ブリュッヘン/新日本フィルのハイドン・コンサート


今日は、すみだトリフォニーホールでブリュッヘン/新日本フィルのハイドン・コンサートを聴きました。

2009-2-28(1)

演目はハイドンのザロモン・セット最後の3曲、すなわち交響曲第102番、同103番「太鼓連打」、同104番「ロンドン」。まず102番と103番「太鼓連打」が続けて演奏され、休憩をはさんで104番「ロンドン」、最後にアンコールとして「ロンドン」の終楽章が再び演奏されて終わりました。

その演奏ですが、私の事前の予想とはかなり違っていて、最初はちょっと面食らったような気持ちで聴いていたんですが(そもそもホールのロビーに掲示されていた今日のコンサートの演奏者配置表を見たところ第1ヴァイオリンが全部で12人でしたが、この編成は私の予想より大きめで、まずこの点で面食らいました)、コンサートが進むうち「でもこういうハイドンもいいなあ」という気持ちの方が強くなっていきました。

そのあたりの感想については後日あらためて書きます。

アルカント四重奏団によるブラームスの弦楽四重奏曲第1番とピアノ五重奏曲


ブラームス 弦楽四重奏曲第1番、ピアノ五重奏曲
 アルカント四重奏団、アーヴェンハウス(pf)
 ハルモニア・ムンディ 2007年 HMC902000
HMC902000

これは今月発売されたアルカント四重奏団の新譜で、同カルテットとしてはデビュー盤となった一昨年のバルトーク・アルバム以来のリリースとなります。

アルカント四重奏団は名手ジャン=ギアン・ケラスを中心に2002年に結成されたカルテット団体で、ソリストとしても名うてのタベア・ツィンマーマンをヴィオラに、ドイツ・カンマー・フィルのコンマスであるダニエル・ゼペックとウィーンの名手アンティエ・ヴァイトハースとをヴァイオリンに迎えた名手団体です。ちなみに団体名のアルカントというのはイタリア語のアルコ(弓)とカント(歌)を合わせた造語ということです。

デビュー盤のバルトークの弦楽四重奏曲のアルバムが大変見事な演奏でしたので、セカンド・アルバムである今回のブラームスでも名演が予想されるところで、さっそく購入してみました。

それで聴いてみたところ、率直な印象としてこのブラームスは予想通りの名演というよりも、予想以上の超名演というべき内容で、特に第1四重奏曲の演奏内容は圧巻と言わざるを得ず、この作品で、聴いていてこれほどゾクゾクさせられた演奏というのは、私としてはメロス四重奏団の録音(グラモフォン盤)以来です。

第1楽章の冒頭主題のクレッシェンドからしてフレージングに尋常ならざる勢いがあり、主題提示部を通して各奏者の発するシリアスな音色が、ハーモニーに張り詰めるような緊張感を付帯させていて、聴いていてグッと身が引き締まるような思いがします。展開部においてはその緊張にさらに拍車がかかり、わけてもイ短調に転ずる(5:38)のfの和音を皮切りとするくだりはチェロを主導に各パートがグイグイと引っ張られるように白熱度を増していく様が素晴らしく、(6:19)からのクライマックスではすべてを叩きつけるような起伏感に圧倒されます。そして、コーダでは(10:10)あたりの情熱みなぎるアンサンブルの疾走をもって強烈に楽章を締めくくっています。

第2楽章と第3楽章においては、音色の強烈感よりもフレーズの切れ、テクニックの冴え、そしてアンサンブルとしての合奏力の練達ぶりがこよなく印象付けられる内容で、聴いていると、チェロ・パートのケラスが他のパートに対し音楽を誘導している気配があり、アンサンブルにおいてチェロの音色が常に活きているとともに、下声部主導のアンサンブル構成がもたらす造型の揺るぎない安定感が見事です。

終楽章は冒頭から第1楽章以上に強烈味を帯びた音色から繰り出される迫真の表情形成が圧巻で、聴かせどころでの各奏者がアクセルを目いっぱい踏み込んだようなえぐりの効いたフレージングの畳み掛けなど、聴いていてゾクゾクすることしきりで、このブラームス作品のパッショネイトな感興の高まりを、これほど見事に音化させた演奏というのはちょっと聴いたことがないようにも思われます。

続くピアノ五重奏曲の方においてもアルカント四重奏団のアンサンブルの充実度は概ね継続されていて、ジルケ・アーヴェンハウスのピアノ・ソロにもう一段ほどの表情の強さがあればなお良かったとも思いますが、全体としてはブラームスのほの暗いパッションをスコアの底からえぐり出すような強烈味のある演奏で、例えば第3楽章の(2:24)からのくだりに聴かれる常軌を逸したような音楽の緊張感など、まさに本演奏ならではの聴きものだと思います。

以上、このアルカント四重奏団のブラームスのアルバムは、ひさびさにこのジャンルならではの醍醐味を堪能させられた演奏でした。録音頻度は高くないですが、昨年のアルバン・ベルク四重奏団解散以降やや低迷気味とも思えるカルテット団体の情勢にあって、アルカント四重奏団は間違いなく今後注目すべきカルテット団体の代表格ですね。

ワルター/コロンビア響によるブラームス交響曲全集


ブラームス 交響曲全集
 ワルター/コロンビア交響楽団
 ソニー・クラシカル 1959・60年録音 SRCR8762~65
SRCR876265

昨日はブルーノ・ワルターが50年代にニューヨーク・フィルと録音したブラームスの交響曲全集を取り上げましたが、周知のようにワルターにはもうひとつの珠玉のブラームス交響曲全集があります。ワルターが最晩年にコロンビア響と録音した全集盤です。

このコロンビア響とのブラームスは、全4曲ともおおむね古典的な造型のバランスを保ちながらも、そこから自ずとにじみ出るような情動的ニュアンスにおいて希有の魅力を感じさせる名演で、アメリカのオケの色彩豊かなアンサンブルの響きからケバケバしさを削ぎ落とし、音響的にまろやかに仕上げ、気品と深みのある音彩を付帯させつつ、そこに最晩年のワルターの境地をアンサンブルに投影させたような虚飾無い音楽の味わいが素晴らしい聴きものとなっています。

コロンビア響の器楽編成がやや規模的に小さいため、弦の合奏の質感の軽さが気になる局面もあるとしても、そのぶん管パートの響きの表情の強さが引き立ってますし、弦についても、聴いているとむしろ個々の声部の生々しい迫力が直に伝わるような感があって、中音域レンジを中心に音響の密度的な濃さが並々ならない水準ですね。すこぶるコクのある強奏と、室内楽的に落ち着いた佇まいの弱奏との、絶妙なコントラスト、、、

ところで、このワルター/コロンビアのブラームス全集は古典的名盤として名高いものですので、ソニー・レーベルから過去に何度か再発されています。その中で、1992年に「ブルーノ・ワルターの芸術」シリーズとしてリリースされた国内盤が、上にジャケット表示したSRCR8762~65のものです。少なくとも私の印象では、このセットにおける音質が最もいいような気がします。

例えば、1994年にSBMリマスタリングとして再発された以下のCDの音質と比べると、同じ音源の演奏でも音質の差異が少なからずあるようです。

SMK64471
ブラームス 交響曲第2番・第3番
 ワルター/コロンビア交響楽団
 ソニー・クラシカル 1960年録音 SMK64471

上記のSBMリマスタリング盤は、確かに表面的にはスッキリとした聴感で、一聴すると従来盤よりも音質がいいような感じもするところですが、先に挙げた92年再発の非SBM盤の音質と聴き比べてみると、SBM盤の方が明らかにバスの量感が軽く感じられ、またアンサンブルの肉厚感もひとまわり細めで、少なくともボリュームを一定以上に上げた場合、SBM盤よりも迫力的に聴き劣るような印象が否めないところです。

もちろんSBM以後の音質がすべて落ちるというつもりはなく、おそらくケース・バイ・ケースだと思いますが、少なくともこのワルター/コロンビアのブラームスに関しては以上のとおりで、SBM以後のリマスタリングに関してもいまひとつ信用が置けず、結局SBMリマスタリング以前のセットが音質的にベストではないかというのが私としての印象です。

