ハイフェッツとライナー/シカゴ響によるブラームスとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のSACD盤


ブラームス ヴァイオリン協奏曲&チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
 ハイフェッツ(vn)ライナー/シカゴ交響楽団
 RCA 1955年(ブラームス)、57年(チャイコフスキー) 82876678962
82876678962

RCAリビング・ステレオシリーズのSACDハイブリッド盤です。これは2005年にリリースされていたディスクで、新譜ではありませんが、先日都内のCDショップを覗いた折、バーゲンセールで一枚あたり990円という特価で売られていたので購入してみました。

演奏に関しては言うまでもなく、ブラームス、チャイコフスキーともにヤッシャ・ハイフェッツ往年のヴィルトゥオジティの凄味を、スタジオ録音という良好なコンディションで堪能できる名盤として名高いものです。加えてこの年代のライナー/シカゴ響のパワフルなアンサンブル展開も大きな聴きものです。

さて、SACD盤を購入したからには、やはり通常CD仕様の既存盤の音質と比較してみたくなるところで、ブラームスの方を、以下のCD仕様盤と聴き比べてみました。

BVCC9325
ブラームス ヴァイオリン協奏曲
 ハイフェッツ(vn)ライナー/シカゴ交響楽団
 RCA 1955年 BVCC-9325

これはRCAから1994年に再発されたもので、ビクター開発のクリスタル・クリア・サウンドというリマスタリング技術が施されています。

比べてみると、やはりSACD盤の完勝と言わざるを得ないようです。通常CD盤では、なるほどノイズこそ少なく、聴き易い音質ですが、決定的なのがソノリティの厚みの差で、聴いていてSACD盤よりも総じて音層が薄っぺらい感触で、空間的な広がりに乏しく、少なくともシカゴ響のアンサンブル展開の音響的な手応え、密度感において、少なからぬ開きを感じます。

そしてそれ以上に、ハイフェッツのソロ展開の響きが、SACD盤の方がふたまわりくらい冴えていて驚かされます。例えばブラームス第1楽章の最初のソロの入りのところなど、SACD盤の方はオーケストラを圧するかのような抜群の切れと強度感をもって朗々と鳴り響いているのに対し、通常CD盤では、確かにテクニックの鋭さは充分に感じられるとしても、SACD盤でのようなオーケストラを圧するかのような迫力ではなく、ずっとオーソドックスです。

このあたり、正直SACD盤の方はソロの対オーケストラ・バランスが過剰にいじられているような気配もなくはないですが、いずれにしても、ハイフェッツの稀代のヴィルトゥオジティの凄味が通常CD盤をはるかに凌ぐ高感度で伝わってくるのは確かです。そしてチャイコフスキーも含め、このSACD盤の演奏に耳を傾けていると、一体なんというボウイングだろうと、ハイフェッツのヴァイオリン技術にあらためて驚嘆するばかりです。

ハイフェッツの演奏というと、とかくその悪魔的な演奏技術のみが強調されがちで、実際私などもハイフェッツは技術は凄いが表情的にはザッハリヒで、ドライという印象をもっていたのですが、今回このSACD盤を耳にするに及んで、そういった印象は必ずしも当を得ていないような気がしてきました。スムーズこの上ない弓の運びから繰り出される表情の変化の彩りが素晴らしいからで、少なくともこういった繊細なニュアンスの機微は、これまで聴いていた通常CD盤からは伺えなかったような気がします。

そういうわけで、本SACD盤は音質の劇的向上という点のみならず、これまで気が付かなかったハイフェッツの魅力の一端を感得させてくれた点で大きな収穫でした。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD12)


ベルリン・フィル創立125周年記念BOXのCD12の感想です。

BPH0612
CD12:アーノンクールによるバッハ・コンサート BPH0612

2002年のコンサートのライヴ録音で、演目はすべてJ.S.バッハの作品です。収録曲は①管弦楽組曲第1番②ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲BWV.1060③管弦楽組曲第3番で、②の協奏曲のソリストはトーマス・ツェートマイヤー(ヴァイオリン)にアルブレヒト・マイヤー(オーボエ)と、なかなか贅沢な布陣です。

ここでのアーノンクールの指揮は、3曲ともに意外なほどオーソドックスで、弦のフレージングの鋭角感は控えめ、ザクザクとしたアクセントもそれほど強調されず、むしろベルリン・フィルのアンサンブルの機能的なポテンシャルが良く活かされた、個々のパートの闊達なアクティビティと、総じてヴィブラートを抑えたシャープな音色の発する、クリヤーで抜けの良い響きの美しさが見事な美演です。と言っても必ずしもソフトな音調感ではなく、純音楽的に練られたスタイルでの、キリッとした佇まいの美しいバッハだと思います。

このアーノンクールのベルリン・フィルとのバッハは、確かに傾聴に値する内容ではあるのですが、アーノンクールの往年の辛口なバロック・スタイルからすると、聴いていてずいぶん丸い演奏だなと感じてしまうのも事実で、正直そこに一抹の物足りなさも感じられます。例えばアーノンクールが手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと1966年に録音したバッハの管弦楽組曲全集の演奏では、何というか型破りな勢いのインパクトというか、独特の尖った感触が衝撃的でしたが、それと比べるとこのベルリン・フィルとの演奏は、同じ曲でもずいぶん違うなという感じがします。

とはいえ、このベルリン・フィルとの演奏には前述のように特有の良さがありますし、アーノンクールのバッハ演奏のスタイルとベルリン・フィルの器楽的な表出力とがちょうど融和したような地点における表現の醍醐味が聴かれる、貴重にして贅沢なバッハ・アルバムだと思います。

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以上をもって、本BOX全12枚のディスクの演奏についての私なりの感想をひと通り書き終えました。

このBOXは個人的には大収穫で、その内容が購入当初自分が思った以上の手応えだったこともあり、CD個別に感想記を書いてみたくなり、全8回かけて本ブログに掲載しました。開始当初は1週間以内で短期集中的にと考えていたのに、年度末の多忙にかまけて若干伸びましたが、、、。

全12枚のそれぞれが、各指揮者の個性なり楽団の歴史の重みなりを感じさせる内容で、このオーケストラの魅力なり素晴らしさをじっくりと堪能させられるものでした。

全12枚中のベスト演奏を敢えて選ぶとするなら、CD8のラトルのマーラーを採りたいです。これはラトルとしても文字通り会心のマーラーであると同時に、おそらくベルリン・フィルのマーラー演奏史上としても特筆されるべき(例えば、あのバーンスタインの79年のマーラー9番の一期一会ライヴとも並ぶような)歴史的名演ではないかと思います。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD11)


ベルリン・フィル創立125周年記念BOXのCD11の感想です。

BPH0611
CD11:クルト・ザンデルリンクのハイドン交響曲第82番「熊」とショスタコーヴィチ交響曲第15番 BPH0611

ハイドンは1997年、ショスタコーヴィチは1999年のライヴで、いずれもザンデルリンク最晩年の貴重な録音ですが、ベルリン・フィルとの顔合わせというのも珍しいものです。

最初のハイドンは、ザンデルリンクとしては内容的にいまひとつというところで、特に仕掛けのない演奏というか、まるでベルリン・フィルに下駄をあずけているかのような、気さくで親しみのあるアンサンブルの表情に一定の魅力があるとしても、ザンデルリンクの演奏としてはどうも決め手に欠けるような印象が否めないところです。

ショスタコーヴィチの第15番ですが、こちらは非常な名演です。

第1楽章冒頭の弱奏部から怜悧なハーモニーのピリピリとした感じが良く伝わり、ハイドンの時より明らかに響きのフォーカスがビシッとしていて好感的ですし、打楽器の鳴りも、ハイドンの時のモコモコ感とはかなり違ってバシッと強烈に鳴り響いていていい感じです。(3:45)あたりの低弦の重みといい、(4:02)の打楽器最強打の凄味といい、いずれもザンデルリンクの表出力が端的に表れている感じがします。

