子の独唱によるショーソンの歌曲集「愛と海の詩」、後半がフランクの交響曲ニ短調という演目でした。

井上喜惟とジャパン・シンフォニアはこれまで年2回のペースで第一生命ホールにおいて定期演奏会を開催しており、私も何度か足を運んでいるところですが、とりわけ印象に残っているのが一昨年の秋に聴いたブラームスの交響曲第1番の演奏で、演奏自体の良さもさることながら、室内楽ホールでブラームスの交響曲を聴くと、こういう風に響くものなのかと、聴いていて新鮮な感興を覚えたことが思い出されます。

今回はフランクを後半に据えていますが、ブラームスの交響曲の室内管編成に拠った演奏は既に録音でも幾つか耳にしているに対し、フランクの交響曲の室内管編成に拠った演奏というのは実演・CD問わず聴いたことがなく、そのあたりの興味も伴ってコンサートに足を運んでみました。

感想は、また後日。それにしても第一生命ホールはロビーからの景観がいいですね。

2009-04-29b

こと夜景に関しては高度に勝る東京芸術劇場のロビーに及ばない気がしますが、好天気の時の日中の景観では、東京芸術劇場での殺風景な眺めよりもこちらの方が断然いい感じです。

オイストラフとムラヴィンスキー/レニングラード・フィルによるショスタコーヴィチとモーツァルトの協奏曲の56年ウィーンライヴ


ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番&モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番
 D.オイストラフ(vn) ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル
 オルフェオ 1956年ライヴ ORFEOR736081
ORFEOR736081

先月リリースされたディスクで、ダヴィド・オイストラフがムラヴィンスキー/レニングラード・フィルとともにウィーンに客演した時のコンサートのライヴ盤です。1956年6月のウィーン芸術週間でのライヴで、ムジークフェライン・ザールで収録されています。

このうちショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番に関しては、同じ顔合わせで1956年11月に収録されたメロディアの録音がよく知られているところですが、今回リリースのオルフェオ盤の演奏は、その半年前の西側でのライヴです。

そのメロディア盤は音質面に大きな弱点があり、私の印象としても確かに傾聴に値する演奏とは思いつつも、音質的観点も含め、この曲のベストディスクはコーガンとコンドラシン/モスクワ・フィルのメロディア録音(ヴェネツィア CDVE04241)ではないかと思っているところです。

対してこのオルフェオ盤ですが、まず音質が同年録音のメロディア盤のそれよりもかなり良好な点に驚かされます。

モノラルで、左右の広がりやレンジの伸びに限界があるとはいえ、ノイズレベルを低めに保ちながらの鮮明度の高いソノリティが一貫的に持続し、ムジークフェラインの残響特性をかなり感じさせる良好な耳当たりも含め、この時代のオイストラフの独奏、そしてムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの実演の記録としてみるとおそらく相当な価値があるような気がします。

演奏内容としても、そのあたりの良好な音質を背景に、オイストラフのヴァイオリン・ソロの特徴感が聴いていて明確に伝わってくるもので、その点に関しては少なくとも本家メロディアの録音よりも高感度です。

オイストラフのソロは一分の隙もないフレージングのテクニックを最大の武器としながらも、テクニック一辺倒で押し切るのとも一味違う、彼独特の甘美にしてまろやかな音色の魅惑感が随所に披歴されている点が特徴的で、そのあたりのオイストラフの演奏美学ともいうべきものがかなり強く打ち出された演奏となっていますが、バックをつとめるムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの質実剛健を地で行く演奏姿勢もまたオイストラフのソロの美的印象をいっそう増幅せしめているように聞こえます。

第3楽章の第2変奏部、(1:36)からのヴァイオリン・ソロの音色の心打つような哀感を始めとして、およそオイストラフ以外に為し得ないのではないかというような表情に事欠かず、この作品の情緒的な側面に係る深みをこよなく音化させた演奏という観点では、屈指の名演と思わせる内容です。

それでは、私が先にこの曲のベストディスクとして挙げたコーガンとコンドラシン/モスクワ・フィルの録音と比べてどうかという話ですが、このオイストラフの形成する表情は悪く言うなら甘口であり、辛口を極めたようなコーガンのソロの表出力には、ぎりぎりの線で及ばないのではないかというのが正直な感想です。もちろん甘口ゆえに凡庸という話ではなく、前述のようにその音色の抗しがたい魅力により深い感銘を与えられることも事実ですが、この作品のシリアスな佇まいに鑑みて表情的によりフィットするのはやはりコーガンの方であると、そんな気がするからです。

とはいえ、このオイストラフのライヴ盤の名演性に関してはおよそ疑う余地の無いものですし、聴き手によってはこちらをコーガンより上位としても不思議はないようにも思われます。

併録のモーツァルトはショスタコーヴィチよりも気楽なスタンスながらも、オイストラフ持ち前の艶やかで濃厚なフレージング特性の発現の度合いが豊かな美演で、音質もこの年代としては良好な感度です。

ところで、今回初出とされる上記ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の録音に関しては、同じ顔合わせでの1956年のライヴ録音とされる、もうひとつの録音が存在しています。ブリリアント・クラシックスの「ヒストリカル・ロシアン・アーカイヴ」シリーズに含まれている「オイストラフ/ヴァイオリン協奏曲コレクション」に収録されているライヴ録音です。

これはそれほど知られていないようですが、この録音についてもまた別の機会に少し触れてみたいと思います。

コバケン/日フィルのコンサートの感想


昨日のコンサート(小林研一郎/日本フィル サントリーホール)の感想です。

前半の浦田健次郎「北穂に寄せて」は本公演が世界初演となる作品で、これは浦田氏の知己であり北アルプスの北穂高岳を愛した山岳家である故・小山義治氏への深い敬意を土台として作曲された、約15分の単一楽章の曲です。

北穂高岳が題材とされた作品ですが、山岳の風景描写というよりむしろ心理描写的な色彩が支配的で、そこでは北穂高岳の山頂に佇んだ際の、雄大な風景を前にした精神的高揚感、ないし大自然への畏敬の念など、聴いていて様々な要素を連想させられるような雰囲気が印象的でした。

後半のブルックナー4番ですが、第1楽章は冒頭からゆったりとして急がないテンポ感がおおむね維持され、悠然とした足取りで音楽が進められていき、強奏時においてもテンポを上げずに、むしろ逆に下げるくらいでした。総じて抑制されたテンポの動きに対して、アンサンブルのダイナミックな起伏のメリハリにはかなりの注力が感じられ、ことに強奏時におけるどっしりと腰を落としてのアンサンブルの迫力には並々ならないものがありましたが、惜しむらくはホルンを中心に金管パートの出来がいまひとつだったことで、冒頭部でホルンの音程が上ずってしまったり、聴かせどころでフレーズが裏返ったりと、やや安定感を欠き、強弱のコントロール面なども含め、もう少し研ぎ澄ます余地があるように思われました。

第2楽章もやはり遅めのペースを基本に、濃密に歌い抜かれたようなアンサンブル展開が聴かれ、随所に強調される低弦部の押しの強いカンタービレなど、まるで心情告白のような情緒を帯びていて印象深いものでしたし、後半の高揚部に聴かれた赤裸々なまでの感情発露的な色合いもグッとくるものでした。ただ、同時にやや感傷的要素が勝ち過ぎて、表情がセンチメンタルに流れているような危うさも聴いていて感じました。