ワルター/ニューヨーク・フィルのブラームス交響曲全集United Archives盤


ブラームス 交響曲全集 
 ワルター/ニューヨーク・フィル
 United Archives 1951~53年 UAR004
UAR004

これはブルーノ・ワルターが50年代にニューヨーク・フィルと録音したブラームスの交響曲全集の復刻盤で、4曲の交響曲のほかハイドンの主題による変奏曲、大学祝典序曲、悲劇的序曲、ハンガリー舞曲1、3、10、17番の演奏がCD3枚に収録されています。

このワルター/ニューヨーク・フィルのブラームス全集は、今さら紹介するまでもなく古典的名盤との評価の確立されている名演で、ことに交響曲第2番の演奏は、究極的なまでに濃密なアンサンブルの色合いに情熱的なワルターの表情形成がマッチングした圧倒的名演と言えるものです。

ところで、このUnited Archivesの復刻盤は先月購入したものですが、リリース自体は2006年にされていたCDです。これを今になって購入したのは、昨年末にレーベルそのものが活動停止となったからです。

United Archivesは高音質復刻で知られるレーベルとはいえ、このワルターのブラームス全集については、すでに音質的に満足のいく他レーベルの復刻盤を入手していたこともあり、United Archivesの復刻盤の方はいずれ機会があれば、、、くらいに思っていました。しかし、レーベル自体が活動停止となってしまった以上、以後は入手可能性がほぼゼロになってしまうことが予想されるため、やはり確保しておきたいと思って購入した次第です。実際、ネット上で現在このUnited Archivesの復刻盤を注文しようとしても、どこも在庫切れ状態で、ディスク市場からほぼ姿を消しているようです。

さて、このワルター/ニューヨーク・フィルのブラームスですが、第2交響曲を筆頭に演奏内容自体は破格ではあるものの、音質面にやや難があり、特に本家ソニーによりCD化されたものは、どうもいまひとつパッとしない感じでした。むしろ、以下のIDIS盤の方がソニー盤よりも音質的に冴えているような感じがします。

IDIS6392-93
ブラームス 交響曲全集 
 ワルター/ニューヨーク・フィル
 IDIS 1951~53年 IDIS6392/93

私としてはこのIDIS盤の音質に満足していたので、United Archives盤の方は、これまでは敢えて入手しようとはしなかったのですが、前述のように以後入手可能性がほぼ無くなると思われるため入手しました。

それで、両盤の音質を聴き比べてみました。結論としては、United Archives盤の方が若干ですが音質的に上という感じがしました。両盤ともにダイナミクスのレンジ、ソノリティの解像度、音色の鮮明度など、だいたい同じレベルで安定していますが、かなり大音量で再生すると、IDIS盤の方では響きがいくぶん肌荒れ気味になるのに対し、United Archives盤の方はざらつきがかなり控えめで、ハイ・ボリューム時でもキリッとした響きが維持された、感度の良い音質になっているようです。

ただ、それはかなり微妙な違いとも言え、少なくともUnited Archives盤の音質がIDIS盤より劇的に上回っているとまではいかないようですね。

とはいえ、音質的にはおそらく随一の水準にあるように思われますし、IDIS盤に収録されていない、交響曲以外の管弦楽作品の演奏がかなりの高音質で聴けるのも大きな収穫でした。

ハイティンク/ドレスデン・シュターツカペレによるブルックナー8番とモーツァルト「プラハ」の2002年ライヴ


ブルックナー 交響曲第8番&モーツァルト 交響曲第38番「プラハ」
 ハイティンク/ドレスデン・シュターツカペレ
 Profil  2002年ライヴ PH07057
PH07057

今月の上旬にリリースされたディスクで、ベルナルド・ハイティンクがドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者に就任した時期における同オケとのコンサートのライヴ盤です。ブルックナーは2002年12月3日ゼンパーオーパーでのライヴ、モーツァルトは同9月2日クルトゥーア・パラストでのライヴとされます。

ここで、モーツァルトの方のコンサートがゼンパーオーパーではなくクルトゥーア・パラストで行われている理由ですが、2002年夏にヨーロッパを襲った未曾有の大洪水により、同オケの本拠地ゼンパーオーパーが浸水被害に見舞われ、利用不能状態に追い込まれたからです。本CDのブックレットには、この時のゼンパーオーパーの生々しい被害状況を示す、以下のような写真が掲載されています。

PH07057-2

さて、本ディスクの演奏についてですが、ブルックナーが圧倒的な名演だと思います。もともと、私が本ディスクを購入したのは、今月初めにサントリーホールで聴いたハイティンクとシカゴ響のブルックナーの7番が予想を上回る素晴らしい演奏だったことによるものですが、このドレスデン・シュターツカペレとのブル8のライヴを耳にして驚いたのは、ここでのブルックナーにおけるアンサンブル・バランスが、実演時に聴いて感銘を受けたバランスに極めて近いものだったことです。

サントリーで聴いたブル7の実演の追体験を狙って、同ホールで終演後に同じ顔合わせ(ハイティンク&シカゴ響)のブル7のCDを購入したこと、そしてそのCDのブル7が、実演時の印象とはやや離れたものであったことは、既に本ブログにも書いているところですが、このドレスデン・シュターツカペレとのブル8を聴いていると、まさにその追体験というか、随所にサントリーでのブル7から受けた印象が自分の中に蘇ってくるような感じがします。

シカゴ響とのブル7の実演に対し私が感じた印象というのは、本来シカゴ響の主力パートであるはずのブラス・パートを弦や木管の黒子としつつ、個々のパートの存在感で聴かせるよりも全体の揺るぎないハーモニーのまとまりで聴かせるというコンセプトが隅々まで反映されているような演奏、というもので、そのアンサンブルの純音楽的に突き抜けたような美しさに客席で聴いていて陶然とさせられたものでした。

そして本ディスクのブル8のライヴですが、聴いていてその時のアンサンブル・バランスにかなり近いような感じがします。例えば第1楽章の後半のクライマックス(9:30)あたりの金管の柔らかく抑制された響き、あるいは同コーダの全強奏(14:07)からの、強烈な高弦の最強奏をまろやかに包みこむかのように溶け込む金管パートの音色など、まさに実演時に聴いたバランスを彷彿とさせるものです。ティンパニも終楽章冒頭とコーダ以外は一貫的に抑制し、弦のニュアンスを阻害することがなく、あくまで弦パート中心の組み立てであることが感じ取れます。

ただ、本ディスクのブル8がシカゴ響との実演と大きく違っているのは、その弦パートの響きの特性で、シカゴ響との実演では重厚さや濃密さよりもむしろ、その響きの純然な美感の突き抜けぶりに圧倒されましたが、本ディスクのブル8では逆に、その重厚さや濃密さに圧倒されます。すなわち、全楽章とも弦パートの充実感がすこぶるつきで、ずしりとした質感、際立った密度感、そして何より、美しいというだけに終わらない内燃的な迫力が素晴らしく、聴いていてこれはまさにハイティンク会心のブルックナーというべき内容ではないかと思われるほどです。

ハイティンクのブル8の近年の録音としては、ウィーン・フィルとの1995年のスタジオ盤、2005年のコンセルトヘボウ管とのライヴ盤という、いずれも並々ならない名演がありますが、今回のドレスデンのオケとの2002年ライヴは、あくまで私の印象として、それらをも一歩凌駕するような超名演という感じがします。とにかくアンサンブルの充実感が素晴らしいですし、その充実感を持続させつつ、アンサンブル・バランスに自身の主観的な色付けをきっちりと付帯させるハイティンクの演奏手腕にも驚嘆させられます。

併録のモーツァルト「プラハ」もなかなかの演奏ですが、ブルックナーが超名演であるだけに、印象的にやや割を食ったようなところがあるかなという気がします。この「プラハ」は、ちょうどサントリーでブル7の前半に奏されたハイドン「時計」同様、速めのテンポにもかかわらず個々のフレージングが常に落ち着いた感じで、不思議な安定感のある演奏ですね。