第2楽章以降の演奏も見事で、ライヴの一発録りゆえの演奏ミスは(ベルリン・フィルと言えども)多少あるとしても、遅めのイン・テンポに立脚する造型的迫力といい、バスの力感の豊かなアンサンブルのスケール感といい、金管強奏の痛切な音色の訴えかけといい、まさにザンデルリンク迫真のショスタコーヴィチと言っても過言でない出来栄えではないかと思います。

ところでザンデルリンク指揮によるショスタコの15番の録音としては、クリーヴランド管と1991年に録音したエラート盤というすこぶるつきの名演が有ります。

WPCS-108334
ショスタコーヴィチ 交響曲第15番
 K.ザンデルリンク/クリーブランド管弦楽団
 エラート 1991年 WPCS-10833/4

このクリーヴランド管との演奏は、同オーケストラの機能的なポテンシャルをほぼ最大限に駆使したような精緻を尽くしたアンサンブル展開により、この作品に内在する狂気を孕んだ深いメッセージ性がこの上なく明晰な形で表現されたような演奏で、ザンデルリンクならではの凄味の発現の度合いも含めて、同曲屈指の名演ではないかと思われます。

対して、本ディスクのベルリン・フィルとのライヴは、そのクリーヴランド管の演奏と聴き比べて見ると、やはり雰囲気がかなり違うようです。スタジオ収録というコンディション下でのクリーヴランド管との演奏と違って、前述のように部分的にミスも入っているので、確かに完成度としてみた場合は本ディスクの方が分が悪いですが、しかし本ライヴのベルリン・フィルにはクリーヴランド管を凌駕する強靭なバスがあるためスケール味が豊かで、ライヴゆえの緊張感に満ちた音楽の佇まいも素晴らしく、総合的な表出力の度合いでは俄かに甲乙付け難い感じがします。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD10)


仕事の方は、どうにかひとヤマ越えました。ブログを再開します。

現在ベルリン・フィル創立125周年記念BOXの全12枚の各CDについて感想記を書いている途中ですが、あと残り3枚ですので、今後は一回につき一枚のペースでいこうと思います。

BPH0610
CD10:アバドによるモーツァルトのセレナード第7番「ハフナー」 BPH0610

1996年のライヴです。ハフナー・セレナードの前にはK.249の行進曲が演奏されています。

全体にエスプレシーヴォな表情の豊かさが魅力的なモーツァルトで、アバドは颯爽としたテンポでスリムにハーモニーを構築しながら、アンサンブル低弦のフットワークを巧妙に際立たせることにより音楽に抜群の躍動感を付帯させていて、それにベルリン・フィルの洗練された合奏の美感が華を添えています。ヴァイオリン・ソロはコンサート・マスターのライナー・クスマウルで、特にアンダンテ楽章で披歴されるその麗美な弾き回しには聴いていて魅了させられます。

このアバドによるモーツァルトは、確かにすこぶるつきの美演ですが、それでも、本ディスクが含まれているベルリン・フィル自主制作の全12盤の中においては、いささか存在感が弱いような気もします。他が軒並み名演ぞろいというのもありますが、ベルリン・フィルの歴代音楽監督による演奏としてみたとしても、フルトヴェングラーの「運命」(CD4)、カラヤンの「第9」(CD6)、そしてラトルのマーラー(CD8)といった超ド級の名演と比較すると、どうも小粒な印象が否めないところです。

ただ、視点を変えて考えると、もしもフルトヴェングラーやカラヤンがこのモーツァルトのセレナードを、ベルリン・フィルと録音したとしても、このアバド盤ほどの美演にはならないような気もします。そういう意味では、本演奏はアバドの本領がこよなく発揮された珠玉のモーツァルトとも言えそうですね。

年度末につき、、


年度末につき、本業の仕事がちょっと立て込んでおります。

すみませんが、ブログの方は少しだけお休みします。

# 週末あたりには再開します。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD8・9)


ベルリン・フィル創立125周年記念BOXのCD8とCD9の感想です。

BPH0608
CD8:ラトルによるマーラー交響曲第6番「悲劇的」 BPH0608

現ベルリン・フィル音楽監督サイモン・ラトルが1987年11月に初めてベルリン・フィルの指揮台に立ったコンサートのライヴとされる録音です。

ラトルはマーラーの6番を89年に手兵バーミンガム市立響とスタジオ録音していて、そちらも名演ですが、このベルリン・フィルとの初顔合わせのライヴはそれ以上に素晴らしい演奏内容だと感じます。少なくとも音質的には、こちらの方がEMIの若干くぐもったようなスタジオ盤よりも明らかに上です。

全体のタイムは79分で、87分をかけたバーミンガム響との録音からするとすっきりとしたテンポ感ですが、細部の迫力を極度に強調したようなスタジオ盤と違い、本ライヴではむしろオーケストラの圧倒的なポテンシャルを余すところなく活用したようなハーモニーの充実感が全編に漲り、とにかくリアルを極めたような迫真の響きが充溢しています。

第1楽章コーダ、あるいは終楽章(13:22)あたりでの、ベルリン・フィルを煽りに煽っての常軌を逸した迫力には、本当に度肝を抜かれる思いです。

これはまさに聴いていて胸のすくようなマーラーで、後年ラトルがベルリン・フィルを振ってEMIに録音した一連のマーラー(5番、9番、10番)よりも、内容的に数段上回るように思います。

楽章配置はEMI盤と同じく、第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォのパターンです。

BPH0609
CD9:バレンボイムのピアノと指揮によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と交響曲第7番 BPH0609

1989年11月における「ベルリンの壁開放記念コンサート」のライヴ録音とされます。

両演奏ともに独特の高揚的なムードが印象的な演奏で、とくにピアノ・コンチェルトの方は、同じ顔合わせでのスタジオ録音である1985年録音のEMI盤と比べても、こちらのライヴの方が表情が立ち、音楽がより雄弁な感じがします。

ただ、これは「壁開放」記念のコンサートだからというより、バレンボイムがちょうどベルリン・フィルのポスト獲得を目論んでいた時期のコンサートであることも関係しているような気がします。

同年7月にカラヤンが死去し、ちょうどバレンボイムがアバド、マゼールらと次期音楽監督の座を争っていた時期のコンサートです。結果的には翌年にアバドが次期音楽監督に就任することになり、バレンボイムはさらに翌年シカゴ交響楽団のポストを手に入れることになりましたが、いずれにしてもこのライヴにおいては、おそらくベルリン・フィルのポスト獲得を目指してのバレンボイムの気迫というか意気込みというか、そういう心情が伺われるような果敢なオーケストラ・ドライブが強い高揚力を喚起させているように思われます。

ただ残念なのは肝心のベルリン・フィルが必ずしも本調子でないように思える点で、とくに第7交響曲は全体にヴァイオリン部や金管部の鳴りがいまひとつ振るわず、高声部の音色が抜け切らない感じがします。壁開放の祝祭ムードをバックに展開されるバレンボイムの気合い十分のアプローチが素晴らしいので、名演ですが、これでアンサンブルのレスポンスが十全だったら、と思うと惜しい気もします。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD6・7)


ベルリン・フィル創立125周年記念BOXのCD6とCD7の感想です。

BPH0606
CD6:カラヤンによるベートーヴェン交響曲第9番「合唱」63年ライヴ BPH0606

1963年10月15日の録音で、第2次大戦中に破壊されたベルリン・フィルハーモニーザールの柿落とし公演のライヴです。この演奏の正規のリリースは本ベルリン・フィル自主制作盤が初とのことです。

この「第9」は、確かにベルリン・フィルの新しい時代を祝うような独特の高揚感があり、第2楽章(5:31)あたりの木管パートの大きな吹き損ないなどを始め、ミスが時おり耳につくとはいえ(そのあたりが、カラヤンがリリース許諾しなかった理由かもしれませんが)、カラヤンの同年録音のグラモフォンの「第9」スタジオ盤よりは音楽としての表出力が格段に高く、終楽章の素晴らしさなど、少なくともカラヤンの残した一連の「第9」の録音中では屈指の名演ではないかと思います。

BPH0607
CD7:オイストラフによるチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」72年ライヴ BPH0607