第3楽章は、主部強奏時において、あの全身をケイレン気味に激しく震わせるコバケン独特の体当たりの指揮ぶりが披歴され、その情熱的な指揮姿に煽られたかのように、アンサンブルの鳴動力も格段に伸び、スローテンポから捻出されたその猛然たる迫力とパワフルな高揚力には聴いていて圧倒されるほどでした。

おそらくコバケンはこの第3楽章をひとつの勝負どころと設定したような感があり、確かに迫力的には並々ならないものでしたが、ここは同時に強い違和感を覚えたのも事実でした。この楽章本来の爽やかな音楽の流れや清々しい楽想からすると、あそこまで情熱的に煽りたてる必然性があったのか、という点が聴いていて引っ掛かったからで、その点に関しては先の第2楽章でも感じられた感情優先型のスタイルが、ここではさらに音楽の自然な流れと、そこから導かれる妙感の深さを阻害しているような気がして、豪快な鳴りの割りには深みがいまひとつ伴わない、そんな印象を否めませんでした。

しかし終楽章になると、スタイルとしては第3楽章のそれとほぼ同様でありながら、音楽としての訴求力が段違いに向上したような印象を与えられ、そのコバケン迫真の熱演ぶりとアンサンブルの素晴らしい表出力において深い感銘を与えられるものでした。ここぞという時のアンサンブルの鳴動力が半端でなく、その凄まじい熱気に心打たれると同時に、緩急の抑制されたテンポの動きがそれに真実味を付加し、あくまで自然な感興の高まりとしての説得力にも富んだものでした。

先の第3楽章と同様のスタイルであるにも関わらず終楽章での感銘の度合いが段違いだった理由は、おそらく両楽章の音楽のキャパシティの差にあるような気がします。第3楽章はコバケンの示した没我的・没入的なスタイルに応答し切るだけの潜在的な深みに限界があり、逆に終楽章はそのスタイルを許容し得る器の大きさを備えていたため、あれだけのスケール感豊かな演奏となって結実したように思われました。

以上、本ブルックナーは表現的にはやや個性的で、感銘の度合いに少なからずムラもあったとはいえ、終楽章などはコバケンの会心ともいうべき素晴らしい表現が聴かれ、全体としてみても、6年前に同じホールで聴いた交響曲第8番の時よりは、コバケンのブルックナーに対するビジョンのようなものが聴いていて明確に伺われるものでしたし、それに伴い演奏自体の表出力も6年前の印象よりもさらに一歩手応えが増したように感じられるものでした。

コバケン/日本フィルのコンサート(サントリーホール 4/24)


今日はサントリーホールで日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いてきました。

2009-04-24

指揮者は小林研一郎、曲目は前半が浦田健次郎の「北穂に寄せて」の世界初演、後半がブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。

サントリーホールでブルックナーを聴くのは今年2月のシカゴ響来日公演以来(このときは7番、指揮者はハイティンク)、また日本フィルの演奏でブルックナーを聴くのは昨年9月以来(このときは9番、指揮者はヘンヒェン)、そしてコバケン/日本フィルの演奏でブルックナーを聴くのは2003年5月以来(このときは8番)、およそ6年ぶりになります。

上に掲載した画像は、本日配布された公演プログラムですが、図柄が6年前の公演プログラムに似ていて、懐かしい感じがしました。

ちなみに以下がその2003年5月の公演時のプログラムです。

2003-05

今日の公演の感想は後日掲載します。

バックスの交響曲第4番&ブーランジェの作品集(シャンドス30周年BOX:CD2&3)


昨日にひきつづきシャンドス30周年BOX収録盤の感想記、今日はCD2と3です。

ANNI-02
バックス 交響曲第4番、交響詩「ティンタジェル」
 トムソン/アルスター管弦楽団
 1983年録音

20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家アーノルド・バックスの残した7曲の交響曲の中では、比較的知名度が高いのは第5番、次いでは第6番あたりになるでしょうか。少なくともこのディスクの第4番は、現状でのポピュラリティはかなり低めでしょう。

ここでのブライデン・トムソン/アルスター管の演奏は、全体に充実感の豊かなアンサンブル展開とストレートな語り口で音楽に相対し、真っ直ぐな演奏姿勢からこの作品のキャパシティが十分に突き詰められたような見事な演奏展開です。

ただ、作品自体の印象が率直に言って微妙です。1930年作曲のシンフォニーにしては、色々な意味でずいぶん楽天的だなという気がします。開放的で親しみ易い楽想にして華やかなオーケストレーションと、確かに聴き映えのする作品だと思いますが、緊張感がいまひとつ弱く、楽想上濃厚な聴き応えをもたらすような感触は概して希薄で、この年代のシンフォニーとしてみると、そのあたりにやや物足りなさがあるように思いました。

ANNI-03
リリー・ブーランジェの作品集
 トルトゥリエ/BBCフィル
 1999年録音

収録曲は①詩篇第24篇「地とそこに満ちるもの」②音楽的対話「ファウストとエレーヌ」③悲しき夕べに④春の朝に⑤詩篇第130篇「深き淵より」。

20世紀初頭に活躍し、24歳の若さで夭折したフランスの女流作曲家リリー・ブーランジェの代表的な作品群を集めたアルバムです。

有名なのは②のカンタータ「ファウストとエレーヌ」で、これは1913年に女性として初のローマ大賞受賞を勝ち取った記念碑的作品ですが、この時リリーは若干19歳という若さで、内容的にもゲーテの大作「ファウスト」を真っ向から扱った全30分の作品でありながら、原作の感銘にも渡り合うほどの起伏力と内的充実度に満ちた名作です。

ここでのトルトゥリエ/BBCフィルの演奏は素晴らしく、上記の②ではクライマックスたる25分過ぎからの高揚力の伸びが抜群ですし、③の全編に張り詰めるただならぬ緊迫といい、総じて感情移入度の高さが随所に伺われるアルバムで、聴いていてトルトゥリエのブーランジェ作品への深いシンパシーが伝わってくるような気がします。

アルビノーニのオーボエ協奏曲全集(シャンドス30周年BOX:CD1)


シャンドス創立30周年記念ボックス ANNI0030

ANNI0030

上記のボックスセットを購入したことについて先月当ブログで書きましたが、感想記の方をそろそろ始めたいと思います。

ANNI0030-2

各CDの感想の掲載については、CD30枚の長丁場ということもあり、この前のベルリン・フィル創立125周年記念BOXの時のように短期集中的に掲載するのでなく、散発的にやります。

まだ最初の3枚しか聴いていませんが、その3枚(CD1~CD3)についての感想を今日と明日で書きます。今日は最初の一枚、オリジナル楽器の演奏によるアルビノーニのオーボエ協奏曲全集です。

ANNI-01
アルビノーニ オーボエ協奏曲全集
 ロブソン(ob)スタンデージ/コレギウム・ムジクム90 
 1995年録音

ヴィヴァルディと並んで18世紀前半のヴェネチア楽派を代表するアルビノーニの手による、独奏オーボエのためのコンチェルト全集です。具体的にはアルビノーニの五声のための協奏曲集作品7と作品9のうち、独奏オーボエによるコンチェルト形式の作品が全8曲収録されています。これらの作品のオリジナル楽器によるレコーディングとしては、本ディスクが初めてのようです。