シルヴァン・ブラッセルによるバッハのゴルトベルク変奏曲ハープ編曲版


J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲(ハープ編曲版)、ゴルトベルク変奏曲の主題に基づく14のカノン(2台ハープ編曲版)
 ブラッセル(harp)
 ワーナー 2007年 2564.691996
2564691996

今月リリースされた、バッハ・ゴルトベルク変奏曲のハープ編曲版による演奏です。ゴルトベルク変奏曲にはこれまでにもクラヴィーア以外の楽器を用いた種々の編曲演奏が知られているところですが、ハープ編曲というのは聴いたことがなく、ちょっと意表を突かれた感じで、そのあたりの興味から購入してみました。

演奏者はフランスの若手ハーピスト、シルヴァン・ブラッセルで、楽器は1904年に製作されたエラール製ヴィンテージ・ハープとのことです。また、カップリングとしてゴルトベルク変奏曲の主題に基づく14のカノン(BWV1087)が収録されていますが、こちらはファブリス・ピエールとの共演によるデュオ形式で演奏されています。

そのゴルトベルク変奏曲ですが、内容的には期待以上のものがあって驚かされました。もともとハープ編曲版という物珍しさから興味本位で買ったCDですが、その演奏に耳を傾けているうち、いつしかハープの音色により紡がれるバッハの音楽の美に酔わされていて、すがすがしい余韻をもって全曲を聴き終えました。

ここでのゴルトベルク変奏曲においては、何といってもハープ楽器ならではの響きの美しさが聴きものになっていますが、その響きの印象としては、バッハの時代のチェンバロのような古雅な優美さと、モダン・ピアノにも比肩するような高音域の音色の美彩とを兼ね備えたような感触が独特です。そして、そのハープ独特の音色の美しさが、このゴルトベルク変奏曲の音楽の構築に対して巧くフィットしていて、本家のクラヴィーア演奏のそれとはまた一味違った美的側面が披歴されている感じがします。

考えてみればハープの音響的なメカニズムというのはハープシコードと同じで、違うのは弦を弾くのがハンマーか人間の指かという点ですので、ハープ楽器がゴルトベルク変奏曲の音楽の構築に対して巧くフィットするのは自然の理とも言えそうです。しかし、この演奏の素晴らしさはそれだけでは説明がつかず、やはり奏者シルヴァン・ブラッセルの卓越した演奏技巧と音楽性に拠るところが大きいのではないかと思います。

例えば3曲ごとに配置されているカノン曲、あるいは本来2段鍵盤でしか弾けない構造の曲(第8・13・14変奏など)のような難曲でさえキリッと危なげなく奏されていて、ことに第27変奏のような2段鍵盤用のカノン曲でさえ技巧的に完璧なのには感嘆させられます。もちろんピアノとハープとでは要求される技巧は別物なので、ピアノでの難曲度がそのままハープでの難曲度になるとは限らないとも思えますが、それを考慮してもやはり見事なテクニックと感じます。もちろん単にテクニックがいいというだけでなく、音色の美的な印象も至極立っている点は前述のとおりです。

ただ、聴いているとやはりハープ演奏特有の弱点と思われる点もいくつか見受けられるようです。まず、低声部の響きの弱さで、ハープ楽器はその性質上、高音域の音色が非常に麗美に奏でられる反面として、どうしても低音域の音色は相対的に弱くなってしまい、このゴルトベルク変奏曲においても、例えば主題が低声にまわる局面において主題線の存在感がやや薄れがちに聞こえる傾向があるようです。また、前述のように、カノンないし2段鍵盤用の変奏部に対してはすこぶる見事な技術なのに、例えば第10変奏のような1段鍵盤用のフゲッタなどで指まわりがややぎこちないように思える点も気になりました。少なくとも2段鍵盤用の第8変奏、カノンの第9変奏から続けてこの第10変奏に入った時には少しおやっ?と思いました。

以上のようにやや気になるところもあるとしても、やはりこのゴルトベルク変奏曲のハープ編曲版の録音は、私としては大きな収穫で、ゴルトベルク変奏曲の演奏上のひとつの可能性を示すに十分な内容と思われるとともに、バッハの音楽の懐の深さをも改めて認識させてくれた演奏でした。

ズヴェーデン/ロイヤル・フランダース・フィルによるショスタコーヴィチの交響曲第5番


ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
 ズヴェーデン/ロイヤル・フランダース・フィル
 アンブロワジー 2006年 AM171
AM171
2008年秋からベルギー・アントワープのロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任したヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが、同フィルと録音したショスタコーヴィチの5番がリリースされました。ズヴェーデンは昨年リリースされたロンドン・フィルとのマーラーの5番のライヴがかなりの名演だったこともあり、今回のロイヤル・フランダース・フィルとの新譜も購入して聴いてみました。

第1楽章ですが、冒頭から主題提示部にかけてはかなり慎重な進め方で、弱音のモチーフ同士の絡み方など几帳面なくらいに丁寧です。構成感もしっかりしていて、そのあたりの手堅い進め方は良いとしても、音響的なメリハリやどぎつさという点ではいまひとつ強烈味に乏しいような印象を否めません。弦楽器の鳴りももうひとつといったところで、少なくとも主題展開部の序盤あたりまでは、音楽としてやや精彩不足という感じがします。主題展開部の中盤以降は金管パートに一定以上の充実感があり、ことに太鼓が連撃される(9:02)以降からコーダにかけての高揚力にはかなり光るものがありますが、弦パートの編成自体が少なめなのか、ヴァイオリンやチェロの音色の強度と響きの重みがそれほど振るわないため、聴いていてどうも煮え切らないというか、迫力的に伸び切らないもどかしさを感じます。

次の第2楽章も同様で、金管などは張りのある響きでパリッとしていますが、弦についての印象は前楽章と同様パッとしません。金管抜きで進められる第3楽章はその印象がさらに強まり、確かに細分化された弦パートのきめ細やかさは見事ですが、それ以上の主張がいまひとつ伝わってきませんでした。

終楽章は、冒頭から中盤あたりはすこぶるアグレッシブなアンサンブル展開で、打楽器を激しく強打しつつ、スピードに乗ったテンポ感からきっちりと走り抜けるオーケストラ・ドライブの迫力が秀逸で、ここにきて弦の流れにも充実感が漲り、コーダの高潮感を含め、ようやくズヴェーデンの本領が聴けたような安堵感を覚えました。

以上、本ディスクのショスタコは終楽章以外は聴いていてどうもピリッとしたものに欠けるというのが率直な印象で、もしかすると、この録音当時ヘレヴェッヘ政権下にあったロイヤル・フランダース・フィルは、比較的小編成な規模の作品に対する適応力が磨かれた反面、ロマン派以降の大規模な編成の作品に際しての対応力が、相対的に低下したようなところがあったのかも知れないと、本演奏を聴いていてふと思いました。

ちなみに本ディスクは昨年末に入手し、先月すでに聴いていて、その感想を本ブログに出すか否かちょっと決めかねていたんですが、やはり自分としていまひとつではないかと感じた演奏についても、感じた通りにそのまま書くべきだと思って感想掲載に踏み切った次第です。

カプソンとP・ヤルヴィ/フランクフルト放送響によるドヴォルザークとハーバートのチェロ協奏曲


ドヴォルザーク チェロ協奏曲&ハーバート チェロ協奏曲第2番
 カプソン(vc) P・ヤルヴィ/フランクフルト放送交響楽団
 ヴァージン・クラシックス 2008年 5190352
5190352

近年進境著しいフランスの若手チェリスト、ゴーティエ・カプソンの新譜で、パーヴォ・ヤルヴィ/フランクフルト放送響をバックに迎えてのドヴォルザークとハーバートのチェロ協奏曲が収録されています。

聴いてみると、カプソンのチェロはドヴォルザーク、ハーバード両演ともに素晴らしく、そのしなやかなメロディ・ラインの流動感といい、洗練された甘美な音色の魅力といい、演奏技術の辣腕ぶりといい、いずれも卓抜的で感心させられるとともに、聴いていてかつてヨーヨー・マの同曲の録音を聴いた時に感じた印象に何となく近いものを感じました。