1972年3月16日のベルリン・フィルハーモニーでのライヴで、ダヴィド・オイストラフがベルリン・フィルを指揮しての演奏です。

両端楽章のテンポを遅めにとったロマンティック・スタイルで、第1楽章は20分の大台に達しています。

この演奏はとにかくベルリン・フィルの鳴りっぷりが抜群で驚かされます。ベルリン・フィルはこの同じ時期に、カラヤンの指揮でEMIに強烈無比な「悲愴」を録音していますが、オーケストラの鳴動力という点ではそのカラヤンの演奏にも比肩するくらいの凄さですね。推進力のカラヤン盤に比べると、このオイストラフのライヴは情動的な性格が強く、両指揮者の流儀の違いがかなり明確に現われています。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD4・5)


ベルリン・フィル創立125周年記念BOXのCD4とCD5の感想です。

BPH0604
CD4:フルトヴェングラーによるベートーヴェン、ラヴェル作品のライヴ録音 BPH0604

フルトヴェングラーとベルリン・フィルのライヴ録音を収録したアルバムです。

収録曲は、①ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」(1943年6月30日録音)②ラヴェル 「ダフニスとクロエ」第2組曲(1944年3月20~22日)③ベートーヴェン 交響曲第1番(1954年9月19日)。

①はフルトヴェングラーの「戦時録音の運命」として有名な演奏です。このCDの音質はかなり良好なものですが、この「運命」は他レーベルからも優れた音質のものがリリースされています。

この「戦時録音の運命」のCDで、私の印象として音質的に最もいいと思われるディスクは、以下のヴェネチア盤ではないかと思います。

V1021
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」、交響曲第4番
 フルトヴェングラー/ベルリン・フィル
 ヴェネチア 1943年ライヴ V1021

このヴェネチア盤と本ベルリン・フィル自主制作盤を比べてみると、両盤ともにソノリティの実在感の損失が最小限に抑えられたような、臨場感の強い音質ながら、ヴェネチア盤の方が明らかにノイズレベルが低く、大音量で聴き易い感じがします。逆に言うとこのベルリン・フィル自主制作盤は音量をある程度上げるとノイズ感がやや気になってくるようなところがあります。

②のラヴェルはフルトヴェングラーの同作品唯一の録音、③のベートーヴェン第1は、フルトヴェングラー最後の演奏会のライヴで、意外にもこの曲の、ベルリン・フィルとの唯一の録音のようです。ともに極めて貴重な録音ですが、それ以上に演奏が素晴らしく、③に関してはEMIのベートーヴェン全集に含まれる、ウィーン・フィルとの1952年スタジオ録音のものよりも、こちらのベルリン・フィルとのライヴの方が演奏内容・音質ともに上回ると感じます。

BPH0605
CD5:チェリビダッケによるドビュッシー、メンデルスゾーン、ミヨー作品の放送録音 BPH0605

セルジウ・チェリビダッケとベルリン・フィルの放送用録音を収録したアルバムです。

収録曲は、①ドビュッシー 「遊戯」(1948年)②メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」(1950年)③ミヨー フランス組曲(1951年)。

いずれも、チェリビダッケがベルリン・フィルの常任指揮者としてフルトヴェングラーとともに双頭体制を形成した時期の録音になります。

音質がびっくりするほどいいですね。同時期のフルトヴェングラーの多くの録音とは雲泥の差で、驚かされます。演奏はいずれも当時からするとかなりモダンな様式を感じさせるもので、良好な音質を背景に、ベルリン・フィルの強烈な鳴りっぷりに聴いていてゾクゾクさせられます。

特に②のメンデルスゾーンが素晴らしい名演。低弦の表出力の高いドイツ的なアンサンブルの組み立てで、ハーモニーが立体的な厚みを帯び、音楽の格調と迫力が抜群です。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD2・3)


ベルリン・フィル創立125周年記念BOXのCD2とCD3の感想です。

BPH0602
CD2:ホーレンシュタインによるブルックナー交響曲第7番 BPH0602

ヤッシャ・ホーレンシュタインが1928年にベルリン・フィルと録音した演奏です。

これは、もしかするとこの曲の世界初録音かも、と思ったんですが、調べてみると1924年にオスカー・フリートがベルリン・シュターツカペレとブルックナー7番を全曲録音しているようです。ただ、それはラッパ吹き込みのアコースティック盤らしいので、電気録音としてはこのホーレンシュタイン盤が世界初ということになるようです。

当然ながら改訂版による演奏で、音質面での限界から強奏時のソノリティが薄手で迫力が伸びない点は残念ですが、28年当時のベルリン・フィルの奏でる音色の感触は比較的良く伝わってきます。そこには現在のベルリン・フィルの音色とはまた違った、往時のドイツ性を感じさせる肌合いというか、ドイツの伝統色を裏付けとするある種の深みがあり、迫力とは違う側面で聴いていて身が引き締まる感じがします。

BPH0603
CD3:エーリヒ・クライバーによる管弦楽作品集 BPH0603

エーリヒ・クライバーが1930年から35年にかけてベルリン・フィルと録音した演奏を収録したアルバムです。

収録曲は、①モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」②ウェーバー「プレツィオーザ」序曲③シューベルト交響曲第8番「未完成」④リスト「タランテラ」⑤R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」⑥スッペ「軽騎兵」序曲、以上6曲です。

いずれの演奏も往年のエーリッヒ独特の高雅な趣きを湛えた美しい演奏で、ことに①の「アイネ・クライネ」に聴かれる甘美な色彩は、まるでウィーン・フィルを思わせるほどです。

③の「未完成」では特に第1楽章の(4:45)での、もの凄い高速テンポが印象的です。すこぶる情熱味のある演奏で、甘美一辺倒でない激しさがあります。

しかし⑤の「ティル」は現在の演奏水準から計るといかにもキメが荒く、いかなベルリンフィルといえども、この年代ではさすがに合奏能力にある程度の限界を感じさせるのは否めないようです。

ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(CD1)


BPH0001

これは「Im Takt der Zeit」と題された、ベルリン・フィル設立125周年を記念して楽団によりオリジナル制作されたボックス盤です。

ここに含まれているCD全12枚は、それぞれ2006年にバラで売り出されたものと同一ですが、こうしたセット盤の形ではこれまでドイツ国内でしか流通されていなかったようで、昨年秋のベルリン・フィル来日公演の時期に合わせて日本国内で流通が開始されました。

購入してから随分時間が経ってしまいましたが、昨年11月26日の本ブログで予告しましたとおり、感想記を掲載したいと思います。

BPH0601-0612

以後、12枚の各CDごとに感想記を書いていこうと思いますが、1枚につき一回の更新で書くと全12回も要することになり、さすがに長すぎるので、一回の更新で2枚分について書くなど、なるべく短期で集中的に掲載したいと考えています。

とりあえず今日は最初のディスク(CD1)について書きます。

BPH0601
CD1:1913年と1920年のアコースティック録音 BPH0601

収録曲は、①ワーグナー 「パルジファル」抜粋(第1幕前奏曲、第1幕の場面転換の音楽、第3幕の場面転換の音楽、聖金曜日の音楽)②リスト ハンガリー狂詩曲第1番③ベルリオーズ ローマの謝肉祭、指揮者と録音年は①がアルフレート・ヘルツで1913年、②と③がアルトゥール・ニキシュで1920年です。

①はベルリン・フィルの録音としては最初期の貴重なもので、アルフレート・ヘルツは当時メトロポリタン歌劇場で活躍したドイツ・オペラのエキスパートとされています。

さすがにノイズレベルが圧倒的に高く、聞き苦しい感じは否めませんが、音楽そのものはかなりクッキリ録られています。①の(5:33)から始まる金管の強奏フレーズなど、100年も前の録音かというくらい生々しい音色で驚かされます。

細部の聞き取りにくさも含めて、音楽自体としての表情はさすがに弱いですが、それでもジッと耳を傾けるしかないというような、有無を言わせぬ歴史的な重みが伺える録音です。

②と③もやはりノイズ・レベルが相当高いですが、①に比べるとかなり聴き易くはなります。ノイズの広がりが低音部に集中しているので、オーケストラの高声音が聴き取りやすいですね。とはいえ、歴史的大指揮者ニキシュの表現力を十分に捕捉するには、この音質ではどう考えても無理で、その片鱗を伺うくらいが限界というところでしょうか。