アントニー・ロブソンのバロック・オーボエは、ピリオド様式特有のキビキビとしたフレージングの節回しやノンヴィブラートの音色の晴朗に特徴を感じさせるものです。

ただ、アルビノーニの作品9の第2番の演奏に関しては、私の中では昨年購入したアルブレヒト・マイヤーによるヴェネチア・オーボエ名曲集での超美演の印象が強く、同じバロック・スタイルに拠りながらも、マイヤーのソロは天衣無縫ともいうべきメロディの流動感が素晴らしいものでしたが、それと比べるとするとこちらのロブソンのソロはフレージングが多少ギクシャクした印象も残るところです。

とはいえ、それはやはり贅沢な不満というべきでしょう。ソロ・オケ含めてオリジナル楽器の飾らない音色の色合いには固有の魅力があり、聴いていてアルビノーニの音楽の素朴な美しさが良く伝わってきます。全集としての満足感も加わり、なかなかに余韻嫋々のアルバムです。

カンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR響によるリームの「離接輪郭」他


リーム 離接輪郭、迫る光、副次輪郭
 カンブルラン/バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団(離接輪郭)
 ブール/南西ドイツ放送交響楽団(迫る光、副次輪郭)
 ヘンスラー 2002年(離接輪郭)、1977年(迫る光)、1976年(副次輪郭) CD93.202

CD93-202

このCDは先週末のカンブルラン/読響のコンサート終演後に、東京芸術劇場のロビーにて購入したものです。

コンサート終了後にカンブルランのサイン会があり、CDケース裏面に以下のようなサインを頂きました。
CD93-202-2

このCDにはウォルガング・リームの管弦楽作品が3曲収録されていますが、このうちの最初の「離接輪郭(Dis-Kontur)」がカンブルランの指揮で収録されています。他の2曲はエルネスト・ブールの指揮によるもので、2曲とも1970年代の録音です。3曲ともオーケストラは同じですが、南西ドイツ放送交響楽団は1998年を境にバーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団に名称変更しましたので、敢えて録音時の名称に従い表記しました。

当日聴いたカンブルラン/読響のコンサートが大変見事なものであったこと、とりわけ後半のベルリオーズ・幻想交響曲の演奏内容が圧倒的であったことについては一昨日書いたところですが、このリーム「離接輪郭」の演奏を聴いてみたところ、その「幻想」に聴かれたカンブルランの真骨頂の一端が刻まれていました。

それは特に作品冒頭部のティンパニ打ちの激烈ぶりにおいて顕著で、この管弦楽作品においては、冒頭から4分ほどはティンパニだけで進められる書式となっていますが、この場面に聴かれる強打音の音響的な表出力が半端でなく、空恐ろしいほどの凄味に満ち、まるで世界の終末のイメージをも湧き起こすような気配があり、聴いていて戦慄を禁じえないほどです。

そしてそのインパクトは、先日の「幻想」後半部において感じたそれともオーバーラップするもので、あのカンブルランの「幻想」における強烈な表出力の源泉は、もしかするとここにあるのではないかという風に本ディスクの演奏を聴いて思いました。

いずれにしても、このリームはカンブルランの現代音楽に対する強い適性が如実に表れた演奏と思われ、(18:35)あたりのカタストロフに聴かれるアンサンブルの表出力などは圧巻の一言です。

併録の2曲は往年の現代音楽のスペシャリストたるブールの指揮によるもので、音質が若干落ちますが、いずれもピリッとした耳当たりの刺激感に富む演奏です。

ヤーノシュ・ネージェシのヴァイオリン・ソロによる「迫る光」はリームの最初のヴァイオリン協奏曲で、後年ムターが取り上げ一躍有名になったもう一つのヴァイオリン協奏曲「歌われし時」よりは知名度が振るいませんが、ネオ・ロマンティズムにシフトした「歌われし時」に比べると「迫る光」の方が表現主義的な迫力が顕著で、私などはこちらの方により惹かれる感じがします。「副次輪郭」は「離接輪郭」の姉妹作的な位置づけにある作品です。

カンブルラン/読響のコンサート(東京芸術劇場 4/18)の感想


昨日のコンサート(カンブルラン/読響 東京芸術劇場)の感想です。

最初のラモーのダルダニュス組曲は対向配置の6型編成をもって開始されましたが、小編成にしては弦の音色が冴えていたのが印象的で、弱音時においてさえ曖昧に流れないキリッとした拍節感からタンブラン、ガヴォット、リゴドンといったこの作品のリズム構成の妙味が明快に伝わってくるなど、傾聴させられるラモーでした。ただ、管楽器の音色がいまひとつ冴えて響かないのが聴いていて引っ掛かりました。

次のラヴェルの「クープランの墓」は8型編成と、ラモーの時より弦を若干補強して開始されましたが、最初のプレリュードを耳にした時、ラモーの時より弦の音層が明らかに抑制されていたことに驚かされました。増強したはずの弦の音量を抑制し、そのかわりに音色にひとまわり上の濃さと張りを与え、かつラモーの時にはさほど目立たなかった管楽器の色彩感を明確に前面に打ち出し、カラフルな華やかさを帯びた美しいラヴェルを現出させていて、これには客席で思わず聴き惚れてしまいました。

このコンサートの演目構成はカンブルラン自身の発案であることがプログラムに明記されていましたが、このあたり聴いていて18世紀作品のラモーと20世紀作品のラヴェルとの音響的な感触の違いを、はっきり感得させられるような味付けとなっていて、率直に感心させられるものでしたが、後で振り返るとこのあたりはまだ小手調べというところで、むしろ後半のベルリオーズこそがカンブルランの真骨頂を形成する演奏でした。

そのベルリオーズ「幻想」は、前半部すなわち冒頭から第3楽章中盤あたりまでは、前半のラヴェルにおいて聴かれたスタイルを継承したようなバランスで、14型のフル編成のアンサンブル展開において弦の音幕を必要以上に広げず、管楽器の音色の浮き上がり加減にコンスタントに意の注がれたような、一般的にいうフランス風の音響展開というべきものでしたが、コントラバスが比較的強調されていた以外はオーソドックスな表情形成で、緩急の対比も過分ではなく、言うなれば冷静なメンタリティからスコアの音響を鋭利に再現するというような厳しさと、音色の埋没を抑止する入念な配慮に特徴づけられる怜悧な美演、そういう印象でした。

この時点までの演奏の表情から導出されるカンブルランの音楽の指向は、おそらくかつてのデュトワがN響に求めたような、洗練されたフランス風アンサンブル・スタイルにあるのではないかと感じましたが、それがどうやら思い違いであることを実感させられたのが、第3楽章の後奏時におけるティンパニの激烈な豪打を耳にした瞬間でした。それはかつて聴いたこともないような、文字通りホールを震撼せしめるほどの途方もない豪打であり、それを皮切りに、そこに到るまでのエレガントで耳当たりの良い音楽表情が劇的なまでに崩れ去りました。

続く第4楽章ではティンパニを中心とする打楽器の強烈な打ち込みが熾烈を極め、それにかぶさる金管強奏の音色のどぎつさも特筆的であって、ここに到ってまさに羊の皮を脱いだ狼とでもいうのか、そんなイメージを思わせるアンサンブル展開の過激ぶりに聴いていて度肝を抜かれる思いでした。

この過激ぶりは終楽章においてさらに拍車がかかり、フルパワーで打ち込まれる打楽器の苛烈なリズムをベースに、管弦ともに激しい音色のコントラストがあからさまに強調された、実に容赦のない苛烈なアンサンブル展開が披歴され、その色彩には理性を超越したような猟奇性が色濃く滲み出ていて、これには客席で聴いていて名状しがたい衝撃と興奮に駆られたほどでした。