もっとも、ここで突然ヨーヨー・マを引き合いに出したのには、それなりに理由があり、本ディスクのドヴォルザークとハーバートのチェロ協奏曲のカップリングが、かつてヨーヨー・マがソニーからリリースしたCDでのカップリングと同一だからです。

SRCR1567
ドヴォルザーク チェロ協奏曲&ハーバート チェロ協奏曲第2番
 ヨーヨー・マ(vc) マズア/ニューヨーク・フィル
 ソニー・クラシカル 1995年 SRCR1567

上記のヨーヨー・マ盤はマとしては2度目のドヴォ・コンの録音ですが、このCDにカップリングされていたのがヴィクター・ハーバートのチェロ協奏曲第2番です。このハーバートの作品をアメリカで聴いたドヴォルザークが、それにインスパイアされ、自身の傑作たるチェロ協奏曲を産み出したことはあまりに有名で、ほとんどの解説書に書かれていることですが、実際にそのハーバートの曲を私が初めて聴いたのが、上記のヨーヨー・マ盤でした。

そういうこともあり、私はこのカプソン盤を聴く前から、ヨーヨー・マ盤での印象をある程度引き摺っていたようなところはあったと思います。ただ、それを割り引いたとしても、やはりここでのカプソンの奏でるチェロの雰囲気は、ヨーヨー・マのそれとかなり共通項があるような気が聴いていてしました。

最も類似性を感じるところは、カプソンがヨーヨー・マ同様、チェロ楽器本来の重々しいフレーズ感をおおむね抑制し、むしろヴァイオリンか何かのような軽妙かつ自由闊達な引き回しを披歴している点で、もちろんそれは並のアーティストに軽々しくできることではないですが、とにかく、カプソンのソロには、ヨーヨー・マ同様、聴いていて本当にチェロか?と思ってしまうような局面が多々あります。

とはいえ、類似性を感じるのはあくまでフレージングの性質の話で、演奏上の構成感はヨーヨー・マとはかなり違っています。テンポ感からして違いますし(速めのヨーヨー・マに対し、カプソンはやや遅めですね)、細かいフレージング様式にしても、ドヴォルザーク第1楽章(3:56)のチェロの入りでの、かなり即興感を加味した入り方、あるいは(6:18)からの第2テーマや(10:15)からのメイン・テーマの倍テンポ進行など、いずれもずいぶんヴィブラートをかけていて、そのぶんヨーヨー・マよりもロマンティックな情感が強く出ている印象を受けます。

また、パーヴォ・ヤルヴィ/フランクフルト放送響のバックも実に良く、少なくともヨーヨー・マ盤におけるマズア/ニューヨーク・フィルの凡庸な演奏とは比較にならない素晴らしさです。全体に過度のヴィブラートを抑制したアンサンブルから発せられる響きの鋭さ、パリッとした音色の冴え具合が抜群で、トッティでの弦のパンチ力といい、金管の色合いの強烈さといい聴いていて惚れぼれします。また、この様式だとヴィブラートを積極的に活用するカプソンのソロとのコントラストが引き立つため、そのピリッとしたロマンティズムには独特な陶酔感を喚起させられます。

以上、ハーバートの方も含め、このカプソンの新譜は同じカップリングのかつてのヨーヨー・マ盤にも比肩する名演で、オーケストラ演奏まで考慮するならそれをも凌駕するような演奏ではないかと感じました。

テンシュテット/シュトゥットガルト放送響によるブラームス交響曲第1番とマルティヌー交響曲第4番


ブラームス 交響曲第1番&マルティヌー 交響曲第4番
 テンシュテット/シュトゥットガルト放送交響楽団
 コンセプト 1976年ライヴ(ブラームス)、73年ライヴ(マルティヌー) CNT0001
CNT0001

今月リリースされた、クラウス・テンシュテットとシュトゥットガルト放送響という珍しい組み合わせによるブラームスとマルティヌーで、ブラームスは76年のゲッピンゲン市立劇場でのライヴ、マルティヌーは73年のシュトゥットガルト放送スタジオでのセッション録音です。コンセプトという聴き慣れないレーベルからのリリースですが、これはドイツの音楽出版社カペラ・ムジーク・プロダクションが新たに立ち上げたレーベルとのことで、本CDがレーベル第1弾ディスクのようです。

さっそく聴いてみると、ブラームスは第1楽章冒頭から力みを抜いたような全奏のふっくらとした広がりが耳を捉えます。晴れやかながらも音楽がちょっと軽めかな、と思っていると、(2:05)前後のff起伏部においては重々しい粘着力をはらんだテンポから繰り出される凝縮力に満ちたトッティのハーモニーがすこぶる痛烈で、このあたりの硬と柔の強力なメリハリにはテンシュテットらしい個性味が伺われて好感的です。

主部においては(2:57)あたりで金管が凄い響きを発していたり、木管を含めて金管部は総じて鳴りが抜群、高弦部の鳴りも抜群ですが、対して低声部はというとそれほどに厚みは乗っておらず、ティンパニもかなり控えめです。すなわちアンサンブルのバランスとしては高声上位的な感じで、いわゆるドイツ的なバランスとはやや趣きが異なる印象を受けます。

シュトゥットガルト放送響はドイツの名門オケとはいえ、歴史的には新しく、またアンサンブル性能において、チェリビダッケの手によりドイツ有数の水準に鍛え上げられたオーケストラとして知られていますが、ここでのテンシュテットの意識として、おそらくこのブラームスを、伝統的なドイツ風の演奏に仕立てるよりも、むしろシュトゥットガルト放送響のアンサンブルの機能的なポテンシャルを活かすような方向で仕上げることが、オーケストラの本領を発揮するにおいてベストと判断したような気持ちがあったのではないかと、聴いていて思いました。

例えば(9:09)からの再現部冒頭において、弦の最強奏によるメインテーマを軽々と突き抜けて金管が朗々と響きわたる様などは圧巻で、当時のシュトゥットガルト放送響の秘めたるポテンシャルが端的に現われているような感じがしますし、こういう演奏活力をアンサンブルからこよなく弾き出すテンシュテットの辣腕ぶりにも感嘆させられます。

中間の2つの楽章ではゲッピンゲン市立劇場の豊かな残響がソノリティに独特のまろやかさを付与していますが、残響感が高いわりにアンサンブルの響きがキリッとしているのが印象的で、木管やホルン、ヴァイオリンのソロなど、いずれも音色が立っているのにどこか幻想的な雰囲気に包まれたような独特の美しさを感じます。

終楽章は第1楽章以上に硬と柔のメリハリに振幅が与えられ、アンサンブル高声部の鳴りの良さ、そしてその機能的な表出力にもさらに磨きがかかり、その推進力あふれる進行から繰り出される充実した音響展開には聴いていて率直に魅了されました。

カップリングのマルティヌーの第4交響曲の方はスタジオ録音で、残響感がブラームスよりかなり低めで、ブラームスの後で聴くとややドライな耳当たりですが、そのぶん解像度は高く、マルティヌーの込み入った作風を考えるとむしろちょうどいいような気もします。

このマルティヌーの第4交響曲はナチス・ドイツ降伏によるヨーロッパ戦線終結に際しての作曲家の喜びが込められたような作風と言われます。録音も少ないだけに本演奏は貴重ですが、内容的にも名演で、シュトゥットガルト放送響のアンサンブル性能を活かすという点においてはブラームス以上のものが発揮されていて驚かされます。特に終楽章のドラマティックなエネルギーの表出ぶりなどは、アンサンブルの確たる合奏力の端的な現われとも思えるもので、音楽の緊張感の高まり方が強烈です。

ブログ開設から半年


昨年8月に本ブログを開設してから、ちょうど半年になります。

内容的には甚だ拙い感想記ではありますが、とにかく聴いた印象をそのまま書く、という方針に関しては徹底しているつもりですし、今後もそのようにしていくつもりです。

とはいえ、ことさらに情報発信などと声高に主張することは私の好むところでないので、本ブログをそういう風に運営する気はもとよりありません。今後も地道に、コツコツやっていくようにしたいと思います。