ロレール/ル・セルクル・ドゥラルモニーによるモーツァルトの中期交響曲集


モーツァルト 交響曲第25番、第26番、第29番
 ロレール/ル・セルクル・ドゥラルモニー
 ヴァージン・クラシックス 2008年 2348682
2348682

これは先日購入した新譜のひとつ、ジェレミー・ロレール指揮ル・セルクル・ドゥラルモニーによるモーツァルトの交響曲集です。

指揮者、オーケストラともに初めて聴く名前ですが、ジェレミー・ロレールは1973年パリ生まれの古楽系の指揮者で、ル・セルクル・ドゥラルモニーはロレールが2005年に創設した古楽器オーケストラとのことです。

聴いてみると、最初の交響曲第25番から目の覚めるような名演ぶりが披歴されていて驚かされます。第1楽章冒頭のフォルテのフレージングは強い訴えかけを伴う鮮烈なもので、この時点で強力に惹きつけられました。弦楽器、管楽器ともに総じて音色の訴求力が素晴らしく、特に(4:03)からの展開部の進行は緻密を極めながらもえぐりの深いアンサンブルの切れ味に惚れぼれしますし、以降の楽章においても、弦に関しては単にガット弦の強烈感がフルに活きているというに留まらない、根源的な演奏意欲が化体された充実感が常にみなぎり、管に関しても単にノン・ヴィブラートのシャープな響きの張り、という以上のパリッとした冴えが見事です。

次の交響曲第26番の方も、第1楽章冒頭から、先の25番の冒頭と同じくらいパンチの効いた弦のアタックで開始され、第5小節めからのトランペットの音色がびっくりするほど強烈な色彩感だったり、こと管パートのアンサンブルにおける精彩感は先の25番以上です。もっともそう感じるのは25番の編成にフルートとトランペットが追加されているからで、弦の充実感としても25番のそれに劣らないものです。

最後の交響曲第29番は、管楽器がオーボエとホルンのみの編成ゆえ、前の26番とは逆に弦楽器の精彩感がこよなく印象づけられます。それにしてもここでのル・セルクル・ドゥラルモニーのアンサンブルには聴いていて感服するばかりで、ごまかしの効かないピリオド奏法ベースのハーモニーにしてこれほど多彩なニュアンスが湧出する表情というのは、俄かに思いだせないほどです。25番や26番から続けてきくと、表面的には力を抜いたような弾き回しなり吹き回しですが、弦のフレージングの味わいといい、管の蠱惑的な響きといい、指揮者とオーケストラの幅広い表現力が聴いていてひしひしと感じられる演奏で、全3曲聴き終えて、実にフレッシュにしてすがすがしい余韻が刻み込まれました。

以上、このモーツァルトの交響曲集は、ジェレミー・ロレールという指揮者及びル・セルクル・ドゥラルモニーというオーケストラの名前を強力にインプットさせられた名演で、このコンビの将来性に大いに期待したいと思います。

リパッティによるシューマンとグリ―クのピアノ協奏曲のオーパス蔵復刻盤


シューマン ピアノ協奏曲&グリ―ク ピアノ協奏曲&リパッティ 古典様式によるコンチェルティーノ
 リパッティ(pf)
  カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団(シューマン)
  ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(グリ―ク)
  ベンダ/ベルリン室内管弦楽団(リパッティ)
 オーパス蔵 1947・48・43年 OPK2072
OPK2072

このCDはリパッティの有名なSP盤であるシューマンとグリーグのコンチェルト録音のオーパス蔵による復刻盤です。リパッティの自作自演の録音も併録されていますが、こちらはLP盤からの復刻のようです。

このオーパス盤は、リリース自体は昨年すでにされていましたが、それまでの3000円近い市販価格が先月いきなり1000円に値下げされ、それを機に購入して聴いてみました。

まず音質ですが、以下の本家EMI盤と聴き比べてみました。

TOCE-3155
シューマン ピアノ協奏曲&グリ―ク ピアノ協奏曲
 リパッティ(pf)
  カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団(シューマン)
  ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(グリ―ク)
 EMIクラシックス 1947・48年 TOCE-3155

これは1996年にリリースされたHS2088リマスタリングによるグランドマスターシリーズのものです。

結果は、確かにオーパス蔵盤の方が上記EMI盤よりは音質的には上だと思うものの、ただ、その音質向上の度合いに関しては、オーパス蔵にしてはいまひとつ振るわないような気もしました。

ピアノ・ソロ、オーケストラともども、確かにこのレーベルらしい実在感豊かなソノリティ展開で、オンマイク的なグリ―ク、ややオフマイク気味のシューマン、ともにSP録音の水準にしてはかなりの情報量と迫力を備えた、見事な音質です。

とはいえ、このリパッティのシューマンとグリ―クに関しては、本家EMI盤の方もそれほど悪くない音質で、例えばグリーク冒頭のあの、何度聴いても惚れぼれさせられる、オーケストラのトッティに続く最強奏のピアノ・ソロの下降フレーズなど、かなりパリッとした音質で捉えられていますし、シューマンも含めて、全体にソノリティの感触は悪くなく、ノイズレベルも低めです。むしろ、オーパス蔵盤の方がノイズレベルが圧倒的に高く、最弱奏時にやや聞き苦しさが残ります。

もちろん高めのノイズレベルはオーパス蔵のトーンポリシーで、それと引き換えに掛け替えのない音質的臨場感が付帯されるものですが、ことこのリパッティのシューマン&グリ―ク盤に関しては、その音質が本家EMI盤を圧倒的に凌ぐほどの向上ぶりとまでは感じられず、ノイズレベルの観点も含めると、一長一短というところではないかと思います。もっとも、本CDと同時購入した、カザルスのバッハ・無伴奏チェロの復刻盤の音質に驚嘆した後だけにそう感じるのかも知れないですが、、、

演奏自体は、言うまでもない古典的名盤であり、33歳という若さで白血病にて夭折した天才ピアニスト・リパッティのピアニズムの魅力を満面に湛えた演奏内容です。

グリーグも名演ですが、シューマンがまた素晴らしく、速めのテンポで、格調高い造型を保ち、シューマンの様式美を大事にしつつも、そこにリパッティならではの曙光の輝きを伺わせるピアニズムの趣きに独特のものがあり、とくに第1楽章展開部中盤のアレグロから後半ピウ・アニマートにかけてのクライマックスのあたり、そして楽章最後のカデンツァのあたりに立ち込める音勢の迫力は、この演奏収録の2年後に死路へ旅立つ自身の苛酷な運命への同調性さえ伺われるもので、聴いていて感傷的な気分にさせられるほどです。若きカラヤンのキリッと冴えた伴奏もリパッティの持ち味を阻害することなく、むしろそのピアニズムの輝きを後押しするような管弦楽運用で応えていて、見事です。

カザルスによるバッハ・無伴奏チェロのオーパス蔵復刻盤


J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全曲
 カザルス(vc)
 オーパス蔵 1936~39年 OPK2041
OPK2041

もはや名盤中の名盤ともいうべきパブロ・カザルスのバッハ・無伴奏チェロSP録音のオーパス蔵による復刻盤です。

このオーパス盤は、2003年にリリースされていたもので、新譜ではないですが、今月都内のCDショップをのぞいた際に1000円という低価格で販売されていたのをみかけて、遅まきながら購入した次第です。

この低価格は、てっきりその店舗のバーゲンセールかと思ったんですが、後でネットで調べてみると、どうも今年の2月あたりからオーパス蔵リリースのディスク自体が値下げされて販売されているようです。もともとオープン価格なので厳密には値下げではないですが、このカザルスのバッハ・無伴奏チェロ全曲は値下げ前は4000円もしたCDで、それが一気に4分の1ですから、またずいぶん思い切った価格ですね。

音質ですが、以下の本家EMI盤と聴き比べてみました。

5662152
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全曲
 カザルス(vc)
 EMIクラシックス 1936~39年 5662152