この「幻想」において驚異的と思える点は、前半までのクールにして甘口なアプローチと、後半以降のアグレッシブにして辛口なアプローチとの強烈な激変ぶりにあり、この点においてカンブルランはデュトワというよりはむしろブーレーズ、それもかつての壮年期におけるギラついた表現意欲が剥き出しであった頃のブーレーズに類似した雰囲気を持つ指揮者なのではないかというのが、本演を聴いての私の印象です。

対して読響のアンサンブルは、特に後半部においてカンブルランのアグレッシブな指揮ぶりに対するレスポンスが万全とは言い難い面もあり、クレッシェンドの時に縦の線がぐらついた感じになったり、最強奏時の金管の音程がやや危なっかしかったりと、現状ではパーフェクトとは言い難いものでしたが、肝心の音楽の表出力において素晴らしい個性味が聴かれたことが私にとっては何よりで、少なくとも来春以降のカンブルラン政権下の読響に対し強い期待感を喚起させるに十分なコンサートでした。

カンブルラン/読響のコンサート(東京芸術劇場 4/18)


今日は東京芸術劇場で、カンブルラン/読売日本交響楽団のコンサートを聴きました。

2009-4-18

シルヴァン・カンブルランは現在バーデンバーデン・フライブルクSWR交響楽団の首席ポストを務めているフランスの指揮者で、2010年のシーズンからスクロヴァチェフスキの後任として読響の首席指揮者に就任することが確定しています。

今日のコンサートは来春の読響首席ポスト就任に先立っての同楽団との顔合わせとなるので、このコンビの事実上のお披露目公演という位置づけになるようです。

私はカンブルランの実演はこれまで聴いたことがありませんでしたが、私の印象としては現代ものとオペラものに強い中堅指揮者というイメージで捉えていました。それ以外だと、かつてザルツブルグ音楽祭において、モーツァルト「フィガロの結婚」公演にあたりチェンバロの代わりにシンセサイザーを導入するという大胆不敵ともいうべき試みが話題になったことを記憶している程度です。

そのカンブルランが来春から向こう3年間、読響のシェフを務めるにあたり、どのような音楽造りを志向するのか、そのあたりの興味からホールに足を運んだ次第です。

今日の演目はすべてフランスもので、前半はラモー・歌劇「ダルダニュス」第1組曲と第2組曲から計8曲、続けてラヴェル・組曲「クープランの墓」、後半はベルリオーズ・幻想交響曲というものでした。アンコールにはサティのジムノペディ第1番が演奏されました。

詳しい感想は後日書きますが、カンブルランという指揮者はただ者ではない、と痛感させられたコンサートで、特に幻想交響曲での音楽の強烈度には圧倒的なものがあり、私がこれまで生で聴いた「幻想」の中でも屈指の名演に位置づけられる内容でした。

パレー/デトロイト響によるフランクの交響曲とラフマニノフの交響曲第2番


フランク 交響曲&ラフマニノフ 交響曲第2番
 パレー/デトロイト交響楽団
 マーキュリー 1959年(フランク)、57年(ラフマニノフ) 434368-2
434368-2

昨日の掲載分を含め全5回をかけて、先月下旬リリースの「ポール・パレーの芸術」の一連のディスクを聴いての感想をひと通りアップしました。

このCD5点(全10枚)は、基本的に現在廃盤ないし未CD化の音源を発掘してCD化するというコンセプトに基づいたリリースのようで、実際私などもこれらのディスクにより初めて耳にした録音がかなり多くて新鮮な気持ちで一連の演奏に接することができ、内容的にも満足感の高いものでした。

ただ、この「ポール・パレーの芸術」全5点に含まれていない録音ももちろんあります。その中でもすこぶるつきの名演ではないかと思われる一枚が、このフランクとラフマニノフの交響曲を収めたマーキュリー盤です。

1996年再発のリビング・プレゼンス・シリーズの一枚で、購入してからもう10年以上経ちますが、何度聴いても色褪せない魅力がここにはあります。

ことにフランクの交響曲の演奏内容はまさに圧巻で、第1楽章序の弱奏起伏での張り詰めるようなアンサンブルの緊張感から既にただごとでなく、第1主題ff提示の常軌を逸したド迫力(5:05)、第2主題ff提示の眩いばかりの音彩の広がり(6:15)、そして展開部頂点(9:22)あたりからの激烈な猛加速による強烈な高潮感を経て、神々しいまでの雄渾をもって描き出される再現部冒頭(10:35)のカノン、どこを取ってもパレー/デトロイト響のベストモードと断定できる素晴らしさです。

第2楽章でもデトロイト響のアンサンブルは一貫的に味の濃い響きを絶やさず、パレーの流動感豊かな音楽の運びは聴いていてもたれることがなく、その弦や木管の柔らかく優美な感触が驚異的な高音質に乗って耳を潤し、聴いていてフランクの音楽の美しさを否応なく実感させられます。

終楽章においても、冒頭主題を奏でるチェロのふっくらとした感触がフランスのオーケストラのようなエレガンシーを湛えていたり、重厚というより濃密、ひいてはドイツ的スタイルというよりフランス的スタイルに則した特徴感がかなり明確に打ち出されています。そして、このスタイルに限るなら、同曲の演奏でこのパレー盤以上のものは他にちょっと無いのではないかと、かつて本ディスクを初めて聴いた時に思ったものですが、今回あらためて聴き直してみても、やはりそんな気がします。

例えば同じようなスタイルで、録音年も近いモントゥー/シカゴ響のRCA盤(BVCC-37445)なども、並の演奏ではないですが、それと比べてもこのパレー/デトロイト響の方が一枚上手という感じがします。

ラフマニノフの2番の方も音質・アンサンブルの充実感、ともに前記フランクと同格で、演奏自体は立派です。第1楽章(5:17)からの第1テーマなど、粘ったテンポで情緒たっぷりに奏され、推進的なフランクとはまた違った、ロマンティック・スタイルでの美演ですが、惜しむらくはカット版が使用されている点です。

例えば第2楽章は7分に満たないタイムですが、テンポはむしろ遅めで、(5:24)からコーダまでが大きくカットされているためにこのタイムになります。

他楽章も同様で、いずれも当時の慣習に従ったものですが、いわゆる「完全全曲版」での録音が普通となった今日では、聴いていてそれなりに違和感も否めないところで、名演だけに残念ですね。

「ポール・パレーの芸術」第5巻<19世紀フランス作品集>


「ポール・パレーの芸術」第5巻<19世紀フランス作品集>
 パレー/デトロイト交響楽団
 マーキュリー(タワーレコード) 1956~61年 PROA-295/6

PROA-2956

「ポール・パレーの芸術」シリーズ最後となる第5巻で、収録曲はフランス系作曲家の19世紀作品で占められています。

収録曲は①ショーソン 交響曲②ラロ バレエ「ナムーナ」第1組曲③同 歌劇「イスの王様」序曲④サン=サーンス 歌劇「サムソンとデリラ」バッカナール⑤シャブリエ 気まぐれなブーレ⑥同 楽しい行進曲⑦同 スペイン狂詩曲⑧同 田園組曲⑨同 歌劇「いやいやながらの王様」よりポーランドの祭りとスラヴ舞曲⑩同 歌劇「グヴァンドリーヌ」序曲⑪サン=サーンス 交響詩「死の舞踏」⑫同 英雄行進曲⑬同 フランス軍隊行進曲。すべてステレオ録音です。