今後ともひとつよろしくお願いします。

話は全然変わりますが、NTTデータの運営する大手ブログサイト「Doblog」において、現在、かなり大規模な障害が発生しているとのことです

どうやらブログサービスのデータベースサーバにハードウェア障害が発生しているようで、Doblogがサービスを提供する全ブログが閲覧不能になっていて、それが今月8日以降現在まで、1週間もの長期にわたり続いているという異常事態になっているようです。

この件に関して私が心配なのは、現在のアクセス不能状況それ自体ではなく、むしろサイト復旧後のデータの状態の方です。障害前の状態に完全に保たれていればいいですが、これだけの規模の障害だと、少なからずデータ消失が発生するような気がします。特に今回のDoblogではバックアップ用サーバにも障害が発生しているという話もあり、もしそうだとすると最悪、全データが消失しリカバーも不能なんてことも考え得るところです。

開設からわずか半年とはいえ、いちおう私もブロガーのはしくれですので、今回のDoblogの一件は少なからぬ衝撃をもって受け止めています。現在私が利用しているFC2ブログでは、幸い今のところ障害らしいものは発生していないとはいえ、やはりいつ何時、、、という気にもなってしまいます。

結局、ユーザー側の防衛手段としては、アップロードしたデータの自パソコンへのバックアップくらいでしょうか。FC2ブログが提供するバックアップ機能は、自パソコンにダウンロードしたデータの文字コードがシフトJISでなくEUCだったり(パソコン上だと文字化けする)、使い勝手がいまひとつですが、今後は万が一に備えて、定期的にやろうかなと思ってます。

カルロス・クライバー/メトロポリタン歌劇場の「ばらの騎士」1990年ライヴ


R.シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」全曲
 C・クライバー/メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 メモリーズ 1990年ライヴ ME1066/68
ME106668

カルロス・クライバーのオペラ盤感想記シリーズの第5回です。

これは2006年にリリースされたディスクで、1990年10月にカルロス・クライバーがメトロポリタン歌劇場において、その十八番ともいうべき「ばらの騎士」を振ったライブの録音です。歌手はマルシャリンがロット、オクタヴィアンがフォン・オッター、ゾフィーがボニー、オックスがホーニックという布陣です。

クライバーがメトロポリタン歌劇場でタクトを振ったのは1988年から90年までの僅かな時期で、この「ばらの騎士」はその時期のクライバーの演奏が聴ける貴重な録音であることは論を待ちませんが、音質面・演奏面ともにクライバーとしてはいまひとつという印象も受けます。

音質に関しては、一応ステレオではあるものの左右の広がりはモノラルに近く、またダイナミックレンジも限定的、舞台からやや距離感のあるマイクポジションのため臨場感もいまひとつ、という按配で、ノイズ感がかなり低いのが救いではあるものの、良好の音質とは言い難く、少なくとも昨年リリースされたバイエルン国立歌劇場との「ばらの騎士」73年ライヴSACD正規盤の音質とはちょっと比較にならないレベルです。

演奏に関しても、多分に音質の影響があるとは思うものの、やはりアンサンブルの表情にどこか抑制感があり、並の演奏ではないとしても、70年代のクライバーの一連の「ばらの騎士」に聴かれるような音楽の流れの豊麗さ、表情形成の絶妙ぶりから計ると全体に物足りなさが残る内容というのが率直な感想です。

とはいえ、当時レヴァイン政権化において磨き抜かれたメトロポリタン歌劇場のアンサンブルの合奏力は聴いていて端的に見事で、ヨーロッパの歌劇場のアンサンブルのそれとはまた違う機能美があり、クライバーもおそらくそれをわきまえた、部分的な勢いよりも全体のまとまりや調和を志向した完成度の高い内容で、これはこれでクライバーの一連の「ばらの騎士」におけるひとつの解釈として独自のポジションを持った録音ではないかと思います。

フルトヴェングラー/ベルリン・フィルのティタニア・パラストでのベートーヴェン・ライヴ集


ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、第7番、第8番
 フルトヴェングラー/ベルリン・フィル
 ターラ 1947~53年ライヴ FURT2002-2004
FURT2002
これは昨年末にターラからリリースされた、フルトヴェングラーとベルリン・フィルによるティタニア・パラストでのベートーヴェンの交響曲ライヴ集(CD3枚組)です。

収録曲は①交響曲第3番「英雄」②交響曲第5番「運命」③交響曲第6番「田園」④交響曲第7番⑤交響曲第8番で、①は1952年12月8日、②と③は1947年5月25日、④と⑤1953年4月14日のライヴ録音です。

これらはフルトヴェングラーの演奏としてはいずれもお馴染みの録音というところで、特に説明も不要とも思えますが、念のため以下に簡単にそれぞれの演奏の概要を記しておきます。

①の「英雄」はフルトヴェングラーの十八番ともいうべき同曲の多くの録音の中でも、その内容の充実度において、1944年のウィーン・フィルとのライヴ録音(ウラニアのエロイカ)、1952年11月のウィーン・フィルとのスタジオ録音(EMIスタジオ盤)とともにフルトヴェングラーの「英雄」3大録音と呼ばれるほどの内容的充実度を有する演奏です。

②の「運命」と③の「田園」はフルトヴェングラーのベルリン復帰コンサート初日のコンサートのライヴ録音です。ちなみにこのベルリン復帰コンサートの「運命」のライヴは、グラモフォンから出ている音源のものが一般的には有名ですが、そちらは復帰コンサート3日目(5月27日)のライヴで、場所もティタニア・パラストではなく放送局ホールとされています。

④の第7と⑤の第8はともにフルトヴェングラーとベルリン・フィルによる、それぞれの作品の数少ない録音として貴重なもので、特に第8はこの顔合わせでは確かこれが唯一の録音だったはずです。

さて、このターラ盤ですが、収録の①~⑤の演奏自体はいずれも既に他盤にて入手済みで、しかも多少値が張ることもあり、購入するかどうか正直悩んだんですが、今回のターラ盤はニュー・リマスタリングによって音質がかなり向上しているというようなことを聞き及んでいたため、結局は購入した次第です。

それで聴いてみたところ、問題の音質は明らかに上質と感じました。特に①の「英雄」の音質には、ちょっと度肝を抜かれるほどで、冒頭の強和音のマッシブな感触、続く主題部での低弦のリアルな感触、高弦の艶など、全体に響きがすこぶる生々しく感じられ、この予想以上の臨場感には聴いていてかなり感激してしまいました。

②~⑤も同様で、いずれも大音量時でさえ音質的なかさつきの度合いが低く、輪郭がガッチリしていて、ベルリン・フィルならではのシビアなハーモニクスの醍醐味がかなりダイレクトに捕えられているような感じで、演奏自体の凄味ともども、聴いていて惚れぼれすることしきりでした。

もっとも、②の「運命」には、上に書いたようにその2日後のグラモフォン音源の「運命」の録音が別にあり、その中には例えばグランドスラム盤のような信じがたいほどに高音質な復刻盤も既に出ています。そのあたりの復刻盤と比べるなら、今回のターラ盤の音質でも、やはり劣勢という印象は否めないところです。

とはいえ、少なくとも①~⑤音源の録音に限定するならば、今回のターラ盤の音質はおそらく過去最高ともいえる水準の音質ではないかと思いました。

N.ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管によるプロコフィエフ交響曲全集


プロコフィエフ 交響曲全集
 ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
 シャンドス 1984・85年 CHAN10500X
CHAN10500X
これは昨年暮れに廉価で再発されたN.ヤルヴィのプロコフィエフ全集です。交響曲第4番は初稿版と改訂版の2種類が収録されており、また交響曲第7番の終楽章はコーダ付きの「初演版」で録音されています。

プロコフィエフの交響曲全集というと、ちょうど昨年12月上旬にゲルギエフ/ロンドン響の全集盤の演奏の感想を本ブログに掲載したところですが、このヤルヴィの全集盤は、ひととおり聴いてみた印象として、そのゲルギエフ盤とはかなり対照的な特徴を有する演奏でありながら、その特徴の発現力の強さという観点において、かのゲルギエフ盤とも甲乙付け難い名演ではないかと思いました。