これは1997年再発のartリマスタリング盤で、EMIの誇るアビロード・スタジオのデジタル・テクノロジーを駆使したリマスタリング技術が用いられています。

このEMIのart盤を本ディスクのオーパス盤と比べてみましたが、率直に言いますと、あまりの違いに、ちょっと慄然とさせられたほどでした。

オーパス蔵の復刻自体に関しては、私もこれまでの経験から重々承知していたつもりでしたが、この音質の良さは、およそ私の想定の範囲外で、まさかこれほどとは、というのが率直な感想です。

このオーパス盤を聴いた後では、同じ演奏でもEMIのart盤はいかにも貧弱な音という印象が否めず、まず音勢が同じボリュームでもオーパス盤より全然弱いですし、眼前で弓が軋むかのようなリアルなボウイングの感触のオーパス盤と比べて、EMIのart盤は臨場感において著しく聴き劣ります。

ノイズレベルはオーパス蔵の方がart盤より高めですが、レベル自体は安定していて耳障り感が少なく、例えば無伴奏組曲第1番の第1曲冒頭部など、art盤の方はグシャグシャとした耳障りなノイズ感なのに対し、オーパス蔵はシャーという単純なアナログノイズだけで、art盤よりずっと聴き易い感じです。

以上、このオーパス蔵のカザルス盤は、少なくともEMIのart盤とは別次元の音質と言わざるを得ず、聴いていて、これが本当に1930年代のSPの音かと疑ってしまうほどです。これが千円というのはなんだか気がひけるくらいで、仮にこれほどの音質だと分かっていれば、たとえ値下げ前の4000円の値段でもあるいは買っていたかも、、と思ったくらいです。

もちろんオーパス蔵のリマスタリングといえども多少の当たり外れはあるもので、実際このカザルス盤と一緒に購入したリパッティのグリーグとシューマンのコンチェルト集のディスク(OPK2072)の方は、本家EMI盤に対してさほどアドヴァンテージのある音質とは思えなかったんですが、このカザルスのバッハに関しては、まさにオーパス蔵会心のリマスタリングと言い切れるほどの素晴らしさだと思います。

ハーディング/ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンの序曲集


ベートーヴェン 序曲集
 ハーディング/ドイツ・カンマーフィル
 ヴァージン・クラシックス 1999年 TOCE-55091
TOCE-55091

もう10年くらい前に購入したCDで、私がハーディングの演奏を初めて聴いたのが、確かこのディスクだったと思うんですが、いずれにしても、当時このベートーヴェンの非常な名演ぶりに度肝を抜かれたのが思い出されます。

先日サントリーホールで聴いたハーディング/新日本フィルのコンサートに関して、「やはりハーディングのベートーヴェンはいい」と書きましたが、その先入観の起点になっているのが、このドイツ・カンマーフィルとのベートーヴェンにおける素晴らしい演奏内容です。

コリオラン、エグモント、フィデリオ、レオノーレ第1及び第2等、そのいずれにおいても、すこぶる尖鋭な耳当たりを伴う、アンサンブルの響きの強烈味に圧倒されます。このべートーヴェンは、モダン・オーケストラにおいてのピリオド・アプローチの斬新性をフルに活かし切ったようなハーディングの独創性が強力な表出力に昇華されていて、聴いていて若手なのに凄い指揮者だなと思わされた演奏でした。この調子で、もしベートーヴェンの交響曲全集を録音するなら、きっと凄いことになるだろうとも思いました。

しかしその期待のベートーヴェンの交響曲全集は2009年現在まで録音はなされず、またハーディング自身レコーディングにあまり積極的ではないようで、このベートーヴェンの序曲集以後の録音も数えるほどしかリリースされていません。

そのハーディングの現在までのレコーディングのうち、オペラ及びコンチェルトを除いたものを以下にざっと概観しますと、、、、

5454802
ブラームス 交響曲第3番、第4番
 ハーディング/ドイツ・カンマーフィル
 ヴァージン・クラシックス 2000・2001年 5454802

ベートーヴェンの序曲集と同じオーケストラによるブラームスで、編成もベートーヴェンの時と同じ8型です。このピリオド・スタイルのブラームスは、確かにバランス的に小編成ならではの利点が活かされた斬新な感触の演奏ですが、ベートーヴェンであそこまで為したコンビの演奏にしては、演奏自体の強烈味が全体に伸び切らず、期待したほどには、、、というのが正直な印象でした。

5456652
マーラー 交響曲第4番ほか
 ハーディング/マーラー室内管弦楽団
 ヴァージン・クラシックス 2004年 5456652

これは2004年にリリースされた、賛否両論のマーラー4番です。おそらくマーラーの交響曲録音史上初の室内管による演奏で、文字通り「室内楽的なマーラー」です。

実際、この演奏でなければ耳にできないシーンも少なくなく、確かに新鮮さには事欠きませんが、肝心の音楽としての表出力がどうにも振るわないのが残念なところで、このマーラー室内管による4番は、個人的にはちょっと企画倒れではないかという感じが否めませんでした。

UCCG1389
マーラー 交響曲第10番(クック補筆全曲版)
 ハーディング/ウィーン・フィル
 グラモフォン 2007年 UCCG1389

昨年リリースされた、グラモフォンへのデビュー盤です。このマーラーの10番に関しては、以前にも本ブログで書きましたが、私としては内容的にいまいちというのが率直なところです。それは、このディスクで用いられている1989年校訂版自体を私があまり好きでないということもあるんですが、それを差し引いてもこのマーラーは、かつてのベートーヴェンで聴かれた表出力からは、かなりかけ離れている印象が否めませんでした。

ちなみに、マーラー10番のクック補筆全曲版のディスクで私が最も好きなものはインバル/フランクフルト放送響(デンオン COCO-75129)盤です。これは1992年の録音ですが、使用版は1976年校訂版で、1989年校訂版と比べて、急所におけるダイナミクスがいかに強烈かが聴いていてこよなく実感される演奏です。

以上、ハーディングのこれまでの録音をざっと概観してみましたが、結論としては、最初のベートーヴェンの序曲集以外はちょっとパッとしないような感じになっているように思います。

とはいえ、先日のサントリーでの実演を聴いた限りにおいて、やはりハーディングの本領はマーラー等のロマン派の分野よりもベートーヴェンを中核とする古典派の分野にあるような気がするので、もし今後のグラモフォンからのリリースを、そこに照準を合わせるならば、かなり期待できるように思われますし、個人的にはベートーヴェンの交響曲全集を出してくれたら、と思います。

新日本フィル定期演奏会(3/11)の感想


昨日のコンサートの感想です。後半のベートーヴェンが圧巻でした。

前半のリヒャルトもまずまずで、16型の大編成のオーケストラを、指揮棒なしでグイグイと引っ張っていくハーディングのパワフルな指揮のもと、アンサンブルの、特に弦の発するのっぴきならない響きの表出力が素晴らしい聴きものでしたが、難を言うなら金管が終始弦に圧され気味だったことで、ここぞという時の響きの突き抜けがいまひとつ弱かったようでした。

これが後半のベートーヴェンになると、弦パート、管パートともに前半のリヒャルトの時よりひとまわり磨きがかかったような充実感が漲り、ティンパニ強打のド迫力も含めて、すこぶる歯応えのある演奏が展開され、いよいよハーディングの本領発揮という感じでした。

編成は12型で、前半のリヒャルトの16型よりは刈り込んでいましたが、むしろリヒャルトの時より鮮やかにエッジの立った、シャープな響きの切れ味が爽快で、スタイル的にも俊敏なフレージングの刻み、ハキハキとしたアーティキュレーション、ヴィブラートを抑えた音色の晴澄な見晴らし、など、いずれもリヒャルトの時よりも明らかにピリオド・アプローチを強調したスタイルと思えるもので、もともと古楽系のハーディングにはやはりこういうスタイルがハマっているなと、聴いていて感じました。

ピリオド・アプローチといっても硬直的なピリオドスタイルとは一線を画した、かなりフレキシブルなもので、例えばテンポは必ずしもベートーヴェンの原譜の指示通りでなく、かなり起伏をもたせていましたし、第1楽章コーダの第658小節のところでは原譜に反してトランペットの主題線を延長させていました。したがってピリオドスタイル・イコール・原譜主義という図式はハーディングには当てはまらないようで、その咀嚼されたピリオドスタイルにおいて、ベートーヴェンに対する彼なりのヴィジョンや共感のようなものが伺えました。