①のショーソンですが、演奏、音質ともに今一つというところでしょうか。音質は、この年代のマーキュリー録音にしては全体に厚みが乗り切らず、強音もやせ気味で、どうもモヤモヤした感じに聴こえます。演奏の方も、パレー/デトロイト響の絶好調における迫力から計ると、総じて燃焼感が不足気味のアンサンブル展開で、推進性を抑制し確たる歩調で進められる第1楽章なども、確かにフォルムのしっかりした、格調高い演奏ですが、表情として勢いに欠ける感が否めず、例えばパレー/デトロイト響の当時のライバルともいうべきミュンシュ/ボストン響が、1962年にRCAに録音した同曲の演奏と比べても聴き劣る印象が否めませんでした。

②と③のラロはかなりの名演だと思います。音質が①に比べて明らかに臨場感に富み、演奏としても各楽器の音色の魅惑の生きたアンサンブル展開から、パレー/デトロイトの美質が聴いていて良く伝わってくるものです。③「イスの王様」序曲の(2:45)からのアレグロのメイン・テーマに聴かれる素晴らしい充実感など、これを①のショーソンでも聴けたらさぞかし、と思わされます。

④および⑪~⑬のサン=サーンスも音質面では上記ラロと同格で、演奏もいいですね。ただ、⑪の死の舞踏などは、やや品が良過ぎる感なきもあらずで、もう少し狂想的な面を強調しても良さそうに思いますし、このコンビの演奏ならその余地も十分あるような気もします。

⑤~⑩のシャブリエは、音質的にも演奏的にも破格というべきで、全曲ともにパレー/デトロイト響の本領が満面に発揮され、それが最高クラスの録音によりこよなく助長された、すこぶるつきの名演です。ことに⑦のスペイン狂詩曲の素晴らしさは特筆的で、(1:05)からのホルン、(2:50)からのトロンボーンを始め、金管部の鳴りっぷりが充実を極めているのに加え、パレーの思い切りの良いオーケストラ・ドライブの切れ味も抜群、音質も半世紀も前の録音とは俄かに信じがたいほどで、「田園組曲」なども含め、シャブリエとしてはまさに最高級の演奏内容だと思います。

以上で、先月リリースされた「ポール・パレーの芸術」シリーズ全5巻についての感想をひと通り書き終えました。そこで、明日はパレー/デトロイト響のとっておきの名演ともいうべきCDについて取り上げてみたいと思います。

「ポール・パレーの芸術」第4巻<20世紀フランス作品集>


「ポール・パレーの芸術」第4巻<20世紀フランス作品集>
 パレー/デトロイト交響楽団
 マーキュリー(タワーレコード) 1953~62年 PROA-293/4

PROA-2934

先月リリースされた「ポール・パレーの芸術」シリーズの第4巻です。「20世紀フランス作品集」のタイトルの通り、収録曲はパレーの自作を含むフランス作曲家の20世紀作品で占められています。

収録曲は、
①パレー ミサ曲「ジャンヌ・ダルク没後500年を記念して」
②フローラン・シュミット バレエ「サロメの悲劇」
③イベール 交響組曲「寄港地」
④バロー ある影への捧げ物
⑤ルーセル 組曲ヘ調
⑥ルーセル バレエ「くもの饗宴」
このうち⑥のみモノラル、他はステレオ録音です。

①ですが、これはパレーが1931年のジャンヌ・ダルク没後500年記念式典のために作曲したミサ曲の自作自演の録音です。作品自体の印象としては、作曲年代を考えると相当に保守的な作風で、前衛性ないし革新性などの要素をここに見出すのはかなり困難だと思われますが、典礼音楽としてはすこぶる本格的な構えの作品で、聴いていて心洗われるような厳かな祈りに満たされた、美しいミサです。パレー/デトロイト響の演奏自体も気持ちの乗った名演と感じられ、本ディスクのアニュス・デイの後に収録されている、パレーがこのミサの録音後にオーケストラのメンバーに発した謝辞の言葉からも、パレー自身この録音の出来具合に大変満足していたことが伺われます。

②のフローラン・シュミット「サロメの悲劇」ですが、決して凡演ではないと思いますが、パレーとしてはどうもいまひとつ、という感じも残ります。この曲は、昨年たまたま中古購入した、マルティノン/フランス国立放送局管(EMIクラシックス 1972年)の演奏が凄かったのですが、その印象からすると、このパレーの演奏は表情の強烈感がちょっと落ちるようです。

③のイベール「寄港地」はあまりに有名な録音です。演奏自体としても本ディスク中ベストでしょう。ちなみに先ほど触れたマルティノン/フランス国立放送局管の「サロメの悲劇」には、このイベールの「寄港地」も併録されていますが、この曲に関してはパレー盤の方が音楽の精彩が断然優っていると思います。

④ですが、これはフランスの作曲家アンリ・バローが、第2次大戦で戦死した作曲家モーリス・ジョーベールを悼んで1942年に作曲した作品です。わずか10分ほどの小曲ですが、これは名演ですね。(4:51)あたりからの高潮感が凄まじく、(5:30)からの激烈なクライマックスなど、この曲の悲劇的な雰囲気をほぼ完全に音化し切っているかのようで、魅了させられます。

⑤と⑥のルーセルは、パレー/デトロイト響のアンサンブル持ち前の、フランス的ともいうべきエスプリやエレガンシーの香りの生きた、すこぶる味のある演奏です。パレーの残したルーセルの録音はこの2曲だけで、貴重ですが、モノラルの⑥は残念ながら音質的にやや遜色する面が否めないので、音質も含めたパレー/デトロイト響のルーセルの名演としては、⑤のへ調組曲ということになると思います。

模様替え


掲載の順序が前後してしまいましたが、一昨日、ブログのデザインを少し変更しました。

ご覧の通り、背景に画像を貼ってみたのと、文字の色を若干濃くして見やすくしただけの、簡単な模様替えです。あまり派手なデザインにはしたくないですが、殺風景すぎるのも何ですので、このくらいのセンが妥当かなと思います。

背景の画像について簡単に触れますと、南ドイツ・ミュンヘン地方にあるニュンヘンブルグ宮殿の大ホールの景観です。歴代バイエルン王家の別荘として用いられてきた歴史的建造物として知られています。

ニュンヘンブルグというのは「ニンフ(妖精)の館」の意だそうで、その名の通りロココ様式の優美な佇まいの宮殿ですが、ここはワーグナー最大のパトロンであった狂王ルートヴィヒ2世の生誕の場所でもあるそうですね。

「ポール・パレーの芸術」第3巻(ドヴォルザーク、シベリウス、R=コルサコフ)


「ポール・パレーの芸術」第3巻
 パレー/デトロイト交響楽団
 マーキュリー(タワーレコード) 1953~60年 PROA-291/2
PROA-2912

タワーレコード復刻の「ポール・パレーの芸術」シリーズの第3巻です。ここでは主にドイツ系・フランス系作曲家以外の作品が収録されています。

収録曲は①ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」②シベリウス 交響曲第2番③リムスキー=コルサコフ 交響曲第2番「アンタール」④同 序曲「ロシアの復活祭」⑤同 スペイン奇想曲⑥リスト メフィスト・ワルツ、このうち③~⑤のリムスキー=コルサコフがモノラルで、他はステレオです。