このヤルヴィ盤の最大の特徴はアンサンブル高声部の発するケタはずれの表出力にあると感じられ、強奏時における金管の絶大な鳴りっぷりといい、稲妻のような高弦の音彩といい、いずれも強烈を極め、そのトッティでのハーモニーに聴かれる殺気立ったような凄まじい響きにより、プロコフィエフ特有の狂想的な音楽の醍醐味が強力に実感させられます。特に交響曲第2番、第3番、第4番の3曲に関しては、まさに熾烈な音楽に拮抗する熾烈な演奏という感じで、例えば交響曲第3番冒頭の強和音のハードな耳当たりなど、聴いていてゾクゾクさせられるような強烈味があります。

逆にこのヤルヴィ盤の演奏の弱いところはおそらく低声部で、どの演奏でも総じて高声部の表出力にすこぶる磨きがかけられている反面、バスの量感や強度感はそれほど高くなく、アンサンブル全体にいまひとつ重みが乗らない印象を感じます。ゲルギエフの演奏ではバスを中心とする低声部の充実感が際立っていただけに、そういう印象が助長されるのかも知れないですが、この点においてゲルギエフの全集盤とは対照的な色合いが示されているとも言えそうです。

したがって、極端に言えばこのヤルヴィ盤の演奏とゲルギエフ盤の演奏を足して2で割ればある意味理想的な演奏ということになるのかも知れませんが、それはさすがに乱暴な話で、少なくともこのヤルヴィ盤もゲルギエフ盤同様、プロコフィエフの交響曲全集のひとつの極みを示す素晴らしい演奏内容と感じました。

ハイドシェックによるシューマン「子供の情景」&ドビュッシー「子供の領分」他


シューマン「子供の情景」&ドビュッシー「子供の領分」&サティ「3つのジムノペディ」&クープラン「フランス人気質またはドミノ」&ラヴェル「マ・メール・ロワ」四手版
 ハイドシェック(pf)
 キングインターナショナル 2008年 KDC20
KDC20
エリック・ハイドシェックの新譜で、5曲ともこの演奏がハイドシェックの初録音とのことです。

ハイドシェックというと、私としては昨年の6月にサントリーホールで聴いたオール・ベートーヴェンのリサイタルでの印象が記憶に新しいところです。そこでのハイドシェックのピアニズムは、事前の期待を良い意味で裏切るもので、往年よりも明らかに表情が丸くなっている印象があるものの、かつてとは別の意味での円熟した深みが付随しているような感じを受けました。

それに対して今回の新譜は、いずれもそのリサイタルとほぼ同時期の、昨年6月の11日から13日にかけて東京のスタジオで収録されています。そうすると、その演奏においてもおそらく実演時のイメージがオーヴァーラップするであろうと予想し、聴いてみたところ、やはり予想通りという感じでした。

まず最初のシューマン「子供の情景」ですが、この演奏を聴いて頭に浮かんだのは、かつてこの曲に関してシューマンがクララに当てた手紙の中で「名ピアニストであることは忘れて」弾いて欲しいと書いた言葉で、このハイドシェックの演奏はまさにそういう感じがします。例えば4曲めの「鬼ごっこ」などは、かつてのハイドシェックなら、冒頭の音符に与えられているsfp指定を大胆に強調したメリハリの強い弾き方をしたように思われるところ、この演奏では、そういう演奏効果を敢えて狙わないような、自然体というか、肩の力の抜けたような、気さくなニュアンスの醸し出された温か味のある演奏が披歴されています。「トロイメライ」の夢想味の素晴らしさなどを始め、その澄み切った音彩には聴いていて感じ入るものがあります。

それはドビュッシーやサティ、クープランなども同様で、往年の奔烈性は影を潜めるかわりに、一音一音の音立ちの美しさ、音色の濃さ、訴えかけの強さという点において格段に深みが増した円熟のピアニズム。これはサントリーでの実演で感じた印象とおおむね同じです。

例えばクープランの組曲の最終曲「狂乱または絶望」など、かつてのハイドシェックからすると考えにくいほどに押さえの利いた淡々とした表現でありながら、むしろそこには内面的な迫力というか深みが立ち込め、それはかつてのハイドシェックのとんがったアプローチから生み出される迫力とは明らかに異質のものと感じます。

ラヴェルのマ・メール・ロワ四手版はハイドシェック夫人ターニャとの連弾形式で収録されていますが、全体に夢見心地な気配をまとわせつつ霊感豊かに音楽を刻んだ美演で、この作品のロマンティックな美感が惹き立っていることこの上なく、余韻が素晴らしいですね。

カルロス・クライバー/ドレスデン国立管によるウェーバー・歌劇「魔弾の射手」全曲


ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」全曲
 C・クライバー/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
 グラモフォン 1973年 F70G20052/3
F70G200523
カルロス・クライバーのオペラ盤感想記シリーズの第4回です。この「魔弾の射手」は言わずと知れた、クライバーのデビュー盤です。

音質に少しクセがあり、響きの高低分離が過分に強調されていてソノリティにいささか不自然さが感じられるところですが、クライバーのオーケストラ・ドライブの鮮烈なインパクトはさすがという感じがします。歌唱陣にややアクの弱い印象もありますが、オーケストラの醍醐味を中心に楽しむには最高のディスクではないかと思います。

冒頭の序曲の、アレグロに移行して第1主題を導入するチェロ、第2主題のクラリネット、このあたりの音色の精彩の立っていること。クラリネットといえば、第1幕第4場のマックスのレチタティーヴォからアリアへ移る場面で響く高音の音色の優雅さも素晴らしく、このパートはオペラ全体を要所で華やかに彩っていて、その音色には聴いていて魅了されられます。

しかし、このディスクでの最高殊勲パートは、おそらくヴァイオリンです。フォルテッシモでの、沸点突破的な鮮烈な色合いはまさにクライバーの演奏ならではの凄みに満ち、わけても、第2幕終盤のクライマックスたる魔弾鋳造シーンのアンサンブルの凄まじさは圧巻であり、ものすごいテンポの追い込みと相まって、ドラマティックの極みです。

対して、歌唱陣は全体にリリックに傾斜したキャスティングとなっているようで、マックス役シュライアーはアリアでの叙情的な歌唱が光るものの、高音の屈強感が弱いですし、芝居気もひかえめなのがちょっと物足りないところです。アガーテ役ヤノヴィッツも同傾向で、アリアはひたすら美声ですが、シュライアー以上に芝居気が薄いようです。逆にエンヒェン役マティスとカスパール役アダムは芝居気じゅうぶんで、全体にはバランスは取れてはいますが、やはりこれはクライバーを聴くディスク、という感じですね。

昨年リリースされた「ばらの騎士」も含めて、これでカルロス・クライバーの残した正規のオペラCDについては、ひと通り感想記を掲載したことになります。

そこで、今後はこれら正規盤以外の、クライバーのオペラ全曲盤についての感想記を掲載していく予定です。

ハイティンク/シカゴ響によるブルックナー交響曲第7番の07年ライヴ


ブルックナー 交響曲第7番
 ハイティンク/シカゴ交響楽団
 Cso-Resound 2007年ライヴ CSOR901704
CSOR901704
先日サントリーホールで購入したCDです。2月3日のシカゴ響来日公演における終演後にロビーで本CDを購入しました。

その時のブルックナーが大変素晴らしいものであったことは既に本ブログにも書きましたが、その感銘の追体験が、本CDによってある程度可能なのではないかという期待感をもってその演奏に耳を傾けてみました。

その印象ですが、音質は極上ながら、どうもサントリーで聴いたブルックナーとはちょっと雰囲気が違うような感じがします。最も異なるのは前半2楽章における金管のバランスで、前に書いたように、実演時には金管を無暗にがならせず、弦と木管をメインに据えて、金管はそれらの黒子役という様子だったのですが、本CDでは、その金管が弦・木管と同等かそれ以上の存在感をもってダイナミックに鳴り響いています。つまり、本来の「シカゴ響的な」バランスです。例えば第1楽章の(11:14)からのモルト・アニマートのff展開(第234小節)など、実演では金管はそれほど強力に鳴らされず、むしろ弦に溶け込んでいるような静謐な気配がありましたが、本CDでは強力に鳴らし切られていて、明らかに実演時とは異なるバランスです。