そして、そのスタイルを十全に音化せしめた新日本フィルのアンサンブルの素晴らしさも特筆に値するものだと思います。新日本フィルといえば、つい先日すみだトリフォニーでブリュッヘンの指揮によるハイドンのシンフォニーを聴いたばかりですが、そのハイドンといい、昨日のべートーヴェンといい、すこぶる真にこもったアンサンブル展開で、ブリュッヘンの時と同じく板についたような堂々たるピリオド・スタイルも含めて、聴いていて実直に感心させられました。

ハーディングの指揮の話に戻りますが、彼は音楽が佳境に差し掛かると、必ずと言って良いほど、歌声とも叫び声ともつかないような独特の奇声を発していました。そして、それが発せられるとオーケストラの音色がグッと締まったような感じになるのも印象的でした。こういうニュアンスの微妙な切り替わりは、やはり生演奏ならではのリアルさで、CDではちょっと味わえない醍醐味のひとつですね。

新日本フィル定期演奏会(サントリーホール)


2009-03-11

今日はサントリーホールで新日本フィルの定期演奏会を聴いてきました。

指揮者はダニエル・ハーディング、演目は前半がR.シュトラウスの交響詩「死と変容」、後半がベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」です。

感想は後日書きますが、やはりハーディングのベートーヴェンはいいですね。

カルロス・クライバー/ミラノ・スカラ座のヴェルディ「オテロ」87年ライブ


ヴェルディ 歌劇「オテロ」全曲
 C・クライバー/ミラノ・スカラ座管弦楽団
 メモリーズ 1987年ライブ ME1007/8
ME10078

少し間隔があいてしまいましたが、カルロス・クライバーのオペラ盤感想記シリーズの第6回です。

この「オテロ」は素晴らしいですね。まずオーケストラ演奏ですが、このオペラを得意としたクライバーの絶好調の演奏という感じがします。

第1幕冒頭の嵐の場面から、雷光を描く木管の鮮烈な色合い、激風を描くヴァイオリンの切迫した感触、雷音を示すティンパニの豪打、いずれも抜群で、全幕ともにスカラ座のオケの味の濃いソノリティの妙味を十分に引き出しながら、その持ち前のダイナミックなアンサンブル展開が各場面の情景をリアルに描き出していて魅了させられます。

第1幕最後のオテロとデズデモナの二重唱を導入するチェロの音色の甘美なこと(この同じチェロが、第4幕でオテロがデズデモナ殺害のために寝室に入るシーンでは、何ともいえない複妙な響きを奏で、ゾッとさせられますが)。第2幕終盤や第3幕終盤など、オテロの感情が極限まで高まるシーンでのアンサンブルのパンチ力も実に壮絶ですし、デズデモナ殺害シーンのものすごさも圧巻です。 

外題役ドミンゴの歌唱も最高ではないでしょうか。稀代のオテロ歌いと言われたドミンゴには数種類のオテロの録音がありますが、1970年代の録音は声量は絶大ながら深みがいまいち、逆に1990年代の録音は深みはあるものの声量面での衰えが顕著で、その真価を聴くには1980年代の録音がベストだと思われるところ、その肝心の正規盤である85年録音のマゼール/スカラ座盤の音質がピリッとしません。

CC33-359596
ヴェルディ 歌劇「オテロ」全曲
 マゼール/ミラノ・スカラ座管弦楽団
 EMIクラシックス 1985年 CC33-3595/96

残念ながらこのマゼール盤はどうにも薄っぺらい音質で、とにかくソノリティが平板です。このディスク、実はゼッフィレッリの映画「オテロ」のサウンドトラックとして製作されたディスクなんですが、何というか、いかにもサウンドトラック的な音質です。

したがって、ドミンゴのオテロとしてはこのクライバー盤がおそらくベストのような気がします。絶大な声量、鬼気迫る表現力。わけても第3幕は白眉で、デズデモナを詰問する場面など聴いていて空恐ろしくなるくらいですし、激高のあまり失神するラストのくだりなども、演技というにはあまりにリアルです。

デズデモナ役フレーニは、声量的にドミンゴに引けをとるシーンが多いとしても、こと演技面ではドミンゴと互角に渡り合っていて素晴らしいです。逆にヤーゴ役ブルゾンは、声量は申し分ないですが、その絶大な声量を頼みすぎているのか、迫真さがいまひとつで、少なくともかつてのゴッビのような名唱の域には届かず、という感じがします。

音質はおおむね良好ですが、時々ノイズが集中するようなところがあるようです。特に第2幕が少し聞き苦しいですが、第3幕や第4幕などは問題ないですし、少なくとも上記のマゼール/スカラ座盤よりはずっと上等なソノリティです。

クーン/ボルツァーノ・トレント・ハイドン管によるブラームス交響曲全集


ブラームス 交響曲全集
 クーン/ボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団
 コル・レーニョ 2007年 WWE60015
WWE60015

これはおととい購入した新譜です。ボルツァーノ・トレント・ハイドン管はイタリアのトレントを本拠地とする1960年設立のオーケストラで、2003年よりグスタフ・クーンを芸術監督に迎えてからはレコーディング活動も活発に行っています。

コル・レーニョからはすでに同じ顔合わせでベートーヴェンの交響曲全集がリリースされていますが、それは現代音楽をメイン・レパートリーとするコル・レーニョ・レーベルとしては異例ともいうべきベートーヴェン全集の録音として注目されました。

実際、私がこのコンビの演奏を初めて聴いたのがそのベートーヴェンの録音でしたが、その演奏の素晴らしさにびっくりさせられ、グスタフ・クーンという指揮者に注目するようにもなりました。ただ、その時点のクーンのディスコグラフィに交響曲は唯一、マーラーの9番があるのみでした。

今回のブラームス全集はその好評を博したベートーヴェン全集に続くリリースとなるもので、前述のようにコル・レーニョ・レーベルとしてはレパートリーとして異例のブラームス全集であると同時に、イタリアのオーケストラによるブラームス交響曲全集というのもこれまでありそうで無かったような気がします。

さて、その演奏ですが、率直に言って先のベートーヴェン全集ほどにはインパクトは強くありませんでしたが、それでも内容的には並々ならない名演で、かなりフレッシュな感触のするブラームス全集です。

クーン率いるボルツァーノ・トレント・ハイドン管のアンサンブルの最大の特徴は、チェロを中核とするバス低声部の響きが一貫して強い点にあり、この特徴は先のベートーヴェン全集と同様です。ただ、今回のブラームスは前回の小編成によるベートーヴェンと違ってそれなりに編成を膨らませているようで、そのぶんバス低声部の存在感が相対的に薄れていて、ベートーヴェンでの強烈感から計るとインパクトが幾分大人しいようにも感じますが、それでも十分に個性的なハーモニー・バランスが立ち現われています。

そのあたりの特徴感は、例えば交響曲第1番の第1楽章提示部で第1主題が奏されるあたりのチェロ合奏の音色の強さを耳にすれば容易に伺えるもので、明らかに通常の演奏とはバランスが違います。

そして、これだけバスが強いのにもかかわらず、ハーモニーの重厚感がそれほど強調されていない点も特徴的な感じがします。このあたりの、響きの量感よりも音色の強さを、という方向性は前回のベートーヴェン全集と同じ路線で、量感的迫力はいまひとつながらも克明きわまるバス低声部の表出力によりもたらされるフレッシュなハーモニクス、ピリッとした緊張感が素晴らしい聴きものとなっています。

ただ、前回のベートーヴェン全集では以上のような特徴に加え、アンサンブルの古楽器的な個性感もかなり強調されていて、そのあたりの面白さも独特だったのですが、それは今回のブラームスではそれほどには強調されていないようです。

全4曲とも味の濃い、見事なブラームスですが、その中でも白眉は第4シンフォニーだと思います。そこでは本演奏におけるバスの訴求力の高さと楽想の方向性とが驚異的なマッチングを示していて、ドイツ的な構えとは一味もひた味も違う、まさにイタリアのオーケストラならではの味わいのあるブラームスです。