①のドヴォルザーク「新世界より」と②のシベリウスの2番はともに素晴らしい演奏と感じます。パレー/デトロイト響のベスト・モードに近いと思われるアンサンブル・コンディションから聴いていて打ちのめされんばかりの迫力を纏った音響展開が繰り出されていて圧倒されます。

ことに①のドヴォルザークは推進力が抜群で、両端楽章における一気呵成的な音流の迫力も凄いものですが、これだけの高速テンポなのに上滑り感のない緊密なアンサンブル展開が、音楽に強い説得力と劇的な表出力を付帯させている点においても、パレーの非凡性が端的に顕現した演奏であるように思います。

②のシベリウスは①のドヴォルザークほどには推進力を強調したフォームではありませんが、アンサンブルの内的充実度はほぼ互角で、金管パートがとにかく絶好調であるのに加えて、例えば第1楽章(4:57)近辺の弦のボウイングの強烈感など、要所におけるキリッとした音楽の訴求力もすこぶるつきです。このシベリウスは①ともども、まさにパレー/デトロイト響会心の名演という感じがしますし、音質的にも年代を考えると驚異的な水準です。

③~⑤のリムスキー=コルサコフは、1953年のモノラル録音で、本ディスクが世界初CD化とされる演奏です。ただ、感銘としては①や②と比べていまひとつというところで、やはり音質がひとまわり落ちるのが響いているようです。モノラルにしては左右の広がりを感じさせるものですが、ダイナミックレンジや厚みという点では①や②から続けて聴くと明らかに落ちますし、アンサンブル自体の充実感としても①や②ほどの水準には及ばないように思われます。今日あまり録音されないリムスキー=コルサコフ「アンタール」のCDとしては傾聴に値する演奏内容だと思いますが、音質も含めて、パレー/デトロイト響のベスト・モードから計ると物足りなさも残るというのが率直な感想です。

「ポール・パレーの芸術」第2巻(ブラームス&ワーグナー)


「ポール・パレーの芸術」第2巻
 パレー/デトロイト交響楽団
 マーキュリー(タワーレコード) 1953~56年 PROA-289/90
PROA-28990

タワーレコード復刻の「ポール・パレーの芸術」シリーズの第2巻で、ブラームスの4番とワーグナーの管弦楽作品集を内容とするアルバムです。

ワーグナーの収録曲は①パルジファル第1幕への前奏曲②同・聖金曜日の音楽③ヴァルキューレの騎行④タンホイザー序曲⑤「ローエングリン」第1幕への前奏曲⑥「ローエングリン」第3幕への前奏曲⑦「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲⑧「さまよえるオランダ人」序曲⑨「ジークフリ-ト」森のささやき⑩「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、以上10曲です。

このうちステレオ録音はワーグナーの①のみで、他は(ブラームスも含め)すべてモノラルです。

最初のブラームスですが、まず驚かされるのはテンポ変化の激しさです。先だってリリースされた、同じ顔合わせによるシューマンの交響曲全集においては、全曲とも概ね古典的フォルムに基づく均整感の強い音楽造りだったのに対し、このブラームスの4番ではアプローチをガラリと変え、かなり独特のロマンティック・スタイルに基づいた演奏となっています。

例えば第1楽章の冒頭は素っ気ないほどの快速調で流しているのに対し、同じ提示部でも最後の(3:20)あたりは際立ったスロー調子という按配で、以降もテンポが大きく揺れ、コーダの(10:20)あたりでのテンポの落とし方などもハンパでなく、ずいぶん個性的です。以降の楽章も、程度の差はありますが概ね同様の表情感です。

ただ、そういう個性味はともかく、このブラームスは、パレー/デトロイト響としては内容的にいまひとつと感じます。肝心のアンサンブルの鳴動力が振るわないからで、少なくとも前述のシューマンの交響曲全集と比べると明らかに聴き劣る印象を否めません。

モノラル録音の音質自体がシューマンほどの水準にないこともおそらく一因と思いますが、パレーの指揮としても、シューマンの時より切れというか思い切りが悪いような感があり、ことアンサンブルの彫りの深さ、立体感、鳴動力という観点においては、変則的なテンポ運用がいささか裏目にでているようなところがあるような気がします。

次のワーグナーですが、こちらは総じて名演で、いずれもパレー/デトロイト響の味の濃いアンサンブル展開の魅力の充溢する見事な演奏内容です。

この一連のワーグナーではブラームスの時のような大胆なテンポ変化は聴かれませんが、そのぶん表現が端正で、ダイナミクスが克明に浮き彫りにされていまし、音楽の流れもブラームスよりずっと良く、聴かせどころでの思い切りの良いオーケストラ・ドライブも大変見事で、聴いていて実に爽快なワーグナーです。私の印象でのベスト演奏は⑧のオランダ人で、これと④のタンホイザー、⑩のトリスタンとイゾルデがベストスリーだと思います。

音質的には唯一のステレオである①のパルジファル第1幕への前奏曲が突出していますが、②~⑩もモノラルとはいえ音響的な精彩が十分にあり、特に金管強奏などは素晴らしい実在感で録られています。

広告表示に関してのお詫び


本日の午前中、当ブログにアクセスして下さった方におかれましては、最新記事(「ポール・パレーの芸術」第1巻)の下部に広告リンクが大きく表示されていたのをご覧になったものと思います。

この広告表示については私は全く関与しておらず、私自身、昼休みに会社から当ブログにアクセスした際、当該広告を見て、何事かとびっくりさせられました。

この広告はFC2のブログサーバー上のプログラムにより勝手に掲載されたもので、なんでも画像ファイル表示の高速化運用が4月9日から開始され、その設定が有効になっていると、自動的に広告が表示されてしまうようになされていたようです。

システム上、この高速化設定がデフォルトでオンとされていたため、本日いきなりブログ上に広告が表示されてしまったという次第です。

もちろん、すぐさま設定をオフにして、めざわりな広告表示を当ブログ上から消しました。

当ブログは、昨年8月に開設して以来、アフィリエイトを含む一切の広告を載せないで運営してきました。あくまで私の趣味のサイトであり、営利的な目的は一切ないので、当然なのですが、それが短時間とはいえ、いきなりああいう形で、それも私自身全く関知しないところで、なかば強制的に広告掲載させられるとは、実に遺憾です。

この半強制的な広告掲載に関しては、以下のように、多くのFC2ブログユーザーからも怒りの声が上がっているようです。
http://blog.fc2.com/info/blog-entry-358.html

私自身もこの件に関しては、FC2ブログ運営部に抗議メールを送るつもりだったのですが、上記のように同運営部は既に多くの非難を浴びているようですので、これに懲りて今後勝手な振る舞いは慎むのではないかと思われるため、抗議メールはひとまず見送りました。

以上のような次第ですので、本日当ブログにおいて無粋な広告表示をご覧になった方々には、FC2ブログ運営部に代わってお詫びしたいと思います。申し訳ありませんでした。
<(_ _)>

「ポール・パレーの芸術」第1巻(モーツァルト&ベートーヴェン)


「ポール・パレーの芸術」第1巻
 パレー/デトロイト交響楽団
 マーキュリー(タワーレコード) 1953~59年 PROA-287/8
PROA-2878

タワーレコード・ヴィンテージ・コレクションとして先月リリースされた「ポール・パレーの芸術」全5巻のうちの第1巻で、モーツァルトとベートーヴェンの交響曲集を内容とするアルバムです。

収録曲は①モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」②ベートーヴェン 交響曲第1番③同 交響曲第2番④同 交響曲第6番「田園」⑤同 交響曲第7番、録音年は①が1956年、②と③が1959年、④が1953年、⑤が1954年、①~③はステレオ録音、④と⑤はモノラル録音です。