こういうバランスは第2楽章以下も一貫していて、第3楽章と終楽章に関しては実演の印象にほぼ等しいものの、第2楽章はかなり開きを感じます。少なくとも、実演時に感じた大音響の独特の静寂感をこのCDから感じ取るのは甚だ困難だと思います。

このCDに収録のブルックナーは07年5月のライヴで、ハイティンクがシカゴ響首席に就任から7ヶ月の時期の録音とされますが、この時期ゆえ、ハイティンクのブルックナーに対するヴィジョンよりもシカゴ響本来のアンサンブル特性の方が演奏前面に色濃く出てしまったようなところがあったのかも知れません。

とはいえ、私はコンサートホールで音楽を聴くときは往々にして舞い上がってしまう傾向があり、少なくともCDを聴くときのような冷静な面持ちで実演を聴くことは極めて稀で、そういう意味で、サントリーで聴いたハイティンク/シカゴ響のブルックナーも、仮に全く同じ演奏をCDで聴いたとしても、たぶん同じ印象にはならないような気もします。

やはり実演の印象とCDの印象とは本来的に別物と割り切るべきと思いますが、その点を差し引いて考えても、このCDのブルックナーは、名演ですが、実演のイメージとはちょっと違うなというのが率直なところです。

シモノフ/ベルギー国立管によるショスタコーヴィチの交響曲第4番


ショスタコーヴィチ 交響曲第4番
 シモノフ/ベルギー国立管弦楽団
 Cypres 1996年ライヴ MCYP2618
MCYP2618
ロシアの鬼才指揮者ユーリ・シモノフによるショスタコの4番のライヴ盤で、国内盤仕様として先月リリースされたディスクです。オーケストラは当時シモノフが音楽監督を務めていたベルギー国立管です。

ユーリ・シモノフというと、演奏に際して自身の主観的な目線で作品を再構築するような個性を持った、現代では数少ない指揮者という印象があります。例えばスロヴェニア・フィルとのベルリオーズの幻想交響曲の録音などはそういう演奏の筆頭格だと思います。

そういったシモノフの個性味がこのベルギー国立管とのショスタコのライヴでも発揮されているか、興味あるところで、さっそく聴いてみました。

まず第1楽章ですが、冒頭は思ったよりも力を抜いたような入り方で、冒頭のffから始まる1小節ごとのクレッシェンドや、4小節めからのマルカーティッシモなど、いずれもそれほどアグレッシブには音響的な強烈味は強調されず、むしろ静かな入り方という感じです。提示部から展開部前半にかけては、徹底的なイン・テンポを土台として、アンサンブルのバランスや,個々のフレーズの堅実な定着感を重視した正攻法の進め方で、強烈な印象を叩きつけるというのではないですが、客観的な視線の度合いがすこぶる高いゆえの凄味のある表情が醸し出されています。

展開部の後半、練習番号63(15:58)からのフガートは弦の線厚をギリギリまで絞ったようなきめ細かさがあり、その線の細さゆえに迫力的にはやや伸び切らないものの、カミソリのような切れ味の響きに痛切味があり、また(17:50)からのダイナミクスの思い切った激変ぶりに圧倒されます。その後は楽章前半の頑固なまでのイン・テンポに対する反動を叩きつけるというような、常軌を逸したアッチェレランドが壮絶を極め、ことに(18:25)あたりの全力疾走は圧巻です。

第2楽章は全体に抑制されたテンポの動きからクッキリ浮かび上がるハーモニーの明晰な姿が印象的で、作品自体のグロテスクな姿が端的に描き込まれている感じがします。終楽章は第1楽章と同様に要所を巧みに押さえてのアンサンブル展開で、細心の緻密さと大胆なメリハリを巧妙に同居させたような面白さがあり、聴いていてかなり新鮮な感触を受けます。

以上このショスタコは、ことシモノフの指揮に関しては面目躍如たる演奏だと感じますが、ただ随所に気になったのがオーケストラのある種の非力さで、まず全体にバスの量感があまり振るわないため、アンサンブル展開が軽量級という印象を拭えず、そのため量感依存的な迫力が音楽のどぎつい表情に伴わないもどかしさを感じてしまいます。また、管パートの色彩的な強度感もそれほどには立たず、この作品の演奏に不可欠ともいうような、聴かせどころでの断末魔的な色彩感に物足りなさが否めず、それゆえ音響的な迫力がもうひとつ振り切らないという印象も残りました。

かつて私はベルギー国立管の実演をサントリーホールで聴いたことがありますが(ミッコ・フランクとの初来日公演)、その時のチャイコフスキーの5番は聴いていて惚れぼれするようなアンサンブル展開で、管の色彩、弦の量感、トッティの充実感などの水準もかなり高かったように記憶しています。

それゆえ、このシモノフのショスタコのライヴも、前述のとおり内容的には確かに名演としても、もし現在のベルギー国立管と再録音したなら、さらに、、、という気もしました。

シカゴ交響楽団来日公演の感想


昨日(2月3日)のシカゴ交響楽団来日コンサートの感想です。

前半のハイドンは、全体にきっちりとまとめられたアンサンブルの合奏精度、ハーモニーの均衡感など、いずれも水準以上で、確かに好演でしたが、シカゴ響ならではの特徴という点では正直いまひとつピンとこない印象もありました。ただ、速めのテンポにもかかわらず個々のフレージングが常に落ち着いた感じで、不思議な安定感のある演奏だなと思いました。

これが後半のブルックナーとなると、その編成規模の増大に伴い、シカゴ響の持ち味がハイドンの時より格段に強く発揮され始めましたが、その持ち味というのが、私の事前の予想とはかなりかけ離れたもので、最初はちょっとビックリしました。

シカゴ響のアンサンブルというと、やはり「強力なブラス・セクション」という印象が強くあるため、当夜のブルックナーにおいても、おそらくは過剰なまでのテクニックの切れを伴う、ブラス部隊の豪快無比な吹き回しを存分に耳にすることになるだろうと予想していました。

しかし、いざブルックナーの第1楽章が始まってみると、ブラスよりもむしろ弦パートの奏でる音色の驚異的な艶やかさに耳を奪われました。ことにヴァイオリン・パートの音色にはシルクのような艶やかさが付帯していて、それに木管の各種ソロの音色のシャープな美しさがこよなく調和し、そのソノリティの美しさたるや大変見事なものでしたが、これに対してブラス・パートはというと、むしろ全体の響きの中に埋没しているような気配さえあり、最初のうちは、何となく肩透かしを食ったような気持ちで聴いていました。

しかし、第1楽章の中盤くらいまで音楽が進むにつれて、ブラス・パートうんぬんというより、むしろ音楽そのものの美しさに強く惹き付けられるようになっていました。ブラス・パートは弦や木管の引き立て役に回っている感さえあり、個々のパートの存在感で聴かせるよりも、全体の揺るぎないハーモニーのまとまりで聴かせるというコンセプトが隅々まで反映されているような演奏となっていて、その純音楽的に突き抜けたような美しさにより、聴いていて自ずと清々しい感動に誘われました。

この状況は第2楽章でも継続し、ノヴァーク版に基づく演奏なので楽章後半の山場ではティンパニとシンバルが打ち鳴らされましたが、それらでさえもかなり抑制的に鳴らされ、終盤のクレッシェンドも含めて、圧倒的な大音量なのに静けさすら感じられるような、その澄み切ったフォルテッシモの美感には、聴いていて思わず背筋が伸びるような気持ちにさせられたほどでした。

第3楽章になると、ブラス・パートが俄然その存在感を増し出し、トランペットやホルンの一糸乱れぬ強奏ぶりに惚れぼれすることしきりでした。終楽章においても、第3主題を中心にブラスパートが強烈な咆哮を発し、それに弦と木管がが追従するという風で、終曲部では一貫的に抑えてきたティンパニをついに豪打し、強い高揚感をもって全曲を締めくくりました。

こうしてみると、シカゴ響らしさという点では後半の2楽章を取るべきとも思えますが、私はむしろ前半の2楽章の方が、感銘の度合いが圧倒的に高い内容だったと感じます。確かに最初のうちはちょっと虚を突かれたような形になり、あまりピンとこなかったとはいえ、第1楽章の中盤以降、そして第2楽章全域において聴かれた音楽の突き抜けた美しさはちょっと喩えようもないほどでした。