BOX盤の魅力


今日は会社の帰りにCDショップに寄って、新譜を中心にCDを買ってきましたが、そこで最近リリースされたBOX盤を2つほど買いました。
 
ひとつめのBOX盤は、

4781221
ハイドン 交響曲全集
 ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ
 デッカ 1969~72年 4781221

ふたつめのBOX盤は、

ANNI0030
シャンドス創立30周年記念ボックス ANNI0030

ちなみにドラティのハイドン全集がCD33枚組、シャンドスの記念BOXがCD30枚組です。

この2つのBOX盤だけで計63枚ですが、もちろんこれ以外にめぼしい新譜なども買いましたので、枚数の総計は80枚ほどになりました。

プロフィールにも書きましたが、私のここ数年の年間CD購入枚数はだいたい400枚程度で推移しています。この年間400枚という数字は、もちろん人によって多い・少ないの捉え方は違うとは思いますが、実はその中のかなりの割合が、こういうBOX盤で占められています。

ただ、さすがに一日で80枚というのは滅多にないですね。なにしろ年間購入枚数の5分の1ですから、、

BOX盤の魅力は、まとまった枚数のCDが、極めて低価格で入手できるという点に尽きると思います。実際、今日買った2つのBOX盤は、ドラティのハイドン全集が6900円、シャンドスのBOXが5400円ですから、一枚あたり実に200円相当という、考えられない価格ですね。これだけ安いと、なんだか買わないと損なような気さえしますし。

ただ、買ったはいいですが、これだけの枚数ですと、さすがに聴き切るのは大変です。

そもそも私は新譜などは買ったそばからガンガン聴いて行くんですが、BOX盤は後回しにし勝ちで、購入後しばらく開封せず、開封したらしたで枚数の多さゆえ聴き切るまで時間がかかるという状態になります。

ですので、今日購入の2つのBOX盤も、本ブログの感想記に登場するのは、おそらく相当先のことになるかと思います。

ところで、昨年購入したBOX盤の中で、実はいまだに聴き切っていないものが3つほどあります。

①「ワーグナー ザ・グレイト・オペラズ・フロム・バイロイト・フェスティヴァル」(33CD)
②ラトル/バーミンガム市立響他によるアメリカ音楽作品集(7CD)
③ベルリン・フィル創立125周年記念BOX(12CD)

以上のうち①と②はともに昨年10月11日に購入したものです。
③は昨年11月26日のベルリン・フィル来日公演の時にサントリーホールで購入したものです。

これらのうち、①についてはまだ半分ほどしか聴いていませんが、②は7枚中6枚まで聴いていて、③も12枚中10枚まで聴いているので、これら②と③に関しては、近いうちに本ブログに感想記をアップできると思います。

特に③に関しては、昨年11月26日の本ブログで「聴いた感想をいずれ本ブログに出そうと思います」と明言していますので、近いうちに必ず出します。

アトリウム四重奏団によるベートーヴェンの「ハープ」四重奏曲とショスタコーヴィチの四重奏曲第5番


ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第10番「ハープ」&ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第5番
 アトリウム四重奏団
 Zig-zag 2008年 ZZT080702
ZZT080702

これは先月リリースされた、アトリウム四重奏団のZig-zagレーベルにおけるデビュー盤です。

アトリウム四重奏団は2000年結成のロシアのカルテット団体で、すでにロンドン国際弦楽四重奏コンクール、ボルドー国際弦楽四重奏コンクールにおいて優勝経験を有する、国際的評価の極めて高いアンサンブルとされます。その演奏を聴くのはこのディスクが初めてです。

まず最初のベートーヴェンを聴いた印象ですが、このアトリウム四重奏団の演奏で凄いと感じた点を列挙すると、①スローテンポの場面でのカンタービレの味の濃さ、②アップテンポの場面でのフレージングのえぐりの鋭さ、そして③演奏展開におけるカルテット・アンサンブルとしての強固な求心力、といったあたりになると思います。

①については、第1楽章冒頭の序部や第2楽章のアダージョ楽節を聴くと明瞭に感じられ、カラッとした響きとは離れた、どことなく憂いをまぶしたような、ウェットで美しい音というような感触です。②に関しては例えば第1楽章の(4:50)あたりの中声部の強烈なアクティビティ、第3楽章主部の高声の刻みの鋭角感といったあたりに端的に現われています。

そして③ですが、例えば最近聴いたアルカント四重奏団の演奏のように、チェロ主導的な気配といった、特定のメンバーがアンサンブルを先導するというのではなく、4人の奏者が一体的にハーモニーを構築して音楽を組み立てるというような求心的なまとまりで聴かせる演奏という感じがします。そしてそこにはカルテット団体としての揺るぎないアイデンティティが伺え、とにかくその並々ならないアンサンブルの結束力と集中力に聴いていて感嘆させられます。

続くショスタコーヴィチの第5番の四重奏曲はこの作曲家中期の傑作作品にして後年の交響曲第10番の先駆け的な作風を有しています。ここでもアトリウム四重奏団はベートーヴェン同様、正攻法のアプローチを土台としつつ、技術的にもバランス的にも磨き抜かれたようなアンサンブルの切れのある表現力をフルに活かして、すこぶる凄絶な演奏展開を成し遂げています。

このショスタコーヴィチの5番に関しては、同じロシア系の先達団体であるボロディン四重奏団が1983年に録音したメロディア盤という恐るべき名演がすでにあるところですが、実際それと聴き比べてもこのアトリウム四重奏団の演奏はひけを取る感じがなく、確かにボロディン四重奏団の演奏での、骨太のハーモニクスから繰り出される響きがすべてを飲み込んでしまうかのような常軌を逸した迫力にはやや及ばない気もしますが、細部の彫刻感、ダイナミクスの切れ味、さらにフレージングのデリケートな陰影やフィーリングの浮き出しという観点では明らかにボロディン四重奏団より上で、総合的には
いずれもにわかに甲乙付けられないほどの表出力と感じます。

以上のように、このアトリウム四重奏団の新譜は内容的に、このカルテット団体の存在感を強力に印象づけられた名演であり、先日聴いたアルカント四重奏団と同様、今後注目すべき四重奏団の代表格ではないかと感じました。

エカテリーナ・デルジャヴィナによるメトネルのピアノ作品集


メトネル ピアノ作品集
 デルジャヴィナ(pf)
 フェニックス・エディション 2006・08年 PE156
PE156

これは先月リリースされた、ニコライ・メトネルのピアノ独奏曲のアルバムです。①8つの情景画 Op.1②ソナタ三部作Op.11③3つの小品Op.31④忘れられた調べ・第1集Op.38⑤忘れられた調べ・第2集Op.39の5作品がCD2枚に収録されています。

メトネルは20世紀前半に活躍したロシアの作曲家で、特にピアノ作品の分野に多くの名作を残したことで知られています。特に14曲を数えるピアノ・ソナタなどは近年再評価の機運も強く、ロシアン・ピアニズムの系譜に連なる重要な作曲家として位置づけられています。

とはいえ、現状では必ずしもメジャーな作曲家ではなく、知名度的にはメトネルの同門のスクリャービン、あるいは親友のラフマニノフといったあたりに大きく水をあけられているところです。

確かにメトネルのピアノ作品には、スクリャービンのような強烈な前衛精神があるわけではなく、ラフマニノフのような濃密な旋律美が聴かれるわけでもなく、その意味で、彼らのような突き抜けた個性味に乏しい側面があるのは否定できないようです。

しかし、メトネルのピアノ作品の大きな特徴は、ロシア音楽的な色彩とドイツ音楽的な色彩とが融合したような独自の作風にあり、ドイツ・ロマン派のような感触を残しながらも、そこにロシア風のロマンティズムを印象づけるような劇的かつ情緒的な起伏力を共存させているあたりに、スクリャービンやラフマニノフといったロシアの同時代の作曲家とは一線を画した個性味の発現が認められます。

そういうわけで、私はメトネルのピアノ作品を結構気に入っていて、CDもいくつか購入しているんですが、今回リリースのデルジャヴィナ盤のひとつの特徴として、メトネルの比較的録音機会の少ない作品集が、作品単位でなく「作品集単位で」きちんと収録されている点が挙げられるように思います。