以上5曲のうち①~③は本ディスクが世界初CD化のようです。④と⑤は2006年にグランドスラム・レーベルからCD化されています。ただ、私はそちらは聴いていないので、全5曲とも演奏を聴くのは本ディスクが初めてです。

聴いてみると、1枚目のモーツァルト「ハフナー」、ベートーヴェン第1、第2、いずれもパレーの手によるアンサンブルの彫りの深い練り上げ、そしてその手兵デトロイト響から繰り出される分厚く濃厚なサウンドに陶酔させられます。

パレーというと私の印象では、概してフランス音楽やロシア音楽の方面に録音が偏っていることもあり、ドイツ音楽との相性はどうだろうか、という先入観も正直抱いていたところですが、今年の春先に聴いたシューマン交響曲全集と、そして本ディスクの演奏を聴くに及んで、私のそういう先入観が見当違いであったことを認識させられたように思います。

特にベートーヴェンの第2の演奏内容が圧巻で、第1楽章(5:10)あたりからの低弦の響きの表出力などを始め、一貫的にバスが豊かで、それがハーモニーに豊かなコクを付帯させていて、推進的なテンポに拠りながらもバランスのよく練れて均整感の強いアンサンブル展開の、胸のすくようなドライブ感といい、実に素晴らしく、上質なステレオ音質の利を含め、パレーならではのベートーヴェンの醍醐味を堪能させられました。

2枚目のベートーヴェン「田園」と第7ですが、このパレーの「田園」は「史上最速の田園」とも呼称されている演奏とのことで、それほどのテンポスピードの速さが大きな特徴を形成しています。実際、曲全体で36分を切っており、第1楽章だけでも7分45秒と、驚異的なタイムです。

確かに個性的で、これほどのスピードにも関わらずアンサンブルをカッチリと整え、曖昧なく鳴らせるパレーの統制手腕にも感服させられるものですが、ただ、演奏自体の表出力としては、同じベートーヴェンでも本ディスク1枚目の第1や第2でのそれには及ばないような印象を受けます。

これだけのスピードゆえに、パレーといえどもアンサンブルを十二分に鳴らし切るまではやはり無理のようで、特に1枚目の第2の後にこの「田園」を耳にすると、第2よりも総じて響きの彫りが浅く、相対的に立体感が振るわず、という印象を否めませんでした。ただ、こちらはモノラルゆえの音質の不利もあるので、単純に演奏自体の良し悪しは言えないとは思いますが、、、

最後の第7は「田園」とは逆に、遅めのテンポが印象的で、特に第1楽章などはかなりゆっくりとしたテンポ運びです。「田園」に比べるとアンサンブルの立体感にかなりの充実が伺えますが、モノラルの音質面に若干の弱さを感じます。

以上、2枚目の「田園」と第7に関しては、音質面を差し引いたとしても、聴いていていまひとつしっくりこないような印象もあり、パレーのベートーヴェンのベストはやはり交響曲第2番ではないかと思いました。

コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによるバッハのロ短調ミサ


J.S. バッハ ミサ曲ロ短調
 コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
 Mirare 2008年 MIR081
MIR081

先月の下旬にリリースされた、ミシェル・コルボとローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによるバッハ・ロ短調ミサの新譜です。

声楽独唱は谷村由美子(ソプラノ)、ヴァレリー・ボナール(メゾ・ソプラノ)、セバスチャン・ドロイ(テノール)、クリスチャン・イムラー(バス)の4人ですが、この曲で声楽独唱4人という布陣は珍しいですね。少数精鋭というところでしょうか。

コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルは、最近では昨年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008」で生演奏に接しましたが、その時のロッシーニ・小荘厳ミサ曲は、いまひとつピンと来ない印象があり、コルボの指揮は完璧、ローザンヌ声楽アンサンブルも名演、しかし作品自体の表出力に限界が、、、というのがその時の私の感想でした。

それに対し、この新譜のバッハ・ロ短調ミサは、そのロッシーニで感じた渇きを癒すような充実感豊かな演奏内容というのが率直な印象です。

この演奏においては、コルボの声楽作品に対する揺るぎない確信と、ローザンヌ声楽アンサンブル持ち前のミサ祈祷文(特にラテン語の)に対する抜群の歌唱力と、ローザンヌ器楽アンサンブル独特の声楽基調的なアンサンブル展開とが高度に結託し練り上げられた見事なバッハが展開されていて、聴き進むほどに音楽の懐の深さに魅了されるような感じがします。

同じミサ曲でありながら、やはり作品自体の表出力がロッシーニの小荘厳ミサとは段違いであるゆえに、コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルの本来のポテンシャルがこよなく発揮されている感があり、例えば第6曲グラティアス・アギナムの(2:40)あたりような、息の長いクレッシェンドの頂点において声楽と器楽が形成する絶妙なハーモニクスの美観など抜群ですし、全体的な演奏の雰囲気としても、動的な激しさや音色の厳しさよりもむしろ音楽の静的な高揚力と内面的な深みを感じさせるものです。

実際このコルボのロ短調ミサは、演奏手法としては近年まれにみるほどにオーソドックスなもので、この曲の演奏において主流の古楽的なアプローチも殊更に強調されてはいませんが、オーソドックスであるがため、演奏主体が作品に込めた真っ直ぐな情感が聴いていてダイレクトに感得されるような趣きがあり、いわく形容しがたいほどの素晴らしい余韻をもって全曲を聴き終えました。

来月開催される「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」では本ディスクと同じ顔合わせで、このバッハ・ロ短調ミサの公演が予定されています。その公演チケットは先週購入済みですので、あとはコンサートを楽しみに待ちたいと思います。

「ポール・パレーの芸術」


先月の下旬に、タワーレコードから「ポール・パレーの芸術」と題されたCD5点が復刻リリースされました。

これはタワーレコードのオリジナル企画である、現在廃盤ないし未CD化の音源を発掘してCD化する「ヴィンテージ・コレクション」の一環として発売されたもので、パレーの没後30年にちなんだリリースとされています。

フランスの名匠ポール・パレーはデトロイト交響楽団の音楽監督を務めた1952年から63年にかけて、マーキュリー・レーベルに多くの録音を残しており、その中でも特にフランス系、ロシア系の作品の演奏においては珠玉の名演も少なくないのですが、それ以上に廃盤状態やCD化されない音源が多く、それゆえCD時代となっても、いまだにLP盤が中古市場で高値で取引されたりもしているようです。

例えば昨年12月に同じタワーレコードから復刻リリースされたシューマンの交響曲全集などもそうで、これほどの名演が、これまでまともにリリースされていなかったとは、何ともったいないことかと思わされました。

今回リリースされたCD5点は、そのあたりの貴重な録音のCD化である点に加えて、ポール・パレーの黄金時代ともいうべき、デトロイト交響楽団の音楽監督時代を中心とするラインナップとなっている点も興味をそそられるところです。

5点すべてCD2枚組でのリリースですが、値段が各1500円とかなりの低価格です。それで、全5点まとめて購入してみました。

PROA-287-96

各巻の感想は、近いうちに本ブログに掲載します。

ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカによるハイドンの交響曲第1番~第5番


ハイドン 交響曲全集
 ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ
 デッカ 1969~72年 4781221
4781221

これは今年の初頭、驚異的な低価格にて再リリースされた、アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカによる史上初のハイドンの交響曲全集です。