ちなみにアンサンブル配置は前半のハイドン、後半のブルックナーともにステージ向かって左から第一・第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと並べてのいわゆる通常配置でした。6年前のバレンボイムに率いられての来日公演では対向配置だったようですが、今回の通常配置はおそらくハイティンクの流儀によるものと思われます。

いずれにしても、当夜の演奏はシカゴ響のブルックナーというよりも、今年80歳を迎えるハイティンクの到達した境地に由来する、ブルックナー演奏としてのひとつの極地が示された名演であったように思いました。

シカゴ交響楽団来日公演

2009-2-3

今日はサントリーホールでシカゴ交響楽団の来日公演を聴いてきました。指揮者はベルナルト・ハイティンク、演目は前半がハイドンの交響曲第101番「時計」、後半がブルックナーの交響曲第7番です。

アメリカのオーケストラの来日公演を聴きに行ったのは本当に久しぶりで、最後に聴いた楽団がどこだったか、俄かには思い出せないほどです。少なくとも最近5、6年は聴いた記憶がないので、、、

10年ほど前にはアメリカのオーケストラも割りと聴きに行っていたんですが、いつしかヨーロッパのオーケストラの来日公演の方に比重がシフトしてしまって、結果的にアメリカの楽団の公演にはすっかり足が遠のいてしまっていました。

今日のシカゴ響の公演も聴きに行くか、正直迷ったところはあったんですが、シカゴ響は来日頻度があまり高くないこともあり、そのベルリン・フィルにも比肩するとされる世界最高峰のアンサンブル性能の醍醐味に、やはり接し得る時に接しておきたいと思って足を運びました。

感想については後日あらためて書きますが、後半のブルックナーが予想以上に素晴らしくて驚かされました。何というか、純音楽的に突き抜けたような美しさを纏ったブルックナーでした。

イル・ジャルディーノ・アルモニコによるヘンデルの合奏協奏曲(作品6)全曲


ヘンデル 合奏協奏曲(作品6)全曲 
 アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコ
 オワゾリール 2008年 4780319
4780319
2009年のヘンデル没後250年にちなんだ形でリリースされた、イル・ジャルディーノ・アルモニコの新譜です。CD3枚組でのリリースですが、都内の量販店では3千円を切る低価格で販売されていました。

ひと通り聴いた印象としては、全12曲とも程度の差こそあれ、概ね先鋭なリズムの強調されたビート感の強さと、それに導出される音楽の強い躍動味に異彩のある演奏で、アンサンブルにおけるメリハリの効いた低域パートの押し出しの強さを起点に展開されるその強力な音楽の躍動感には、聴いていて理屈抜きにウキウキしてくるような独特の愉悦味があります。

フレージングに関してもまるでロック演奏のような趣きさえ感じられ、こういうある種の型破りなインパクトという点では、イル・ジャルディーノ・アルモニコの代名詞ともいうべき、以下のヴィヴァルディ「四季」の演奏にも一脈通ずるところがあるようです。
WPCS-6471
ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「四季」
 イル・ジャルディーノ・アルモニコ
 テルデック 1993年 WPCS-6471

もっとも、今回のヘンデルのアルバムは、上記の「四季」ほどには大胆に踏み外してはいない感じで、テンポ的にオーソドックスなこともあり、かなり過激ながらも、彼らの本領からするとやや抑制が効いているような気もします。

ところで、イル・ジャルディーノ・アルモニコにはバッハのブランデンブルク協奏曲集の録音もあり、こちらも上記の「四季」に劣らぬ過激度を有する演奏として知られています。
WPCS-57878
J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲全曲
 イル・ジャルディーノ・アルモニコ
 テルデック 1996・97年 WPCS-5787/8

このバッハは、イル・ジャルディーノ・アルモニコならではの感覚的な愉悦味に満ちた演奏ですが、そのためにバッハ本来のドイツ音楽的な構築感が相当に希薄化されてしまっていて、この曲集の持つ厳粛な趣きが骨抜きになってしまった感じもします。純粋に演奏表現の新鮮さ、印象感の強さという点ではかなりのインパクトの強さを帯びた面白い演奏だと思いますが、副作用も強いようです。

しかし今回のヘンデルの演奏では、上のバッハ・ブランデンブルク協奏曲集よりは副作用が抑えられているような感じがあり、聴いていてアンサンブルの過激ぶりに付随して、ヘンデルの音楽としての醍醐味もまた同時に伝わってくるような感覚があります。バッハよりはイタリアの様式に依っているヘンデルの音楽の特性によるのかも知れないですが、イル・ジャルディーノ・アルモニコのアンサンブルも、さすがに往年の尖がった感触が後退して、多少表情が丸くなったようなところがあるかもしれないですね。

藤原歌劇団によるポンキエッリ「ラ・ジョコンダ」公演(2)


おととい(1月31日)の東京文化会館におけるポンキエッリ「ラ・ジョコンダ」公演の感想です。

ジョコンダ役エリザベート・マトス:
ポルトガル出身のドラマティック・ソプラノとのことです。かなりの実力派歌手であると感じました。序盤あたりは正直あまり強い印象は感じませんでしたが、第2幕の中盤でラウラの掲げるロザリオを見てからの表情の切り替えの鮮やかさが見事で、以後終幕まで、ジョコンダの内面で激しく逡巡する心理的葛藤に対する鮮やかな表現力に魅了されましたし、特に「自殺のみが自分に残された道」と歌う第4幕の自殺のアリアでの迫真の歌唱ぶりは聴いていてゾクゾクするほどでした。

エンツォ役チョン・イグン:
韓国出身のテノールです。おおむね好演で、第2幕の名アリア「空と海」をはじめとして、全体に高音域に対する力強い上昇感を伴う発声の伸びが素晴らしく、また発声様式におけるニュアンスの細かさや表情のリアリティといった面も秀逸で、少なくともそのあたりに関してはヴィオッティ盤のプラシド・ドミンゴよりも上を行くと感じました。

バルナバ役堀内康雄:
藤原歌劇団のプリモ・バリトンです。バルナバはある意味でこのオペラの最重要キャラクターとも言えそうですが、堀内康雄のバルナバは全体に歌唱上のインテリジェントな工夫が良く光っていたように思います。やみ雲に声量のヴォリュームに頼らず、強調すべき語感のイントネーションを綿密に吟味しながらの含蓄に富む歌い回しで、バルナバの残忍な性格を見事に描き出していたので、舞台全体がピリッと締まった感じになりました。

ラウラ役エレナ・カッシアン:
ルーマニア出身のメゾで、プログラムによると初来日は2000年スカラ座来日公演「リゴレット」のマッダレーナとあります。実は私はその「リゴレット」の公演をNHKホールで観ているんですが、正直あまり印象に残っていません。しかし今回のラウラはすこぶる名唱で、ことに発声の美しさという点ではジョコンダ役エリザベート・マトスを凌ぐほどのものがあり、それが役柄の清純な印象を強めるとともに、ラウラの「もうひとりのヒロイン」としての存在感をジョコンダとは異なる方向でこよなく印象づけていて好ましく思いました。

オーケストラの演奏:
菊池彦典の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏です。職人的ともいうような、かなり手堅い演奏で、もう少しアンサンブルに強いメリハリを与えてもという感もありましたが、全体に東京フィルから堅実に音楽の流れを組み立てつつ、停滞感のないスムーズな音楽の運びを導いていた点が良かったと思います。また、舞台とのキッチリした連携ぶりにも聴いていて感心させられました。

演出:
演出に関しては、このオペラを初めて観る私が言うのも何ですが、あまりにオーソドックス過ぎてちょっと物足りない気がしました。確かに、ストレートな演出だけに舞台と音楽にこよなく集中できるものでしたが、例えば昨年秋に新国立劇場で観た「トゥーランドット」の演出などは、ひねりにひねった仕掛けの面白さがありましたし、あれほどでなくとも、演出上もう少しひねった要素があっても良かったように思いました。

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