どういうことかというと、これまでのメトネルのディスクの多くには、ひとつの作品集の中の特定の作品をぶつ切りに取り出して録音する傾向がありました。例えば、8つの情景画 Op.1であれば、その中の数曲のみ選んで録音するとか、ソナタ三部作Op.11であれば、三部作中もっとも有名なピアノ・ソナタ第3番「エレジー」だけを録音するとか、忘れられた調べ・第1集であれば、第1曲のピアノ・ソナタ第10番「追想ソナタ」だけ録音、忘れられた調べ・第2集であれば、終曲のピアノ・ソナタ第11番「悲劇的ソナタ」だけ録音、という感じです。

この点、本デルジャヴィナ盤はこれらのいずれもが、きちんと作品集単位で収録されているので、作品集としてのメトネルの音楽が楽しめる点で貴重だと思います。

演奏内容としても、ピアノ奏者エカテリーナ・デルジャヴィナの堂々たる名演ぶりが見事です。ちなみにデルジャヴィナはメトネル演奏の権威として知られるピアニストで、8つの情景画 Op.1全曲は既にカナダ・PALEXAレーベルにライヴ録音しています(2003年、PA 0535)ので、本ディスクは同曲の再録音になります。

ブリュッヘン/18世紀オーケストラによるハイドンのザロモン・セット全曲


ハイドン ザロモン・セット全曲(交響曲第93番~第104番)
 ブリュッヘン/18世紀オーケストラ
 フィリップス 1986年~93年ライヴ 442788-2
442788-2

おとといのブリュッヘン/新日本フィルのハイドン・コンサートを聴きに行く前日、ブリュッヘンがかつて18世紀オーケストラとライヴ録音したハイドンのザロモン・セット全集から、コンサート演目の3曲の録音をひと通り聴いておいたことを昨日のブログで書きましたが、そのザロモン・セット全集が本ディスクです。

このブリュッヘン/18世紀オーケストラの演奏は、古楽器オーケストラによる初のハイドンのザロモン・セット全曲録音という金字塔であるばかりでなく、内容的にもピリオド・アンサンブルならではの刺激的なフレージング展開やハーモニー・バランスの強烈味が、往年のブリュッヘンのアグレッシブな表現意欲によってこよなく増幅されたような驚異的名演です。

ところが、おとといのすみだトリフォニーのロビーにおいて販売されていたブリュッヘンのCDの中に、このザロモン・セット全集はありませんでした(代わりにクイケン/プティット・バンドのザロモン・セット全集が売られていました)。

よもやと思ってネットで調べてみたところ、何と現在廃盤となっているようで、どうも国内盤だけでなく外盤の方も販売されていないようです。

ハイドン・イヤーにも関わらず、このブリュッヘンのハイドンが廃盤状態とはちょっと驚きですが、これだけの名演ですから、早晩再発されるのはおそらく必定という気もしますね。

ところで、昨日のブログでちょっと書き落としたことがありますので、ここで書きます。交響曲第103番「太鼓連打」の第1楽章冒頭のロール打ちについてです。

この場面、おとといのコンサートではいきなり落雷のようなもの凄い豪打で開始され、驚かされました。このやり方はスコアの指示と全然違うものですが、それより私が驚いたのは、本ディスクに収録されている18世紀オーケストラとの録音(1987年のライヴ)に聴かれるやり方とも全く違っていたことです。

まずスコアですが、ここの指定は以下の通りです。
Haydn-103

このように、カッコつきppの変ホ音が示されているだけです。実際この通りに録音されているCDも少なくないですが、ここは当時の演奏習慣から、ティンパニ奏者が即興的なやり方でロール打ちすることが暗黙に期待されていたとする説がむしろ有力のようです。

その演奏習慣を踏まえ、このブリュッヘンの録音では、最初はピアニッシモで開始し、徐々にクレッシェンドするようにダイナミックな起伏が与えられたロール打ちが披露されています。

対して、おとといの実演では前述のように冒頭いきなりffから始められ、その後デクレシェンドするという、CDとは概ね逆のやり方が披露されました。つまりこの事実ひとつとっても、20年前の録音の流儀とは明らかに違っています。

そういうわけで、私はこのロール打ちを聴いた瞬間、この演奏はかつての18世紀オーケストラとの録音のイメージとは一線を画す、「現在の」ブリュッヘンのハイドンだなと、はっきりと知覚させられたような気がしました。

ブリュッヘン/新日本フィルのハイドン・コンサート(2/28)の感想


昨日のコンサートの感想です。

昨日のブログで、「私の事前の予想とはかなり違っていて、最初はちょっと面食らったような気持ちで聴いていた」と書きましたが、実は私はコンサートの前日に、ブリュッヘンがかつて18世紀オーケストラとライヴ録音したハイドンのザロモン・セット全集の中から102番~104番の3曲の録音をひと通り聴いていて、それを基にコンサートでの演奏はこんな感じではないかというような、自分なりの予想を立てていました。

しかしいざ最初の102番の演奏が始まってみると、その予想とはかなり違っていて面喰らいました。まず編成が12型という点からしてそうで、18世紀オーケストラとライヴ盤ではファースト・ヴァイオリンは10人に満たない規模ですので、明らかにバランスが違いますし、それ以上に、弦と管の対比が弦上位にシフトされていて、CDでの管上位的なハーモニーの刺激性がほとんど伺われず、またテンポもCDより明らかに遅めで、躍動味に乏しく、弦のフレージングもCDほどの鋭角性に不足し、というような按配で、最初のうちは正直いまひとつピンと来ないような気持ちで聴いていました。

ところが、コンサートが進むうち、次第に「でもこういうハイドンもいいなあ」という気持ちの方が強くなっていきました。今から考えると、その転換点はおそらく第102番のフィナーレあたりだったような気がします。

そもそも私は前日に聴いたCDでの印象にかなり引き摺られていたんですが、考えてみれば新日本フィルは古楽器オケではないですし、録音にしても現在から20年も前のもので、それと同じような表現が本コンサートで再現されるのでは、という予想からしてそもそも無理があったようです。むしろ今回の新日本フィルとのハイドンにおいては、確信的に弦合奏をメインポジションに据えての音楽の構成にブリュッヘンとしての明確な主張というかメッセージ性が感じられ、12型編成はその端的な現れとも思われます。

その12型の弦合奏の発する得難い充実感に、愚かにもようやく気づいたのが第102番のフィナーレあたりでした。それはすこぶる端正でありながらキリッと引き締まった見事な合奏で、そもそもヴィブラートを抑えたピリオド奏法において、しかも12型という規模の編成で、これほどに音程のビシッと決まったアンサンブル展開というのは、ちょっと驚異的とも思えるほどでした。

この傾向は続く「太鼓連打」ではさらに明瞭となり、落ち着いた風格あるテンポ進行に沿って繰り出される弦合奏の素晴らしい演奏活力には聴いていて惚れぼれさせられ、この作品ならではの豪快なティンパニのロール打ちの魅力ともども、その集中度の高いアンサンブル展開の迫力に圧倒される思いでした。

最後の「ロンドン」は本コンサートの白眉で、一連のハイドン・プロジェクトの終局ということからかオーケストラの積極的な表現意欲にさらに拍車がかかり、内的な燃焼力に満ちたアンサンブルが素晴らしい表出力を充溢させつつ全曲を締めくくり、この「ロンドン」一曲のみで大曲を聴き終えたような満足感がもたらされました。

総じて本公演のハイドンは、かつてのブリュッヘンと18世紀オーケストラとの録音のようなある種の尖った刺激力こそ希薄でしたが、それとはまた一味違う深みというか良質の味わいがあり、それはおそらくブリュッヘン自身の円熟に加えて、新日本フィルとの一期一会的な感興の高まりから誘発されたものではないかと思われました。往年のブリュッヘンの強烈なハイドンももちろん捨て難いとしても、今回のハイドンも紛れもなくブリュッヘンの演奏に対する確たるヴィジョンが伺われる名演奏だったと思います。

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