全33枚組のセットで、交響曲第1番から交響曲第104番「ロンドン」までの104曲にHob.105の協奏交響曲、Hob.107の交響曲“A”、Hob.108の交響曲“B”の3曲を加えた全107曲の交響曲がCD32枚に収録されています。最後の33枚目のCDには、交響曲全集の補遺として、交響曲第22番「哲学者」の第2版、交響曲第53番「帝国」フィナーレの3種の異稿版、交響曲第63番の初稿版、交響曲第103番「太鼓連打」のフィナーレ異稿版による演奏がそれぞれ収録されています。

驚くべきはその価格で、7000円を切る低価格でのリリース。これだと、CD一枚あたりほぼ200円という計算になります。

このドラティ/フィルハーモニア・フンガリカのハイドン全集に関しては、私もこれまで何度か購入しようと思ったことはあったものの、その高価格に加え、33枚組という圧倒的なボリュームもあり、二の足を踏んでいたんですが、この機に購入してみました。

それで、まず手始めに最初の一枚である交響曲第1番~第5番の録音を聴いてみたんですが、ちょっとビックリしました。その演奏内容の素晴らしさに、です。

造型的には全5曲ともカッチリとした感じの、オーソドックスな様式で、交響曲第2番以外の4曲ではきちんと提示部反復形態で録音されています。交響曲第2番のみ提示部反復がかかっていないのは不思議ですが、確かこの曲には、もともとスコアに反復指定が無いというようなことを聞いたことがあり、そのためかも知れません。

それはともかく、全5曲ともアンサンブルの、ことに弦パートの素晴らしい鳴りっぷりに聴いていて惚れぼれします。特にヴァイオリン・パートの強烈な表出力がハンパでなく、例えば第3交響曲の第2楽章の(4:41)あたりからの感興の高まりなどを始め、実にいい音が聴かれ、これらハイドンの最初期のシンフォニーに対し、これだけの表出力を付帯させるドラティとフィルハーモニア・フンガリカの実力を、あらためて実感させられる思いでした。

そういうわけで、まだ最初の一枚しか聴いていませんが、このドラティのハイドン交響曲全集に関しては、その内容的充実度ゆえ、残り32枚のCDの演奏についても、今後できるだけ感想記を掲載していくようにしたいと思います。

ラ・フォル・ジュルネ2009の前売りチケットを購入

2009-4-3

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009」音楽祭の開催までちょうど一か月、ということで、今日は東京国際フォーラムの特設チケット販売所で前売りチケットを購入してきました。

この前売りチケットは、最初はチケットぴあでオンライン購入しようかと思っていたんですが、それだとシステム利用料および店頭引取利用料の名目で一公演あたり手数料を300円ちょっと取られるようで、数公演分まとめて買うとそれなりに高くつくことになります。

それなら直接買いに行く方が、、と思い、会社帰りに寄って、買って帰った次第です。

とはいえ、Aホール以外の公演はすでに9割がた完売状態となっていました。選択の幅がかなり限られてしまいましたが、とりあえず以下の5公演のS席を購入しました。曲目はすべてJ.S.バッハです。

①アンタイ/ル・コンセール・フランセによる教会カンタータ集
②ピエルロ/リチェルカール・コンソートによるミサ曲ト短調
③ベレゾフスキー、エンゲラー、カントロフ/シンフォニア・ヴァルソヴィアによるピアノ協奏曲集
④アンタイ/ル・コンセール・フランセによる管弦楽組曲集
⑤コルボ/ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによるミサ曲ロ短調

東京国際フォーラムへはちょうど通勤定期券の途中下車で行けるので、結局チケットぴあで買うより1500円ほど安上がりでした。

他にもいくつか聴いてみたい公演が有りますが、そちらは当日券買いで対応しようと思ってます。Aホールはなにしろ5000席ですから、完売はまず無いでしょう。

ハイフェッツのソロによるシベリウス、プロコフィエフ、グラズノフのヴァイオリン協奏曲のSACD盤


シベリウス ヴァイオリン協奏曲&プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番&グラズノフ ヴァイオリン協奏曲
 ハイフェッツ(vn)
  ヘンドル/シカゴ交響楽団(シベリウス)
  ミュンシュ/ボストン交響楽団(プロコフィエフ)
  ヘンドル/RCAビクター交響楽団(グラズノフ)
 RCA 1959年(シベリウス、プロコフィエフ)、63年(グラズノフ) 82876663722
82876663722

昨日本ブログに感想掲載したハイフェッツのSACD盤と一緒に、先日CDショップで購入したもので、同じくSACDハイブリッド仕様盤です。

音質に関しては昨日掲載のSACD盤(ブラームス&チャイコフスキー)と同様、端的に素晴らしいと思える水準で、ことリアルなトーンの再現性という観点で通常CD盤を大きく上回る、申し分のない音質です。

演奏ですが、まず最初のシベリウスのコンチェルトはこの3演奏中でのベストだと思います。ここでのハイフェッツは、例えば昨日掲載のブラームスとチャイコフスキーのコンチェルトにおいて聴かれたような、テクニックの凄味を全開とし聴き手を圧倒させるというような気配が明らかに後退している感じがします。もちろん強靭なテクニックの凄味を叩きつける場面での表出力はただことでなく、例えば第1楽章コーダ(12:21)を皮切りとする、もの凄いハイ・テンポから繰り出される鋭利なボウイングのド迫力など、圧巻ですが、そういう技術主導的な迫力とは別に、もっと深沈的というか、作品を内面的に深く掘り下げて音化しようというような意識が聴いていて伺われる局面も多々あり、ハイフェッツの多くの録音の中でもひときわ円熟味の感じられる演奏と感じます。

よく知られるようにハイフェッツはこのシベリウスの協奏曲の魅力を世に広めた最高功労者であり、実際この作品の世界初録音を1935年にビーチャム/ロンドン・フィルと行い、その前年に録音されているストコフスキー/フィラデルフィア管の幻の世界初録音(これはハイフェッツのリリース許可が下りず最近まで長らくお蔵入り状態でしたが)も含めて、本演が3度目の録音となりますが、そのあたりのひとかたならぬ作品への愛着のようなものが、随所に滲み出るような、掛け値なしの名演です。

続くプロコフィエフの2番ですが、こちらもシベリウス同様、ハイフェッツの手により作品が世に広められた経緯があり、世界初録音もやはりハイフェッツです(クーセヴィツキー/ボストン響、1937年)。

ここでもハイフェッツのヴァイオリンの感触はシベリウスでの特徴感が継承されたような、内面的志向の強さが印象的ですが、ただ、シベリウスほどはシリアス味が控え目で、もっと肩の力を抜いたような、少なくともシベリウスよりは気楽なスタンスで軽妙に、それでいて危なげなく弾き切っているという風で、シベリウスとは別の意味での円熟味が伺える名演だと思います。

最後のグラズノフのコンチェルトに関しては、残念ながらソロ・オケともにいまひとつという感じがします。オーケストラに関しては多くを望めないとしても、肝心のハイフェッツのヴァイオリンの表出力が全体に振るわず、シベリウス、プロコフィエフから続けて聴くとおやっという気がします。作品との相性もあるのかも知れないですが、ハイフェッツの最晩年にかかる時期の録音ということも要因ではないかと思います。いかなハイフェッツといえども、この時期では全盛期のテクニックに比して、凄味が落ちてくるのはさすがに致し方ないというところでしょうか。

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